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    アダ暦
    ❄のいない夏、つかの間の友達ができたり、ふんわりアダ暦になる話です。❄くんとの親愛描写があります。

     暦は難しい数式や、英単語、いつ使うかも分からない昔の言葉を詰め込んだ頭も、テストが終了したことで解放された。その代わりに、頭はスケートのことで埋め尽くされた。テストだからと抑えていたスケートも、これからは夏休みだから存分に楽しめると楽しみにしていたところに、ランガの一言は衝撃だった。
    「俺、この夏は一週間か二週間カナダに行くんだ。母さんと一緒に」
     暦も良ければどうかな、と力強い日差しとは比べ程にならない、優しい声で誘われた。カナダ。ランガからときおり聞くその言葉は、暦から想像もつかなかった。海のさらに海の彼方にあって、きっと沖縄よりも涼しい、ランガの育った土地。
     興味はあったけれども今回は、ランガの父とゆっくり過ごしてほしかった。ランガはこの地に来てから、ずっと暦がいたし、友達や仲間もいて騒がしい生活だっただろう。ランガの父に思いを馳せる暇もなかったのかもしれない。家族水入らずの、穏やかな生活を送ってくれたらいいと願った。
     これを伝えると、ランガはうれしい気持ちと少し寂しそうな気持ちが混ざった笑みを浮かべた。
    「そうだね。父さんと静かに向かい合う、いい機会かもしれない。暦と出会う前はあんまり考えないようにしていたから。でも、暦と出会ってからは、何でも暦のことを報告しているんだ」
    「そっか。って、まじかよ。はっず!」
    「うん。暦とこんなトリック決めたよとか、暦とこんなもの食べたよとか何でも言ってる。暦のこと以外のことも報告しているけど、ほとんどは暦のことが多いな。暦のことは、父さんからするともう一人の息子として思っているのかもね。写真にいる父さんは、暦の話をするともっと嬉しそうな顔をするんだ。俺の初めてできた親友だからかな。カナダにも友達はいたけど、友達とDAPをしたことはなかった」
     勢いのついたランガは誰も止めることはできなかった。それは、ランガと一番に仲のいい暦も同じだった。ランガが熱を込めて話すと、暦は素直に自分の気持ちをランガに告白するしかなかった。
    「それは……、俺だってお前が初めてだよ。無限に滑りたいのも、DAPだってお前が初めて」
    「それは、うれしい。カナダに行っても、帰ってくる場所が沖縄なのがめちゃめちゃうれしいよ。カナダは俺の故郷だけど、今の帰る場所は暦のいる沖縄なんだ。父さんのことはいつまでも覚えているけど、俺は暦のことも覚えていきたいんだ」
     ランガの方が背が高いのに、視線を合わせて訴えるように話しかけてくると、暦の目元は赤くなって限界がきた。
    「だあー!ほんっと、お前はそういうのすっげー言ってくるよな。嫌……じゃないけど、そんなことあんま言われないから、慣れないっていうか」
     暦が恥ずかしそうにしているのを、ランガは顔をさらにほころばせて息だけで軽く笑った。
    「だから、次は暦もカナダに来てよ。一年中のどこに行っても満足すると思うよ。だけど、一番は雪のある季節に行って暦とスノーボードやりたい。暦は寒いの経験したことないから、もしかしたら大変かもしれないけど、ちゃんと着込めば大丈夫だしさ、いいかな?」
    「なんで、こういう時は自信ないんだよ。当たり前に決まってんだろ!次はランガと絶対行く。約束だからな」
     ランガは返事の代わりに、差し出された暦の指に自然と吸い付かれるように、ランガの指はそっと触れて、DAPで約束をした。

     元気にランガを見送った後は、気の抜けた毎日だった。スケートは十分に乗っているけど、ランガが隣にいなければどこか面白さに欠けていた。ふとした時に隣を見てはがっかりするのが、それだけランガといる時間が濃かったことを思い出させて、より一層心をむなしくさせた。
     テスト期間でしばらく足を運んでいなかったエスに来ると、人が少なくてわびしい空気がした。立ち止まっている暦に気づいたミヤが、風のせいでズボンのしっぽが揺れているからなのか、待ちわびていたような足取りで近づいてきた。
    「やっとテストが終わったの、スライム。ずいぶんゆっくりしてたじゃん」
    「まあなー。直前の詰め込みでいっぱいになっていてさ、しばらく来れなかったんだよ。そういうミヤは余裕そうじゃん」
    「そりゃ、ボクは日ごろから計画を立てているからね。それにスケートだって、テストがあるからって、疎かにはしないよ」
     ふふんとミヤは得意げに笑顔になると、さあっと風が吹いてフードの猫耳がぴょこぴょこと揺れた。
    「あれ、ランガは?今日はいないの?」
     暦はその理由を離すと、ミヤは少しうつむいた。
    「そうなんだ……。忙しいのはランガだけじゃないんだね。ボクもこの休みには、中学生を対象にしたスケートの強化合宿に参加しなければいけないんだ。シャドウのおっさんも、仕事が立て込んで忙しいみたいだし。ジョーも、チェリーも仕事で忙しいみたいなんだ」
     暦はあたりを見渡しても、知っている顔はそんなに見つからなかった。シャドウやジョー、チェリーがいなければ、彼らのファンもいない。聞き慣れた黄色い声や野太い声が聞こえないのは、物足りなかった。
     ミヤから聞いた話だと、しばらくの間はエスに行っても仲間に会えないはずだ。仲間がいなければ、暦はエスに行く強い理由はなかった。スネークと愛抱夢の二人がいるけど、暦からすると仲間と呼べるかは微妙だし、向こうも暦をさほど歓迎していないようで近づきたくなかった。
    「おやおや、なんだスノウがいないならつまらないね」
     暦の背後からいきなり、今考えていた男の声が聞こえてきた。全然気配はなかったのでいきなり現れたことにびっくりする。振り返ると思ったより愛抱夢との距離が近かくて、思わず後ずさると愛抱夢はそれを面白くなさそうに顔をしかめた。
    「スノウがいないのなら、ボクもエスに来る理由はないな。赤毛くんだけがいても、刺激がなくてつまらないからね。そろそろ上手くなって見せてはどうかい?」
    「うっせ。今に上手くなってみるから、見てろよな」
    「どうだか。ああ、早く愛しいスノウが帰ってこないかなあ!」
     スネークも愛抱夢の後ろに控えていた。事情はよく知らないが、愛抱夢と関係が深いスネークも、愛抱夢がエスに来ないのならばあまり来ないのだろう。愛抱夢とスネークもエスに来ないのならば、暦はエスに来る理由は全てなくなってしまった。
    「まったく、よくいうよね」
     ミヤは呆れたように、ぼそっと呟いた。
    「なにかな、ミ~ヤくん?」
    「ぴぎゃ。いや、何もないけど……」
     優しい声をしているのに、愛抱夢の冷たさしかない視線にミヤは怯えていた。
    「ふーん、まあお前がいうならそうなんだよな。となると、エスには誰も来ねえのか。寂しいもんだな。なら、俺もランガが来るまでエスに行かねえかも」
     暦はというと腹を立てるどころか、納得していた。愛抱夢の発言も、「そういう人もいるよな」と広い心で受け止めていた。愛抱夢のランガへの執着は凄いし、ランガもランガで愛抱夢とのスケートは好きなので、確かに暦だと物足りないのかもしれない。というか、暦はランガへの劣等感を克服し、揺らぐことのない強い心を得ていたので、ランガ以外の奴なら拒絶されようが、何を言われようが感じるものはなかった。
     暦は、ランガが戻るまでエスに行かないのならば、他に何をしようかと考えを巡らせていた。
     ランガのいない日々について深刻に考えていたので、目の前で愛抱夢が苦々しい顔をしたことも、愛抱夢の後ろに控えていたスネークが大きなため息をついて、秒速で反応した愛抱夢からにらまれていたことにも、どこか遠いことのように思えた。

     エスに行かなくなって、人と会う機会は高校の友達とほんの少し遊ぶぐらいだった。それでも、寂しさは紛れなくて、ランガの顔が早くみたかったけれど、ランガはランガで楽しそうにしているのが、メッセージから伝わってきて、寂しいとはとても言い出せなかった。そのメッセージも時差があるので、リアルタイムで話すことができなくて、もどかしかった。
     そのもどかしさをスケートで発散したくなって、重たい足取りでパークに行くと、小さい男の子がいた。見たところ小学校高学年という感じだ。七日と千日よりは年が上で、月日よりは年が下のように見えた。
     少年は木の陰になっているベンチに座って、じっとしていた。誰か待っている様子はない。木陰で休んでいるとはいえ、日差しがさんさんに照り付けていて、アスファルトが焦げそうな暑い日だ。子ども一人で外にいたのでは、熱中症になっていないかと心配になった。
    「そのさ、そんなあついところにずっといて大丈夫か?気分とか悪くねえ?」
     少年は暦が話しかけてきたことで、わずかに丸くて黒い瞳を開いた。少年はきょろきょろ公園を一周見渡して、他に誰もいないのを確認してから、自分が心配されていることに気づいた。
     本来ならばさらさらとした黒髪なのだろうが、この暑さで髪はぺたりとしていた。磨かれた石みたいに輝いている黒い瞳は、日差しが瞳に映り込んでいるからではなくて、少年が持つ活気によるものだと近づいてから分かった。
    「うん……、大丈夫。おばあちゃんから水筒をもらって、それをのんでいるから」
    「そっか、それなら良かった。今日はめちゃくちゃ熱いらしいから、気をつけたほうがいいぜ」
    「ありがとうございます、お兄さん」
     礼儀正しい子だった。だからこそ、このような少年が一人で公園にいるのは何かあるのではないかと不安になった。少年に許可をとって、少し感覚を開けて隣に座る。
    「そんで、なんでこんなところにいるんだよ?その、いきなりって感じだけど、暑い日に一人で外にでるのは危ないぜ」
     暦の心配に少年はゆったりと微笑んで、理由をゆっくりと話してくれた。休みを利用して家族と一緒に、祖母の家がある沖縄に来たので、せっかくだからと近くを散歩していたと教えてくれた。そしたら、沖縄の夏は思っていたよりもずっと暑くて、ここで一休みしていたのだという。
    「沖縄は暑いな。びっくりしちゃった」
    「だよなー。分かるぜ。俺も暑くてびっくりしてるよ」
     少年から話かけてきたので、暦は内心どきまぎしながらも応えた。怪しいヒトに見えやしないかと、暦は焦った。しかし、暦と少年の他に辺りには誰もいなかった。もし他の人が見ていたとしても、暦と少年がいる光景は微笑ましいもので、とても注意する人はいないと思えるほどに、温かい雰囲気が漂っていた。
     それに本当に怪しいヒトというのは、姿を現さないで監視カメラ越しでこの二人の成り行きを、微妙な顔で眺めている人のことをいうのだった。暦は、自分に向けられた監視カメラに気づかず、楽しく少年と過ごしていた。取るに足らない話も、孤独な暦にとってはとてつもなく面白いことのように思えた。いつの間にか影が伸びている時間になって、暑さも落ち着いて風がのんびりと吹いていた。
    「ほんとはぼく寂しかったんだ。沖縄には友達もいないし。家にいるのもずっと飽きちゃって。だからお兄さんに会えてうれしい」
     少年も暦と似た者同士だった。
    「俺も!俺の友達も、旅行で沖縄と違うところにいるんだ。だから寂しいんだよ」
    「お兄さんもなんだ!友達と早く会いたいけど、お兄さんと遊べるならきっと沖縄にいても楽しい時間になるだろうな。ねえ、よかったらそれ教えてよ!」
     少年は暦の持っているボードを指さした。
    「いいぜ!やろうスケート!でも、ケガするけど大丈夫か?痛いだろうし、もしかしたら親に何か言われるとかないか?」
     少年は自信がなさそうにした。暦は励ますように明るい笑顔を作った。
    「じゃあ、また明日会おうぜ!そんとき教えてくれよ。スケートしても、しなくても俺はまた会いたいぜ」
     少年は暦の言葉に、顔を輝かせて元気よく首を縦に振った。そして、少年は自分の名前をユウキと名乗った。暦も少年に名前を教えた。
    「じゃあ、またねレキお兄さん!」
    「おう、またなユウキ!」
     夕日で赤く照らされた公園の入り口で、二人は大きく手を振って別れた。

     ユウキの答えは、顔を見るだけで分かった。まばゆい笑顔で暦を迎えたので、暦は誰かに似ているなと考えて、すぐにああランガだったと思い出した。つかの間の友達はできたけれども、一日のうち何度もランガのことがよぎっていた。それに、今になって時間があるなら会ってくれればいいのにと、愛抱夢のことも思い出してしまって、自分の心に違和感を覚えた。
    「体調わるいの?大丈夫?」
    「え、ああ、うん。大丈夫!それより、その顔みるとスケートやれそうだな」
    「うん!そうなの。あんまり無理をしてはダメだって言われたんだけどね」
     ユウキはこれ以上ないくらいの笑顔をしていたのに、暦がよろこぶと口の端を限界まで上げて上品な笑顔が、めいいっぱいの明るさと好奇心を前に出した笑顔になった。
    「ん、じゃあできるだけケガしないように、これな。はい、ヘルメットとプロテクター。そして、ボードな」
     ユウキはボードを手渡されるとさらに目を輝やかした。
    「ボロボロのボードでごめんな。ウチにこれしかなくてさ」
     傷だらけで、塗装がところどころはがれていて木の地肌がむき出しになっていた。
    「ううん、むしろぼくがお礼を言わなくっちゃ。ありがとね。それにこのボード、練習したことがすっごく伝わってくるよ」
    「へへっ、ありがとな」
     こんな時、素直にありがとうと言えるようになったのはランガのおかげだったと、今この場にいない親友を思い出す。
     息を大きく吸い込んで気持ちを切り替えた。
    「よし!じゃあまずはボードに乗る練習な。まずは足を乗せて、その後に片足を乗せる。この時は体の重心が前に行くから、その分後ろに重心をかけるようにして、両足をボードに乗せるんだ。って、手伝おうか?」
    「だ、大丈夫……。自分でやってみる」
     ユウキは暦の手を借りなかった。重心を意識して、体でバランスを取ると、ボードにはやっとという感じで乗れた。でも、すぐにボードがぐらいついてしまったので、怖くなったのか降りてしまった。
    「おー!すごいな!やるな!」
    「ここはこうやって、下半身でバランスをとるんだ。重心がぶれないように意識して、ってそう!それ!」
    「うん、とってもいい!その調子で!」
     暦はユウキができる度に思いっきり褒めて、できないときは的確なアドバイスをするように意識した。正直スケートをただ乗り降りするだけでは、単調でつまらない地道な練習だと暦は知っている。それでも地道な練習を楽しいと思えたのは、一緒に練習してくれる仲間がいたからだということも知っている。
     ユウキがボードに乗れるようになると、暦はプッシュを教えた。プッシュは少し練習しただけでできた。
     ただ、残りわずかな時間で練習したチクタクはあまり上達しなかった。チクタクは最初の壁と言ってもいい。ちょっと練習したぐらいではできなくて当たり前だ。
     ただ暦が、「チクタクはすぐには上達しないから、根気よく頑張ろうぜ」と事実を述べて励ましても、ユウキは浮かない顔をしていた。
     次の日もあまり結果は出なかった。暦は、ここ数日でユウキはかなりの負けず嫌いだと気づいた。暦は心の中で、きっとユウキは上手くなると予想していた。負けず嫌いな性格は、スケートが上達しやすい。
    「なあ、そろそろ休憩しようぜ。ほらこれ。練習してる間に、そこのコンビニでアイス買ってきたからさ。よかったら食べようぜ!」
    「……ありがとう。おにいちゃん」
     ユウキはアイスを貰っても浮かない顔をしていた。
    「……ねえ、どうやったら上達するかな。お兄さんみたいに上手くなりたい。ただ滑るだけじゃなくて、飛んだり、かっこいい技をきめたりしたい」
    「うーん、そうだな……。友達と滑ること!相手がいると、一人じゃ気づかないことも気づける。それに、楽しいからだ!成功しても失敗しても、友達がいれば何だって楽しい、何だって面白いと思えるぜ」
    「スケートやる友達かあ……」
     ユウキが空を見上げる仕草につられて暦も空を見上げると、青い空にランガの面影が重なる。澄んでいる空は宇宙に限りなく近い所まで見通せそうで、ランガの瞳に似ていると思った。それなのに、澄んだ青の奥で確固たる意志を秘める瞳と目がかち合うと、背骨にしびれが走ったような感覚になる。それが、スケートをやっている時ならなおさら。
     初めは暦がランガにスケートの楽しさを教えたのに、一緒に過ごすうちにランガからスケートの楽しさを教えられていた。そして、ランガは愛抱夢にスケートの楽しさを思い出させた。楽しい気持ちは人から人へと伝わっていくのだろう。
     今の暦とユウキだってそうだ。ユウキが望むなら、スケートの楽しさを限られた時間の中でめいいっぱいに伝えたい。けれども、伝えるのに技術は必要だ。暦は上達したいというユウキの気持ちに応えたかったが、どう教えたらいいのか分からなかった。
     人に教えることはランガで経験したことがあるし、ランガからは「先生」と呼ばれたこともあったが、暦からしたら先生というほど大したほどでもないと思う。
     暦はもどかしい気持ちをかき消すために勢いよく立ち上がって、ユウキに「もう一度やってみよう」と声をかけた。
     
     暦がやりきれない気持ちを抱える反面、ユウキが沖縄を離れるまであと数日といったところでユウキは目に見えて上達した。途切れ途切れだったチクタクは、数十メートルなら滑れるようになっていた。それは今までのユウキと比べたら驚くべき成長で、どうやって上手くなったのか聞いた。
    「えっと、レキお兄さんが来る前にちょっとだけ教えてくれる人がいたんだ。その人すっごく上手くて、優しいんだ。優しくてちょっと怖いぐらい」
     どうやらその人は暦がくる少し前にこの公園に来て、ユウキにスケートを教えてから去っていくようだ。ユウキの成長を見ると、かなり的確なアドバイスだと感じる。
    「お前が上手くなって嬉しいけど、そいつ怪しい人じゃなかったか?変なこと言われたりしなかったか?」
    「まさか!そんなことないよ!」
     ユウキは勢いよく否定した。念のためにユウキからその人の特徴を聞くと、大人で、暦よりも背が高く、スーツを着ていて、髪は青色で、目は赤い人だという事が分かった。
    「……ふーん、そうか」
     表情筋が固まってしまった。
     暦が普段見せない表情を見てしまったユウキが心配したのか、伺うように黒い瞳をそろそろ上げたので慌てて表情を持ち直した。もう残り少ないのだから、楽しい気持ちで接していきたい。
     ボードの車輪が地面にたたきつける音に紛れて、二つの笑い声が公園に広く響いていた。
     そして、チクタクも様になってきたところでとうとう、別れの日になってしまった。
     その日は、太陽が落ちかけて空一面が赤くなるまで夢中でスケートをやっていた。交わす言葉も少なく、地面と車輪がぶつかる乾いた音が意識の遠くで聞こえた。
     もう間もないうちに空は暗くなってしまうだろう。暗くなる前にユウキは家に帰らなければならないから、暦といる時間はあとほんの少しだった。
     スケートをすれば、話さなくても気持ちは伝わる。でも話さなくては、伝わらない気持ちだってある。
     それは分かっているのに、暦はこのような時に話す言葉を持っていなかった。口を開こうとすると震えて口を閉じても震えて、瞳の奥がかっと熱くなる。
    「あのね、お兄さんと遊べて楽しかったよ。あのとき話しかけてくれたから、スケートの楽しさを知れたんだ」
    「俺こそ。ありがとな。楽しかったよ」
     ユウキは、瞳をうるませながらもすらすらと言葉にしていく。
    「帰っても、友達とスケートやりたいな。友達を誘ってみるか、ううんスケートをやってる人と新しく友達になるのもいいね。スケートは友達とやると、もっと楽しいんだもんね?」
    「だな!」
     ひかれるように、ふた周りも大きさが違う手を優しく近づけて音もなくハイタッチをする。暦が手当した時のばんそうこうが指を掠めて、ユウキと過ごした日々が流れてくる。
     ランガの手とは全然違うのに、ランガと同じ感触がしたのは、仲間とするあいさつだからだろう。暖かくて、爽やかで、滑りたい気持ちが強く固まるあいさつだ。
    「あとね、レキお兄さん」
    「うん?何だ?」
    「あのスケーボー教えてくれたおじさん、えーと青い髪の人。お兄さんの知り合いみたいなんだ。それであの人さ、レキお兄さんに全く似てない人だと思ったんだけどね、意外と似ていると思ったの。レキお兄さんと初めて会った時と同じ目をしていたよ。きれいな瞳が曇っていて、寂しそうって感じの目」
     だから一緒に遊んであげてよ、ぼくみたいに。
     暑さを残す夕焼けの空の下で額にうっすらと汗をにじませながらも、暑さを吹き飛ばすようにいっぱいに口を広げて、ユウキは爽やかに笑った。

     暦がユウキと待ち合わせていた、少し前の時間帯にいつもの公園に行くと、そこには背の高い男がいた。エスの時とは服装が違うけど、それが誰かなのか分かる。愛抱夢だ。けれども、外では名前を出してはいけないので、その男の名を呼ぶことはなかった。
     愛抱夢はスマホで恐らく仕事の確認をしていたが、暦の存在に気がつくと大げさにため息をついて、スマホから目を離した。そんなには待っていないのだろうが、額にはうっすらと汗をかいていて胸ポケットから取り出したハンカチでそっと額を抑えた。高そうなネイビーのスーツを身にまとい、背筋を伸ばして堂々とした姿勢を崩さない男が、この公園のベンチに座っている光景は不思議なように思えたが、もっと不思議なのはこの男が暦を待っていたということだった。
    「来るのが遅いぞ」
    「そもそも待ちあわせしてねーじゃん。つか、やっぱりあんただったか」
    「子どもというのは失礼だな。僕のことをおじさんと呼ぶんだ」
     子どもなのだからそりゃそうだろ、と思ったがこれを言えばどうなるか分からないので無視することにする。暦だって、例え因縁があろうと、変質者だろうと、愛抱夢だろうと、気をつかうことはする。
    「はあ、君が来るのが遅いせいで、汗をかいてしまった」
     演技のかかったわざとらしい態度も様になると思ったのは、きっと外が暑いからだ。
    「なあ、あんたがユウキにスケートを教えていたのか」
    「一向に上手くならないと思って、見かねて声をかけたんだよ。そしたら、君の名前が出てきてね。人に教えるのもいいけど、まずは君が上手くなってみてはどうだい。ランガくんにも教えていたようだけど、それはランガくんには才能とスポーツの経験があったからさ。まだ、土台の出来上がってない素人、それに子どもに教えてるなんて何を考えているんだか……」
    「俺のこと、どれだけ観察してるんだよ。それって、もう俺のこと好きなんじゃねーの」
     あまりにも長い嫌味にうんざりして、投げやりな態度をとってしまった。もうどうにもなれとぼんやり遠くを見ていたら、いつまで経っても反応がなかった。
     てっきり否定するなり、怒るなり、ランガのことを話すなりすると思ったのに、これは意外な反応だった。いや、高校生にとって、定番のジョークが大人には通じていないかもしれない。むしろそちらの方が安心する。
     いくら仲の悪い愛抱夢だからって自分を否定されるのは、いい気分はしない。愛抱夢だからって訳じゃないなくて、人間関係全体の問題なんだと逃げ道を心の中で用意する。
    「君は、どう思うんだ」
    「は?」
     唐突な質問に間抜けな声がてる。
    「俺が、あんたを、どう思うかってこと?」
    「……そうだ」
     いつもの、仲は良くないけどそれはそれで居心地のよい雰囲気が、急に緊張味を帯びたような感じがする。体のある部分は熱いのに、他のある部分は冷たくなった。軽く受け流せばいいのに、嘘をついてはいけない気持ちになる。
    「うーん、嫌い、ってわけじゃねーかもな」
    「君にしては、まわりくどいね」
    「だって、あんたのことマジでわからねーし。そういうあんたはどうなんだよ?俺のこと、好き?嫌い?」
     暦は逃げてばっかりだというのに、愛抱夢には逃げ道を用意しなかった。元といえば、変な質問をしたのは愛抱夢だし、これぐらいの意地悪は良いだろう。
    「ランガくんほどは好きじゃないね」
    「だろうと思った」
     良かった。いつもの愛抱夢だと思って安心した。変な態度を取られるから気持ちが落ち着かなかったが、予想通りの回答を得られたことで、忙しなかった心臓が落ち着ついた。
     思い返せば、ここのところ愛抱夢は変な態度を取ってくる。それは、嫌がらせというより奇妙だった。明確な敵意も感じなければ、もちろん好意も感じなかった。
     挑発的な言葉には負けじと反抗的な態度をとれば難しい顔をするし、受け流せばそれまた難しい顔をするし、いっそのこと愛抱夢のことを褒めても難しい顔をする。もしかしたら、愛抱夢にとってランガのこと以外は、満足するものはないのかもしれない。
    「ランガならもうすぐ帰ってくるぜ。帰ってきたら真っ先にエスへ向かうだろうし、あんたもすぐ会えるだろうよ。良かったな。じゃ、俺はこれで」
     ユウキの頼みだから愛抱夢に会ったけど、暦にできることはなさそうだったので帰ろうとすると、腕を掴まれた。振りほどこうと思えば振りほどけたのに、そうできなかったのは、すがるように目配せした愛抱夢がいたからだった。
     でも何回か瞬きしたら、普段のように偉そうな顔をしてたので、光の加減でそう見えたのだろう。
    「その、すげー暑いしさ、そろそろ帰ろうぜ?あんた夏でもその格好なら、めちゃくちゃ暑いだろ。よく平気でいられるよな。考えらんねえ。あんま無理すると夏バテするぞ」
    「君までおじさん扱いするのか」
    「そこは素直に受け取っておけよ」
    「冗談だ。ありがたく受け取っておくよ」
     素直に感謝されると、暦はどうしたらいいのか分からないし顔は熱くなる。やっぱり、炎天下の日に外に出るのは危険だと思った。
    「なあ、そろそろこれ外してくんねえ」
     腕をわざと揺らして、愛抱夢に掴まれていた腕の存在を思い出させる。
    「僕はランガくんがいなくてひどく退屈なんだよ」
    「はあ。いきなり唐突だな」
     何回か掴まれた腕を揺らすと、渋々といったように手が離れた。
    「君も退屈してるんだろ」
    「まるで俺がヒマみたいに言うな!」
    「君ぐらいの子が夏休みにやることと言えば宿題ぐらいで、あとは遊ぶものだろ」
     愛抱夢が一般的な高校生のあり方について知っているのは意外だった。しかし、よく考えてみれば誰しも学生の時はあったので、もしかしたら愛抱夢だってそんな経験をしていたのかもしれない。
    「君は宿題が終わったのかい?まあ君のことだし、終わっていないか」
     事実なので何も言い返せない。
    「まあ、いいさ。手伝ってあげるよ」
    「まじか。でもいったいどうしたんだよ。熱でもあんの?」
     本気で熱中症を疑ってしまう。つい癖で、愛抱夢の額に手を当てて熱を計ろうとしたら、愛抱夢はいたずらっぽく目を閉じて暦の行為を受け入れようとしたので、熱はなさそうだ。
    「ランガくんが帰ってくるのは、確か夏の終りぐらいだろう。その時、君が宿題を終えていなければ、君はエスに行けない。そして、君がエスに行けなければ、ランガくんも来ない。僕が困る」
    「それは俺も困る!お願いします!愛抱夢様!」
     時すでに遅し。外で名前を愛抱夢の名前を読んでしまった。幸い外には誰もいなかった。
     愛抱夢はいけない子をなだめるように、ひとさし指を立てて暦の唇に近づける。
    「外ではこの名前を呼ばないように。それと僕の名前は愛之介だ」
    「ハイ。すみませんでした、愛之介様!」
     暦は勢いで愛抱夢の本名を呼んでしまった。暦は大きなことをしでかしたような気になって焦る。
     愛抱夢は、よろしい、と満足したように口角を上げて、指を暦の口元から離した。
    「さて、様子を見ると君の宿題は大量に残っていそうだ。それでいて、ランガくんが帰ってくるまであと少しだから、時間の余裕はない。となると、君は覚悟しておいた方がいい」
    「ひえっ。……ガンバリマス」
     机に向かうのはあまり得意ではない暦からしたら、宿題のために長時間拘束されるのは辛いものだった。しかし、早くランガとエスでスケートをするためには、宿題を片付けなければいけない。自らが招いた事態だし、手伝ってくれる人がいるのだから泣き言は言えない。
     でも、辛い宿題も、再び訪れた孤独も愛抱夢がいるならきっと紛れるだろう。むしろ、愛抱夢との時間を楽しみにしている自分もいた。
     ランガのいない夏休み。暦はそれを寂しいものだと決めつけていたけど、大なり小なり変化のある毎日だった。
     暦はランガに早く会いたくて体がうずうずする。直接顔を合わせて、夏休みの出来事について語りたい。話したいことはたくさんあるのだ。ランガから聞きたいこともたくさんある。
     ランガとはまずDAPをして、久ぶりに会えたうれしさからハグもするだろう。そして、スケートをする。休んでる間に、お互いに何していたかを話して、またスケートをする。夜までスケートをしたら、エスに行くのだ。
     そこで、愛抱夢と会ったらどんな会話をするだろうか。いつも通りなのか、それとも何か変化があるのか。それは、これから愛抱夢とどう過ごすかによって変わるだろう。
     公園の外には、彼の秘書が運転する黒い車が停まっていた。暦は前向きな気持ちを込めて愛抱夢の腕を掴み、そこへ向かった。
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