リナリアやっと来られた。思い出の片隅に鮮やかに残り続けた門から見える赤い橋と、現実に見える風景との一致に胸がぐっと熱くなる。
時間はかかってしまったがカムラにもう一度来る目標があった自分には些細なものだ。
もうすぐ。もうすぐ約束が果たせる。
知らず握っていた手を広げ、ロイはふうっと息を吐き出すと門をくぐるべく大きく一歩踏み出した。
「カムラの里へようこそ。とはいっても諸手を挙げてとはできない状況ではありますが…それでも、良く来てくださいました。」
深々とお辞儀をするヒノエにロイも見様見真似で返す。確かこれは相手に対する思いを示すジェスチャーだったはずだ。
「原因は解明しつつありますが、未だ百竜夜行は収束の目処も立っておりません…。里のハンターもいるのですがこの異常な程のモンスター発生を彼一人で対処させてしまうと休息もとれずで倒れてしまいそうで…。来ていただいた早々申し訳ないのですがモンスターの討伐を何件かお願いすることとなるかと。観光名所も多々あるのにご紹介もできないなんて…」
「大丈夫ですよヒノエ殿。私はその為にきたハンターですから。まずはこの里の無事が先決です。」
話しながらしょんぼりと肩を落としていた彼女だが、言葉に含ませた里の単語をと聞くとまた受付嬢としての凛とした佇まいに戻った。やはりカムラの里の者はこの姿が似合う。
「ところで…その、装備はどのようになさいましょう?山深くまで来ていただいたありがたいハンターさんですもの…この里伝統の装備をお渡しすることも出来ますが…」
「ハンターともなるのに随分とガタが来た装備をお見せしてしまい申し訳ありません。この身なりではご心配かけてしまいましたね。火急にカムラへと入りたかったものですから…。それと、実はここで作っていただけたらと思いまして。カムラの里は上質の装備と武具を作ることで有名ですから。それで、あのですね…ナカゴ、という青年は武具職人におりますでしょうか。」
さらっと言えた自分を褒めてやりたい。久々に口に出した名前にあの頃の若干若さの残る笑顔もつられて思い出す。今はどんな青年となっているだろうか。
突然の指名にびっくりしたのだろう、目を丸くしたヒノエがあらあらと口元を押さえていた。
「えぇ…ナカゴさん、いらっしゃいますよ。集会所のほうで加工屋を営んでいらして…って、ロイさん!?」
突然走り出した自分にまたも驚かせてしまった。駆けるスピードはそのままに振り返ってお辞儀なるものをするとロイは記憶を頼りに船着場近くの桜と一体化した大屋敷へと向かった。集会所の加工屋、その言葉だけでも心が踊る。彼はあの時聞いた自分の目標を叶えていたんだ。
集会所の入口をくぐると中にいた人たちの目が集まるのを感じる。それはそうだ、息を切らして飛び込んできた見知らぬ人物がいたら誰でも注目するだろう。でも今はそれどころではない。
下の店模様は記憶と変わっていない。ということは、二階か。
灯篭が照らす鮮やかな階段をかけ上る。暖簾をくぐればそうしたら…。
その時、聞き覚えのある歌が耳に飛び込んできた。
…そうだ、この歌だ。どんな時も楽しそうにしていた聞き覚えのある節…。彼だ。この暖簾の奥にいるのは確実にナカゴなのだ。
どくりと心臓が音を立てた気がした。急に止まった体に思い出したかのように汗が吹き出す。
額にじわっと浮かんだ一滴を拭うと心臓を抑え、深呼吸をする。
よし、と気合いを入れるとロイは暖簾に手を掛けた。
数十分後。
船着場の端で力なく蹲るロイがいた。
これは…想定していなかった自分が悪い。そもそも約束と思っていたのは自分だけで相当浮かれていたのではないだろうか。
決して暖簾をそっとくぐった先。彼は居た。自分の思い出の中よりも体つきが逞しくなり、幼さは消えてしまったが笑顔と鼻歌は会った頃そのままの彼がいた。
「…ナカゴ、さん。」
跳ねる心臓そのままに声をかける。隣に座る同じく加工屋らしいアイルーと談笑していたナカゴはこちらに気が付くと目を細めてにこりと笑う。そして姿勢をこちらに正し、こう言ったのだ。
「はい、いらっしゃい。…ハンターさん、ですね。はじめまして。」
あまりのショックさにそれ以上告げられずふらふらと外に出てしまった自分を責めないで欲しい。
まさか忘れられているとは思っていなかった。
以前出会ったのは13の頃、今から9年前のことだ。貿易の場に付き添いとしてカムラに降り立ったロイは自国の制約で身なりを変えていたけどもオッドアイは隠すことなくそのままだった。左右非対称な色の目をもつ自分を忘れられたのは人生で初めてだ…いや、目の特徴に過信し過ぎていた自分がいけないのだが。
…きっと、自分との約束も覚えていないんだろう。
それももしかしたら自分だけが約束だと、勝手にそう思っていたのかもしれない。
大の大人の男が蹲ってぶつぶつ言っていても船着場の方々はそっとしておいてくれている。仕事の邪魔だろうに、ありがたいことだ。
「さぁ、どうしましょうかねぇ…」
顔を上げて呟いてみた声は意外にも風に乗って遠くまで届くらしい。昼寝をしている桟橋のアイルーの耳がぴくっとこちらに動いた。
…目標を叶えて加工屋になっていたナカゴはあの時のように笑顔だった。忘れられてはいたが、それが見られただけでもいいじゃないか。
勝手にまた会いたいと来たのは自分だ。彼の好きだといった里の危機を知り、守りたいとハンターになったのも自分だ。ならそれでいいじゃないか。
これは敷かれたレールではなく、自分で決めた道なのだから。
広場に戻るとヒノエが立ち上がりおかえりなさいと出迎えてくれた。
「いきなり申し訳ありませんでした…」
今度はこちらからお辞儀を返す。いえいえ大丈夫ですよとあんなに挙動不審だった自分の行動を何も聞かずにニコニコと笑っている彼女は中々の大物なのかもしれない。
「…それで、ですね。装備なんですが先程のお話のっ…!」
防具を引っ張られる感触。体をぺたぺたと触れられる感覚。ばっと振り向いたすぐ後ろに自分の装備をしげしげと触ってほぉ、などと感嘆しているナカゴがいた。
「……!?」
「ここら辺では見かけない素材ですねぇ…薄く幾重にも重ねることで強度と軽さ、機動力を兼ね揃えてある…見た目も大事にされているのが良く分かりますねぇ。」
ふむふむと装備をめくったりこちらの腕を持ち上げて色々確かめているらしいナカゴにロイは何も発することが出来ない。ただされるがままだ。
「…ふむ。ヒノエさん、この方お借りしていきますね。」
「え!?」
「はぁいいってらしゃい~」
三者三様の声が出揃ったところでいきますかぁと腕を引っ張られる。さすが加工屋、そこそこ鍛えてるハンターの自分を難なく引きずっていく。
ついさっきの醜態を思うと逃げ出したいくらいだががっちりと組まれた腕からは抜け出せなさそうだ。失態をどう説明しようかぐるぐると考えながらロイは観念してついて行くこととした。
集会所二階、暖簾をくぐった先。
加工屋奥のこじんまりとした休憩場の様な所に押し込まれるとナカゴはするすると御簾を下げていく。
ナカゴは周りをくるくる移動し、腕を上げて、足を肩幅に開いて、等々の言葉を独り言のように発していく。防具の表面をなぞり、合わせ目を確認し、ふむ、と独りごちては何やら帳面に書き付けていく。
加工屋の仕事を進めるナカゴの目は真剣だ。穏やかなにこにことした姿はなりを潜め、職人の顔一色になる。最初に彼を見た時、その真剣な中にも嬉しさを宿す目に惹かれた。どの国へ行っても人と関わることはしなかったが、はじめてこの人と話がしてみたいと思った。あの時と同じ目の彼の様子に口を挟まず黙って従う。
一通り測り終わったらしい。ふぅーと大きく息を吐いたナカゴはお疲れ様でしたぁ、と四角いクッションを渡してくると鼻歌を歌いながら御簾の外へと消えていく。これは確か、ザブトン、といったか。座って待てという解釈で合ってるだろうか。
しばらくすると、がちゃがちゃと音が鳴る大きな袋やら小さい箱やら本やら紙束やらなんやら、とにかくいっぱい背負ってにこにこと戻ってきた。自分の目の前にすこし間を開けて彼も座る。後ろから続けて入ってきた先程の加工屋アイルーが、お茶を二人分ささっとおいてナカゴにお客さんニャよ!と窘めていく。ありがとうございますコジリ、とほにゃっとした笑顔をと返す二人の関係はとても良好の様だ。
…少し心がちくりとしてしまったのは顔に出さないように務める。
「いい装備ですねぇ。見慣れない素材だったのでついつい手に取ってみたくなりまして。」
ははは、と笑いながら話しだしたナカゴに慌てていえいえ大丈夫ですよ、と姿勢を正す。
「少し前にこの加工屋を任されましてね…色々武具や防具を作ってきましたが、まだまだ知らないものが多い。作るなら強さも見た目も大事にしたいし要望にきちんと答えてあげたいと、そう思うんですよねぇ。」
ええ、そうですね、と相槌を打ちながらもいきなりの二人で話す展開についていけていない。
先程の醜態も相まって頷くのが精一杯だ。
「実は先程いらっしゃった時に装備の綻び具合も気になりまして。手入れはされていたようですがもうきっとご自身だけでは修理しきれないかと思いましてね。…修理、僕に任せてみませんか?」
気合一閃がんばりますよぉ、とほわっと温かく笑う姿に思わずこちらも笑みが滲む。あの頃と変わらない、加工屋になるんだと、皆を僕が助けてあげるんだと話していた時と同じ笑顔だ。その姿に憧れて自分も自分の道を見つけようと決意したのだから、信頼しないわけがない。
「そう言っていただけると嬉しいですよ。こちらこそよろしくお願いいたします。」
お辞儀をするとナカゴもこちらこそ、とお辞儀を返してくる。相手を思いやれる作法がある、本当面白い良い里だ。
「よかったです…精一杯、やりますよぉ!では修理の間はこの里の装備お貸ししますね。」
あぁでもその前にこちらですね。とがさがさと装備の入った大袋を探っていたナカゴはことりと両手にのる程の小箱を目の前に置いてきた。
小箱と彼の顔を交互に見比べているとにこにこと開けてくださいと促してくる。
封をする結えられていた古い赤い紐を解く。蓋を開けて包まれている中の布を開いた先には…一本の剥ぎ取りナイフが鎮座していた。
「僕が見習いから加工屋になって初めて仕立てたナイフですよ。最初のお客さんになってくれると言っていたでしょう。ロイさん?」
ばっと顔を上げる。相変らずにこにことした顔はそのままだ。
「覚えてたんですか!俺も…約束も!」
「覚えてますよ?あんなきらきらとした顔で話を聞いてくれた方忘れるはずがありませんって。」
「さっき、さっきはじめましてって言ったではないですか!」
「ハンターのロイさんははじめてだなぁと。あの時は自分は何者でもないから自分の道を見つけると言っていたので。」
「あーもう!」
暖簾に腕押し。糠に釘。そうだったこういう一面もあったんだった。何年か会わないうちに自分のなかでは相当美化な部分も入っていたらしい。
はぁはぁと息があがる自分にお茶でも、と勧めてくる。ぐいっと飲み干そう…としたが予想外に熱かった。
あちっと顔をしかめるロイをみてナカゴがははっと小さく笑う。
「…でもね、嬉しかったんですよ。何年も前のそれこそ風化してしまうようなたわいない話と約束を、ずっと覚えてて来てくれたんでしょう?最初のお客になってくれると言ってくれたロイさんの顔が忘れられなくて僕も一人前になって一番にこのナイフ仕立てましたからねぇ。」
お茶の熱さに涙が溜まっていた目元をナカゴの加工屋として培われた温かくしなやかな指先がが拭っていく。
「ずっとお互い覚えていたなんて、案外似たもの同士で気が合いそうですね。」
先程よりも至近距離でにっこりと笑うナカゴの顔が何だか直視できない。
おかしい。なんでこんなに動悸が収まらないんだろう。
自分は本当に約束を果たしたいだけだったのか?
百竜夜行が起きている里を助けたい。入る為にはハンターにならないと、と一念発起する程に?
いや違う、これは、これは…
答えがの形が明確になっていくほど目線は下へと俯いていく。大丈夫ですかぁとひらひらと手を振るナカゴをちらりと見る度に熱くなる自分の顔にようやく自覚をもったロイなのだった。
リナリア
【花言葉】
この恋に気づいて