鼻をくすぐる甘い匂いで目を覚ます。
「よっ、起きたか」
菓子を用意していた友人が軽い調子でマロロに挨拶する。
「ハク、殿?」
「他の誰に見えるんだ? まだ寝惚けてるな?」
眠気覚ましの一杯だ、と淹れたての茶を置かれる。おそるおそる触れる茶器は温かかった。
途端。マロロの顔からずびびっと涙と鼻水とが噴き出す。向かいに座ったハクが「うおっ」と仰け反った。
「なんだなんだ、マロ、どうした」
「ハ、ハ、ハクどのぉ……」
ずびずび洟をすすりながらマロロは喘ぐ。だって、だって、
「ハク殿が死んだと聞かされて……マロは……マロは……でも、こうして生きているでおじゃるよ……!」
「自分が?」
ハクがけらけらと笑う。「馬鹿だなあ」マロロもくしゃりと笑う。詰まる鼻をすすり、友人手製の菓子の匂いを嗅ぎ、
ぽんっ、と燃える友人の臭いを肺いっぱいに吸い込んだ。
燃える。燃える。ヒトが燃える。服が燃える髪が燃える皮膚が燃える肉がはらわたが燃えるじゅうじゅう血が蒸発する燃える燃える真っ赤真っ赤白赤まっくろ
つんざくような金切り声。マロロ自身の悲鳴。
横倒しになる友人の躰を、叩く、叩く。火を消そうと半狂乱になる。
「ばかだなあ」
真っ黒なひとかたまりになった顔、切れ目から軽やかな声がする。
「仮面の者の炎に焼かれて生きてるわけがないだろう?」
「あああああぁぁあ!」
≪工程終了≫
≪判定――false≫
≪シーケンスを再開します≫
「よっ、起きたか」
覗き込んでくる友人は常通りにへらりと笑った。
「ハク、殿……」
「なんだなんだ、顔色が悪いぞ。悪い夢でも見たのか?」
夢。ああそうだ夢を見たのだった。とびっきりに最悪の、夢を。
「ハク殿ぉ~!」
「うおっ」
飛び起きざまに友人に抱きつく。マロロとどっこいどっこいの貧相な躰が踏ん張る。温かい。生きている。どくどくと脈打つ。生きて、生き、て?
胴体から真っ二つになりごとんと転がる友人を抱いたまま、マロロは呆然としていた。遅れて下半身が転ぶ。どくどくと、血が、流れる。
「お前さんのせいじゃないさ」
穏やかな。何時も通りの。
「ヤマトの将の攻撃を受けて、無事でいられるわけがないだろう?」
悲鳴が迸った。
≪工程終了≫
≪判定――false≫
≪シーケンスを再開します≫
ぎちぎち。音がする。頭が痛い。起こさないで欲しい。
「起きたくない……マロは、起きたくないでおじゃる……」
えづく。目を開けたくない。ぎちぎちぎちぎち。頭が痛い。痛みが眼球を裏から押し上げる。開けたくもないのに目蓋が上がる。嫌だ。嫌だ。
「よっ、起きたか」
「あああああああ」
あれだけ再会を望んだ笑顔が今はおぞましい。だって死ぬのだ。何度でも死ぬのだ。ぎちぎちぎちぎち頭痛が痛い、痛い、何度これは夢だと言い聞かせても醒めない、終わらない、ハクが笑っている。死ぬのに。ぎちぎちぎちぎちぎちぎちいつまでだってもぎちぎちぎちぎちマロロが認めないから何度でも何度でも何度でも「死んだでおじゃる!」
絶叫。
頭の内側から削られて、無数の友人の骸を見せられて、ようやっとマロロは『認める』。
「ハク殿は死んだのでおじゃる! 殺されて、常世に旅立って、もう居ないのでおじゃる! だからっ、だから、もう……許してたも……」
うずくまり弱々しく喘ぐマロロを『ハク』が見下ろしている。
「なあ、マロ」
何時もと同じ、やわらかな笑顔で。
何時もと同じ、おだやかな声で。
「自分を殺したのはだぁれだ?」
それは、「八柱将……『豪腕の』ヴライ……」ぎちぎちぎちぎち「あえ、あ? あああ、あ」痛い、痛い、「違うだろう?」ハクは笑っている。しょうのない奴だなあ、と苦笑いしている。ぎちぎち「≪既に答えは与えたでしょう? さあ――≫」ぎちぎちのたうち回るマロロを『ハク』が見下ろしている。彼を殺したのは、マロロの友人を殺したのは、
「オシュ、トル」
脳に刻みつけられる名を口にする。
驚愕。そんな馬鹿な。有り得ない。
「違うでおじゃる!」
オシュトルが、マロロの友が、マロロの友を殺すなど有り得ない――!
違う違うと叫びながら地面に額を打ち付ける青年を、『ハク』は冷然と見下ろす。
≪この程度が貴様謹製の蟲の効果か?≫
≪思考能力を残して、との御要望でしたので……今からでも切り替えれば明日には仕上がりますが?≫
≪貴様と違い、俺に必要なのは命令を遂行するだけの木偶ではない。自ら考えることを放棄し、動かぬ者は、新しいヤマトには不要≫
≪ふふ、趣味のよいことで≫
ぎちぎちぎちぎち。
あたまのなかで、おとがする。
≪さあ、答えは与えました。繋ぐのは――貴方、ですよ――≫
≪シーケンスを再開します≫
夢を見ている。暗い森を彷徨う夢を。ひとりだった。鈍い頭痛がした。
「……こ、え」
ヒトの声が聞こえる。その声を目指し、ふらふらと歩く。知っている声だ。知っている、二人のヒトの、声だ。
「ハク殿、オシュトル殿」
その姿を視界に収めた瞬間、涙が溢れた。二人の友人は傷ついて、お互い支え合いながらようやっとで歩いていた。ヴライとの戦いの直後だと直感的に理解する。ハクとオシュトルがエンナカムイに向かう寸前、ここに、マロロがいれば。ここで、声をかければ。
「――え、あ」
延ばした手が宙をかく。
足が止まる。舌が止まる。眼球だけがぎょろぎょろ動く。
ハクを斬り捨てたオシュトルに、あたまがまっしろになる。
「ハクよ」
「我が大願の贄となれ」
告げるオシュトルを、ハクは、信じられない、と見上げていた。いやいやと首を横に振った。目の前の現実が受け入れられないまま、血が、飛沫いた。
躰をハクの血で染めたオシュトルが、真っ直ぐ歩いてくる。手には抜き身の刀、仮面の下には裂けるような血濡れの笑い。
「マロロ」
「何故、でおじゃる」
違う、ぎちぎち、オシュトルは、こんなことをしない、ぎちぎち、ああ、痛い、痛い、受け入れられるものか、マロロの友が、友を手にかけるなど、「オシュトル殿は、ハク殿を殺したりしないでおじゃる――!」決して――!
「そうだ」
答えは。あっさりと。
「だから、エンナカムイで其方もそう言ったではないか」
からかうように。嘲るように。
「貴殿は誰か、と」
ぎち、り。
あたまのなかで、おとが、おさまるべきばしょに辿り着く。
そうか。そうだったのか。
全てが繋がった。
エンナカムイでの違和感。オシュトルが取るはずのない戦法。ハクの死。仮面の者が傍にいながら殺害を許した、理由。
「お前が」
『オシュトル』が。『オシュトル』の姿をしたオシュトルを騙るなにかがマロロに刃を振り下ろす。
恐怖よりも。絶望よりも先に。
「お前ぇがああああ! ハク殿を、オシュトル殿をぉおおお!」
憤怒の炎が悪夢を焼いた。
マロロは理解した。友の死の真相を理解した。敵が誰であるかを『理解』した。
――戦い、勝ち続ければ、
――ハクの仇を討つこともいずれ叶うであろう。
「――ああ、そうでおじゃるな、オシュトル殿」
友の仇を殺す。友の名を騙り姿を騙り友のフリをする『オシュトル』を、殺す。
マロロは。成すべきことを『理解した』。
くすり。くすり。蟲が笑う。
≪二人の男のようなものです≫
≪二人の男を描いた姿絵があったなら、読者は二人がどんな関係なのだろうと想像を巡らせます。空白を埋めようと、物語を作ります≫
≪私が与えたのは答え≫
≪答えに続く物語は貴方が作り、貴方が生み出したが故に、それがどれだけ荒唐無稽でも、貴方にとって強固なものになる≫
≪さあ、物語を繰り返しましょう≫
≪貴方の憎悪の物語を、真実になるまで――≫
≪工程終了≫
≪判定――true≫
≪シーケンスを終了します≫