おばけ約束しよっか。ここで見たもの聞いたこと。
約束してね。誰にも言っちゃいけないよ。
約束だからね。この事は。
二人だけの秘密だよ。
私がまだこの家に来たばかりの頃。
まぁ、まだ慣れないだろうけどここを我が家だと思って自由に過ごして欲しいと師が最後に言った事。
「だけどこの部屋は俺と彼女の部屋だから君は入っちゃいけないよ」
師の言う『彼女』とは。
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「きょうかん?」
朝起きると師は既に家を出た後だった。
師が用意して置いてくれた朝餉を済ますと少女は師が留守なのを良い事に駄目だと言われた襖をそおっと開けて中を覗く。
好奇心の塊である幼子に駄目の言葉は煽るだけだ。
約束を早速破る事にどきどきしながら覗くと部屋は窓を塞いでいるのか暗く心做しか空気は重たく感じられ薄らと肌寒かった。
「……」
暗闇に慣れた目が映すのは机と作業台と散らばって置かれた作りかけの面達に敷かれっぱなしの布団。
面を削る為の工具が散らばっており師が駄目だと言った本当の理由はこれかも知れないと思い至った。
そしてより闇が濃く見える場所をよくよく目を凝らして見るとそこには仏壇が置いてあった。
師は昔、大事な人を亡くしたと私に話してくれた。
『彼女』とはこの仏壇の事なのだろう。
きょろきょろと目だけを動かし特に変わったものは無いなと襖を閉めようとしたその時。
視界の端に何かを捉えた。
一瞬、蛇かと思ったそれは落ち着いてよく見ると黒く、長い、髪だった。
ひっ、と恐怖に心臓が跳ね引き攣った声が喉から漏れ出た。
しゅるしゅるとそれは音を立て少し開いた隙間に差し込む光から逃げる様に奥へと消えていく。
『彼女』だ!!おばけを見てしまった!
見てはいけないものを見てしまった恐怖に思わず体が仰け反りその拍子にいつの間にか背後に立っていた師の腹に頭がぶつかった。
「わっ…!!!!」
「愛弟子?」
「ぁ……!教官…!ご、ごめ、なさ…」
「駄目じゃないか」
約束を破り中を覗いたせいで怒られるかと思い身を竦ませ俯く私に師は怒鳴る事もせず静かに襖を閉めた。
「……何か見たのかい?」
ぶんぶんと今見たものをついでに忘れようと必死に頭を横に振った。
「……そう?この部屋は俺の工具も散らばっていて危ない。だから入っちゃ駄目なんだよ」
そう言いながら師は少女の頭を優しく撫でた。まだ柔らかく細い黒髪を優しく指で梳きにこりと笑う。
細めた金色に一滴。
黒が混じっているのを少女は知らない。
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あれから随分と時が経つ。
まだ顎ぐらいの長さだった髪が手入れをしつつも腰まで伸びた。
アレを見てから師の部屋を覗く事はしなかったが夜中、厠に目が覚めると師の部屋から師が泣いているのかくぐもった苦しげな声とそれに混ざって『彼女』の甲高い泣き声が聞こえる日があった。
「う゛っ…ぐ、ぁ……まなで、し…ッ」
まなでし、まなでし。と何度も自分ではなく『彼女』を呼ぶ師。
「ぁ…あぁ…ぁっ…」
そして微かに聞こえる『彼女』の声。
師は『彼女』に憑かれている。