星影に映る傷跡静寂が支配する部屋で、オスカー・フォン・ロイエンタールは机の前に座っていた。窓の外では、無数の星々が冷たく瞬いている。彼の手には、一通の書簡が握られていた。「これで終わりだ」とだけ書かれたその文面は、彼自身の決意を映し出したものだった。異色の瞳に宿る光は鋭く、しかしどこか儚げだった。
ロイエンタールは立ち上がり、コートを羽織った。彼の心は、ヴォルフガング・ミッターマイヤーから離れることを決意していた。あの男の側にいるべきではない――その思いが、彼を突き動かしていた。ミッターマイヤーは明るく、正義感に溢れ、誰からも愛される存在だった。一方、自分はどうだ? 親に殺されかけた過去を持ち、「生まれてこなければ良かった」と吐き捨てられた人間だ。そんな自分が、ミッターマイヤーの輝きを汚すわけにはいかない。彼にはもっと相応しい相手がいるはずだ。
「俺はお前にはふさわしくない」と、ロイエンタールは呟き、部屋を出た。ミッターマイヤーに会うことなく、彼は静かに姿を消した。
ミッターマイヤーは、自室で苛立ちを抑えきれずにいた。ロイエンタールからの連絡が途絶えて数日、彼の胸には不安が広がっていた。あの冷徹で孤高の男が、何の前触れもなく消えるなどあり得ない。だが、ミッターマイヤーの鋭い勘が告げていた。ロイエンタールが何かを決めたのだ。そしてそれは、自分にとって受け入れがたいものに違いない。
「逃げるつもりか」と、彼は低く唸った。その声には怒りと共に、深い執着が滲んでいた。ロイエンタールは彼にとってただの戦友ではない。共に戦場を駆け抜け、夜を共にした男だ。その瞳の奥に隠された脆さも、熱い情も、全てを知っている。だからこそ、彼を失うことなど考えられなかった。
ミッターマイヤーは部下に命じた。「ロイエンタールの居場所を突き止めろ。すぐだ」。彼の決意は揺るがなかった。ロイエンタールが何を思おうと、彼を連れ戻す。それがミッターマイヤーの意志だった。
ロイエンタールが選んだのは、帝国の辺境にある小さな惑星だった。人影もなく、静寂に満ちたその場所は、彼の心を落ち着かせるはずだった。しかし、どれだけ距離を取っても、ミッターマイヤーの存在が頭から離れない。あの男の笑顔、戦場での頼もしさ、そして自分を抱きしめる腕の強さ。全てが、彼の心に焼き付いていた。
「なぜだ」と、ロイエンタールは自問した。「なぜ、あの男の側にいたいと思う」。彼は自分の過去を呪った。親に命を狙われ、存在を否定された自分は、ミッターマイヤーのような光に浴する資格がない。あの男には、もっと純粋で明るい誰かがふさわしい。そう考えるたび、胸が締め付けられた。
その時、遠くから艦艇のエンジン音が響いた。ロイエンタールは窓辺に駆け寄り、空を見上げた。見慣れた艦影が近づいてくる。ミッターマイヤーだ。彼の執念が、ここまで追い詰めてきたのだ。
「お前らしい」と、ロイエンタールは苦笑した。逃げ切れるとは思っていなかった。だが、それでもなお、彼の心は揺れていた。
ミッターマイヤーは艦から降り立つと、迷わずロイエンタールの隠れ家へ向かった。扉を開け、室内に踏み込むと、そこに佇むロイエンタールと対峙した。二人の視線が交わり、空気が張り詰めた。
「何だ、その顔は」と、ミッターマイヤーが先に口を開いた。「俺から逃げようとしたのか?」
ロイエンタールは静かに答えた。「そうだ。お前から離れようとした。お前には俺のような者はふさわしくないからだ」
その言葉に、ミッターマイヤーの眉が険しくなった。彼は一歩近づき、ロイエンタールの肩を掴んだ。「ふさわしくない? 何だそれは。お前が勝手に決めることじゃない」
ロイエンタールは目を逸らさず、声を低くした。「俺は汚れている。お前のような明るい男の側にいるべきじゃない。お前にはもっと良い相手が――」
「黙れ」と、ミッターマイヤーが遮った。彼の手がロイエンタールの顎を掴み、無理やり顔を上げさせた。灰色の瞳が、異色の瞳を貫く。「お前が何を背負っていようと、俺には関係ない。お前がそんな過去を持っていることも、全部知った上で俺はお前を選んだ。お前以外はいらない」
ロイエンタールの胸が震えた。ミッターマイヤーの言葉は、彼の心に突き刺さり、同時に温かさをもたらした。だが、彼はなおも抵抗した。「お前は理解していない。俺は――」
その言葉を最後まで言わせず、ミッターマイヤーの唇がロイエンタールの唇を塞いだ。荒々しく、だが深い愛情を込めたキスだった。ロイエンタールは一瞬身を硬くしたが、やがてその熱に抗えず、目を閉じた。ミッターマイヤーの手が彼の背中に回り、強く抱き寄せる。二人の体が重なり合い、互いの鼓動が響き合った。
夜が深まり、簡素なベッドの上で二人は寄り添っていた。汗に濡れた肌が触れ合い、互いの体温が混ざり合う。ミッターマイヤーの指が、ロイエンタールの髪を優しく撫でた。
「お前が俺から離れようとした理由は分かった」と、ミッターマイヤーが静かに言った。「だが、そんなものは俺にはどうでもいい。お前がどんな過去を持っていても、俺はお前を離さない。それが俺の答えだ」
ロイエンタールは目を閉じ、かすかに笑った。「お前には敵わないな」
ミッターマイヤーは満足げに微笑み、ロイエンタールをさらに強く抱きしめた。「お前がここにいる。それでいい」
星々が窓の外で瞬く中、ロイエンタールは初めて、自分の存在を肯定されたような気がした。ミッターマイヤーの腕の中で、彼は過去の傷を少しずつ癒していく。自分が求めていたものは、自由ではなく、この男の側にある確かな絆なのかもしれない。そう気づいた時、彼の心は穏やかになった。
おわり