燐こは『告白をなかったことにする話』「よォこはくちゃん。美味いだろ」
「……ん、まぁまぁやな」
燐音は目の前に座るこはくをじっと見つめている。
ここは、最近話題の和風カフェ。
ESからも近く、ライブが開催される日には人が殺到するらしい。
こはくを連れて来るため、当日予約の枠を開始五分前からスタンバイし、見事に成功したのだった。
二人席を予約したので、羨ましがるニキとHiMERUを振り払うのに一苦労した。
オーダーしたのは、このカフェの一番人気のメニュー、和菓子フルコースだ。
こはくはアレンジされた和菓子がとても新鮮のようで、慣れない手つきで次々と写真に収めてから食べている。
「ほう。ここのお茶は本格的やな」
「へェ、どれどれ……って苦っ」
どちらかというと抹茶の味が濃く、普段飲むような緑茶とは違い喉を潤すというよりも水が恋しくなるようなものだ。
「コッコッコッ、燐音はんはあまり抹茶を嗜まないやろから、苦手やろ」
「うるせェ」
口直しに、みたらし団子を頬張る。
甘辛い味が口内に広がり、ホッと一息つく。
燐音の様子を見て、こはくは笑いだした。
「何がおかしい」
「そら、何もかもや。この店に燐音はんと来ている事もやし、色々」
「そうかもな、俺っちらしくないか」
あの時からずっと、調子が狂っている。
空き時間があればすぐ遊びに行っていたのだが、全部こはくの為に使っていた。
強制された訳ではなく、自主的なもの。
だからこそ、止めるタイミングを計れなくなっているのかもしれない。
***
たしかその日は、ニキはバイトが忙しく、HiMERUは個人的な仕事で夜までレッスンに合流できないと言われた。
新曲リリースが近づいていて「ダンスの振り付けを完璧にしたいから」こはくが一緒にレッスンを受けて欲しいと依頼される。
四人で合わせたほうが確実だろうけど、二人で先に流れを把握してマイナスになることはない。
レッスン室を夜まで借りて、ダンスのコーチが居なくなるまで二時間踊り続けた。
休憩の合間に、ニキとHiMERUにメッセージを送信していたが、二人とも反応が薄く、何時に来れるのかも分からないままだ。
「ニキはんとHiMERUはん、どれくらいで来れるん?」
「分かんねェ」
スマホをテーブルの上に置き、うーんと腕を伸ばす。
体力はまだ大丈夫だったが、念のためアフターケアをしておこうと思った。
こはくは、その様子を見て少し離れた横で同じようにストレッチを始める。
「どう? こはくちゃんは新曲のダンス」
「まぁまぁ、頭に入ってるけど、それ表現するのとはまたちゃう話やし」
「だよねェ。ま、でもこはくちゃんはキレもあるし、回数こなせばいけるっしょ」
「せやったらええけど」
こはくは目を瞑り、大きく息を吸い、吐きだすのを繰り返していた。
呼吸を整えるのは分かるが、身体は胡坐を組んだまま、動いていない。
「どうしたんだァ、新しいストレッチ?」
「…………」
こはくは数秒後、ゆっくり目を開けて紫色の瞳を燐音に向ける。
胡坐から正座に姿勢を直すから、つられて背筋が伸びる。
「燐音はん、わしはあんたの事好きなんや」
数秒間身体も動かず、声を出すことが出来なかった。
咄嗟に出た言葉が
「うんうん、俺っちもこはくちゃん好きだよ。でもニキもメルメルも同じくらい好きだし、他のみんなも好きで、俺っちは全人類を愛してる」
「……は?」
「どうしちゃったのォ? あ、そっか疲れてきた? 何か飲み物買ってくるか」
「ちょい待て、冗談ちゃう。本気で……」
「じゃあちょっくら自販機行ってくる。お茶とスポドリ、買ってくるから留守番よろしく」
スマホを素早く手にして、強引にレッスン室を出る。
扉が閉まる瞬間、何かを叫んでいたが、聴こえないふりをした。
こはくの口から出た言葉を、受け止めることは無理だと判断した。
嫌いではない、メンバーとしても燐音個人としても大事にはしたいとは思う。
だが、この先を考えると、まだ十五歳のこはくを本能的に守ろうとしたのかもしれない。
「俺っちみたいなのと付き合うとか、やめとけって」
誰にも聴こえないくらいの声で呟いて、廊下を歩きだした。
その日を境に、こはくは燐音を意図的に避け始めた。
燐音から声を掛けても、最低限の受け答えのみ、雑談には応じなかった。
ニキとHiMERUから「何か変な事をしたのか」と聞かれたが、まさか告白をされたことを言う訳にはいかず、適当にはぐらかした。
それでも、Crazy:Bとして仕事やレッスンは行わないとならない。
スタートはバラバラの四人だったが、最近は良い雰囲気になっていた。
それを壊したような形になり、気が付くとこはくの事を考えるようになっていた。
数日後、食堂で一人ランチをするこはくを見かけた。
窓際の席に腰掛け、スマホを時々触っている。
視界に入らないように席に近づき、音を立てないように椅子を引き、こはくの目の前に座る。
スマホを置こうとしたこはくは、目の前に燐音が居た事にようやく気付き、席を立とうとした。
「待ってこはくちゃん。ちょっとでいいから座って」
「…………何や」
こはくは椅子に座り直し、視線を斜め下にやる。
そういえば、ここ最近ずっとこはくと目を合わせていない。
胸の奥に少し軋む音がしたが、いちいち傷つく暇はない。
「ほら、これやろうと思って」
和紙に包まれた小さな箱を、こはくの前に置く。
「……! これは、開けてええ?」
「いーよ」
興奮気味に包み紙を急いで外し、箱を開ける。
途端に、こはくの頬が紅潮し、瞳を輝かせた。
「まさか思ぉたけど、信じられへん。このお菓子、予約まで一か月待ちの」
和菓子好きにとって名店の一つ、看板メニューの大福が二つ。
あまりにも燐音とこはくの空気が悪く、苦言を呈していたHiMERUからの助け舟だった。
予約は一か月待ちだが、中には遠方で都合がつかずキャンセルも出ると聞き、根気強く㏋を閲覧してようやく手にした。
「食べてええの?」
「どうぞ」
右側に置かれたおしぼりで丁寧に手を拭き、恐る恐る大福を手のひらに乗せる。
じっと数秒間、見つめてから頬張り、柔らかな笑みを浮かべた。
久しぶりに笑顔を見た気がする。
思わずつられて笑ってしまう。
それからは、こはくの機嫌を取ろうと、お菓子から何やら、思いつく事は全部やっている。
想いに応えられない罪悪感がそうさせているのか、空気を悪くさせないようにと必死なのか、燐音は分からなくなっていた。
***
「はい、くんしゅさん。プレゼントです~~」
「サンキューかなっち。って何のプレゼント?」
流星隊のメンバー、深海奏汰から箱を受け取り問いかける。
ふわふわと身体を揺らしながら「くんしゅさんに あげたくなったので」と答えられた。
同室になって数か月経つが、不思議な空気を纏う彼に対して、最初から面白い奴だなと感じていた。
こうやって人からプレゼントを貰うのは、誕生日以来だったから自然と頬が緩む。
箱の大きさはハンカチくらいの大きさ。
赤いリボンが付いていて、包み紙は奏汰を連想するような海の生物たちのイラストが描かれていた。
「開けていいかァ?」
「どうぞ~。きにいってもらえたら、うれしいです~」
ふわふわと柔らかな声で奏汰は答える。
箱の中身は、チケットが二枚。
『あおうみ水族館 関係者チケット』と書かれてある。
「水族館?」
「はい~ぼくのけいえいする、すいぞくかんです」
「どうして俺っちに」
「くんしゅさんが、ひつようだとかんじたからです」
どうしてだろう。
このチケットを手にした瞬間、誘う相手がすぐ浮かんだ。
「かなっちは占いとか得意?」
「いいえ、ぼくはどちらかというと、かみさまでしたから。ひつようなものがわかったんです~」
「よく分かンねェけど、サンキュー。今度のオフに行くわ」
「はい~」
奏汰はレッスンだと部屋を後にし、一人になったタイミングでスマホを手にする。
今度のオフは明後日の午後。
平日だから人も少ないだろう。
メッセージを送信し、数分後に返事が届く。
その文面を見て、ほっと一息つき、ベッドに仰向けで倒れた。
こはくのご機嫌取り、この水族館で良い方向へ変わるかもしれない。
二人で出かける機会は増えたが、険悪な雰囲気へ転じるのは一瞬だ。
「うまく行くといいけどねェ」
燐音はごろんと右向きに体勢を変え、目を瞑ると眠りに落ちていった。
***
「燐音はん、かんにんな」
「んー、別にいいっしょ。時間なんて適当に決めたし」
こはくが慌てた様子で待ち合わせ場所に現れた。
いつもと雰囲気が少し違う。
黒いワイシャツにインナーはタンクトップ。アクセサリーなんて衣装以外で付けたところを初めて見る。
「どうしたこはくちゃん。いつもより、大人っぽいねェ」
「ほうか、ぬしはんは、こういうの気づくんやね」
「まぁ、そりゃ」
水族館の方向へ歩きながらチラチラと横に立つこはくを盗み見る。
「この前、ラブはんと買い物行った時に買ったんよ。わし、ブランドとか良く分からんから。あれやこれやと着せ替えされて」
「へェ、楽しそうじゃん」
「そん時にラブはんから……あ、弟はんの事、聞いた?」
「なんの? あァ、カノジョくんと付き合ってる件」
「そうや。知ってはんのな。さすが兄弟やわ」
「ははっ、なんだその反応。そもそも俺っちは、あの二人が付き合う前から予想してたし」
「すごいな燐音はん。占い得意なんか」
この前奏汰に投げた質問が、巡り廻って燐音に返ってきたのが、何だか面白い。
「そうじゃねぇよ。ただ、一彩にお似合いだろうなァって思っただけ」
「ほう、勘ってやつか」
「そ、ほらこはくちゃん、着いたぜ」
そこから夢中になって順路通りに水族館を堪能した。
アクアリウムの幻想的な雰囲気で、人もまばらな館内は居心地が良かった。
普段はパチンコ屋や競馬場など騒がしい場所が多いせいで、真逆の環境が何もかも新鮮に映る。
こはくは、初めて水族館に来たとまるで子供のようにそわそわしていた。
巨大な水槽は、名前も知らない魚がキラキラと輝く。
スマホで写真を撮ってみたが、ピントが定まらず、残像が写し出されていた。
「撮る意味あらへんやろ」
「うるせェな。難しいんだよ、ほらあっち行ってみようぜ」
順路を指す看板の通りに、様々なコーナーを巡る。
どれもこれも新鮮で、蒼い世界に浸っていた。
「なぁ、燐音はん」
「んー、どうしたァ」
「連れてきてくれて、ありがとう」
「礼は別にいいって、チケット無駄にならなくて良かったし」
「楽しかった」
「そいつァ良かった」
歩き疲れたと言い、こはくはベンチに腰掛ける。
数センチ開けて、燐音も隣に腰掛けた。
飲み物でも買うかと問いかけたが、こはくは首を振った。
少し離れた水槽には、クラゲが泳いでいる。
透明な身体越しに水面がキラキラと輝いて、幻想的な雰囲気だ。
「あのさ、聞きたいんやけど」
「何の?」
「さっきしてた話、弟はんとラブはんがお似合いだから付き合うの予想してたって」
「そこまで話戻す?」
思わず笑い声が出た。
「笑わんといて。んで、聞きたいのが」
「うん」
「わしには誰がお似合いやと思う」
「…………は?」
目の前のこはくは、真剣な眼差しを向けて来る。
相手、こはくの、付き合うって相手を尋ねられているってことか。
「どうだろうなァ、こはくちゃんは可愛いから、うーん」
考えるフリをしたが、実際頭の中は真っ白だ。
こはくに相手がいる、そんな想像をするだけで思考が追い付かない。
「……燐音はんは、分からんか」
「考えとく」
水族館はラストのお土産コーナーに辿り着いた。
カラフルなパッケージのお菓子から、水族館のマスコットキャラ「かなてぃ」のグッズなど様々なラインナップだった。
「こはくちゃん、何か買ってく? ほら、和菓子とか色々あるぜェ」
「……いや、ええわ」
「え? ほら見ろって、これとか限定のわらび餅って」
「ええから!」
燐音の手を振りほどいて、こはくは出口に向かって走り出した。
お土産のパッケージを元に戻し、後を追う。
外に出ると、雨が降っていた。
天気予報では一日晴れると言っていたのに、ゲリラ豪雨のようだ。