君のいる世界「ダイ!ダイーーーっ!」
おれは血で染まったダイの体を抱きしめ声の限り叫んだ。流れ続ける血はおれの法衣も真っ赤に染めていく。
おれは必死でダイの手を握りベホマをかけ続けたが、その手はおれの手を握り返すことなく、力なく枝垂れた。
おれが…、おれが魔界に来なければ、こんなことには。
どれだけ悔やんでも遅い。
ダイの魂は、おれたちを置いて、親父さんとお袋さんの所へ逝ってしまったのだ。
おれは血を吐くような後悔とともに、ダイを取り戻す方法を必死になって探した。あらゆる文献を漁り、皆の止めるのも聞かず、何年も世界中のダンジョンの最奥に潜り続け、
ーー遂に見つけ出した。
伝説の、時の流れを司る奇跡のアイテム、
「神の目」
これを使う者は、世界を作り変えることが出来るという。
呼びづらいので、縮めてカメ、とでも呼ぼうか。
カメを手に入れた、その頃にはおれはもう、ダイに会っても誰か分かってもらえないかもしれないくらい、人相も変わり果てていたことだろう。
最初はおれの命と引き換えでもいいから、ダイを生き返らせて欲しい、と頼んでみた。
だがカメは、それはできないという。命を与えたり奪ったりすることはできないと。
ならば、大魔王バーン、もっと言えば、魔王ハドラーとの戦い自体をなくしてしまうことはできないか。
それなら犠牲を出さなくて済む。
だが、おれはすんでのところで考え直した。それでは、ダイがブラスじいさんやゴメ、レオナと出会うことができない。
先生、マァム、ヒュンケルとの出会い。
だった数ヶ月だったとは思えない、濃密な。たくさんの痛みとともに思い出す、かけがえのない時間。
それはおれだけのものではなかった。
すべてをなかったことにはできない。
おれは決意した。
ーー世界は何も変わらない。
ただ、そこにおれがいないだけだ。
「ポップ、決まったかな?」
カメは、一度だけ話したことのある、ゴメのような喋り方をした。おれのイメージのせいかな。
見た目は何かの形は取らず、ぼうっとした光の球だった。
そりゃそうだ、ゴメはゴメしかいないもんな。
「あのさ、」
おれは願いを口にした。
「世界を変えずに自分の存在のみを消す、てできる?」
「ーーできるよ、でも本当にいいの?」
カメによると、武器屋の息子のポップは存在し、大魔道士の記憶は皆から消える。
ただし観測者としてのおれが必要だ。
でなければ、歴史は勝手な枝葉を生み出し、やがて大きな流れを変えてしまうことになりかねない、と。
不安はあった。
変わらなくて良い未来が、変わってしまうのでは。ダイがバーンに打ち勝つ世界でなくては、地上は消えてしまう。
だがカメは、それは然程心配しなくていい、と言った。
修正力が働くという。
細かいところが多少変わっても、水が高きから低きに流れるが如く、大筋はあるべき場所に行き着くのだ、と。
そのためにおれが必要というわけだ。
それなら問題ない。
吟遊詩人の歌うストーリーがちっとばかし変わるだけだ。
ダイがいないよりよっぽど良い。
おれは思念体となって世界の観測を開始した。思念体とはいっても体の感覚は変わらず、服も一緒だ。
ただ皆からは見えない。
時間や空間の感覚も生身の時とは違うようだが、見るだけなので、支障はなかった。
魔法も普通に使えた。
果たして、修正力は偉大だった。いや、神の力なのかな。
どっちでもいいや、結果が同じなら大したことじゃねえ。
アバン先生はランカークスに立ち寄らなかった。
先生との修行はダイ1人。
先生のメガンテはやっぱり為されてしまい、おれの胸は痛んだ。
バランとの戦い。
メルルの予知が功を奏し、皆は先手を打つことができた。過酷な戦いではあったが、おっさん、ヒュンケル、姫さんのおかげで、ダイは記憶を取り戻した。
ダイを皆が全力で支え、ダイもそれに答える。
なんだ、おれがいなくてもそれなりにやってんじゃねえか。
安心したような、寂しいような。
やっぱおれってどうしようもねえなあ。
ミナカトールを完成させ、4人がバーンパレスへ乗り込む。
メルルの姿が見えた。
ああそうだ、おれのせいでこの娘は傷を負ってしまった。あんな辛い思いをさせることがなくなって、本当に良かった。
おれの何倍も勇気があるんだ、きっと幸せになれるよな…。
戦いはストーリー通り進んでいく。
キルバーンの罠も、いち早く駆けつけた先生の機転で切り抜けた。
そして、とうとう、バーンとの最終決戦。
パーティー皆が最大限の力を発揮して挑んだ。ラーハルト、ヒムの活躍。
先生、老師、師匠。
先代パーティーの面々も、自分の身を顧みず戦ってくれた。
おれの目から涙が溢れてきた。
脳裏に血を吐く師匠の姿が蘇る。
師匠…
ごめんな…
あんたのできること全部やるって言ったのに…おれ、不肖の弟子にすらなれなかった。
長生きしてくれよな…。
ゴメのおかげで、世界の皆が一つになる。
ダイがバーンを討つ。
黒の結晶をダイが運んでいく。
ーーそして。
*
ダイが魔界に飛ばされたあと数年が経ち…、
ダイは自力で地上に帰ってきた。
そうだ、最初からこうすれば良かったんだ。
激しい後悔がおれの胸を焼いた。
帰ってきたダイを囲む皆を、城の塔の屋根に腰掛けて見下ろした。
不思議と声はクリアに聞こえた。
アバン先生が弟子それぞれの顔を、感慨深げに見ていた。
「あなたたち、本当によく頑張りましたね…」
その顔には優しい笑みが浮かんでいたが、ふと、
「実は、あなた達の他に…、もう1人弟子がいたような気がするんです」
真剣な顔で言う先生。おれはどきっとした。
「『先生、先生』と慕ってくれて、私も
『仕方ないですねぇ』と、甘やかしていた記憶が、確かに…」
そこで怪訝な皆の顔を見て、
「いや、すみません。夢見ちゃってましたか。歳のせいですかねえ」
とアハハっと笑う。
先生…
ありがとうございました。
おれ先生と出会えて良かった。
この思いだけは、何処へ行っても、この身がどうなろうとも、忘れない。
おれの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった。
ほんと見えなくて良かった。
マァム…
マァムは、ヒュンケルと幸せになってくれるだろう。
じゃなきゃ許さねえぜ、ヒュンケル。
おれはマァムを見つめた。どこか浮かない顔だ。
「どうした、マァム」
傍のヒュンケルが問う。
「なんでかしら、ダイが帰ってきて嬉しいのに、悲しくて仕方ないの。ここに来るまでにたくさんの犠牲があったことを思い出しちゃったからかしら…」
マァムの瞳から涙がぽろぽろと零れた。
ヒュンケルはその肩を抱き、
「そうか…オレもだ。大切な何かを失くした気がする。オレもかつてはそれを奪った側の人間だ。今になってそれがどういう事かを
思い知った。残りの人生を、正義の為に生きることを改めて誓った」
ヒュンケルの握りしめた拳が震えていた。
「そうね… 無念を抱えた人たちの分も、私達が一生懸命生きなくては」
「なあ、マァム。正義のために邁進していた仲間が、他にもいなかったか…?オレは…」
「ヒュンケル…?」
マァムが心配そうに見上げる。
ヒュンケルは何かを振り払うように頭を振って、笑顔を見せた。
「いや、すまん。オレの勘違いだ…」
けっ、相変わらず気障な野郎だ。
だけどよ…
おれは鼻を啜った。
ありがとな…。
姫さん。
ダイの事頼んだぜ…。
レオナと寄り添うダイを見て、ああ良かった、と心底思う。
当のダイは想い人との再会を果たしたというのに、どこか腑に落ちない顔だ。
「ねえ…、」
ダイが首を捻って、唇が動くが、形をなさない。だれを呼ぼうとしたのか。
「○○○…」
レオナが振り返る。
「どうかした?」
「いや…」
「変なんだ。何か大切なものを置いてきてしまったような気がして仕方ない」
レオナの顔が曇る。
「実は私もなの…」
「忘れ物をしてるのは確かなのに、それが何かわからない。気ばかり焦って…おかしいわね…」
「姫様、お疲れのところ申し訳ございません。復興の為の世界会議の打ち合わせと
勇者帰還の祝典の件で、ご相談が…」
アポロさんが呼びにきた。
「今いくわ」
レオナは毅然として言った。
「復興を急いでいるところにダイ君が帰ってきてくれて、心が一度にいろんなこと処理しきれないのかもしれないわね。
だけど振り返ってる暇はないわ、前に進まなくては」
レオナはダイの方を向きながらも、自分に言い聞かせているかのようだった。
「そうだね、レオナ」
ダイが困ったような顔で微笑んだ。
さすがレオナ。
もう、安心だ。
観測者はもう必要ない。
おれはカメに告げた。
「ありがとう、もう思い残すことはない」
カメは暖かいような、冷たいような、温度の感じ取れない不思議な色の光を瞬かせながら言った。
「まだ願いを叶えられるよ」
そうか、じゃあ…。
おれは少し考えた。特にやりたいこともない。気楽に余生を送るかな。
「なあ、命を与えられないって言ってたけど、生まれ変わらせるのはどうなの?」
「それなら大丈夫」
「じゃあさ。なんか猫にでも生まれ変わらせてよ。できれば、金持ちでグラマーでおれの言うことなら何でも聞いてくれる娘の飼い猫で頼むわ…」
「…キミはそれでいいの?」
ーー本音を言えば、
寂しい。めちゃくちゃ寂しい。
皆に会いたい。
ダイに会いたくてたまらない。
直接触れて声を聞きたい。
おれを忘れないでと、あの胸に縋って泣きたい。
だけど…、
ーーもうこれ以上後悔はしない。
ふっと笑いが込み上げた。
十分だ。
ダイが生きててくれたら、それで。
「おれの我儘聞いてくれて、ありがとうな…」
ここまで付き合ってくれたカメに、心からの感謝を告げた。
「ーーわかったよ。キミの望みを叶えてあげる」
カメからキラキラと綺麗な光の粒が放出されておれを包んだ。
おれは目を閉じた。
***
おれは坂道を登っていた。
近道しようとこのルートを選んだが、勾配がきつい上に全くの一本道ではないから、この道で本当に正しいのか自信がない。
汗ばむ額をぬぐいながら前を見ると、制服姿で自転車を押す、癖っ毛の少年の背中が目に入った。
自転車に付いているステッカーは青。その色は確か3年生のはずだ。
ということは、あの人について行けば大丈夫か?
まあ、一応聞いてみよう。
おれは足を早めて近づいて、声をかけた。
「すみません」
振り向いた顔を見て、息を呑む。
なぜか、その栗色の瞳から、
ーー目が離せなくなった。
その人はおれの顔を見て、驚いたように目を見開いて。次の瞬間、その瞳からすうっと涙が一筋、頬を伝った。
自分が泣いていることに気づいて、その人は自分で驚いているようだった。
「あれ、なんで、ごめん。なんなんだ、これ、おかしいな。眩しいからかな」
と、手で拭いながら言い繕う。
おれを振り向いたことで、その人自身は太陽を背にしているのだが。
そして大きな瞳が忙しく動き、おれの
学校指定の鞄と、自分のと全く違う制服を見て(購入が間に合わなかったのだ)、
「転校生?」
と聞いた。勘がいいんだな。
向こうが坂の上にいるせいもあるが、自分より随分背が高い彼を見上げていると、横に来て、少し屈んで目線を合わせてくれた。
そして
「一緒に行ってやるよ」
と、おれから鞄をひったくりカゴに載せた。
「ありがとう」
「あの、名前聞いていい?おれはダイって言うんだ」
「…ポップ」
「よろしく、ポップさん」
「ポップでいいよ」
ポップが照れたように手を差し出してくれて、おれたちは握手を交わした。
その手は初めて握ったのにどこか懐かしくて、おれは胸がぎゅうっとなった。
わけがわからない。
だけど、何か素敵なことが始まった、それだけは確かだった。