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    issunnomochi

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    issunnomochi

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    しっくりしっとりのはずが、どうしてかさついてるのか、て話なんですよ。
    心の強いにいちゃんはここにはいません。

     愛情だの相性だのには興味がない。意味が分からない、と言った方が正確か。欲というものもいまいちピンと来ない。仕事は金が定期的に口座に振り込まれれば文句はない。酒は酔えればなんでもいいし、食事は腹が膨れれば十分だ。睡眠が足りなければカフェインがあるし、別に元々強面の俺がだるい顔をしていても、誰も気にはしない。食欲、睡眠欲と来て、性欲も似たようなもので、相手が女でも男でも、上でも下でも、別にどっちだっていい。
     生まれながらの銀髪に、顔や体に走る無数の傷痕は、否が応でも目を引く。出会いたい奴らが集まる場で、それは良い撒き餌だ。声をかけられて、お互い悪い気がしないなら、体を繋げる。ほんの一瞬、カチリと何かがはまった気がして、でも、いつもそれは、缶コーヒーの湯気のようにすぐ消えてしまう。違和感とも懐かしさともつかないその感覚がなんなのか、次こそは分かるような気がして、またちがう相手を探してしまう。そんな風に流して流されて、生きている。消えていない、というべきかもしれない。

     朝九時の始業から八時間きっかりパソコンに向かい合い、クソみたいな客のクソみたいな指示書のままにコードの羅列を叩き続ける。明日は休みだ。朝起きる必要がない、そんな違いだけで、なにか用事があるわけでもない。仕事場を出るなり、鬱陶しいジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す。足の向くままに、通うと言うほどの回数行ってもいない、いくつかの店のどれかに顔を出す。どれも職場からも自宅からも遠すぎず近すぎず、不要な人に会わずにすみそうな場所にある。適当に食事をして帰るか、次の朝まで誰かと過ごすかはまだ分からない。
     半地下にある店内へのドアを開けると、客の何人かがこちらに視線を投げかける。ここの店主の趣味なのか、客はそういったものを期待するものが半分、純粋に酒と料理を楽しみに来ているものが半分半分といった様子だ。
    「おぅ、みぃ君じゃないか」
    「その呼び方やめろォ」
     大きくはないが張りのある声で呼びかけた店主は、カウンターの席を指差す。仕事道具の入ったグレーのリュックをおろしながら、俺は店主の示した椅子に腰掛ける。
     客の中にはここに来ていることを隠したい者もいるからと、店主は本名で客を呼ぶことはしない主義らしい。初めてこの店に来たとき、なんて呼ぼうか、と尋ねられ、別にィ、とはぐらかした。あまりにしつこく食い下がるので面倒くさくなって本名を伝えると、珍しい名字だねぇ、と飴玉を転がすように名前を何度か呟き、なんかキミ、野良猫っぽいし、というよく分からない理由で、この店での俺はみぃ君になった。別にこの店でないといけないこともないのだが、この店のジン・トニックは自分の好みのような気がして、思いついたように、時々訪れていた。
     適当に?という質問に頷くと、店主はグラスと酒を手に取りステンレスの台に置き、あぁそうだ、と言ってもう一度俺の方を向いた。
    「みぃ君に紹介したい人がいるんだ」
    「なんだァそりゃァ」
    「こっちこっち」
     低い声で返した俺の抗議は無視して、店主が店の奥のテーブル席の客に手を振る。この店でそんなことを言われることはこれまでなかった。こんな絡みをされるなら次はもう来ねェな、と思いながらジン・トニックを一口飲み込んだ俺の喉は、隣の席に移ってきた男が視野に入った瞬間、もう一度こくりと鳴った。
     店に入った時には暗がりに目が慣れていなくて、店の奥にその男が座っているのに気付かなかった。手招きを受けてやってきた男は、カウンターの隅から椅子を持ってきて腰掛ける。上背のある俺と比べても、頭ひとつ以上大きい。確かに、その規格外の身長では普通のサイズの椅子ではカウンターと高さが合わないのだろう。
    「ひめちゃん、次は何にする?」
    「オールドファッションで」
     耳触りの良い低い声で男は答える。店主とは親しい様子がやり取りから見て取れた。グラスを傾けながら窺えば、凛々しい眉と長いまつげ、白く濁った目元に、生真面目そうに引き結ばれた唇が抑えた照明に照らされている。気付かれないように視線を向けたはずが、相手がわずかに顔をこちらに向け、射抜くようにこちらを捉えた。何を考えているのか読み取れない、真珠をはめ込んだような瞳から、俺は反射的に目をそらす。
    「みぃ君、この人はひめちゃん。ひめちゃん、彼がこないだボクが話した子」
     人のいないところで何の話をしてるんだよォ、と、店主に冷ややかな目線を向ければ、そのリアクションは予想通りだとばかりに、穏やかな笑顔で受け止めてくる。
    「二人は気が合うんじゃないかな、って話してたんだ」
     こんな顔で店主が笑ったのを前に見た。いつだったか、飯なら飯、出会いなら出会いで、どちらかに振り切った方が儲かるんじゃないのかと話を向けた時だ。店主は、ここでの出会いがその人の人生にとって良いものであればいいなと思って、いろんな人が気軽に来られるようにしたいんだ、と微笑みながら言ったのだ。俺には出来ない顔だな、とぼんやりと思いながら、そうかィ、と答えてその会話は終わったように朧気に覚えている。
     気が合うと言われても、そんなもんだろうかとしか思えない。品行方正、律儀、真面目、隣に座る男は、そんな言葉の似合いそうなただずまいで、俺とは真逆のタイプに見える。とはいえ、店主の知り合いでこの店に来ている以上は、見た目に反してそれなりに手慣れているのかもしれない。間を繋いだはずの当の店主は、カウンターの別の客に呼ばれ、L字型のカウンターの反対の辺にいる。紹介されたといっても、隣の男はなにか話しかけてくるわけでもない。たいていの場合、相手がペラペラと喋るのに適当にあァ、あァ、と答えていれば、その後どうするかに話が及ぶのだが、この様子ではこちらから探りを入れるしかなさそうだ。
    「そのがたいで姫なのかィ」
     アイツの名前のセンスもいい加減よくわかんねぇな、と店主に視線を向けて薄く笑う。呼び名への文句でも言うだろうと相手の言葉を待っていると、ふいにこちらを向き、君の名前も随分かわいらしい、と巨体の姫が笑って返してきた。急に提示された笑顔にいつものペースを崩される。跳ねる心臓の理由が自分でもよく分からない。
    「はっ、こんなナリでかわいいも何もねェよ」
     彫りの深い顔を睨みつけて毒づくが、相手は意にも介さない。
    「名字にヒメがつくんだ」
    「へェ。じゃあホントにヒメさんなのか」
     カウンターに出された有機的な曲線のロックグラスを、節の目立つ大きな手で包んで男はうなずいた。
    「しかし、アンタみたいなデカイ男が来てりゃァ、気付いたと思うんだがなァ」
    「この店に来るのは初めてなんだ」
     立板に水で話すタイプではないようで、とつとつと繋ぐ言葉にあわせて、形の良い唇が動く。
     この店の店主とは共通の趣味を通じて知り合ったらしい。店を経営しているとは聞いていたが訪ねたことはなく、店主から来てみないかと誘われて、今夜初めて来たという。記憶をなぞるように灰色の瞳をゆっくりと動かしながら、ひとつずつ言うべきことを拾い上げて語るテンポは不思議に心地よくて、俺は傾けるグラスを相槌にして聞いていた。
    「しかし、なんで俺なんか紹介しようと思ったのかねェ」
     こんな傷ばっかりの男を。自嘲気味にそう付け加えた俺に、その傷は今も痛むのか、と相手は気遣わしげに問う。いきずりの相手から興味本位で傷の理由を聞かれることはあったが、心配されたことなど、これまで一度もなかった。返答に戸惑いながら、古い傷だから別に、と短く答える。窮屈なスーツを脱いで、腕まくりをした肘から先に傷は幾筋も走り、隠しておけばよかった、と咄嗟に思った。
    「そうか。雨の前など、私は少し痛むことがあるから」
     そう言われてよくよく顔を見れば、額を横一文字に傷跡が走っている。
    「アンタも俺も、傷のあるもの同士ってことかィ」
     新しいジン・トニックのグラスを受け取りながら、喉の奥で笑う。
    「そうだな」
     そう言って相手は小さく笑った。
    「君が店に入ってきた時、まるで光っているように見えた」
     どうせ髪の色だろ、とか、バカなこと言ってんじゃねェ、とか、普段なら考える前に口からこぼれる言葉が、何一つ出てこない。キザな口説き文句と取れなくもないが、嘘をついている素振りではなく、俺も悪い気はしなかった。その声をもう少し聞かせてくれと耳が求めている。
    「変なことを言ってすまない、私は、話すのがうまくないから」
     謝らないでくれ。黙らないでくれ。だが、こんなときに限って頭が働かない。真っ白になる脳に、グラスの氷の割れる澄んだ音が響いて我に返る。
    「ハハ……アンタ、面白いこと言うなァ」
     短く笑って、グラスを口に運ぶ。冷たい液体が通りすぎた喉が熱い。
    「そんなこと言われたことねェよ」
    「すまない」
    「別に、謝ることでもねェ」
     なんだか不思議な男だなと思った。自分の好みかどうかはよく分からない。好みというものが、そもそもよく分からないから。けれど、こいつのことを知りたい。その目に何を映して、何を考えているのか、もう少し覗いてみたい。そして、相手の探り方を、俺はひとつしか知らない。

     今日この後はどうすると尋ねると、もう少し君と話をしたい、と食いついてきた。いつもと変わらない流れだ。これまでの相手と同じかという思いがちらりと頭をかすめるが、それならそれでいいと切り替える。場所を移すか、という頃には、終電の時間が少々怪しくなっていた。店主は、下がり眉の穏やかな笑顔で、また来てくれよ、と言って俺たちを送り出す。
     どこか当てはあるかとの問いに、俺が適当なホテルの空きを検索しようとしていると、あてがないなら自分の家が近いから、と大通りでタクシーを拾おうとする。さすがの体格はよく目立つのか、俺が戸惑っている間にすぐにタクシーを捕まえる。やはり何かと調子が狂う。だいたい俺も、なんだってこんなに素直についてきているんだろうか。俺には馴染みのない地名を運転手に伝えると、運転手はすぐに合点がいったらしく、エンジンが動き始める。
    「いきなり邪魔していいんですかァ」
    「ああ、一人暮らしだし、別に構わない」
     対向車のライトに時折照らされる横顔は、ポーカーフェイスという言葉そのまま、何を考えているのか分からないが、手元を見れば、膝の上でやや力を込めて拳を握っている。ああ、俺を呼んだことに対してそれなりに緊張しているのか、と、逆に俺の緊張は解ける。俺のペースに乗せられれば、あとはどうとでもなるだろう。
     コンビニの前で運転手に声をかけ、買い出しのためにとタクシーを降りる。白々しい明かりを放つ店内を一巡りして、適当な酒とつまみをカゴに入れていく。そういえば、まだ相手の名前を呼んだこともない。名字にヒメがつくことしか知らない。向こうも向こうで、あの店での俺の呼び名しか知らないだろうからお互い様だ。
     食べ物だけで会計をすませたのを見て、買い忘れたものがあるからと俺だけコンビニに戻る。下着とゴムを指先にひっかけて、急いで会計を済ませ、待っている相手に駆け寄る。傍目にはどんな二人に見えるんだろうか、とふと思う。
     人気のない深夜の住宅街を歩いて案内されたのは、いかにも単身者用といった風情のマンションだった。部屋番号の下には実直そうな字でヒメジマと書かれた札が入っている。ヒメジマさん、か。
    「すぐに用意するから、座っていてくれ」
    「どォも」
     通された部屋は、ミニマリストとでも言うのか、物の少なさが際だっている。寝に帰るだけの殺風景な俺の部屋と、どことなく近いものを感じて、俺はソファに埋もれながら、部屋は持ち主を表すなんて使い古されたようなフレーズを思い出していた。
     柄の違う取り皿と箸と、先ほどのコンビニで買い出した袋を手に、ヒメジマさんがやってくる。飲み直すか、と言って、それぞれ適当に酒の缶を手に取り、プルトップを引く。ぽつりぽつりと、流ちょうではない会話が始まる。
     ITがらみのエンジニアをしている俺のクソみたいな仕事のこと。さっきの店での呼び名の由来は、名前の最後の文字だろうこと。食べ物の好みは別にないこと。ヒメジマさんは炊き込み飯が好きなこと。ヒメジマさんの目が悪いこと。出版関係の仕事をしているヒメジマさんの、職場の上司のこと。ヒメジマさんの話しぶりは静かで、けれど冷たいものではなかった。少なくとも、二人きりになった瞬間に殴りかかってくるようなタイプではないらしい。
     明日の予定は、と聞かれ、何も、と答える。ヒメジマさんは、と返せば、こちらも特には、と返ってくる。ハハ、と二人短く笑った後、そろそろ休むか、と声をかけられる。シャワーを借りてもいいかと尋ねると、リビングを出て右側のドアだとヒメジマさんが指さした。
     何をするか分からないけれど、とりあえず汗を流しておく。風呂場から出ると、いつの間に置いていったのか、俺が着るには随分と大きなサイズのTシャツとジャージがタオルの横に畳まれていた。どォも、といってリビングに戻ると、私も軽く汗を流してくる、と入れ違いにヒメジマさんが風呂場へ向かう。初対面の男に寝間着を貸す羽目になっても動じないあたり、この男もどこかずれているように思う。
     隣の部屋には、布団が二組敷いてある。人が来る予定などかけらもない、とさっき話していたのに、客用布団は用意してあるあたり、俺とは正反対だ。随分早く戻ってきたヒメジマさんは、布団を干せていなくてすまない、と俺に告げた。別に、と俺が返す。
    「ヒメジマさん」
     俺は布団の上に腰掛けて、隣の布団に横になろうとするヒメジマさんに声をかける。
    「どうして今日俺を呼んだんすかァ」
     豆電球の下、やはり相手の表情は読みとれない。白い瞳が、俺の顔をとらえ、一度離れる。記憶を辿るように視線が静かに宙を流れる。
    「することするなら、いいですよォ。どっち役がいいですかァ。俺、慣れてるから、どっちでもいいですよォ」
     挑発するようにあけすけに尋ねた俺の顔に、ヒメジマさんの視線が一巡りして戻ってくる。真珠のような瞳から、滴があふれていて、俺はたじろいだ。
    「言っただろう、君と、話したかったんだ」
    「話、だけ、ですか」
     だいたいの奴は、そう言えば、押し倒すなり、寄ってくるなりしてきたのに。この男は、どこまでも俺のペースには捕まらないらしい。
    「俺が傷だらけだから、そういうのは御免ですか」
     ハハ。乾いた笑いをこぼした俺に、ヒメジマさんの手が伸びる。咄嗟に息を詰めた俺の肩を、大きな手が包んだ。
    「彼に、言われていたんだ。君と私は、どこか似ている気がすると。だから、話してみたかった」
     似ているなんてどこが。こんな何もない俺と、この世界の誰が似てるって言うんだ。
    「話してみて、なんか、分かりましたかァ?」
     酔いも覚めて、最悪の気分だ。俺に何もないことを突きつけるなら、初めから寄ってくるんじゃない。そんなことは、俺が一番分かっているから。
    「そうだな……まだ、よく分からない。でも、分かりたいと、思った」
    「ハハ、なんだよそれェ。次なんか、ねェだろ」
     俺はいつだってそうだから。次の日には一人で残されるから。乾いた笑いが止まらない俺の頭を、ヒメジマさんは抱き寄せて、今日はもう眠ろう、と言った。
     暖かな手のひらに押されるまま、布団に横になる。なんで俺はこんなことになったんだろう。
    「……少し、触れても?」
    「……別にィ、どうぞ、お好きにィ」
     今更情けをかけられるなんてまっぴらだ。そう思った俺の額に、指が触れた。額を二筋。頬を横に一筋。首を滑り、服の上に渡り、つ、と降りて、胸元で止まる。指先が辿っているのは、俺の傷跡だ。
    「…そんなに珍しいですかァ?」
    「いや…」
     斜め十字の傷を辿ると、そこからまた上半身へ戻り、肩を伝い、半袖から出た腕の傷に触れる。暗がりの中、真珠の瞳がまた涙を零している。どうして、泣くんだろう。何も痛いことなんてないのに。
    「私はキミのことを何も知らない」
     こんな触れられ方をしたことはなかった。俺だって、ヒメジマさんから与えるこれがなんなのか知らない。
    「けれど、今だけは、君のために祈りたい」
     手の甲に残る傷跡を覆うように、手のひらが俺の手を包む。分厚い手のひらから、暖かさが入り込んでくるような気がした。肘を超えて、肩を通り、胸元の傷跡へ、頬の傷跡へ、脈が通り、何かが染み渡るような感覚。なんだかよく分からないけれど、これがもっとほしいと、傷の数だけ体が求めている。
     ハハ、と乾いた笑いを零す俺と、微笑みながら涙を零すヒメジマさん。似てなんかいないじゃないか。でも別に、なんだっていい。愛情も相性も、俺にはよく分からないから。ただ、今はこれがもっとほしい。一時だけでも、俺の渇きを、忘れさせてほしい。叶うなら、明日になっても、消えないでほしい。
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