「男二人でよく寝れるよな」 その日も夢見が悪かった。
眠りについたのも束の間、ディノは勢いよく布団を剥がし、飛び起きる。冷や汗を滲ませ、荒い息を沈めるために深く呼吸をした。
肩を上下させながら隣のスペースを見るが、人の気配は無い。スマートフォンを立ち上げ、表示された時間は深夜零時を大幅に過ぎていた。
今晩、キースは遅くまで飲みに出かけているため、まだ帰っていない。
ディノは静まり返った部屋の中で、寂しさでどうにかなってしまいそうだった。
気付けば部屋を飛び出して、タワー内を歩いていた。所々明かりが灯っている部屋はあるが、昼間と比べれば一層閑散とした雰囲気がある。先程見た夢と相まって、非現実で、また寂しさと不安感が募っていく。
まだ、夢の中にいるような気分で、少しずつ地に足がついていないような感覚に襲われる。鉛のように足が重くなり、歩く速度が遅くなった。
共用スペースを見たら戻ろうと、行動に区切りをつけて足を運ぶ。すると、暗がりの中、見慣れた人影がそこにあった。
「あれ、ブラッド?」
つい無遠慮に声をかけてしまい、咄嗟に手で口を覆う。
ブラッドは勢いよく振り返った。
「…………! ディノ、か」
「う、うん。俺だよ。急に話しかけてごめんな」
「…………」
振り向きざまに驚いたような表情が見えたが、すっかりいつも通りの冷静な面持ちになった。
雰囲気がいつもと違うのは眼鏡をかけているからだろう。
ブラッドを見かけたというだけで、重くなっていた足は、気付けば少し軽くなり、確かに地に足が着いた感覚へ戻っていた。
「構わない」
「どうしたんだ。こんな時間に」
「…………少し頭を冷やしていただけだ」
「そうか……」
ブラッドの簡潔な物言いに、ディノはこれ以上踏み込んではならない雰囲気を感じ、無難な相槌を打つ。
「ああ。ディノこそ、どうしたんだ。こんな時間に出歩いて」
「俺? 俺は、なかなか寝付けなかったんだ」
言いずらそうに頬を掻きながら言うと、ブラッドは少し呆れたように溜息を吐いた。
「はぁ…………今日だけでなく、ここ数日も眠れなかったのだろう?」
「え?」
図星を突かれてしまい、ディノは咄嗟に言葉が出なかった。特に誤魔化そうとは思っていなかったが、ブラッドの指摘通り、ここ数日、もっと言うとHELIOSに復帰してから、悪夢を見る頻度が増えていたのだ。
すると、ブラッドは「俺も」と言葉を続けた。乗じる言い方にディノは下げた視線を再びブラッドへ向ける。
「俺も、今日は眠れなかったんだ」
「ブラッドも……そっか。悩みがあるなら、いつでも聞いてやるからな」
「…………ああ、感謝する」
すると、不意に窓の方から明かりが照らしてきた。窓の外を見ると、団々たる月が光度を持っていた。電気もつけていないのに明くなるはずだ。とブラッドは思いながら、何年か前の出来事を思い出した。
「そうか今日は満月だからか……」
ブラッドが月を眺めながら呟くと、ディノも何かを思い出したように表情が明るくなった。
「満月……そうだったのか。そりゃ、寝付きも悪くなるわけだ」
クスクスと笑っていると、ブラッドから穏やかな声色が返ってきた。
「アカデミーの頃から変わらないんだな」
「覚えていたんだな。頻度は減ったけどやっぱり年に何度か、満月の日は目が冴えるんだ」
人狼が、満月の時に狼に変身する。こんな話を聞いたことがある人もいるだろう。
ディノはサブスタンスの能力で人狼化できる。狼にこそならないが本能的なものが働くのか、原因は不明だが、満月の日は特に興奮して眠れないという日が多くあった。
最初は、単に寝つきが悪いだけだと思っていたが、満月の日に決まってそうなり、疑問に思っているところに、生前のオズワルド博士がサブスタンスの影響だと教えてくれたのだ。サブスタンスはエネルギー変換される前は、自然災害や心霊現象を引き起こす物質だ。謎が多いディノの、特異なサブスタンスには何かしらの本能があるのだろう。
アカデミーの時、ブラッドとキースに、元々体内にサブスタンスが存在していたことは告げられなかったが、『満月の日に寝つきが悪くなる』という事は打ち明けていた。
打ち明けたからと言って変わることは無いと思っていたが、ブラッドに「誰かと一緒に寝れば、人の体温の心地良さで眠りにつきやすくなると聞いたことがある」と提案された。その時は気付けなかったが、ブラッドには弟がいて、今思えば弟をあやす様な感覚で提案したのだろう、と、検討が付いた。当時、アカデミーに入ってからあまり時間も経っていない頃ということもあり、本人は口にしないが、ブラッド自身、弟と離れ離れになった寂しさを少しでも紛らわしたい思いもあったのだろう。
「あの頃はよく一緒に寝てくれたよな。キースには『男二人でよく寝れるよな』って言われてたっけ。ははっ、懐かしい」
「そんなこともあったな。しかし、寝れないと言いながら、ディノは案外早く眠りについていた気もするが」
「それは……ブラッドが一緒だったからだよ。お前の隣は安心するんだ」
恥ずかしげもなくディノはそんなことを口にした。何一つ偽りがない真っ直ぐな言葉に、ブラッドはどう返したらいいのかと言葉を探した。
「寝つきが悪いものあるけど、最近は夢見も悪くて…………そうだ!」
神妙な面持ちをしていたが、途端にディノは何かを思い出したかのような素振りを見せた。
「ブラッドと一緒なら寝れるような気がする!」
「どういう理屈だ」
「アカデミーの時みたいに、一緒に寝るんだよ! そうだ! そうしよう! 俺たちの部屋に来なよ。キースは今日飲みに行ってるから気にする人もいないし」
「…………」
「な、いいだろ? あ、でもオスカーが心配するかな」
「仕方ない。オスカーには一報入れておこう」
「わあっ、やった!!」
たった一夜、一緒に寝ることを了承しただけで、両手を上げて喜びを表現していた。その素直で、同い年ながらも子どもらしい表現に、ブラッドは少しだけ表情が緩んだ。
「もう夜も遅いんだ。静かにしろ」
「あっ、えへへ、ごめんな」
二人は出来るだけ足音を立てないように、ウエストセクター研修チームの部屋に入った。
ルーキーの二人がいる部屋からは人の気配はするものの、静まり返っていることから既に眠りついているのが分かった。
こっそりと行動すること自体、かなり久しぶりで、アカデミーや自分たちがロストガーデンに侵入した時の記憶が蘇る。
お互い確認を取りはしなかったが、同じことを思い出しているのだと分かった。
メンタールームに入ると、ディノは早速自分のベッドに上がった。
相変わらず物が多いなと言いながら、ブラッドもディノが寝転がった横に腰掛け、布団の中に体を入れる。
「にひっ、こうしていると、なんだか昔に戻ったみたいだな」
柔らかく微笑んでくる表情に、ブラッドは思わず鼓動が跳ねてしまった。
ブラッドはかなり恥ずかしいことをしているような気分になってしまい、もう一度体を起こす。
「どうしたんだ?」
「…………やはり、わざわざ同じベッドで寝る必要は無いように思う。キースのベッドは空いているのだろう? 俺はそっちで──」
ベッドから足を下ろして立ち上がろうとすると、ディノは縋り付くように腰に腕を回してきた。
「待って待って! ブラッド、それじゃ意味がない」
「うわっ…………急になんだ」
「やだ……」
駄々をこねるように引き止める男は言動こそ幼いが、引き止めてくる腕は逞しく、力強かった。
一体何がディノをそうしてしまうのか、ブラッドは彼の弱い部分に触れた気がして、振りほどくことが出来なかった。
「はあ、仕方がないな」
ブラッドは溜息をつき、身をよじるとディノからの拘束は緩くなった。ベッドに入り直して寝転ぶと、腰掛けたままのディノと目が合った。お前も寝ろ、と目で訴えかけると、ディノは満足気に布団の中に潜り込んだ。
「ブラッド、寒くないか」
「ああ、問題ない。ディノは眠れそうか」
尋ねたと同時に、ディノは大きな欠伸をして、うっすらと涙を浮かべていた。
「ふああっ、うん。ブラッドは?」
「俺も眠たくなってきた」
「そっか、良かった」
すると、寝付きが悪いと言っていた事が嘘だったかのように、寝息を立てはじめた。すーすーと穏やかな寝息にブラッドは安堵する。
布団の中のもうひとつの体温と、鼓動する音の心地よさに、ブラッドの瞼は自然に下りた。
───ディノは、暖かいな……。
久しぶりに深い眠りにき、スッキリと朝を迎えられたのはいつぶりだろうか。
ディノは少し唸りながら目を覚まし、体を起こそうとする。
しかし、何かが巻きついているような重みを感じ上手く体を起こせなかった。ふと視界にダークブルーが映り込み、視線をもう少し下に落とす。すると、胸の辺りにブラッドの頭があり、眠っている間に抱きしめられているのだと気が付いた。
───そうか、昨日一緒に寝ようって言ったんだっけ。
ディノは、身動きがとりずらい状況でも振りほどかず、ただじっとブラッドが目を覚ますのを待った。
無防備な寝顔やつむじが可愛らしく映り、自然と頬が緩む。
綺麗に整えられている髪型が、今はくたりとしていて、見ただけで柔らかそうな印象を持った。触れて見たい衝動に駆られて、腕を動かすとその衝撃でブラッドは身じろいだ。
少し残念な気持ちになりながら、動かした腕は自分の頭の下に移動させる。
「ブラッド、おはよう。起こしちゃったか?」
「ディノ……」
「どうしたんだ?」
ブラッドは意識がクリアになり、自分の寝起きの体勢に困惑していた。
「……これは一体なんだ」
「え? ブラッドが寝てる間にしてきたんだと思うけど、一体どんな夢を見ていたんだ?」
誰かを思って抱きしめるなんて、凄くラブアンドピースな夢だな! など、嬉しそうにしているディノの声を遠くのように聞きながら、ブラッドはいそいそと離れ、ベッドから出ると部屋のドアへとまっすぐに向かった。
「もう戻るのか? まだ早いし、もう少しゆっくりしてもいいんじゃないか」
「キースやルーキーたちが起きたら面倒だからな」
ブラッドの目線の先を追うように顔を動かすと、そこには部屋を共有しているキースが気持ちよさそうに眠っていた。
「全然気が付かなかったな。いつの間にキースは帰ってきてたんだ?」
「酔っ払って帰ってきただろうから、俺には気付いていないと思うが……。まったく、あまり羽目を外すなと注意しておいてくれ」
言葉や口調は厳格な雰囲気を纏っていたが、表情は微笑ましい光景を見ているように穏やに見えた。もしかすると他の人が見れば、いつもと変わらない硬い表情と思われるかもしれないが、ディノの目には確かにそう映ったのだ。
「ああ、分かった。なあ、ブラッド」
「どうした」
「昨日はちゃんと眠れたか? 俺はバッチリ! ブラッドのおかげだ」
「俺もだ。久しぶりにぐっすり眠れたような気がする」
ブラッドはそのまま部屋を出て行くと、また部屋は静かになった。その空間は昨晩とは異なった寂しさを感じさせられる。
───ブラッドは一体誰の夢を見たんだろうな。
抱きしめられた感覚を思い出し、夢の中で何があり、誰を想ったのだろうと、そんな思考が巡った。ディノは胸が締め付けられるような感覚に襲われ、無意識に服の胸元部分を掴んだ。
程よく酒で酔っ払い、いい気分でウエストセクター研修チームの部屋に戻り、自身に割り当てられたメンタールームの扉を開ける。
「帰ったぞ〜! 聞いてくれよディノ〜、ブラッドの野郎、連絡しても電話に───」
キースは飲みに繰り出して、終わる頃にブラッドを呼びつける、ということがよくあった。
今回も一度ブラッドを迎えに来させようと連絡を試みるも電話は一切繋がらなかった。ブラッドを呼ぶことを諦め、まだ正常な判断が出来る内に酒を止め、自らの足でタワーへと戻ることにした。いざ帰ってみると、深夜の時間帯にも関わらず、思わず驚愕の声を上げてしまいそうな光景がそこにあった。
同室のディノが自分のベッドで眠っているのは何らおかしな話では無いが、そこにブラッドが一緒に寝ているとなれば驚くのも仕方がないだろう。
キースは内心、そりゃ電話に出ねぇはずだ、と納得した。
部屋の電気は消されていたが、キースの目には二人の寝顔がはっきりと見えた。
「男二人でよく寝れるよな。暑苦しくないのかね〜?」
誰に言うでもなく静かに言葉を零した声は呆れたものでは無く、微笑ましいものを見た時のようなものだった。
キースは思い出したように大きな欠伸をすると、自分の布団に潜り込み、眠りについた。