こちょとらさん「こいつらが盗ったお宝っておまえ?」
鉄の檻に掛けられた布の隙間からにゅっと顔を覗かせた青年に、ちらりと視線をやる。随分と華奢な出立ちで声も若い。しかし外で潰れた蛙のような悲鳴が無様に大合唱したのち現れたということは、それなりの手練れ。見覚えはないから、その現場限りの雇い契約かなにかで自身を囲い捕らえていた屋敷の主人が差し向けたのだろう。
「あれ、もしかして言葉わかんない? それとも人のかたちをしてるだけで人間の言葉を使わない生き物?」
ツン、とそっぽを向くと、青年は掛け布を取り払いぐるぐると回り込んでまたこちらを覗き込んでくる。
「わ、綺麗! おまえ綺麗だな! 月光で髪がきらきらしてる!」
そのまま青年はこちらの容姿を褒めそやす言葉をぽろぽろと漏らし「霊感が」だの「音が」だのと視線を外したり戻したりしながら騒ぎ立てていたが、その一切を無視する。やがて無反応という状態に気が回るようになったのか彼は再びこちらに視線を戻し、ねだるように首を傾けながら間延びした声でこちらを呼び始めた。
「なぁ〜なんか喋ってくれよ〜」
「……」
「なぁってば〜」
あぁ、しつこい。
ぬっと腕を突き出し、青年の胸ぐらを掴んで檻に叩きつけんばかりに引き寄せる。勢いでぶわりとかき混ぜられた空気は、鉄の錆びた臭いから草花の匂いへ転換する。長らく感じなかった外の、恋しくてたまらない自然の気配だった。
「檻の鍵を盗賊の頭が持ってる。それで扉を開けて、俺を逃がしな」
脅すようにめいっぱい低い声でそう告げると、青年はきょとん、とした顔でぱちぱち瞬きを繰り返した。近くで見ると殊更幼い、あどけない表情だ。きりりと釣り上がった目尻が与えるであろうきつい印象も、その表情が相殺して凄みもなにもあったものじゃない。
「わっはは! 『びすくどおる』だなんて呼ばれてる秀麗なナリにしては想像よりも低い声だな! それにすごい力! あぁでもこの声は好きだ、耳に心地よく響く……霊感が湧水のように押し寄せてくる……!」
「いや、だから」
「待って! 今音を追いかけてるから! 傑作が生み出されようとしてるから!」
「ちょ、あんた後ろ!」
何故か頬に手を当ててうっとりとしている青年の後ろで、いつのまにかゆらりと立ち上がっていた大男──盗賊の頭がわなわなと震えながら曲刀を構えている。
吐き出された雄叫びを掻き消すかのようにキィン! と響く澄み渡った音。背後に視線を向けることもなく脳天に振り下ろされた幅広の曲刀を受け止めたのは、数秒前まで青年の懐におさまっていた雅な扇子。月光を受けてきらりと反射するそれは、音からしておそらく金属で出来ている。東洋で護身用や暗器として用いられるもの、だっただろうか。
「おれの霊感の邪魔するなよ」
刀を弾いた次の瞬間青年の体は反転し、鳩尾にその鉄扇を叩き込む。そして苦しげに呻いて体を丸めた男の顎に向かって青年は容赦ない膝蹴りをお見舞いした。胃液を口や鼻から吹きながら弾き飛ばされた男の濁った瞳はぐるんと上に回り、そのまま後ろに倒れていく。
「っだぁー! 三小節ぐらい飛んだ! 世紀の大傑作が生まれそうだったのに! おれが人殺し嫌いじゃなかったら首飛ばしてたぞ! がるるる!」
「ねぇ」
「ん? なんだ? あぁ、えーっと、出たいんだっけ?」
全身の毛を逆立てんばかりにぷりぷりと怒っていたかと思えば、こちらの呼びかけにけろりとした様子で反応する。情緒どうなってんのこいつ。そのまま昏倒した男の懐をごそごそと漁り、御目当ての鍵を見つけた青年は至極あっさりと檻の鍵を開けた。
「……あんた、蒐集屋敷の追っ手でしょ。俺はあそこには戻らない。いくら俺が美しいからって愛玩動物みたいに飼われ続けるなんてまっぴら」
先程の身のこなしを見る限り、こいつに剣を向けて勝てるとは思わない。それでもこれは絶好のチャンス。自由を得るための、最初で最後かもしれない機会なのだ。あいつのことだ、傷付けず連れ帰れなんて命令しているはずだから、俺に傷を負わせるわけにはいかないに違いない。ならそれを逆手に取ればいい。
その辺りに転がっている盗賊の一味が落としたのであろう短剣に手を伸ばし、自身の喉に突きつける。
「いい? あんたが言うことを聞かなければ俺は」
「好きにすれば?」
間髪入れずあっさりとそうのたまわれ、俺は思わず決死の覚悟で掴んだ短剣を取り落とした。
「……は?」
「屋敷とか追手とかさっきからよく分からんぞ。おれは通りすがりの……用心棒? みたいな? 奴だし、ケイトからこの辺荒らしてる賊が今日でかいヤマやるから隙見てとっ捕まえてこい〜って言われて来ただけだ」
ケイトもおれも無駄な殺生はしないたちだから気が合うんだよな〜だとかどうでも良い話をしているが、つまりこの男は自分ではなく自分を捕らえた奴らの方に用があり、自分自身にはまるで興味がない、ということだろうか。現に今もそいつは俺から視線を逸らし、腰に吊るしていた縄で盗賊団を縛り上げている。逃げるなら勝手に逃げろと言わんばかりに。
「それはそれでちょっと腹立つんだけどぉ……」
「え? なに? 何か言った?」
「なんでもない!」
「あっ待って! 好きにしろとは言ったけどちょっとだけ! せめて三曲……いや五曲! 書かせて! こんなに綺麗なやつを見たのは初めてなんだ! あぁっ紙がない!」
戦闘時の圧はどこへやら、まるで幼い子供のようにばたばたと頭を抱えたり周囲の荷物を漁ったりする姿にただただあっけに取られる。
「なぁ綺麗なちょうちょさん、紙持ってない?」
「持ってるわけないし、俺はおまえでもちょうちょさんでもない。瀬名泉っていう名前がちゃんとあるの」
「セナ! 名前まで綺麗だな〜! おれは月永レオ! うーん、譜面を地面に書いても持って帰れないし、行くあてないならとりあえず拠点までセナも一緒に来る? 身を隠したいならケイトは顔広いから足つかない隠れ家とかもすぐ見つけてくれると思うぞ〜」
「人の多いところは嫌なんだけど」
「郊外だから平気平気!」
人懐っこい笑顔と共にぎゅっと手を握られる。これまでの経験から反射的に引きそうになったが、その手の邪気のなさ、あたたかさに背筋が少し和らぐのを感じた。
「つめたい。怖かった?」
「そんなわけないでしょ」
「わはは、様子見なんてしてないでもうちょっと早く仕事すればよかったな。ごめんごめん!」
「だから違うってば!」
ねっとりと気色の悪い視線、指先、声、部屋に渦巻く鼻が曲がりそうな香、硬い床──今までの何もかもが違った。柔らかな鼻歌が耳をくすぐり、新鮮な空気が髪を撫ぜる。夜なので青空や白い雲に鮮やかな新緑とは行かないが、満天の星空に花の香り、土を踏む感触は感じられる。全てが懐かしい。
しばらくそれを堪能するように目を閉じたり見回したりとしながら手を引かれるままについて行っていたが、ふと上機嫌な鼻歌が途切れたことに気付いてその丸い後頭部に視線をやる。
「なぁセナ、おまえ走れる?」
「え?」
くるりと振り返った快活な笑みを浮かべたままの青年──レオがそう尋ねてきた。これから食事でもどうだ、みたいな軽い調子だったが、次の言葉で俺は頭を抱える羽目になる。
「遠くからすんごい足音が聞こえる! ほら、あの篝火見て! おまえの言う追手かも!」
「はぁ!? は、走れるに決まってるでしょ!」
あぁ意地っ張りの見栄っ張り! 年単位で囲われてろくに部屋から出して貰えなかったくせにいきなり長距離走! 気合いでどうにかなる範疇を超えている気がするが、それでもやっぱり無理ですなんて情けない宣言自分のプライドが許さない。
「絶対逃げ切ってやるんだから!」
「無理すんなよ〜? いざとなったらおれがおぶるから!」
深刻さのかけらもない声で楽しげにのたまう男に手を引かれ、俺は数年ぶりの大地を強く蹴った。
◆
「それで、セナはなんでおれの家に? 自由の謳歌は?」
「あんたの首領があんたに首輪つけとけなんて言うからでしょ」
「そしておれの家が突然お花だらけになった……」
「なに、文句ある?」
「ない! きれいなお花とセナで作曲が捗る♪」