「指定復興難民区域での教育機関の設立と運営計画…ジェターク社から連絡があった時は驚いたけど、まさかアンタの方が地球に来るとは思っていなかったわ、ラウダ」
「僕がお前達を兄さんに会わせる訳がないだろう。自惚れも大概にしておけよ、ミオリネ・レンブラン」
「なっ」
ミオリネは地球・株式会社ガンダム事務所にて、珍しい客人と顔を合わせていた。ジェターク社CEOの弟のラウダだ。現在の彼はCOO(最高執行責任者)としてグエルの補佐をしていると聞いている。学園を離れてそう時間が経った訳ではないが、相変わらず重症すぎるブラコンの嫌味な男だ。乱暴な言葉から打って変わって男は事務的な口調で話の続きを進めていく。
「学校事業への事業展開は我が社の今後の方針のひとつだ。アスティカシアの再建も既に事業としてスタートさせている」
「…話には聞いてるわ」
「そもそもこれはお前に持って来た話ではない。スレッタ・マーキュリーと話がしたい」
Q0で重度のデータストーム障害を負ったスレッタは数ヶ月もの間、意識不明の重体でラグランジュ4の特定機能病院にて高度医療を受けていた。意識が回復し、命の別状が無くなった現在は地球にて麻痺した身体のリハビリ治療に専念している。株式会社ガンダムが事務所を構える都市部からは少し離れた場所にスレッタの入院する総合病院がある。最上階の個室のベッドの上で端末に届いたミオリネからのメールを見て、これから来る人物とその家族の事を考えていた。彼にした事を思えば、恨み言の一つや二つ言われる覚悟をしなければいけない。思考に耽っていると扉の外から規則正しいノックの音が聞こえた。返事を返すと、ドアが静かに開けられた。
「失礼する」
「ラウダさん…」
てっきりミオリネと共に病室に来るのだと思っていたら、ビジネススーツを着て、革のアタッシュケースを持った男が1人で立っていた。ラウダは挨拶を続けるわけでもなく無言のまま、病室の入口から最短距離でベッドまで近づくと、徐に頭を下げた。
「スレッタ・マーキュリー、以前お前に空っぽだと言った事、悪かった。お前が居なければ、僕はペトラを失っていた。感謝している」
この人達は同じ事を言うんだ。そういう生き方をしてきた人達なんだ、と思った。
「ペトラさん…具合はどうなんですか?」
「今は義足を着けてリハビリをしている。まだ傷の痛みはあるが順調に回復はしてきている」
姿勢を直したラウダは真っ直ぐこちらを見て言葉を続ける。
「ペトラからの伝言だ。アンタはなにしたい、だそうだ」
「……ラウダさんはペトラさんとランチもディナーも行きましたか?」
「…?ペトラと一緒に食事に出掛けるくらいするけど」
「そっか、ペトラさんは凄いな」
生きていたらなにしたい、か。
「…兄さんの事を聞かないんだな」
「もう、会わないって決めましたから」
「ああ、それなら都合が良い。僕はお前達の事を許してはいないから、兄さんへ接触させる気は無いよ」
「はい」
ラウダの言葉は嘘偽りなく本心に違いない。だから、わざわざペトラさんの事で礼を伝える為だけにこの人はここまで来たんだろう。もうこれで用件は終わるかと思ったのに、彼の言葉はまだ続いた。
「別件だが、ジェターク社では数年後に地球での学校事業の展開を考えている。今までジェターク社は宇宙を基点に経営してきたから現地でのスタッフが必要だ。お前にその気があれば、協力を願いたい」
ラウダはケースから証書フォルダーを取り出すと、中身が見えるようにベッドに打ち据えられたスレッタの手元にそっと開いた状態で置いた。
「どうして私に?」
「単純な話だ、僕たちはあまり地球には伝手が無いから、使えそうな人材に声をかけているだけだよ」
「……わざわざCEOのサインまで入った“紙の契約書”を持ってきて、そんな事あります?」
「精々、ペンが持てるようになったら、契約書を送り返してくればいい」
「…ペトラさんに伝言、お願いできますか」
「なんだ」
「子供の頃の夢を叶えますって」
「分かった、伝えておくよ」
ラウダは用件が終わるとすぐにスレッタの病室を後にした。入口から数歩先でミオリネが壁に寄りかかって待っていた。流石に怪我人相手にどうこうするわけもないが信用していないのはお互い様なので、スレッタとラウダを完全に2人きりにしないのは真っ当な判断だろう。
「…病室、入らないんだな」
「あの子、私が居たら泣けないもの」
「……」
この2人の関係性が垣間見得た気がして、この女も哀れだなと思った。同情してやる程、お人好しではないので一瞥だけして僕は歩みを進めた。
「グエルが学校事業を始めるって言い出したんでしょ、それって…」
そんなことを聞いて、この女はどうするつもりなのだろう。僕は足を止め、前を向いたまま背後の女に言葉を投げつける。
「勘違いするなよ、これはあの女の為に始めた事ではない。兄さんは壊されたアスティカシアを、地球の現状を見て、そうしようと決めたんだ。ただの私欲の為に始めると言うなら、僕が反対した」
言葉を吐き出しながら、思い出した。後ろを振り返り、侮蔑の目で女を見据える。
「お前が会社を作った理由は、あの女だったな」
「……」
「株式会社ガンダム、グループとは独立させていたから解体にも巻き込まれずに存続しているんだったか。
ああそうだ、ベネリットグループの解体と一緒にカテドラルも無くなってしまったな。良かったじゃないか、誰にも邪魔されずに大好きなガンダムが作り放題だ」
「私はガンドアームを軍事利用なんてしない…!」
「お前がクインハーバーにガンダムを持っていったんだろう。アレは決闘の勝者だった兄さんの所有物だったはずだ。スレッタ・マーキュリーもお前が望むからあんなものに乗って、もう2度と以前と同じようには動けない身体になったんだろうが。お前は自分の為ならいくらでも力を奪い取り、振りかざす事を厭わない。自らの手は汚さずに他者に犠牲を押し付ける。あれほど嫌っていた父親とそっくりじゃないか。巫山戯た花嫁ゲームもお前の父親の馬鹿げた計画の一環だったらしいな。戦時下の英雄、虐殺で総裁までのし上がった、それがお前とお前の父親だろう。
他者を平然と搾取し、都合が悪くなったら全てを投げ捨て逃げまわる。思いつきで周囲に不幸を撒き散らす、お前は魔女だ」
「……っ」
この女は未だに被害者面をするのか。まだ世迷言を言い続ける気でいるのか。憎さを通り越して、呆れるばかりだ。
「ああ、1人だけ今でもお前をお姫様扱いする男が居たな。父親の罪も結婚相手の親の罪も被って、檻の中に消えて行ったんだったか。
あの男も大好きなお姫様が自分のおかげで幸せな結婚生活を送れていて本望だろうな」
本当に哀れな女だ。
「僕はお前達を許さない」
しかし、この女は正真正銘、魔女なのだ。
「ガンドアームの技術はジェターク社にもある。お前達が魔女の力を一体、この先どうしていくのか、楽しみにしているよ」
心の底から軽蔑する。
僕は正面に向き直り、その場から立ち去った。
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スレッタと同じ病院にプロスペラ・マーキュリーも入院している。Q0が消失してからずっと、人が変わったように穏やかな表情をしているが口数は少なく、データストームに侵された身体では気力だけで生きてきたような状態だったのだろう、日に日に弱っていくのを感じている。1日の大半は車椅子で日当たりの良い病院のサンルームから外の景色を眺めているかベッドで寝ているかのどちらかだ。ミオリネはプロスペラが寝静まったタイミングで病室を訪れた。枕元のサイドチェストに置かれた小さなクッションの上に目的の“人物”が居た。彼女を手に取り、病室を後にする。
手元の小さなキーホルダーにはどういう理屈だか知らないが、エアリアルの中に居たプロスペラの娘、スレッタの姉にあたる、エリクト・サマヤがいる。初めてキーホルダーから声がした時は驚いたし、不気味でもあった。常にケラケラと笑うような口調で軽口を叩く、明るい“人物”といえばそうなのだろう。
「人を断りもなく連れ去るなんて、一体、ボク何されちゃうんだろう〜怖いな〜」
エリクトの冗談めかした言葉を無視して、要件を伝える。
「エリクト、スレッタにヴァナディース事変の記憶を見せたって言ってたわね。それ、私にもできる?」
「キミに?出来るよ。でも、キミがデータストームの負荷に耐えられると思えないなあ。死んじゃってもいいの?」
表情の変わらないキーホルダーだというのに、その声からはからかって笑うような顔が見えた。
「…死ねないわよ。まだ、やる事があるんだから」
「ふぅん。まあ、キミが死なない程度に苦しめてあげようか」
「嫌な言い方するわね」
「事実、とっても苦しいからね」
エリクトを連れて病院を後にしたミオリネは、宇宙議会連合のエージェント、グストン・パーチェにコンタクトを取った。
Q0と周辺にあったガンダム機体は原因は不明だが、スレッタのパーメットスコア8突破により実体が保てずに霧散した。しかし、ベネリットグループ解散と一緒に押収されたペイル社のガンド・アーム研究施設や宇宙議会連合の武装派やテロリストから押収されたガンダム機体は存在し続けている。禁忌の技術として根絶しているとされてきたものが何十年も当たり前に存在していて、使われてきていたのだと思うと、宇宙居住者社会の闇深さに恐ろしくなる。
半ば脅すようにして、以前スレッタがキャリバーンの搭乗テストを行った艦体内施設とガンダム機体をグストンに手配させた。出来れば、宇宙議会連合の保護監視下に置かれているベルメリア・ウィンストンを技師として取り付けたかったが、そこまでは許可が降りなかったらしい。しかし、あの時のテストで設備の使い方は把握している。それに理屈は分からないが、エリクトは自身の周辺にあるパーメット機器への干渉が可能だという。データストームとのリンクのみであれば、操作は2人でも問題はない。
パイロット用スーツに着替えたミオリネは機体に乗り込み、座席から伸びるコードをスーツのアダプターと接続する。エリクトの入っているキーホルダーは座席前の計器にぶら下げた。
「こんな所に連れてくるなんて、案外本気だったんだね」
「御託はいいから、さっさとしなさいよ」
「それじゃあ、始めようか」
瞬間、コクピットと向き合わせになった管制室の窓が視界から消える。いや、目の前の景色が見えているのに同時に別の景色が何個も見えている。静かだったコクピット内で音が重なり合い騒音で溢れかえっている。情報の渦が私を飲み込んでいる。
脳が割れるように痛い。身体中の神経が悲鳴をあげ鋭い痛みに襲われる。皮膚が焼かれるように苦しい、呼吸が上手くできない。しかし、私は目を閉じる事も耳を塞ぐ事もしてはいけない。そんな事をしても押し寄せる情報の嵐は消えないだろうが、自分の意思で閉じる事は決してしてはいけない。
歌が聞こえる、誕生日を祝う歌。あれは誰かのバースデーケーキ、幸せな光景。
主役の女の子は周囲みんなから愛されている。優しく見守られている。彼女もみんなが大好きだ。
ニュース映像で自分がよく知る人物が、高々と演説をしている。今世の英雄の演説は、罪人を処刑する宣言であった。
警報が鳴り響く。世界は真っ赤になる。銃声と悲鳴が絶え間なく聞こえる。女の子を愛していた人達が皆死んでいく。無惨に抵抗する事も出来ずに。
女の子は一人、コクピットの中で怖い怖いと泣き叫んでいる。
良かった、お母さんと会えた。もうきっと大丈夫。
大丈夫…本当に…?
宇宙で火花が上がる。爆ぜていくのだ、眩い光と共に。無邪気なあの子は綺麗だと喜び笑う。
ああ、なんて事だ。あの子の手は何で汚れた。
歌が聞こえる、誕生日を祝う歌。
スレッタにとてもよく似た、あの赤毛の女の子は…
手を伸ばそうとした瞬間、目の前が真っ暗になった。
どれくらい、気を失っていたのだろう。いつのまにか座席から滑り落ちていたようだ。頭上から声が聞こえてきた。
「まあ、キミにしては結構頑張ったんじゃない?」
「……」
「見たいものは見れた?」
「…………うん」
今見た光景を思い出し、再び吐き気が込み上げてくる。既に痣は消えているが、データストームによる神経痛のような痛みはまだ後を引いている。
「……この苦しさを浴びながら、スレッタはキャリバーンに乗ったの」
「まさか、もっと苦しいよ。ガンダムのパイロットは皆経験している。スレッタの初恋の男の子も、その代わりの子も。ああ、地球からやってきたパイロットの女の子はデータストームの負荷で死んじゃったんだっけ」
「…なんでこんなもの、作られたのよ。なんで…」
「子供でも乗れる操縦技術の要らない魔法のMSだからだよ。兵士を使い捨てにする代わりに簡単に巨人の手足が手に入る」
「…そんな、事の為に」
「より簡単に人を殺せる兵器が求められた時代だったからね。今でも変わっていないだろう。分かりやすく見えるようになっているだけで。それにキミが1番、巨人の力を使う気持ちを知ってると思ったけど」
目の前のキーホルダーが何を言っているのか分からなかった。
「キミは歓喜したはずだ。スレッタが学園に来た日、決闘でグエル・ジェタークを打ち負かした瞬間、絶大な力を手にしたと。そうして、勘違いした。自分の力だとも」
「そんな…違う…」
「何故、シャディク・ゼネリとの交渉で決闘を持ちかけた。何故、グエル・ジェタークを使ってまでスレッタからエアリアルを取り上げた」
だって、あの時はそれしか方法が無いと思ったから。本当にそれだけよ。
「何故、キミは和平交渉にエアリアルを持ち出した。武装はしていなかった?でも、知っているはずだ。武装なんてしていなくても、エアリアルは簡単に人を殺せる事を。キミは目の前で見たんだから」
真っ赤に血が飛び散る光景を、不快に纏わりつく鉄臭い空気を私は知っている。なんでそんな事が結びついていなかったんだろう。
「エアリアルという絶対的な力に酔っていたんだよ、キミは」
「…ちがう…ちがう…」
「違わないよ」
「キミは未だにガンダムの名を掲げて、会社を続けているそうだね」
「……」
「人類の希望としてヴァナディースが思い描いていたガンドの未来は兵器として歪に歪められ、呪いとして今も存在し続けている」
「……」
「ミオリネ・レンブラン、キミにガンダムの呪いを背負う事は出来るの?」
「…………約束したの、罪は償うって、出来なくても進み続けるって」
「………」
「背負うわ、呪いを。いつか解けるその日まで」