攻防ほんのりとした光が次第にちかちかと力強く瞼の奥まで届いてくる。振り払えない眩しさにもどかしく思いながらもぼんやりとした頭で煉角は朝という単語を何とか叩き出した。
そうだ、朝だ。夕べは遅くながらも訪れたこの家の主が先に起きて暖簾を引き上げたのにちがいない。こちらはまだ寝てたいというのに。きちんと了承を得てからやって頂きたいものだ。
起床を促す陽の光を避けるべく仰向けだった体をうつ伏せに寝返るべく体を捻る…が、敷布に当たった顔の違和感に煉角の頭が警鐘を鳴らす。
ない。いつもの馴染みある抵抗感が顔の皮膚に感じられない。可能性を僅かに期待しながら震える手で自分の顎をなでる。
本来髭があるはずの場所。そこは何度撫でてみてもつるりとした感触だけを手に伝えてきた。
撫でる度に否応無い事実を突きつけてくる自分の肌にふつふつと怒りが込み上げ、とうとう溢れて爆発した。
「やりやがったなあの野郎!」
「おはよう。朝からうっさいんだけど?」
タイミングよく家主である伊吹が玄関口から顔をだす。
その表情は笑い出すのをなんとか留めているにやつき顔だ。かけられた言葉も楽しげな声色を隠そうともしていない。
悪戯作戦大成功といったところか。
やられたものは仕方ない。が、それとこれは別だ。一言言わないと気が済まない。
手を拭き拭き部屋に入ってきた伊吹にとん、と自分の正面を叩くと圧を感じたのか素直に座った。
「伊吹…やったな?」
「………」
「てか証拠もなにもおまえしかいねぇわ。なんとかいってみろ。」
「……」
「伊吹。」
「...……ぶはぁっ!」
だんまりを決め込んでいた伊吹が突然吹きだした。
「剃ってる時散々みたけど…!起きて動いてるの見たらだめだ…だめだって!つるっとし過ぎてて笑える…オッサンが若いオッサンになってる…!」
しおらしく座ったと思えば。ひぃひぃとお腹を抱えて笑う姿をみるに反省もなにもしてないらしい。
「俺はオッサンじゃねぇわ。というか勝手に髭を剃るな!」
「昨日俺は寝る時間だったていうのにいきなりやって来て居座ったやつに文句言う権限ないだろ。俺のハンターとしての手腕をいかしてピカピカにしてやったぜ。」
「髭は俺のアイデンティティーだぞ!」
「だったらハンターなんだから寝てる時も危機感じたら飛び起きろよ、オッサン。」
ぐっと言葉に詰まった煉角をみて勝ったとみなしたらしい伊吹はさて続き続き…とまたもや外へ出ていってしまった。香ばしいかおりも漂ってきているから朝ごはんの支度でもしていたのだろう。
言い返せなくて詰まった訳では無い。
隠密として過ごしていた自分にとって僅かな違和感や危機感なんてすぐに感知できるものだ。それこそ寝ている時だって。
伊吹に対してはそれができなかっただなんて…
『相当懐にいれちまってるんだな、あいつを…』
思わぬ所で露呈した自分の気持ちに思わずくくっと笑いがもれた。
「さーて、顔洗うかな。」
うんと冷たい水で洗ってこよう。もしかしたら刺激となって早めに髭が伸びるかもしれない。
顎に当てた手からはやはりつるりとした感触しか伝えてこない…が、頭の中にはあの楽しげに笑う伊吹の顔が浮かんでしまう。しばらく触る度に思い出してしまいそうだ。
今に見てろよ。伊吹め。
やばかったなぁ…
そうひとりごちて伊吹は魚の焼ける七輪の前で蹲る。
ちょっとした意趣返しのつもりだった。本当に眠かったのだこっちは。なのに居座ってああだこうだとやらかしては自分より先にスカンと寝落ちた煉角に相当腹が立ったのだ。
それであの暴挙にでたわけだが……
『あんなに変わるなんて聞いてないって!』
つるりとした顔が面白かったのも本当だ。しかし起きてきちんと自分を見据えて話す煉角と向き合ってるとじわじわと耳が熱くなるのを感じて咄嗟にこちらに逃げてきたのが事実だったりする。
髭のあるいつもの姿だって、そりゃまぁ、好きだ。でもまた違う一面を見せられるとなんというか…
「ちょっと惚れ直したなんて絶対言ってやらねぇ。」
魚を仰ぐ団扇でぱたぱたと自分を扇ぐ。
熱いのはまだまだ引かない。いっそ顔を洗ってしまった方が早いかもしれない。そう、うんと冷たい水がいい。
思い出しては熱が引かずに唸る伊吹が同じく顔を洗いに来た煉角とばったり出くわすのはまた別の話。