授業終了のチャイムが鳴った。つい数秒前までの気だるげな空気がしゃんと覚めて。教師への挨拶もそこそこに、授業から解放された生徒が一斉に廊下へ飛び出していく。
昼休み。
皆各々固まってか、一人優雅に昼食をとる平和な一時。混雑する購買を思いながら、未遥もまた持参した弁当を取り出し席を立つ。
作り続けている自作の弁当。一人暮らしも二年もすれば、大抵の家事は板に付いて。当初翻弄された料理の難関、目分量も習得した未遥に怖いものは何も無い。
向かう先は中庭。自分しか知らないような、裏の穴場スポットだ。ただ最近は、いつもそこに先客が居る。
豆腐のような建造物の裏。意外にも日当たりのいいそこで、一人の生徒が壁にもたれて寝息を立てていた。学ランは派手に着崩され、校則違反に染った色のベルトが得意げに露出している。
以前、偶然ここで知り合った別クラスの生徒。素行の悪い噂が目立つ不良男児。ただ女癖の悪さに目を瞑れば、意外にも根は優しい普通の生徒だ。名は海月。
近寄っても起きる様子はなく。財布とスマホ、最低限の荷物を放ったままのあまりの無防備さにため息が漏れる。
「またサボったの、カヅ」
声をかけると、ゆっくりと開かれた瞼から鈍色の双眸が覗いて。眩しそうに、不機嫌に細められたタレ目が未遥を向き、次にふにゃ、と優しく笑った。
「おはよ、ハル」
「……おはようサボり魔」
彼の隣に腰を下ろす。彼の放つ気だるげな香りと、日光を集めた同じ黒地の学ランが触れ、ほんのり伝わる温もりが未遥の眠気を誘った。
「サボってないよ。四限、自習だったからノーカン」
「丸々ここ居たってことだろ?それをサボりっつーんだよ」
言いながら、主張を強めた空腹に弁当を広げて。敷き詰められた艶のいい白米の上にふりかけを開ける。
「……あんまそのタイプ持ってくるやつ居なくね?」
「個包装ってなんか物足りないじゃん」
ファスナータイプのそれをしまって。いただきますと手を合わせた未遥に、海月は放ってあったコンビニの袋を漁った。
「今日もコンビニ?」
「そーおにぎり」
「……その量買うなら弁当二個買った方がコスパ良くね」
「味変ってやつ。パンもある」
「あっそう」
こうして並んで昼食をとるのも日課になっていた。特に約束も何もしていない、ただここに来れば居るだろうと、あるいは来るだろうという暗黙の了解のような。接点など微塵もなかった正反対な二人の秘密基地。
「今日のおかずは?」
「ハンバーグ。チーズ入ってるやつ。……なぁ見て、卵焼き。綺麗に焼けた」
ほう、と覗き込んだ海月の口に一切れを突っ込んで。なんの抵抗もなくむぐむぐと咀嚼する様子に子犬の姿が重なった。
「――んま。お嫁行けんね。……何入ってんのこれ」
「ベーコン。期限切れそうだった」
「ウケる」
緩やかに時は流れて。完食。満たされた腹に欠伸を噛み殺しながら過ごす二人の変わらぬ日常。
「――んはは、見てハル」
「……?――っふ、……ど下ネタじゃねぇか」
「どう?」
「嫌いじゃない」
予鈴が鳴った。うげぇ、と校舎の方を睨んだ海月に未遥は笑う。
「次、何?」
「……現文?」
「寝るなよ」
「むりかも。一緒にサボろ」
「やだね。お前と違って優等生なんだわ、俺」
今にも溶けそうなだらけ具合に仕方なく手を引いて。校舎内。昇降口は日光を遮断しひんやりと心地いい。
教師と生徒が行き交う賑やかな廊下。ふと、海月は口を開いた。
「ねー、やっぱり僕のお嫁来る?」
突拍子のない提案に、はあ?と未遥は呆れた声を漏らして。まだ眠そうな彼の額をそこそこ強めに弾く。前触れのない痛みに小さく呻いた海月に、未遥は強気に笑った。
「なんのやっぱりだよ。その女癖治してから言えよな。浮気性と一緒になるほど飢えてねぇ」
寝るなよ、ともう一度釘を刺して。そのまま廊下に捨て置かれ、タイミングよく本鈴が響く。
「……ふふ」
額に残る微量の鈍痛を軽く擦り、海月は満足げに教師へ戻った。
「……有栖、またあいつと居たの?」
授業中。隣の席の友人が小声で問う。
「あいつ……カヅ?」
「それ以外誰がいんだよ。なんであいつと仲良いのお前。良い噂聞かねぇぜ?」
「なんでって……あいつ良い奴だよ?可愛いし」
「かわ、っ!?」
友人の声が裏返って。うるさいぞ、と教師の緩い声がかかる。
「…………一応聞いてやるけど、ちなみにどこが?」
「んー……なんか犬みたいなんだよね。子犬」
「こぃっ!?」
デジャブ。若干教師の語気が強まった。肩を竦めて、彼は察したような遠い目で未遥に問うた。
「花嫁修業だったりすんの。弁当」
「……何言ってんだ?」
「…………忘れて」
*
おじいちゃん教師の音読に意識が遠のいて。ふと背中を小突かれ、海月は大胆に振り向いた。
「不破。またA組の子引っ掛けてたのか?」
「言い方悪いなぁ。友達だって」
「嘘だね。ただの友達と毎日約束して昼飯食うような人間じゃねぇだろお前は。……まさか。――彼女居たろ許さねぇぞ」
静かに……と老人の叱責は聞こえていないように。海月はかわすようにへらりと笑った。
「居ないよ。別れた」
「……だから取っ替えるってのか?クズがよぉ」
「違うってぇ……しょーがないでしょモテちゃうんだもん。――あぁでも、」
遮るように、「不破」と教師が呼んで。間延びした、舐め腐った返事で応え、冷やかすような周りの友人を睨みながら指定されたページを適当に読み流す。
でも。
じんわりと、額が熱をもった気がした。
嫌、とは言われてない。