移り香「おふろ出たよー」
リビングでテレビを見ている三蔵に声を掛ける。あぁって気の抜けた返事が返ってきた。
寒いからと湯船で温まったのは良いが、少し入りすぎて暑いくらいだった。番組は風呂に行く前と変わっていたが、始めから見てんだか見てないんだか曖昧な三蔵には関係無さそうだ。どうせスマホでパズルゲームをずっとやっているんだろう。
冷蔵庫からお茶を出してグラスに注ぐと、先に入れた氷がカラカラと音を鳴らしてヒビが入っていくのが面白くて好きだ。三蔵にも要るかと聞いたら要らないと言われたので、そのままソファにいる彼の隣へ座った。
画面は動物番組を映している。ふわふわの塊が幾つもじゃれ合っていた。
最近急に寒くなったから寝巻きを衣替えしてモコモコのパジャマにした。肌触りの良いそれは去年のクリスマスプレゼントに貰ったもので、俺はすごく気に入っている。そして三蔵も悪くないと思っているようで、これを着ていると少しだけ距離が近くなる。今日はどうだろう。
三蔵はスマホの画面から目を離す事なく肩に寄りかかってきた。予想通りの行動にふふっと笑う。
(あ、麦茶ちょっと濃すぎるな。)
そんなことを思っていたら肩に寄りかかっていた三蔵がスマホから顔を上げて、首筋に鼻を埋めてくる。くすぐったくて思わず笑いがこぼれた。どうしたんだろうと三蔵を見てみると、こちらを見上げてくる紫の瞳と目が合った。
「シャンプー変えたか?」
「あ、うん。友達がくれたから使ってみた」
なんかのゲームとコラボしてるとかで、ランダムグッズが手に入るから好きなやつが出るまでに四セット買ったらしい。そのうちの一セットだと説明する。ただで貰ったら悪いからちゃんとお礼はしてあるよと言って。
「初めて使うメーカーのやつだったから新鮮だよね。なんか女の子って感じの香りする」
「なんだそりゃ。今までのやつだって十分女っ気あっただろ」
三蔵は乾かしたとはいえまだ少し湿っている俺の髪をくるくると指に巻いて手遊びしている。なんだかそれが可愛らしくて、真似するみたいに金色の髪に手を伸ばした。少しも指に引っかかることの無いサラサラした感触。世の中の女の子全員が羨ましがるだろうに、本人は特別なにか手入れをしてるわけでも、興味があるわけでもなかった。
「三蔵も使ってみたら?」
「バカか。俺からこんな甘ったるい匂いしてたらやべぇだろうが」
「あはは、ちょっと面白いかも」
カラカラと笑って自分がされてるのと同じように指に髪を巻き付ける。
うちに泊まりに来る事が多いから、一通り三蔵の使う物も揃ってきた。
三蔵が気づいているかどうか分からないが、それぞれ違うシャンプーを使ってても、この部屋で過ごし一緒のベッドで眠れば、当然少しだけこの香りは移るわけで。
三蔵が大学で女子たちの噂になっているのも、きっと本人は知らないのだ。そういうことにこそ全く興味が無いような人だから。
だから少しだけ、三蔵は俺のだって言いたくてわざと香りがするシャンプーを使っている。
「何見てんだ」
「別にー。お風呂冷めちゃうから早く行きなって」
そう言ってやれば、三蔵は立ち上がって脱衣所へ向かう。湯船に長く浸かって来るだろうか。三蔵寒がりだしな。
俺は三蔵がつまんでいたお菓子を摘まむと口へ放り込む。冬になると冬季限定のお菓子がたくさん出てくるから毎年楽しみにしている。チョコうまいなって食べていたら、脱衣所の扉が急に勢いよく開いて三蔵が出てくる。
「びっくりした、なに、チョコ食べたのダメだった?」
「言い忘れた事があってな」
ベッドで待ってろ
俺の耳元でそう呟き親指が唇をなぞった。そして踵を返して脱衣所へ戻っていく。
あーこれは、長風呂なんてしてこない。多分十五分もあれば出てくる。
それまでに早鐘みたいな胸の鼓動は収まってくれるだろうか。