『子犬のワルツ【1】』それは秋公演を数日後に控えた休日のことだった。
「あ、鳳。お前今、手が空いてるか?」
「はい。なんでしょう、白田組長。」
自主練をしていた稽古場の出入り口で、水を買いに出たところで鳳京士はクォーツ組長の白田美ツ騎に呼び止められた。
「今度の公演で使う小道具、取り寄せ注文してたやつがやっと届いたから、お前、街まで取りに行ってくれないか?」
「はい。喜んで。」
「その場で品物の確認をちゃんとして欲しいから、判るやつに行って欲しくてな。面倒だけど、頼む。」
「わかりました!この鳳にお任せください。」
白田に役目を任されて、鳳は胸を張って応える。
「あ、店の位置だけど、ちょっとわかりにくいとこに在ってな。発注するとき立花と行ったから、立花が知ってるから。今日は立花はすでに街に降りてるから待ち合わせして合流して向かってくれるか。」
「……は。……わかりました。」
立花の名前に条件反射で鳳の眉がぴくりと動いたが、すぐに何事もない顔に戻って彼は白田に返事をする。
「立花の携帯、わかるよな?」
「まあ一応。……今までに連絡を取ったことは一度もありませんが。」
「後の連絡諸々お前に任せて大丈夫か?」
白田が首を傾げるようにして鳳に念を押してくるのを、鳳はしっかりと頷いて応えてみせた。
「お忙しい組長のお手を煩わせるわけにはいきません。鳳にお任せください。」
「うん。ありがとう。」
じゃあ、任せた、と、多忙な白田が去って行くのを見送り、鳳は携帯を取り出すと、初めてかけるナンバーに連絡を取り始めた。
「立花か……。何をそんなに驚くことがある。携帯を持ってる以上、僕からお前に電話をすることもある。……私用ではない。クラスの用事だ。……今、お前、どこにいる?」
一番わかりやすいということで、鳳は玉阪の駅前で希佐と待ち合わせた。
待ち合わせのモニュメントの前に希佐の姿を見つけ、鳳は思い切り顔をしかめた。
「なにやってるんだ、あいつは……。」
鳳の視線の先で、希佐が風体の悪い二人組に両手を掴まれてどこかに引きずって行かれかけていた。
「ちょっと……!や!痛ッ……!離して……!」
精一杯抵抗してその場に踏みとどまろうとして、加減もせず掴まれた腕が痛くて希佐が苦鳴を漏らす。
「素直についてきて来てくれれば痛いこと、ないんだけどなあ?」
「どうせ相手もう来ないでしょ。あんた、三十分は待ちぼうけしてたじゃん。」
「きます!ちゃんと来るといったら来る人ですから!」
相手の言い様を否定して、キッと睨みながら希佐が口にする言葉は相手の耳には届いていない。
そもそも、二人組は最初から希佐が何を言おうが聞くつもりもない。
「またまた~。そう思ってるのあんただけでしょ。こないこない。」
「あきらめておとなしくついてきなって。」
欲を含んだ声音と目線を向けられて、希佐の肌が恐怖に泡立つ。
「誰の許可を得て、そいつをどこに連れて行こうとしている?」
その場に凛と通る声が響いた。
「鳳くん……!」
あからさまに安堵した表情の希佐に潤んだ瞳を向けられ、鳳は彼女の顔を一瞥するとつかつかと三人の処に近づいてきた。
「は?あんた誰?彼氏?」
「僕は、彼氏などという俗なものではない。」
「は?じゃああんたこの子のなに?」
「……強いて言うなら、保護監督責任者だ。」
少なくとも今この場では……と、小さく言い添えて、鳳は希佐に絡んでいた相手の手を叩き落して希佐を自分の方に抱き寄せると、二人組に冷徹な目を向ける。
「責任者ァ?こんなかわいい子一人でほっといて?」
「未成年者の誘拐は未遂でも立派な罪になるが?それを分かった上での言動か?」
煽るような相手の言葉にも微動だにしない鳳の冷静な言葉に相手の方が怯み、卑屈な笑みを浮かべる。
「……たかがナンパにおおげさなんじゃない?」
「同意のない相手を引きずって行って目的を果たそうとするのは単なる軟派行為の限度を超えている。必要ならそれなりの場を設けて議論させてもらうが。限りなくお前たちの立場は悪いわけだが、いいのか?これ以上僕たちに関わるというのなら、無論相応の覚悟はあるんだろうな?」
顔色一つ変えず、理路整然と相手に向き合う鳳に、早々に相手の方が折れて捨て台詞を吐き捨てる。
「くっそ、めんどくせーのに当たったな、もう行こうぜ?」
「ああ……。」
「……。」
二人組の姿が消えると同時に、鳳はすっと自分の身体から希佐の身体を離す。
「……おおとりくん……ありが……。」
おずおずと礼を言いかけた希佐を鳳は無表情に見つめる。
「なんであんな奴ら相手にしてたんだ、お前は。」
「えっと……最初は道が分からないから教えて欲しいって言われて……。」
「典型的なナンパの手口だな。そもそもあんな浮ついた風体の人間にそんなことを言われて何の警戒心も抱かなかったのか?危機感の薄い奴だな。」
「あ……はは。ほんとに、そうだね。」
鳳の言葉に自嘲気味に笑う希佐をみて、鳳はため息をついた。
「……お前はひとりで待っていることもできないのか。」
「……ごめんなさい……。」
身を小さくして謝る希佐を目の前にして、鳳は希佐から視線をそらして言った。
「まったく、お前は虎太郎以下だな。」
「こ、こたろうって誰のことかな?」
「僕が昔飼っていた犬だ。もっとも、虎太郎はお前と違って由緒正しい血統の秋田犬だったがな。」
「そ、そっか……。」
ぎこちなく笑った希佐の身体が小さく震えているのを見て、鳳は瞳を眇める。
「行くぞ、立花。」
「あ……うん。でも、鳳君はお店の場所しらないんだよね?いったいどこにいくの……?」
「いいから。ついてこい。」
すたすたと鳳が歩き始めたので希佐は慌てて彼について行った。
しばらく歩いて鳳がとある店の前で足を止めた。
「……あれ?鳳くん、ここ、カフェだけど……。」
「そのとおり。カフェ以外の何物でもない。」
「う……うん……?」
コーヒーをメインに扱うそのカフェに鳳はすっと入って行き、注文カウンターの列に並ぶ。
途惑った表情をうかべた希佐も、結局黙って鳳の隣に並んだ。
「トールバニラソイアドショットチョコレートソースノンホイップダークモカチップクリームフラペチーノとクワトロベンティーエクストラコーヒーバニラキャラメルへーゼルナッツアーモンドエキストラホイップアドチップウィズチョコレートソースウィズキャラメルソースアップルクランブルフラペチーノを一つずつ」
「承りました。少々お待ちください。」
注文の順番が来た鳳が呪文のようなオーダーを通すのを希佐はぼんやりと見つめる。
ほどなく、店員から鳳の手にドリンクがふたつ渡された。
「飲め。」
鳳が、片手に持った、ホイップクリームがもこもこしてチョコレートがかかったフラペチーノをぐい、と希佐におしつけた。
「え……?鳳くん、これ……?」
「クワトロベンティーエクストラコーヒーバニラキャラメルへーゼルナッツアーモンドエキストラホイップアドチップウィズチョコレートソースウィズキャラメルソースアップルクランブルフラペチーノ、だ。」
「う、うん?」
目の回りそうな呪文が繰り返されて、希佐は困惑した表情で小首を傾げた。
「……女子どもは甘いものを摂取すれば落ち着くと相場が決まっている。お前も単純な奴だ。御多分にもれずだろう。」
「え……。」
零れそうなくらい大きく見開かれた希佐の丸い目にちらりと視線をやると、鳳は大股に窓際の陽の差しこむ席へと歩いていく。
驚いた瞳のままで立ち尽くしている希佐を振り返ると、鳳はため息交じりに言った。
「なにをぼんやり立っている。他の客に迷惑だろう。はやくこっちにこい。」
「あ、うん!ごめんね……!」
希佐は慌てて鳳の後を追った。
ガラス越しに陽の差しこむスツール席に並んで腰かけ、希佐はちらりと隣の鳳に目をやった後、おもむろに手にしたドリンクに口を付けた。
ドリンクの見た目はホイップクリームにたっぷりチョコレートソースのかかったカフェモカドリンクのようだ。
「……!チョコとコーヒーだけじゃなくてキャラメルやナッツや、りんごの味がする……?」
一口ドリンクを飲んだ希佐が、先ほどまでとは別の意味で目を丸くするのをみて、鳳が静かに答える。
「焼きリンゴのフレーバーだ。秋季限定なんだ。それは。好きだろう、そういうの。」
「うん!すごく美味しい!」
「……。」
喜んで瞳を輝かせる希佐を目にして、鳳は黙って自分のドリンクのストローに口をつける。
日向の席で鳳の隣であまくておいしいドリンクを飲んで、希佐はニコニコとした笑顔を彼に向ける。
鳳は不自然なほど、希佐の顔から視線をそらして、自分のドリンクを飲み干した。
***
「あ、さっきお会計任せちゃったよね。いくらだったかな?私払うよ。」
店を出たところで希佐が小さく尋ねてきたのに鳳は憮然とした顔で応えた。
「いらん。」
「え?」
「僕が勝手に注文して勝手にお前に飲ませたんだ。……お前は何もする必要はない。」
「……。……ありがとう……鳳くん……。」
鳳の心遣いに、希佐がまたふにゃりとした笑顔になるのをみて、鳳はついっと希佐から視線をそらした。
「……勝手にしたことだと言ってるだろう。礼もいらん。」
「……お礼くらい言わせてよ。今日の鳳くん、優しいな……。」
ぽそっと呟かれた希佐の言葉に、鳳が白けた視線を流し、言い放つ。
「いらんことをいうな。……それより、はやく小道具の店に案内しろ。ポチ。」
「ポチ!?私のこと?」
「うすらぼんやりしたお前には立花なんて立派な名前はいらんだろう。はやくゆけ、ポチ。」
憮然とした顔で話す鳳の目元がうっすら赤くなっているのをみとめて、希佐が笑う。
「……ふふ。わかりました。ご主人様、こっちです。」
「ふん。」
エチュードよろしく役割を振って歩き始めた希佐の後ろに鳳がついていく。
きっかり三歩の距離を開けて、鳳と希佐は歩く。
以後、彼女に悪い虫が寄ってくることもなく、ふたりは無事にクラスのお使いを済ませたのだった。