俺は稽古場で一人、舞っている
ひと足ひと足が割れた氷を踏むようだ
踏み出す足の、一歩一歩が
腕の一振りが
顔の僅かな上げ下げ
背の僅かな傾斜
俺が表現する、舞って美を表現する、その動きの、些細な一つ、ほんの一つ一つが
凍てついた荒野を歩むがごときの
とてつもなく鋭く、冷たい、苦痛だ。
俺は、その苦痛の正体を知っている
それは
会いたいな友魚
会いたいな友魚
会いたいな友魚
「友魚」
「ん」
真夜中、友魚の部屋、ぎりぎり二人並んで寝れるベッドの上。友犬の髪はシーツの上にべろんと広がっていて、だから俺の腕はその上にある。ろくなヘアケアしてないくせにまあまあツヤツヤした友魚の髪の上に、俺の腕が。
「会いたかったあ、俺」
「んん?」
「俺、寂しくてさあ。稽古場で一人で舞ってるときとか。めちゃくちゃ寂しくて、そりゃもう、キビしかったんだぜ。友魚、いなくなってから」
「ああ」
友魚はやっと得心した様子で、あくびして、そうして俺に触る。俺の顔に触る。
「まだ覚えてんのかあ、お前。お前、犬王、クソイケメンの、輝くばかりに美しい犬王よ」
「それ。それもさあ、最悪よ。なんか嫌でさあ。御殿でなんか偉い貴人さんの前で舞って、ちやほやされて、美しい美しいって言われてさあ」
「ほーん」
友魚は俺の顔をべたべたすりすりと触りながら相槌を打つ。
「だってお前が見れないんだもんな。見れないのはしょうがないけど。いないんだもん、お前。友魚」
「そうかあ」
「俺さ。……寂しかったよ、友魚」
「うん」
友魚が俺に顔を寄せる。俺はその顔にぴったりと顔をつける。寝る前にモンスターエナジーのピンク色のを飲んでいた友魚の口はほんのりトロピカルなモンエナくさくて、俺は何だかそんなところも友魚だなあ、と思う。
「そうかあ、ごめんなあ。犬王」
「ううぅ」
「だって俺捨てたくなかったんだよなあ。犬王のこと。犬王のくれた物語のこと、大事だったから。大好きだったからなあ」
「わかってるよぉ!」
吠えて、ぎゅう、と友魚の首を抱えた。
「わかってるよ。だから俺は踊ったよ友魚、踊り続けたよ。俺はせめてきらきらしく美しくあらねばならないものな」
「左様、左様」
「裏切ったとか、俺のせいだとか、そういう泥(なず)んだのは、ドロドロしたのは嫌だろ、友魚。もう怨霊はこりごりだ。俺たちただ一緒にひとつのことを、一緒に楽しく、つまり一つの物語を、演っていてさ。それが俺たちだったってだけだものなあ」
「そうだとも、そうだとも」
友魚は頷いて、俺を抱き返した。
「迎えに来てくれてありがとうな、行き迷っていた俺を」
「うん、だけど……俺、」
友魚のモンエナくさい息が染みて、鼻の奥が痛いほどツンとした。
「おれ今生ではお前をいっとう大事にしたいなあ」
「お前泣いてんの」
「うん」
「よしよし、泣くな、泣くな」
友魚の舌が俺の涙を舐める。
「泣くな、泣くな、きれいな犬王。俺のきれいな犬王」
友魚の唇が俺の涙を啜る。
「ふふふっ」
擽(くすぐ)ったくて俺は笑う。
「如来様がワンチャンくれたんだ。今生で、お前ともっかい踊れって」
「南無」
友魚は見えない目を瞬いて、言った。
「それって、成仏できてねえんじゃねえの」
「そりゃそうだろ」
「そりゃそうか」
「お前、河原で首打たれて晒されてよぉ、」
「そりゃそうだな」
友魚が俺の背に手を回す。琵琶の弦をなぞるように、俺の背骨をなぞり下ろして。
「然らば」
「然らば?」
「補陀落渡海は叶わずとも、浄土の手前ほどへも船出と参ろうか」
「ふふん」
俺はのし、と友魚の上へと乗り上げながら、そのだらしない事この上ない、掛け違えたボタンが二、三個とまっているだけのシャツを剥ぎにかかった。
「彼岸ちょい手前まで?」
「ほんのちょい手前」
「この、エロ坊主」
「あぅっ」
友魚、友魚、友魚。
すきだ。
髪と髪が
膚と膚が
唇と唇が
ふれあう。
受け入れられているということ、
俺が友魚に触れているということ。
俺が友魚に触れられているということ。
幸せで幸せで、うれしくてうれしくて、
触り合ってると気持ちよくて、
必定ちんちんもでっかくなるよな。
「発情も必定」
「ハァ?」
ち×かわのうさぎみてえに友魚が言う。
「なんでもねえよ!」
ちんちん、出す。察した友魚がパンツを下ろす。友魚のちんちんもでっかくなってる。
「ちんちん触っていい?」
「いいぞ。俺も触っていい?」
「う……ちょっとだけね」
「何で、ちょっとよ」
「お前ちんこいじるの巧いから、イッちまうもん」
友魚はハハと笑う。
「じゃあイかねえギリギリまで気持ちよくしてやるから、そこですかさず入れよう」
「よし。すかさずな」
「すかさずだ」
友魚の指が俺のに触れて、絡みつく。最初からいいところを知っていて、わざと外すようにしながら、さすさすと撫で上げる。
「ああ、いい魔羅だなあ、お前のは」
「恐れ入ります」
「ははは。でっかくて硬くていい形だ。……なあ、曲にしていい?」
「何て曲だよ」
「うーん。『マイベイベー』?『マイベイベーズ・ベイベー』?」
友魚の指先の皮が固くなった人差し指が、俺のの亀頭をくるくると撫でる。先走りがくちゅくちゅっと濡れた音をたてる。
「My Baby〜♪ Don't cry♪」
「はははバーカ、お前、お前が、」
泣かせてるんだろうがっ、と言いながら軽く腰を揺すり、揺すりつつ俺も友魚のを握る。半勃ちで硬い芯を持ったそれを。友魚が俺の動きに合わせて腰を揺する。豆電球の光の中で、白くなめらかなその体はとてもえっちだ。エロい。淫猥だ。視覚情報と友魚の動きと、身体の動きと俺のを触る指先の動きと。体温と、体臭。
堪らない、堪らんなこれは。興奮する。
「ともなぁ、」
顔を近付けて、鼻を鳴らすように声を出す。
「んん〜? もうイきそうか?」
「イくかどうかはともかく、入れたい」
「おー」
「入れたい、入れたいっ、」
せかすように腰を揺らし、勃起ちんちんをぐいぐいと押し付けると、友魚が笑って、いいぞ、と言った。
友魚の両脚を開く。細いけどしっかりと筋肉のついたその両脚は、かつて壇ノ浦くんだりから京の都まではるばるてくてく歩いてきた両脚だ。俺に会いに。
少なくとも俺にとっては、そういうことになっている。俺に会いに。
友魚が器用に枕元を探り、コンドームを取り出す。俺はそれを受け取りつつ、ちょっとゴネてみる。
「これ、いるか?」
「いるだろ」
「昔は使ってなかったろ」
「昔は昔、今は今」
「今は昔」
「犬王といふ赤子なむありけん」
リズムをとるように友魚が身体を揺らすと、その半勃ちちんこがぶるりんと揺れた。
「〽︎這いつくばって犬とメシ〜♪」
「わかった、わかった。俺が悪かった。ゴムはつける、ゴムはいる」
「ゴム無しとはあな御無体な」
「こんにゃろ」
乱暴にパッケージを破いて捨てると、友魚は器用にキャッチして、含み笑いをした。
「なんてな。いいぞ、生でも」
「馬鹿やろ」
俺はちゃんとその珍妙なゴム製品の裏表を確かめ、傷をつけないよう気をつけながらチンに装着する。友魚がゴムをつけたチンを触ろうとしてくるので、それを躱す。
「生まれたての穢れなき魔羅だろうによ。こんなもんつけられて、かわいそうに玉ようかんみたいじゃな……棒なのに玉とはこれ如何に」
俺は友魚の脚を持ち上げる。
「生まれたてじゃねえや。お前のケツに何遍も入ってるだろうが」
「まあ要するに、俺のケツの中が汚ねえって話か、それは」
「どっちでもいいって。お前のケツが汚くても、俺は気にしねえよ」
脚をうんと開き、俺のに手を添えながら友魚が笑う。
「お前、すごいな。こんな下らん話しちょるのに全然萎えん」
「萎えねぇよ」
「なぁ、ムードゆうの、あるじゃろ。世の中のカップルはやっぱ、そういうもん醸し出しつつパコってんのかな?」
「うーん、わからねえ。俺は友魚とやれればそれでいい」
「そうか」
友魚がうれしそうに笑う。
「じゃ、来い」
友魚の両脚の間に、犬王が身を沈ませる。
ゆるゆると、ゆっくりと、熱くて硬いそれで、友魚を火傷させまいとするように。
「あぁ、ぁ……、」
友魚が浸るように声を上げる。
「……ぁ、つ、……いぬおうの、あつぃ……」
「っ、お前の中もあったけえ、」
深く抱き合いながら、友魚の顔を窺うと、ふと目が見交わせた錯覚があり、
「……いぬおう」
「ともな」
別に見えずともよいのだった、と、今更、思い知る。
見交わすより声を交わすより、ずっと近く原始的に繋がっている。
友魚は手を伸ばして犬王の背を抱く。肩に触れる。そのどこまでもなめらかな肌を撫でる。
「いぬおう、犬王。お前は本当に美しくなったのだなあ」
「そうだぞ」
「わかるよ。美しい」
「ああ、魔羅の先までも美しいぞ」
友魚が笑う。
「それは嘘じゃ」
「嘘じゃねえ」
「じゃ何か。俺の中に入っちょるこれは、美しいと」
「そうだぞ」
腰を動かし、中をくじる。友魚が、あぁ、と眉を寄せて喘ぐ。
「イイだろ? お前これ好きだもんな。っ、桃源の郷だろ? そんなら、いいじゃねぇかよ」
「あぁ、ぁ、あぁ、……いい……っ、本当、かもしれん……っ」
「な」
舟を漕ぐように深く体を前へ、そうして後ろへ、漕いで、竿さした温かな海を、掻き混ぜて。
「ん、ぅ、んぁああぁ、」
友魚の首筋を汗がつたう。犬王はそこに舌をつけて、舐めとる。真っ当な舌はどうにも短くて不便だな、と思いながら。
「しょっぺえ」
「っふ、海から来たけ、ぇ」
「俺はしょっぱくねえか」
体を伏せ、ぴたりと胸を合わせると、友魚が犬王の首筋を食む。並びのよくない歯の、その歯列が、首の皮膚に食い込む感触があって、犬王はうぅぅ、とおののいて唸る。
「お前も、しょっぱい」
「そうか」
「なつかしい」
「そうか」
友魚の首筋に鼻先をすりよせる。犬がそうするように、親しみをこめた動作で。
「なぁトモナ、俺たち元はきっとすげぇ綺麗なとこにいたんだ。俺たちみんな」
「……産み落とされる、前か」
「そういうこと」
「うん……、お前は綺麗じゃったよ」
「うん?」
赤子を抱くように愛しげに背を抱いて、友魚は言った。
「お前は綺麗じゃったよ。産まれる前から。透き通った魚類(うろくず)の卵の中の、透き通った稚魚のようで、穢れなくて、美しかったよ」
「……友魚は俺のことを何でも知っているなあ」
「俺、お前に潜れるけぇ」
「そうだな」
指先で髪を透く。
唇を重ねる。
犬王の舌を友魚のそれが迎える。
違っていて、よく似ていて、犬王は、やはり真っ当な舌は良い、と思う。
俺は犬ころのように育ったが、それでもやはり人の子で、良かった。
舌を絡め合い、ゆるゆると腰を振る。上も下も熱くて濡れていて、きもちよくて、にんげんってこんなものだなんて俺は知らなかったな。
知らなかったなぁ。知られてよかった。
友魚が悶えて首を振る。右に左に。シーツの上で長い髪が乱れ、散らばる。安いシャンプーと汗の匂いを撒き散らして。犬王はそれをいっぱいに吸い込む。
鼻いっぱいに、だから喉いっぱいに、そうして肺いっぱいに。
「なぁトモナ、」
「ん、ぅ、んっ……?」
「俺の中お前でいっぱいだ」
「っは、いっぱいにされちょるのは、俺じゃろ」
見せつけるように背を反らし、白い腹を晒す。このナカにお前がいるぞ、と見せつけるように。
「っクソ、そうだけどよ、そうじゃねえんだってぇ、」
焦れたように腰を揺すり上げられて、友魚は「あぁああぁ」と叫ぶ。
「目だろ、鼻だろ、口だろ、耳も、それから手とか。それからちんこだろ、五感と、もっといっぱい、お前で、お前でいっぱいで、」
「わかった、わかる、わかるけぇ、」
「わかってんのかよお前」
「わかったってぇ、」
激しく息を喘がせ、縋り付くように、両手で犬王の頭を抱く。覗き込むように、見えぬ目を開く。
「っあ、はぁっ……、おれも、お前でいっぱいじゃ。冗談やのうての。目は見えんが、鼻と口と耳と、それから五体の肌と、その中まで、お前でいっぱい」
「ん。ともな、すきだ」
「ん、」
「ともな、ともいち、ともあり」
「んぅ、ふ、っ」
「ぜんぶすきだ」
抱き合うと肌が汗で滑る。腰を振るたびその汗が混ざり合っていく。
「っ、あぁ、やっぱりいいなぁ、」
「ぅん……?」
「お前がいるといい。お前と一緒にすることは何でも楽しい。こころよい」
「うん」
両脚を絡めて、犬王の腰を引き寄せる。淫猥な仕草。それでいて、童のような頑是なさで笑うのだ。
「どうしてほしい、友魚。何でもしてやる。お前のほしいところにほしいもんをやる。言ってみろ」
「んん……もう、もろうちょるよ」
「これか?」
腰を振って、奥を突く。
「っあ、あぁ、もっと、」
「こうか?」
「もっと、もっとぉ、」
「ほら、どうだ、これでどうだ」
「っあぁ、あぅぅ、うぅ、」
友魚の口がはくはくと開き、熱い息が洩れる。閉じた眦から涙がひとすじ流れる。犬王はそこに唇をつけて吸いながら、訊く。
「痛いか?」
「んん、いとうない、きもちい、」
「なんで泣く」
「きもちええけぇじゃ、」
愛しい、と犬王は思う。この男が心底いとしい。こんな感情。満ち潮のように満ちるもの。この男が教えてくれた。
「いぬお、っ、いぬお、う、」
「何だ」
「いきそうじゃ」
「うん。おれもいく」
犬王が深く腰を密着させると、友魚のなかはひくひく、と動いている。何か腹のなかに生きものがいるように。
俺がいる、と犬王は思う。
友魚の温かなはらわたの中に。胚胎した犬王という生き物。
異物にして同じもの。
俺たち。二匹のけもの。
ふたりのにんげん。
違っていておなじもの。
呼吸が、血流が、絡まって、螺旋状に重なっていく。
似てる。
舞うこと。奏でること。まぐわうこと。
それらは結局おなじことだ。
共にここにあることを祝福している。
「ぁ、あー……っ、いくっ……」
啜り泣くように零した友魚の声は、犬王の吠える声にかき消された。
「俺もいくっ、いくっいくっ、うぁ!!!」
そうして、二人は果てた。
幸せだなあ、と犬王は思った。
友魚は、引き抜かれていく犬王の魔羅がまだ少し名残惜しかった。
「セックスって、いいよなあ」
犬王は唐突に言った。事後。暗い台所で裸のまま、二人並んで水道水を飲みながら。
「いいよな。セックスは」
友魚は頷いて答えた。
「お前がかわいくて、いい」
「俺が?」
「うん」
「お前もかわいいぞ」
「そうか」
友魚が犬王の体に手を伸ばす。犬王の股間に。
「何だ」
「また大きくならんかなあ、と思って」
「もっと欲しいのか」
「うーん、少し。どっちでもいいが」
「じゃまたベッドで、イチャイチャしようぜ」
友魚の手を引く。友魚は自分の部屋のベッドくらいなら一人で行けるが、されるまま手を引かれた。
「いいぞ」
「思い出話でもしながら」
「俺、寝ちまうかも」
「それでもいいぞ」
犬王は友魚の手を引いた。裸のままだらしなく、だらだらとベッドへ歩みながら、ふとどちらが手を引かれているのか分からなくなる。
暗闇のなかベッドへ。
友魚がいつもいる暗闇のなかで、俺たちはこうして手を引き合って。
「なぁ」
「うん」
「寝ちまったら、目が覚めてから、またやろうな」
「それか明日、またやろうな」
友魚は犬王の手を握って、言った。
屋外の自動車の音や、浴室の換気扇の音が、遠景にあって、そうしてこの部屋の中に犬王と二人でいるのだけれど。
南朝でも北朝でもなく、はるか東の京に御所を移した西暦20XX年にいるのだけれど。
こうして犬王といると、あの夜の、あの橋の上は今もありありと二人の周りにあって、
あの夜だとて見えはしなかった星空が盲いた目には見えるのだ。
「またやろうな」
だんだん自分たちが何の話をしているのか、わからなくなる。
「ああ、またやろう」
歌を? 踊りを? セックスを?
それとももっと他の、何かもっと新しいことを?
どれでもいい。
二人でやるのは、どれでもきっと楽しいだろう。