遠州銀花遠州銀花のはなし
幼少期と浜松時代の彦と殿(と伊賀(彦の父))の話です。皆大好き縁側の話だよ(そうですか?)
二人の出逢いは駿河とされていますが、年齢的にもう少し前でもいいのでは?という妄想から……。伊賀も鶴之助を可愛がっていたらしいので結構連れ回してたのでは?と。
揺るがない忠誠というものは確かにあると思うのですが、それでも人間である限り感情や好悪はその時々でふわふわと形を変えていたのではないかと思うし、それ故に愛憎など相反する想いが同居する歪な人の心が好きだ、描きたいと思って出来た話です。
伊賀の膝の上でキャッキャしてたのは鳥居家中興譜にあるんで‼︎爺々言ってたらしいんで‼︎(必死)
遠州銀花
その子どもはいつも自分の居場所を奪ってきた。だから別にあの時一度くらい、過ちが許されてもいいと彦は思う。浜松の雪は降り続け、今や庭から縁側まで続く自分の足跡を無かった事にしている。
そのまま記憶にも降り積もり覆い隠してくれれば好いのだが。
一人ごちた言葉は自ら閉めた引き戸にかき消された。
僧籍に入ると言う兄から手解きを受け、ようやっと読み書きを覚えた頃から、父は城へ行くのに鶴之助を伴うようになっていた。勿論毎回というわけにはいかなかったが、それでも二度三度ではきかない程には登城したと記憶している。その都度他家の大人が一瞥をくれ、父に嫌味を言うのを見たが、萎縮するのにも三度で飽いた。そもそもそう年の変わらない隣家の次男だって彷徨いている。いずれ慣れればならない冷え切った空気の中、生きていくのに必要最低限の負けん気を植え付けようと言うのが父なりの教育らしかった。
毎日忙しく境目を飛び回る長兄や仏門に入る次兄の代わりに、自分が城にゆかねばならぬのは既に受け入れた。交わす言葉こそ少ないが、父は自分に期待している。伴われる日々が重なる度に、未だ幼い鶴之助の中でそれは確信へ変わっていった。背筋を伸ばすことは苦ではない。ただ、仕えるべき主を眼前にしても、父の膝の上で傍若無人に振る舞うその様に辟易こそすれ、愛着は全くわかなかった。年下だと言うが、家で泣いている弟の方がよっぽど可愛い。
「鶴、若君を見ているように」
「はい」
見ているも何も、部屋から出るわけではないのだから危険も何もないだろうに。大体この若君の父親は何をしているのか。
鶴之助も幼いながらに主家の置かれた状況をそれとなく理解してはいた。しかし我が子である自分よりも若君が父を独占している今の状況は、鶴之助にとってはあまりに理不尽に思える。
父が戸を閉めたのを確認し溜め息を吐く。朝から降り続く雪の所為で、昼なお室内は仄暗い。幼子は消えた世話係の姿を探して所在なげに視線を彷徨わせていた。視線がこちらに向いた気もするが、鶴之助は元より構う気などない。瞳を伏せこれからこなさなければならない務めや覚えなくてはならない人名や地名の確認に入った。
早くこの無為な時間から解放されたい。
そういえば昨夜もよく眠れなかった。城に行く前はいつもそうだ。知らず視線を膝に落とし暫く、舟を漕ぎ始めた時だった。
木戸が静かに引かれ、鼠が駆けたような音がした。続けて猫のような声がして、反射的に小さく開いた木戸を開き切る。案の定そこに子どもはいたが、自分の剣幕に焦ってか、振り向き様に足を滑らせた。
「あ」
次の瞬間、鶴之助が予想した通り子どもは縁側から転げて姿を消した。しまった、と思った時にはけたたましい音とともに、父が飛び出していた。
「若!」
父に抱かれ、火がついたように泣く子どもの声が、どこか遠くに聞こえる。
───────落ちる一瞬、目が合った。
自分が手を伸ばすのを躊躇ったのを、あの子どもは知っている。
「……見張りも出来ないか、出来損ないが」
子どもが父に告げれば、明日は起き上がれないな。振り下ろされる鉄槌に、鶴之助は目を瞑った。
不思議とその夜、帰宅しても城であった以上には叱責されずに済んだ。父に思うところがあったのか、存外子どもが鈍かったのか、父も鬼籍に入った今となっては知る由もない。
縁側から転げた子どもは今や太守となった。周囲を睥睨するさまに可愛らしい面影は少しもないが、厭う気持ちも無い。
「お前が縁側にいると突き落としたくなるな」
丸窓から木々に垂る雪を眺めていた家康がぽつりと呟く。
「それは」
申し訳ありません、と言うのを遮って主は続けた。
「意趣返しのつもりだったんだ」
「は……」
視線を上げると悪童のような主と目が合った。沈黙にしんしんと、雪の音が積もる。どうやら子どもはまだ其処にいたらしい。具合の悪いことに、干支が三度も巡ってなお。
「どうした鶴」
「いえ」
「僕は執念深いか?」
「………さようで」
けらけら笑うその子どもは、矢張り鶴之助の嫌いなこどもそのままだった。