原稿の一部 うだるような暑さだった。
最高気温は毎日更新し、アスファルトは焼け焦げている。セミすら鳴くのをためらうような――そんな暑い夏の日。ウツシは誰も来ないような学校の奥まったところに陣取っていた。まるで彼の玉座のようなそこには、彼の他に一羽のカラスがいるではないか。黒く美しい羽根を手入れしながら、カラスはウツシを見ると喉を震わせながら話し始める。
『相模の天狗から聞いた話なんだがな』
人の声ではありながら機械を通したような音に、ウツシは手にしていたパンを食べるのを止めて、そちらの方を見る。途端に嬉しそうに羽ばたいて見せたカラスは、ウツシが何かを言う前に語り始めた。
『アイツ、最近面白いものを見つけたらしいぜ』
「へえ」
『なんでェ、興味が無いって感じだな』
「興味があるかどうかは、全部聞いてからにするよ」
『そうかい』
見た目こそ、そのあたりにいるカラスなのだが、ウツシに話しかけている彼は所謂『烏天狗』というものに属する。つまりは人とも動物とも異なる隣人であり、彼らの話はたいていは聞き流すのが良いのだ。だからウツシもカラスの話に耳を傾けつつも、すべては信じないようにしている。
『つい最近、とある家族が事故にあったそうだ』
それだけであれば、日常の不幸な事故だっただろう。他人にとって身近な誰かが亡くならない限りは、日常に変動すらない。ウツシは「だからどうしたのだ」というようにカラスを見れば、彼はくつくつと笑ってその先を口にする。
『まぁ、そんな顔すんなぃ。その事故にあった子がな、生存していたそうだ』
「へえ」
ずいぶんと運のよい子だ。だが、カラスの話を聞くに両親は亡くなったのだろう。少しだけかわいそうだなとウツシはぼんやりと思った。自分も似たような境遇だったからか、それとも他の何かか。
『ここからが面白いんだが、その子【見える】らしい』
「…………見えるって、どのくらい」
『そこまではわからんよ』
なるほど、実に彼ららしい。天狗というのは実に気まぐれだ。面倒見の良い天狗など、鞍馬のところくらいなものだろう。だが、見鬼(けんき)の才があるのは気になるところだ。ウツシのように見えるし払えるのであれば、力を教え込む必要があるし、ただ見えるだけでも対処の仕方を伝えなければならない。
「で、俺にどうしろと」
『どうもしないさぁ、俺が提供したのはあくまでも噂だからねぃ』
「……」
そう、彼らはあくまでも何もしない。隣人であるから境界線を出ようとしない。そのことを思い出して、思い切りため息をついた。ウツシは念のためにと持っていたビー玉をカラスに投げる。
「これでどう」
『話がわかるね』
「最初からそのつもりだろう」
『まさか』
そう言ってビー玉を受け取ったカラスはウツシに場所を伝える。ここから遠く離れていない場所らしく、自転車を漕げば今からでもたどり着く距離だった。
『ついでに、今日は四十九日だそうだ』
「……」
カラスの言葉に、ウツシは今まで食べていたパンを無理やり口に詰め込み、袋をたたんでポケットにいれると、その場から立ち上がる。カラスはそれを見てからかうように囀った。
『授業とやらはいいのかぃ』
「どうせ出席日数は足りている。早退ということにでもするよ」
そう言ってウツシはさっさと自分の自転車が置いてある場所へ向かう。荷物はどうせ教科書だけで必要なものもない。