ニチアサ五時。まだ家族らは寝静まる日曜の朝。珍しくベッド上に収まっている未遥を横目に海月は布団を抜け出して。素足に伝わる冬の寒さに思わず声が漏れる。しかし想定外の早起きに気分は高揚。
暖房などない廊下を爪先で行く気休めの防寒。大股でたどり着いた共有スペースは既に灯りがついていた。扉の隙間から漏れる若干の温もり。
「――海月?」
乾燥したゆるい温風に包まれて。広いソファに一人ちょこんと座る小さな人影。海月を視認した彼が嗄れた声でそう名を呼んだ。未だに慣れない声のギャップ。大きな猫目を丸くした美弥乃へおはようと笑う。
「おはよう、やけに早いな」
「なんか起きちゃった。美弥乃さんも早いね」
「年寄りだからねぇ」
通常より少し落とされたボリュームで流れるニュース番組。初めて耳にした、それにしては耳馴染みのいいキャスターの声に自然と意識が向く。
「海月」
ふと。壁にかけられた時計を見た美弥乃に呼ばれ海月はふやけた返事をした。
少し付き合え、と呼ばれたのは家の外。何も考えず適当なパーカーひとつを羽織って出た海月をダウンで丸くなったシルエットの美弥乃が見上げて。
「若いな、寒くないの?」
「超寒い」
「……ぼくのを着るか?」
「美弥乃さん僕程筋肉ないでしょ」
爽快な笑い声が澄んだ空気に溶けて。行くよ、と歩き出した美弥乃の後をついて行く。
「どこ行くの?」
「散歩だ」
納得。早朝の散歩なんていつぶりだろうと深く息を吸い込んで。じんわりと馴染んでいく冷気にまだ寝起きにぼやけていた頭がすっきり覚める。軽い伸びをしながら美弥乃の歩調に合わせる歩幅。ゆったりとした時間の進み。まばらにすれ違う老人一人一人と挨拶を交わしていく美弥乃に問う。
「もしかして毎日歩いてんの?」
「うん」
「いいね、……あけど大丈夫?補導とかされない?」
「……?未成年の補導時間は朝の四時までだ。心配せずとも、その時間に私用でお前を連れ回したりはしないよ」
「……そだね」
訂正するのも違うだろうと入れ替えられた補導の対象は流して。そのまま何気ない会話に花を咲かせながら歩いていくといつの間に辺りは見慣れない景色に変わっていた。
「美弥乃さんここどこー?」
「家の裏をちょっと行ったところだな。綺麗だろう?ぼくの散歩コースだ。大通りの方は酔っ払いばかりで治安が悪いからね」
確かにヨコハマにしては長閑な小路。溶けかけた薄積りの雪の上を選んで歩く。靴越しに足裏へ伝わった雪の感触に自然と笑みが浮かぶ。
「なんかいいね、僕こういうのすきー」
「……そうだろう?機会は少ないけれど、自然に触れるってのは大事なことだよ」
どこか嬉しそうに語る美弥乃を覗き込むように海月は続ける。
「ねぇ、僕みんなでキャンプしてみたいな」
「キャンプか、いいね。もう少し暖かくなったら休暇を貰って行こうか」
「マジ!やった!僕川がいいな」
「ははっ、いいね。またみんなで決めよう」
柔らかい靴音が響いて。次第に人の声が増える感覚。
ふと、角を曲がった先に見慣れた明るい看板が現れた。よく目立つ緑と青のコンビニエンスストア。
「こんなとこにコンビニあったんだぁ、ねぇ美弥乃さん寄ってこ?お腹空いた!」
「……帰ったらじきに朝食の時間だぞ」
「え〜別腹ってやつじゃん、僕いっぱい食べるの知ってるでしょ?」
「……ふふ、まったく、仕方ない子だな」
聞きなれた入店音と暖房の効いた店内。客はまだ少ない。
小さな菓子パンと朝刊をレジへ。直前でレジ横の温かい飲み物を追加。財布は美弥乃。
袋は貰わず店を出て、早速封を開けた菓子パンとミルクティーで乾杯。
「今日のご飯係誰だっけ」
「唯葉と未遥だな」
「ハル起きてっかなぁ」
腹に物を入れたことで余計に刺激された空腹感でぼやいて。ふと美弥乃はおもむろに腕時計を確認した。
「……六時過ぎ、か。海月、朝食を摂ったら一緒にテレビを見よう」
「いいよぉ、なんかやってんの?」
「正義の教育番組だ。今日は日曜だろう?」
「そんなのやってんだ、あんまりテレビ見ないから知らなかった」
ようやく一周した散歩道。コロンと木製のドアベルが迎える家。やがて続々と起きてきた家族と共にゆったりとした朝食の時間が始まって。
『正義の教育番組』。その正体を海月が知るのは、まだもう少し先の話。