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    sumitikan

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    sumitikan

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    実弥の死後に彼の家族写真を見る炭治郎。

    #鬼滅の刃
    DemonSlayer
    #不死川実弥

    不死川実弥の写真炭治郎が仏前に線香を手向けて礼をした後、座を改めて茶菓が出た。初めて会う女は炭治郎に会釈して、話し始めた。

    何からお話ししましょうか。夫の実弥からは、何通か竈門さんからの手紙を見せて貰っていましたから、初めて会うのに知らない方であるという気がしません。ええ、竈門さんが夫と同じ、鬼殺隊の英雄であることは知っています。

    夫とは子も作りましたが、あの人の人柄を知らないままこうなってしまったような気がします。あまり話す人ではありませんでしたし、片手に足りない年数しか一緒に居ませんでしたから。

    生前の夫の付き合いは、少しわからない所があって、不思議に思っておりました。ええ、鎹鴉のことです。一体あれは普通の鴉なのか、ちょっと得体が知れませんでした。夫が亡くなってからは来なくなって、少しほっとしています。

    鎹烏もそうですが、私の家はいわゆる鬼殺隊の係の家、藤の家紋の家を一軒、切り盛りしていました。家には家人を入れず、番をする者を置いていました。何度か鬼殺隊の方が利用していたようですが、私は詳しいことは聞いていません。すべて父と兄が取り仕切っていました。その藤の家も今は取り壊し、跡地に小さな家が何件か建っています。

    初めて鬼殺隊の話を聞いたのは、数えで十五の年の頃です。婚約者を脚気でなくして意気消沈していた時に、当時まだ元気だった父から聞かされたものでした。我が家は祖父の代に鬼に襲われたところを鬼殺隊に助けられて以来、藤の家というものを保っており、そこを訪問する鬼殺隊の方々は鬼殺ということで荒事を専門にするから、私は藤の家に行ってはいけないと厳しく戒められたものでした。

    そこの隊士の中で柱と呼ばれていた夫との結婚の話が来たのは、私が十七になった年の頃のことでした。おめでたいことに、鬼の首魁を倒したのだと話に聞きました。

    夫とは、仲人をした産屋敷家の持つ邸宅の一つで会いました。そこで会った夫の傷の多いことに驚きました。まるで日露の戦役から帰った人のようでした。それまでは、鬼退治とは物語のような心地がしていましたけれど、お国のために戦った兵隊さんと同じように傷付くこともあるのだと、夫を見てわかりました。

    見た目の傷は物凄いのですが、ご存じの通り、夫は物静かな人でした。仲人をした産屋敷家の、煉獄さんのお話しですが、夫は家族を鬼に襲われて失ったと聞いています。それは竈門さん、あなたも同じなのでしょう。だから鬼殺隊に入ったのだと夫から聞いています。

    夫が鬼殺隊でどんな活躍をしてきたのか私は知りませんでしたし、家では静かなものでした。夫があまりに静かなので、この人は運の悪いことに刃物を持った物取りに襲われて、こんな傷を負ったんじゃないのかと思うような事がよくありました。

    でも、やはり夫は荒事と言いますか、そういう道に通じているというのが分かることもありました。私達は月に一度ほど街中の本家に顔を出しに行きます。それは今も行っていますが、その帰りの道で、やくざ者に絡まれたことがありました。

    絡まれた私が困っていると、夫が来て、ただじっと彼らを見るのです。何とも鋭い気配がしました。それだけで、特段何をしたというのでもないのですが、やくざ者達が怯えて竦んで離れていった事が一度あったのを覚えています。

    それと、刀の目利きをしたことがありました。兄が趣味で刀剣を集めていまして、古物商を呼んで、いいものが無いか聞いていたように思います。
    そう言う事があった日の帰りに、夫はぼやいて、鬼殺に使う直刀と人を斬る太刀は成り立ちから違うものだから、太刀は詳しく分からない、というようなことを言っていました。

    夫が鬼殺隊の柱だったと感じられたのは、そう言うことがあった時くらいのもので、普段はほんとうに物静かな人でした。よく笑うようになったのは、息子が生まれてからのことです。

    痣と寿命のことを聞いたのは、息子が生まれて半年ほどしてからのことでした。それを聞いた時、私は笑い飛ばしてしまいました。そのことをこの頃はよく残念に思い返しますが、ですがこうなることが分かっていたとしても、何の言葉を夫に掛けられたのでしょう。
    人の一生は本当に、どうなるか分からないものです。

    夫が行った時のことですが、随分長い昼寝だなと思っていたら、その形のまま向こうに行ってしまっていました。新暦の二月八日のことでした。

    つい昨日、冨岡さんという方と会った話を少しして、その続きを夕餉の時にでも話すものだろうと思っていましたから、とても驚きました。突然の事でした。

    夫の痣と寿命について思い出したのは、葬式に煉獄さんが来てくださってからです。それで生前にそんな事を話していたのを思い出しました。

    夫が死んで初めて鬼を恨みました。世のため人のため、傷だらけになって鬼退治をしてきた夫に報いるものがこの呪縛かと泣きました。煉獄さんから、夫は書くことのできない人だったことを聞きました。そんな素振りも見せませんでしたから、隠していたんだと思います。言ってくれれば手紙の代筆くらいしたのに、引け目を感じていたんでしょうか。水臭い人です。

    夫が子供の頃から鬼退治をしてきたことも、鬼殺隊での夫の日々も、私は何も知りませんでした。竈門さんはご存じでしょう、夫がどんな人だったのか。夫は風柱だと聞きましたが、その仲間の方の紹介もほとんどなかったことに、お恥ずかしい話ですが、今更遅まきながら気が付いたのです。夫は家で鬼殺隊の話をしたくなかったのでしょう。

    でも、竈門さん、あなたからの手紙だけは私に見せてくれました。手紙は全部手文庫に取ってあります。よく読み返しては楽しそうにしていました。

    あの人の写真があります。街に出た時に息子と私とで撮影したものです。どうか一目見てやってくれませんか。

    炭治郎が見たのは、ごく普通の若夫婦と赤ん坊の写真だった。写真の中の不死川実弥は、穏やかな表情で落ち着いた夫であり、父となった姿に見えた。
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