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    mozuku_0829

    @mozuku_0829

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    mozuku_0829

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    いていな2開催おめでとうございます!!
    大遅刻本当にすみません!!

    現パロでくつ下を裏返しに洗濯してしまうネロに怒るファウストのはなしです。
    本当はこのあとも少し続くのですがとりいそぎ出来た所だけ……
    けんかしてもいいけど仲直りちゃんとしてね……の気持ちで書きました。

    くつ下のはなし 冬のある日、ネロはくつ下を片手に内心とても焦っていた。
    ――どうしよう。ファウストを怒らせちまった。
     理由は分かっている。本当に、些細なことだった。



     ネロがファウストの家で生活をするようになったのは半年ほど前からで、今ではほぼ半同棲しているような状態が続いている。
     それこそはじめの方はキッチンを使わせてもらうのもなんだか気恥ずかしくてどこか遠慮がちだったのに、今ではネロの買い集めた珍しいスパイスや調味料が一角を占めていた。
     それはキッチンに限った話ではなく、ファウストのクローゼットにはネロのための棚が用意されているし、洗面所には二本の歯ブラシが仲良く並んでいる。
     少しずつ順調に前に進んでいると思っていた。それなのに。
    「ネロ。……ネロ!」
     その日は確か、冬の訪れを感じさせる寒い日だった。ファウストは真っ白な手の指先を真っ赤に染めながらベランダに立っていた。急に名前を呼ばれたものだから何事かと思って慌てて駆け寄ると、むすっとした表情のファウストがくつ下を突き付けた。裏返されたまま洗濯されたくつ下がそこに握られている。
    「前にも言っただろう」
     一瞬、なんのことだか分からなかった。ファウストの手の中にあるものを認めて、少しだけ考えて眉を寄せたあとすぐに思い至る。
    「悪い、つい癖で」
     とっさの勢いで謝るけれど、押し上げられたファウストの唇は戻らなかった。
    「きみ、前もそう言って同じことを繰り返してた。僕の話なんて聞いていないんじゃないか」
    「そんなこと、」
     ない、と続けようとした言葉が宙に消える。言われてみれば三日ほど前にもファウストに同じことを言われた気がする。
     何を言っても言い訳にしかならない。そう思ったネロは余計なことは言わずに早々に謝罪へとスタンスを変えた。こんなことでファウストと喧嘩なんてしたくない。
    「ごめん。次からは本当に気を付けるよ」
    「……次はないからな」
    「うん、ごめん」
     同じ言葉を繰り返すとファウストは大きく肩を竦めて息を吐いた。
    「いいよ、僕も言い過ぎた」
    「寒いのに、ありがとな。鼻の先、真っ赤になってる。あったかい飲み物入れておくよ。何がいい? コーヒーか紅茶か、ココアもあったっけ」
    「ココアがいい。たっぷり練ったやつ」
    「分かった」
     少しだけ首を伸ばして赤くなった鼻の先にキスを落とした。ちょっとびっくりするくらい冷たくて、ネロは慌てて部屋からアウターを持ってきたけれど、「すぐに終わるからいい」とすげなく断られてしまった。代わりに残りの洗濯物を干している間、ネロは自分の出勤前の仮眠時間を返上してずっとココアを練って待っていた。ファウストが部屋に戻ってきたタイミングで火にかけていたミルクにペーストになったココアを加えて、一欠けらのバターとほんの少しのはちみつを混ぜる。底が焦げないようにくるくるとかき回して馴染ませたらホットココアの完成だ。ファウストが気に入って使っているマグカップにうつして、ソファに腰掛けるその人に持っていってやると、瞳を滲ませて微笑んだ。
    「ありがとう」
     二人の間にあった先ほどまでの空気は嘘のように消え去っていた。
     それは確か一週間ほど前の話だった。



     明確に決めた訳ではないけれど、二人で生活を繰り返すうちになんとなく決まっていったルールがあった。
     料理はネロが、洗濯はファウストが行うこと。
     お互いにその分野の家事が苦手な訳ではないけれど、それぞれの希望があってそういうことになった。
     ネロの理由はいたって単純で、自分の手料理を食べるファウストの姿を見るのが好きだから、というなんとも声に出すには恥ずかしいものだった。
     ファウストからすればネロは転がり込んできた居候のようなものなのだから、家事くらいすべて任せればいいのにそうさせてくれないところが彼らしくもあった。
    「僕の仕事は不規則で、見方を変えれば自由に時間を使えるということなんだ。一人分も二人分も変わらないんだから、気にしなくていいよ」
     ファウストはそう言って洗濯物担当を引き受けてくれた。
     はじめてファウストの家に泊まることになった日の夜のことを、今でも覚えている。
    その頃はまだファウストの家にネロの私物なんてほとんどなくて、寝間着もファウストのものを借りていた。
     シャワーを浴びようとしてふと、自分の着けていた下着をどうすればいいのかと一瞬迷いすぐに自分の鞄の中に突っ込んだ。明日家に帰ったら自分の家で洗えばいいと思っていた。
     それなのにファウストはシャワーから出てきたネロになんてことないように「きみの着ていたものも一緒に回すから洗濯機に入れておいてくれ」なんて言ったのだ。
    「……え、先生。本気で言ってるの」
    「なにが? 何かおかしなことでも言った?」
    「先生、自分のパンツ一緒に俺のパンツも洗っても、何も感じないの?」
    「……僕は何も気にしないけど、きみが嫌だというのなら、」
    「嫌じゃない、嫌じゃないです」
     むしろどこか嬉しい。そこまであけすけに言ってしまうとなんだか変態のレッテルが貼られてしまいそうだったから言えないけれど。
     少なくともファウストにとって自分は洗濯物を一緒に回せるくらいには身近な存在ということなんだろう。
     出会った頃の警戒心の高い猫のようなファウストを思い返すと、今の随分軟化した態度に頬が緩んでしまうのも仕方ないことのように思えた。
     情けない表情を隠すようにファウストを腕の中に閉じ込めると少しだけ抵抗があった。
    「おい、まだシャワーを浴びてないんだけど」
    「すこしだけ」
     お風呂上がりのファウストも色っぽくて好きだけど、シャワーを浴びる前の匂いも好きだった。柔らかな髪の毛に鼻を埋めて息を吸い込むとさすがに恥ずかしいのか首を振られて嫌がられてしまった。その仕草はどこか獣じみていて愛おしさが溢れて止まらない。そっと髪の毛にキスをしたあと身体を少し離して瞳を正面から見つめる。眼鏡のレンズの奥では相変わらずアメジストの宝石が輝いていた。
    「ねぇ、キスしていい?」
     聞きながらそっと眼鏡を外す。
    「……したいなら、すればいいだろ」
     朱色に染まった眦に軽く音を立てながら唇を落とした。わざとらしい稚拙なキスを何度も繰り返して、最後にかぶりつくようにファウストと口を重ねる。
    「……せんせい、」
    「なに」
    「好き」
    「……僕も」
     自分と同じ想いを返してもらえることが、こんなに幸せだなんて知らなかった。腕の中に納まったままの細い身体を強く抱き締めながら、ずっとこうしていられたらいいのに、なんて思ったりした。



     それから何度もファウストの家に寝泊まりを繰り返して、ネロは少しずつ、本当に少しずつ気を遣わずに過ごせるようになっていった。
     月の半分以上をファウストの家で過ごしてしばらく経って、ネロの私物が増えていってもファウストは一緒に暮らそうとは言い出さなかった。ネロももったいないと思いながらもほぼ物置のような部屋を解約するつもりはなかった。
     自分は臆病だから、こうして逃げ道を用意しなければ傍に居続けることはできない。情けないけれど自分のことを一番理解しているからこそだった。ファウストだってそれを分かってくれているから何も言わないのだと思っている。
     それでも、今日は自分の家に帰ると言った時のファウストの寂しそうな顔を毎回見るのは切なかった。ファウストはいつも何も言わない。ただ、分かったと頷くだけだった。
     



     出勤の時間が迫っていつものようにくつ下の入っている引き出しを開けたネロはそこには置かれたくしゃくしゃに丸まったままのくつ下見つけた。
     一番はじめに思ったのはらしくない、という感想。そしてすぐに、相当怒っているのでは、と思い至って毛が逆立つ。
     まずい。これは相当にまずい。
    ――どうしよう。ファウストを怒らせちまった。
     ありがたいことなのか情けないことなのか分からないけれど、ネロとファウストは出会ってからこれまで喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかった。お互いそこまで相手に何かを期待するような性質でもなかったし、ネロはともかくファウストは自分の考えを相手に真っ直ぐ伝えることを躊躇わない。何かがあった時は必ずファウストの方からアクションがあったから、ネロはそれに応えていればそれでよかった。
     いつも真正面から話をしてくれていたファウストにネロは知らない内に甘えていたんだと今になって気付く。とにかく、ファウストと話をしなければ。
     少し前にコンビニに行くと言って外へ出ていったのは確信犯かもしれない。そうなればきっとネロが家を出るまでファウストは戻ってこないだろう。
     店を休みたかったけれどそんなことをしたらそれこそファウストからの信用は地に落ちる気がする。スマホを操作してファウストの番号をコールするけれど当たり前のように反応はなかった。短く舌打ちを打ってそのままメッセージを送ろうとした手を止める。いつも使っているウエストポーチのポケットからメモを取り出してファウストへのメッセージを書きなぐる。スマホだと見られない可能性もあるだろうけど、こうしてメモに残しておけば目にするはずだ。書き置いたメモを目につきやすいリビングテーブルの真ん中に置いて、落ち着かない気分のままネロは家を出た。




     その日一日、ネロは気もそぞろで仕事に身が入らなかった。ファウストの反応が気になって、仕事中に何度もスマホを確認しては通知のない画面を見ては繰り返し落ち込んだ。
     早く切り上げて帰りたかったのにこんな日に限って閉店近くになっても居座る客がいて、ファウストの家に着いたのは日付もすっかり変わってからだった。
     疲れた身体を引きずりながらいつものように合鍵を使って家へと入る。しん、と静まり返っていた薄暗い家はどこか薄ら寒い。ファウストを起してしまわないよう気を付けながらリビングの電気を付ける。家を出る前に残していったメモはそこにはなかった。
    ――くつ下、ごめん。
     そうとだけ残したメモをファウストはどんな気持ちで受け取ったのだろう。寝室へと続くドアを眺めてネロは後悔を押し殺していた。すべて自分が悪い。言い訳も思い浮かばなかった。これがファウストのやさしさに甘えた結果だ。
     不眠症気味のファウストがこの時間に寝入っているとは考えにくかったけれど、電気の消えた部屋に入ってそれを確認するような度胸はなかった。
     シャワーを浴びて油と煙草のにおいをすっきりさせても胸の内は晴れない。ファウストの顔が見たいのに、それは許され難いことのように思える。
     今日はこのまま夜を明かそう。朝になってファウストが起きてきたら、一言目にごめんと謝ろう。同じ言葉しか出てこなくて情けないけど、それでも伝えなくてはいけないと思った。
     悲しい想いをさせてごめんって言って、ファウストを抱きしめながら昼寝をしたい。ネロがお願いと言ってそれをねだったらファウストはそれを許してくれるだろうか。怠惰を嫌うファウストのことだから渋るかもしれないけれど、甘えて頼んでベッドに引きずり込んだら案外流されてくれそうな気もする。口では厳しいことを言いながら、それでも結局ファウストはやさしいから許してくれるんだろう。




     小さな物音で目が覚めた。浮上した意識が一番はじめに捕らえた感覚は香ばしいコーヒーの匂いだった。完全に覚醒しないまま身体を起こすと、肩にかけられていたふわふわのブランケットが床に落ちた。それは触り心地が気持ちいいからとファウストが気に入っているものだった。
     いつの間にか寝入ってしまったようで薄暗かった部屋は柔らかい灯りに包まれている。
     カウンターキッチンの向こうにファウストの背中が見えた。なんだか声を掛けるのが躊躇われてぼんやりとその背中を眺めていたら振り返ったファウストと目が合った。
    「起きたのか。おはよう」
    「ん、おはよ」
    「きみも飲む? コーヒー」
     穏やかなファウストの声が響く。怒っていないんだろうかと戸惑いながらも小さく頷くと、コーヒーをドリップしながらマグカップを二つ用意してくれた。
     食にあまり感心のないファウストが珍しくこだわっているものの一つがコーヒーだった。ファウストの淹れてくれたコーヒーは彼によく似た真面目でやさしい味がする。
    「ここで寝たのか? もうすっかり寒くなってきたんだから風邪を引くぞ」
    「いや、考え事をしてて……気付いたら寝てた」
    「ふぅん」
     ネロと会話をしながらもコーヒーを淹れる手を止めない。ファウストの表情は真剣だった。
     少し前にコーヒーを淹れる時はドリップする瞬間が一番大切だと語っていたことを思い出す。ぷくぷくと泡が浮かんで消えていくのを少し待って、充分に蒸らしたあとに丁寧にお湯を注ぐ。この手順を静かにやさしく行うことでコーヒーは美味しくなる。意外と凝り性な一面があるファウストは少し神経質なほどゆっくりとコーヒーをドリップする。一心に真面目な表情でコーヒーと向き合う姿を見るのも、ファウストの淹れてくれた丁寧でやさしいコーヒーを味わうのも好きだった。
     慣れた手付きで手際よくドリップを終えたファウストはマグカップ二つを手に持ってネロの正面に腰を下ろす。
     早く謝罪の言葉を口にしなければと思うのに、少し拍子抜けしてしまうほどファウストの態度がいつもと変わらないから、ネロの頭にはこのままでもいいんじゃないかという良くない考えが浮かんでいた。余計な諍いは起こさない方がいい。問題なく過ごせるのならそれでいいんじゃないか。そうやって自分に言い訳して、目の前に置かれたマグカップを手に取った。
    「ごめん」
     ファウストが口にした、たった三文字の言葉の意味が分からなくて思わず、え、と顔を上げる。ファウストは、いつの間にか泣きそうな顔をしていた。
    「浅はかなことをしたとずっと考えていた。一時の感情に任せて愚かな真似をしてしまった」
    「え、ちょ、ちょっと待って。なんで先生が謝んの。謝るなら俺の方、」
    「怒っているから、きみは昨日ここで夜を過ごしたんだろう?」
     ファウストのその言葉に驚きすぎてすぐに否定の言葉が出てこなかった。
    「物音できみが帰ってきたのが分かった。出迎えればよかったのに、変な意地を張ってしまってベッドから抜け出せなくて。シャワーを浴びたあとも待っていたのにきみは来なかった。朝になってようやく、きみを怒らせてしまったんだと気付いたよ」
     アメジストの瞳の下にいつもよりも色濃い隈が滲んでいる。ネロが呑気にうたた寝をしている間もファウストはまんじりともせずに夜を過ごしたのだろうか。
     きゅぅ、と胸が痛くなった。切なくて、悲しくて、申し訳なくて、愛おしい。このままファウストを抱きつぶしてしまいそうだ。
     何もなかったことにしようとした自分と、正面から話し合おうとしたファウストの対比は面白いほどに歪だった。ファウストの隣に自分が収まるは、許されないことなのかもしれないと思えてしまう。
     でも、許されたかった。いつでも真っ直ぐで清らかな彼の隣にいることを許されたい。
    「あんたが謝る必要はねぇよ。謝るのは俺の方だ」
     時々、ファウストといると自分のことがとんでもなく惨めに思えてくる時がある。ファウストと比べるとちっぽけで矮小な自分に気付いて情けなくてどうしようもなくなる。ファウストが何度笑いかけてくれても「俺なんかでいいの?」と聞きたくなってしまう。自分に自信なんてない。いつだって見限られるのが怖かった。
     人と向き合うことから逃げてきたけど、それは間違いだったんだと今気付いた。少なくともファウストとの関係においては不正解だった。結果、いらぬ誤解を生んで間違った謝罪をファウストにさせてしまった。
    「ファウストは悪くない、悪いのは俺だよ。ごめん」
     手を伸ばして、ファウストの手を握る。ほっそりとした指はちょっと驚くくらい冷えていた。
    「あんたを怒らせたんだって思ったら、なんだか同じベッドで寝るのは違う気がして……いや、違うな。怒られて、嫌われるのが怖かったんだ。失望されてがっかりされたくなかった」
     口にするとどうにも幼稚で子供っぽい理由だった。でも偽りのない本心だった。
    「本当は起きてきたら一番に謝るつもりだったんだ。でも、あんた全然いつもと変わらない様子だったから、怒ってないのかなって思ってうやむやにしようとした。ファウストに謝られて分かったよ。俺が間違ってた。ちゃんと話し合うべきだったんだよな」
     今まで付き合ってきた人間はそれでよかったのかもしれない。ネロの態度が気に食わなければ自然と向こうから離れていく。そういう関係だとお互い割り切っていたけれど、ファウストだけはそうして終わりたくなかった。
    「自分のこと好きじゃないし、これからもたぶん好きになれないけど。ファウストに嫌われないようにダメなところは直していくから何かあったら教えてほしい。俺の事、諦めて嫌いになんないで」
     祈る様に、ファウストの手を額にあてる。
     自己嫌悪とファウストに対する申し訳なさで心の内はぐちゃぐちゃだった。どうすればいいのか正解も分からなくて、ただこうすることしか出来ない。
    「ごめん。許してほしい」
     目の奥がじんわりと痛んできて、視界が緩やかにぼやける。誤魔化すように強く瞼を閉じた。こんなことで泣くなんて情けなさすぎる。
     ネロの手の熱が移った薄い手のひらが、やさしく労るように力を込めて握られた手を握り返した。俯いたネロを慰めるようにやさしく。
    「ネロ、僕は怒っていないよ」
    「うそ。俺、先生にひどいことした」
    「そこまで反省しているなら怒る必要はないし、そもそも怒ったのとは少し違う。たぶん、拗ねていたんだ」
    「拗ねる?」
     予想外の言葉が出てきたものだから思わず顔を上げて聞き返すと、ファウストは小さく頷いた。
    「最初は、別に気にならなかったんだ。自分で言い出したことだし、仕方ないなと思ってあまり気にならなかった。でも、少しずつ寒くなるにつれてだんだん心がささくれだってきて。寒い日の朝は、洗濯物が本当に冷たいんだ。裏返されたままのくつ下は指先を凍えさせる。なおしてくれないきみに、腹を立てるよりも少しずつ悲しくなってきた。どうしてなおしてくれないんだろう、きみにとって僕なんてどうでもいい存在なのかもしれない、なんて考えて落ち込んだ」
     そう言って自嘲気味に笑う。
    「はじめからこうしてきちんと話し合えばよかったんだ。あんな幼稚な真似をしてしまって、本当にどうかしていたとしか思えない。きみだって怒っていいんだよ。あんな一方的に身勝手なことをされたんだから、きみにも怒る権利はある。言葉にしないのに察してほしいなんて、僕のどうしようもないわがままだった」
     ごめん、と小さく呟いた声が切なかった。思わず椅子から立ち上がって、後ろからファウストを抱きしめた。一日ぶりの愛おしい人の匂いを胸に吸い込んで離すことを許さないように強く腕の中に閉じ込める。
    「ファウスト、お願いだからあんたがそんなに謝んないで。悪いのは全部俺だし、あんたは何も悪くないんだから。俺がやさしいあんたに甘えてただけなんだよ」
     ファウストが謝るたびにネロの心の柔らかい部分が音を立てて傷付いていった。自分の大切な人を悲しませてしまったという事実にどうしようもない後悔が生まれる。
    「ファウストの事、どうでもいいなんて思ってない。ファウストのわがままだったらなんだって聞きたいよ」
     どうすれば本心からの言葉だと伝わるだろうか。甘えるように頬を摺り寄せるとやさしい手つきで頭を撫でられた。
    「ネロ、苦しいよ」
     後ろから抱きしめているから表情は見えないけれど先ほどよりも声は柔らかい。少しだけ腕の力を緩めると、腕を引かれて向き直ったファウストと正面から向き合った。
    「仲直りをしよう」
    「仲直りって、俺は別にファウストに怒ってるわけじゃないって」
    「そう、だから自分自身と。お互いもう自分を責めるのはやめよう」
     ね、と首を傾げてファウストはネロの手の平を自分の頬にあてた。
    「僕はもうきみが自分を責めている姿を見たくない。きみだってそうなんだろう? お互いが悪くないっていうのなら、悪い人なんていないんだよ。ただ、ちょっと色々すれ違ってしまっただけなんだ」
     だから責めるのはもうおしまい。そう言ってファウストはやさしく微笑んだ。
     ファウストはネロよりも年下なのに時々こうしてびっくりするくらい達観するようなことを言う時があった。きっとそれだけ色々あったということなんだろうけど、ファウストのこういうところに触れるたびネロは自分のちっぽけさを思い知る。
    「俺、年上のくせにほんと情けねぇな」
     思わずぽつりと弱音を吐くと、ファウストはきょとんとした表情を見せた。
    「そんなことないと思うけど」
    「いや、俺ファウストに甘えてばっかだし格好いいところ少しもないだろ」
    「まぁ、そうだね。きみはどちらかというと格好いいよりかわいい方だと思うけど」
    「えぇ……それはそれで複雑なんだけど」
    「今のままでも十分格好いいと思うよ。それに、頼りにしてる」
    「じゃあ、もっと甘えてくれればいいのに」
    「甘えてるよ。きみは気付いてないみたいだけど」
     いつの間にかいつもの空気が戻っていた。軽口のようなやり取りの一つ一つが今では愛おしい。
     こつん、と額を合わせて至近距離でファウストの瞳を眺める。
    「ね、先生」
    「なに」
    「キスしていい?」
    「…………」
     返事の代わりにファウストは長いまつ毛をそっと伏せて答えた。仲直りのキスなんてらしくないな、と一瞬頭に浮かんだけれどすぐに無視して唇を重ねた。
     



     惰眠を貪ろうとファウストを布団の中に引きずり込んで二人で昼下がりの明るい時間をベッドで過ごした。寝不足のせいかまどろむ意識の中、ぽつりぽつりと色んな話をした。
    「考えてみたらこうして喧嘩をするなんて初めてだな」
    「きみは言いたいことがあってもなかなか口にしないから」
    「えぇ? それはファウストだってそうだろ」
    「うん。きっとお互いに我慢してため込んでしまう性質なんだろうね。でも、それだと今回みたいにすれ違ってしまう。いい教訓になったよ」
    「はは、ガッコの先生みてぇ」
     軽やかに笑うと腕の中にいたファウストがこちら側に向きを変えた。
    「きみを怒らせたと思ったときは肝が冷えた。普段穏やかだからなおさら焦ったよ」
    「穏やかかな。自分では分からないけど」
    「口は悪いけどあまり怒ったりしないだろう。声を荒げているところをみたことない気がする」
    「まぁ、たしかに」
     思い返してみても感情の揺れ幅は小さいような気がする。でもそれはやさしいとか穏やかとかそういう綺麗な理由なんかじゃなくて、ただ単純に他人に興味がないだけなんだと思う。興味がなくて期待なんてしないから、憤ることもない。
    「冷たい人間なんだよ、俺は」
    「ふふ」
    「なんで笑うの」
     少し不満そうに言うとファウストはネロの鼻先にキスをした。
    「自分の中にあるやさしさに気付けないきみが愛おしくて。そういうところも好きだよ」
     なんの衒いもなく好きだと言ってのけるファウストは、どこか大人の余裕を感じさせる。
    「あんたってそういうところあるよな……」
    「そういうところって?」
    「地味に人たらしなところ」
    「そうかな」
     緩やかに過ぎていく時間はまるで睦み事のあとのようだった。足を絡ませて体温を分け合う。
    「明日さ、洗濯物干す前に起こしてよ」
    「え? なんで急に」
    「洗濯物、俺が干してみたくて。だめ?」
    「別にいいけど。僕に気を遣う必要はないんだぞ」
    「俺がやりたいだけだって」
     相手の気持ちを理解するには同じことをしてみるのが一番手っ取り早い。ファウストを大切だから少しでも理解したい。また同じようなことが起きた時に、少しでも寄り添うことの出来るように。
     ファウスト、好きだよ。悲しい想いをさせてごめん。
     腕の中に納まる大好きな恋人に口付けを落とした。



    「うわっ、まじで冷たいんだけど!」
    「少し大げさだよ」
     宣言通り、次の日ネロはファウストに起こしてもらって昨夜のうちに回しておいた洗濯物を干していた。ちょっとびっくりするくらい洗濯物は冷たくて、すぐに熱が奪われていく。すべて干し終えた頃には指先は真っ赤になってすっかり凍えていた。
     ファウストの淹れてくれたコーヒーが入ったマグカップを両手で包んで手を温めながらネロは問題について深刻に考えていた。
    「明日も一緒にやる」
    「ネロ。気にしなくていいと言っただろう。これは僕の仕事だ」
    「別に俺一人でやるって言ってるわけじゃないし、二人でやった方が早く終わるだろ。冬の間だけでもいいからやらせてよ」
     ファウストが寒い思いをしているのに自分一人がのうのうと布団の中で温まりながら眠っているなんてもう出来ない。ファウストが断ったとしてもアラームをかけて起きて手伝うつもりだった。
    「……きみがそこまで言うなら」
     渋々頷いたファウストにネロはまだ言いたいことがあった。
    「あのさ。今回のことで色々考えて、ファウストにお願いがあるんだけど」
    「お願い?」
    「うん。あのさ……俺、ここで一緒に暮らしても、いい?」
     緊張でどきどきと心臓の音がうるさかった。握った手のひらは、冷えているのに手汗が滲む。ファウストの反応が怖くて顔を上げられない。
     今までうやむやにしてきたことだけど、今回のすれ違いが腹を決めるきかっけになった。
     ファウストと一緒にいたい。もう逃げ道なんて必要ない。自分の帰る場所はファウストの隣だけで十分だと思った。
     今まではぐらかしてきたくせに都合のいい奴だと呆れられるだろうか。隣にいることを許してくれるならそれでもいい。
    「ネロ」
     名前を呼ばれても照れくさくて顔を上げられないでいると手を引かれた。
    「僕が断ると思うの?」
     瞳を滲ませて微笑まれて自分の顔に熱が集まっていくのが分かる。きっと情けないくらい真っ赤に染まっている顔を手で覆って隠すと、その様子をみてファウストが笑ったのが分かった。
    「照れてるの? かわいい」
    「もう、からかうなよ……」
     どうしてこうも恰好つかないんだろう。たまにはファウストが惚れ直すくらい格好いいところを見せたいのだけれど。
    「今度役所に手続きしにいくよ。その前に俺の家の解約もしなくちゃなんないし、引っ越しの準備もしなきゃ」
    「手伝うよ。急がないんだから、一つずつやっていこう」
    「うん。先生、ありがと」
     今度、ファウストを誘って買い物に出かけよう。出不精のファウストを外に連れ出すのは簡単ではないのかもしれないけれど、それでも二人で選びたいものがあった。
     ファウストの細い指を飾るシルバーを想像して、少しだけ楽しみに思った。





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