「たまにはこういうのもいいな」「何か言い訳はあるか」
「ございません……」
とんがり帽子と白いローブがトレードマークの駆け出し魔術師はうなだれていた。現在は帽子を膝に抱えているため、彼女の特徴のひとつでもある夕焼けのような赤毛がさらりと肩からこぼれ落ちる。
同時に目に入るのは、その赤毛と同じ色をした三角――彼女の頭部から生えているそれは、獣の耳のような形をしていた。
はあ、と。キャスターは大きくため息をついた。
その重々しい様子に、びくりとリツカの身体が震える。
「いいか嬢ちゃん。それは部分的な変身薬だ」
「うん……しってる……」
「そうかい、そいつぁ話が早いな」
リツカが縮こまりながら座っている、工房に設置された椅子。その目の前に立ち、彼女を見下ろしながら説教モードとなったキャスターの瞳は、苛烈に輝いている。
「オレの記憶が確かなら、もともとは飲み屋の姉ちゃんからの依頼の品だったはずだが?」
それをなぜ、お前が飲んでいる?
特別大きな声で言ったわけでもないのに、キャスターの言葉はリツカにびりびりと響く。それに反応するように、頭部の耳――猫の耳がぴくぴくと動いた。
ことの経緯を説明しよう。
もともとは、キャスターが述べたように、リツカはマタ・ハリという女性からこの「部分的な変身薬」の製作を依頼された。
「なんで一部分だけなんだろう?」
形見となっている老女魔術師の残した魔道書から生成方法を見つけ出したリツカは頭を
捻った。たとえばどこかに潜入するスパイや、やんごとない身分の方がどこかへ逃げなくてはならなかったりするときに使うような変身薬、であるならば用途はわかる。しかしこれは一部分。全身を変化させる薬よりも身体に負担がかからない、というメリットはわかるものの、逆に一部分だけ変身してどうするんだ? という疑問が拭えなかったのだ。
――なので、つい。
「あの、ちなみになんですが、これってどう使うんです……?」
マタ・ハリが予定通りの日時に、生成した薬を受け取りに来たとき。本来ならば守秘義務というものもあるので、よほど危険だったり、扱いを慎重にしなくてはならないものでないならば、こうやって用途を問うことはしないのだけれど。つい。リツカは好奇心に負けて、マタ・ハリに尋ねてしまった。
「ふふ。これはね、お店で使うもよ」
彼女はいたずらっぽく笑うと、ちらりと一瞬だけ、別のお客の相手をしているキャスターを見る。彼が今からする会話に気づけないだろう、ということを確認してから、リツカに顔を寄せた。
途端にふわりと漂ういい香り。
大人っぽい、というか、実際彼女はリツカよりもずっと大人の女性で、一応「飲み屋」という名目で経営しているお店は所謂「夜の店」だったりする。
そういう店ではときどき「好き者」の客がやってくる。
これは、そのときのために使うのよ、と。彼女はリツカに笑いかけた。
「そうだ。いつもよくしてくれているし、この一本はあなたが持っていて」
「えっ!?」
いきなりの申し出に、リツカは慌ててしまう。
「いいのよ。それで、あのキャスターさんとどうなったか、また聞かせてね?」
その隙を突くように、薬の入った瓶を押し付けるマタ・ハリ。有無を言わせぬその勢いに、リツカはあっさりと負けて――
「キャスター、と?」
彼女のその言葉が気になって、つい。
ようやく今日の営業が終わって、店仕舞いしたその夜に、リツカは薬を飲んでみたのだ。
「はあ~~~~~~」
「う、あの、」
「いや、いい。あの姉ちゃんの悪戯だわ、もーしょうがねえわ」
ことのあらましをリツカから確認したキャスターは掌で顔を覆った。
あの店の女主人マタ・ハリは、女性ならではの悩みに効く薬に関して相談を受けているリツカを殊更かわいがっていることは知っていた。そして、彼女は夜の蝶。リツカとキャスターの関係などあっさり見抜いていたのだろう。
彼女が依頼したのは、部分的な変身薬。
しかも、その手の薬の中でも人気のある、猫の耳や尻尾がつく、といったもの。
実際、キャスターにはそういった「好き者」のような性癖はない。
しかしながら、それが恋仲となっている少女につく、となれば話は別だ。
先程から、リツカの不安を表すように、赤毛の耳はぴくぴくと反応し、これまた赤毛の長い尻尾は椅子の向こう側で揺れている。リツカの表情も不安げで、しゅん、と縮こまった姿もまた庇護欲というより加虐心がそそられてしまう。
ごくり、と。キャスターはつばを飲み込んだ。
そうだ。もう彼女と自分は恋仲なのだから。
そんな結論に達したキャスターは、震えるリツカの頭に手を伸ばす。
「ひゃあっ」
指先が僅かに触れただけであったが、その反応は大変かわいらしい。そして、どこか夜を思い出させる声であった。
そのことに気付いたリツカは顔を一瞬で赤く染めた。
「んっ」
「おー。ちゃんと感覚まで繋がってるな」
今度は尻尾へとへを伸ばし、掴む。力加減は問題なく、そして、彼女のつくった薬はしっかりとその身に普段はないはずのものを生やすことに成功しているようだ。
「まあ、その点は成長したってことで褒めてやらねえとな」
「んッ、あッ」
普段はない部分からの感覚。それがどういったものになるのかは使用者の体質などにもよるが、概ねそれは「快感」になる。だからこそ、この薬は一部の好き者の間で愛好されている。
そして、リツカはその例に漏れなかったようだ。
「っ、きゃす、ん、えっ、なに……ッ」
顔を赤らめ、目を潤ませる。
もじもじと、疼く身体を抱きしめている、その様子。
「しょうがねえなあ」
そう言いながらも、紅い瞳をギラつかせて。
「こいつはお仕置きだからな、リツカ」
楽しげに口元に笑みを作る男に、小さな子猫は食べられた。