愛を知らないこどもコウノトリは赤ちゃんを連れてはこないし、若い夫婦が神への祈りを捧げただけでは僕らは生まれない。ヒトの生命を繋げる行為について、雄と雌の身体の生殖機能について。その結果として生まれくるのが僕たち子供。そして、全てのものたちが神の元に祝福される訳ではないということも、望まれなかった子として孤児になった者も決して少なくない、ここワイミーズハウスではそうした「現実」ってやつを学べたし目の当たりにすることができた。
それなのに、いくら教科書を読んでも、多くの小説を読んでも分からないことがある。好きな人、大事な人、死んでも守りたい存在、なんてありふれた言葉の洪水にただただ飲み込まれていく。咀嚼しようにも掬った手の隙間から溢れていって、残るのは自分という男と女の行為による結果だけ。
愛って何?僕にもその気持ちがあるの?メロは自分の好きなものを指折り考えてみる。よく晴れた日のワイミーズハウスの美しい庭、チョコレート、一緒にフットボールをする仲良しのハウスの仲間、ハウスで一番だった試験の結果。あと、一度だけ会ったことのあるーーL。どれも好きだなと思いはするけれど、此等のために自分が死ねるとは思わない。ハウスの女の子の顔を浮かべ、どいつもそれなりに親切なやつだとは思うけれど、抱きしめてキスをしてみたいなんて微塵も思ったことがない。聖書には愛とは決して絶えることのないものだと書いてあった。それが何なのか、僕にはまだ分からない。
愛の育み方だけが分からない。幸せな子どもはどこから生まれるの?愛するって、どうやって抱きしめてどんな言葉をささやくの?
「エミリーとレオ、付き合ってるらしいよ」
あいつらよくやるよ、とヒュウとすぼめた口をマットはメロの耳元に寄せた。潜めた声から伺える好奇とほんの少しの羨望を感じ取り、メロは単語の書き取りを行う手を止めた。
「なんでお前はそんな事知ってるんだ?」
人の恋愛沙汰云々の前に、明日の試験はどうなんだという非難の気持ちを声色にたっぷりと込めたつもりが、やや興奮気味のマットに真意は伝わらなかった。違う調べてたわけじゃないから、と見当違いな心配に対してオーバーに顔の前で振られる両手に、メロはそっとため息をついた。
「昨日の夕方、偶然見ちゃったんだ。バラのアーチの下にベンチがあるだろ」
ワイミーズハウスの裏庭はイングリッシュガーデンになっている。メロもお気に入りの場所だっただけになんとなくいたたまれない気持ちになる。
「あそこで二人がキスしてるところ…あ、自習室の窓際からちょっと外とか覗いたらさ、見えちゃったんだよ!見たくてみたわけじゃないし!」
「へぇ、そりゃすごい度胸な、対して奥まった場所でもないのに」
興味があまりないことを悟られないように適当に相槌を打つ。ここワイミーズハウスでは、はっきりと男女交際は禁止されている。部屋の行き来は以ての外だ。ロジャーに見つかろうものならゲンコツひとつでは済まないはず。
だが今気にすべきはエミリーでもレオでもない。恋愛だのキスだの好き勝手していればいい。今自分が気にすべきはクラスで一番のアイツだけだ。黙々と再開した別言語の書き取りに、話題が終わったらしいことを悟ったマットがメロの手元を覗き込む。
「…あ、メロは明日の試験の手応えどう?」
「別に問題ない。明日こそニアを負かして僕が一番になる、それだけだ」
これも毎度お決まりの台詞。ニアのことも気に入っているマットからは肩をすくめて、頑張ってねとだけ告げられた。