許されたいのは「許されたいのは僕だよ?」
「いいえ。いいえ……そんなことは」
一彩は納得いかなそうに肩をすくめる。分かってないのだ、というのが目にとれて、マヨイは微笑ましさと苦さで笑った。
ALKALOIDを率いるユニットリーダーという立場であっても、一彩はメンバーの中でひときわ内面が幼い。
都会に出るのが遅かったのも影響しているかもしれないが、最年少の藍良よりも性の関連話題には疎いし、そもそも頭に入っているのかも怪しいところだ。
学園での試験成績は優秀らしいので、いわゆる保健体育程度の知識は少なくとも持っていると思うのだが――。と、そこで夢ノ咲が芸能優先のカリキュラムを組んでいることを思い出し、マヨイの中に淡い期待が芽生えた。
(何も知らない一彩さんに、いちから手ずから教え込みたああい♪)
最低限の知識さえも持っていないかもしれない。純朴な彼は、男も女も性別の壁なく友達になろうとするし、年頃の男の身体をしているのに不健全な気配がまるでない!
藍良でさえ猥談や隠語を理解している節があるのに、まるで察する様子はない(これはそもそも日常会話で飛び交うワードひとつひとつにも首をかしげる一彩なので、ある種当然かもしれない)。
そんなこんなで、邪な欲をしっかり一彩に抱いていたマヨイなのだが。目の前の期待に潤む目に、ひくっと笑った形の口が引き攣った。
「マヨイ先輩とキス、してみたいよ」
「――キスが何か、分かっているかをお聞きしても?」
「くちびるとくちびるを合わせる行為だよね。接吻とも言う!」
「あ、ハイ……合ってますねえ……」
どうかな?と明るい笑顔で言われては肯定するしかない。行為の説明としては正解だ。ただ一彩はさっき、何と言っただろうか。
マヨイと?
――キスを?
「ひええええええええ!?」
「マヨイ先輩!?」
「き、キスって言いましたか!? 私と一彩さんがキス!? ありえませえええん!!」
思わず全力で一彩から距離をとる。真っ赤に染まった顔を隠したくて腕を翳した。沸騰しそうな頭をなんとか躾けながら意思疎通を図る。照れてしまって顔を見せられず音しか確認できないが、とりあえず、とった距離を一彩が詰めたりはしてきていない。
「……嫌なことを言ってしまったかな?」
心細そうな声に罪悪感が刺激される。
常に快活な一彩の弱った様子というのは、心に刺さるものがある。
「そうではなくてですね……。その、キッキス……の行為自体の説明は合ってるんですが、その相手が、問題と言いますかあ~……」
キスで言いよどむな礼瀬マヨイ。
あなたを意識していますよ、と丸出しの行動じゃないですか。
きちんと説明をして差し上げたほうが一彩さんのためだというのに、知らないままでもいてほしいという個人的欲望が滑らかな説明を拒む。いや、ただただ緊張しているだけかもしれない。
――だって、好きな子が自分とキスしたいなどと言い出すから!
「? キスはお互いの唇を合わせる行為で合ってていて……」
「そして、『好きな相手とすること』ですよ」
「マヨイ先輩は僕の好きな人だよ!」
「あ、あう、うふふ。ありがとうございます。……いえ、そうではなくてですねえ……?」
胸を張って見せる一彩はとっても愛おしいが、どうも勘違いしているように見える。一彩のいう好きな人は友達全般に放たれるであろう感情なので、『イコールキスができる相手』という認識を持たれたまま放置するのはよろしくない。
考えて、マヨイは話題をすこしそらすことにした。
「そういえば、どうしていきなりキスがしたいという話になったんでしょう?」
「フム。説明したら、マヨイ先輩は僕とキスしてくれるのかな」
「えええっ!? それとは、別の話ですが。ええ、いや、もちろんご所望とあらばやぶさかではないのですがっ。いえ私などが恐れ多いです! 一彩さんを穢すなど!」
「唇をぶつけることで汚れることはないと思うけど……」
「ええ! そういうことではないのですが! 分かってないのが可愛らしいです……☆」
「慌てたり笑ったりマヨイ先輩はせわしないね……。ええと、どこでキスを知ったか、だったかな?」
フムと斜め上に視線を投げて、一彩が話を整理した。いわく、
「アイドルの勉強として過去のライブ映像を観ていたんだけど、その中にアイドル同士でそのキス?をしているものがあってね。アイドルがすることならば僕も体験したいと思って」
「…………」
「それでマヨイ先輩に……マヨイ先輩?」
「………………なるほど……。ええ、ええ、一彩さんが言い出した相手が私でよかったと一息つくべきなのだと理性は判断しているのですが、欲望の方が残念と思ってしまいますね……ああっ邪悪ですみませえぇん……!」
「?」
「ええと。短く言いますと、その理由なら一彩さんと私がキスすることはできません。必要もないかと」
「僕はマヨイ先輩としてみたいけど……?」
「んんっ。いえ、嬉しいんですけど! 私には甘美すぎるお誘いなのですが! ――一彩さんが観たというライブのユニットというのは、どちらかというとCrazy:Bのような雰囲気だったんじゃないでしょうか」
一彩は思い返す。ライブが盛り上がり、感極まったように肩を抱いていた二人は、言われてみれば兄のところのような空気だったかもしれない。
頷くと、マヨイはホッとしたようだった。
「そうでしょう? ユニットのカラーに合うならライブでやっても盛り上がるでしょうけど、ALKALOIDの空気とは合ってないと思いますよ」
「フム。……そうかもしれない」
先日観たライブ。参考のためと視聴したけど、ALKALOIDとは肌が違うユニットではあった。
素直に頷く一彩に胸をなでおろしながら、マヨイは「なので」と続けるつもりだった。
「なので、キスはいらな」
「だけどマヨイ先輩とキスしたいといったのは、舞台上の話ではないよ?」
「――」
「マヨイ先輩は前に、スキンシップは少しずつだと言っていたから遠慮していたのだけど」
まずい。そう思った時には、一彩は距離を詰めていた。
逃げを打とうとしても、マヨイが後ずさるとすぐ背中が壁に行きついた。同じ高さの目がまっすぐこちらを射抜いてくる。ああ、なんてうつくしい空の色。
「……ダメかな。マヨイ先輩」
――伺うような瞳がいじらしい。
「…………」
最初から、その気になれば一彩は無理強いできる。それでもあくまでマヨイの気持ちを乞うやり口は、たいへんにいじらしく。願いを持ってぐいぐい距離を詰める無邪気さは幼くて、いとおしいのだけど。
二人の影が重なる。
吐息があまりにも近くて。ふっと一彩の吐息が笑んだのさえも空気で伝わってくる。
「唇が触れるだけ、だよ」
「――っ」
「マヨイ先輩……」
ふたりの唇の隙間に、マヨイはそっと掌を差し込んでいた。近づいた唇たちは掌に割り込まれて、くっつくことは叶わなかった。
きょとんと目を丸くした一彩が、尋ねるようにマヨイを見る。掌で軽く押し返すと一彩はすっと身ごと引いた。
ふたりは正常な距離感に戻る。
「――すみません、今の一彩さんとキスすることはできません」
「……ゆるしてほしいと言ったのは僕だ。強引に距離も詰めてしまったし……マヨイ先輩が謝ることはないよ」
「ええ。――でも、ほんとうにゆるしてほしいのは私の方ですから」
「……?」
「私は嫌がっているわけではありませんから」
「…………よく分からないよ」
「今は、私があなたを拒んでいるわけではないと伝われば十分ですよ」
「……うん」
いつかキスの意味が分かったら。
どうかまた、私にねだってくださいね。
頬を撫でて、指先でそっと唇をつつく。
「その時は、きちんと奪わせてもらいますから……♪」
撫でた唇のやわさを伝えない手袋が憎らしく思えてしまった。ああ、欲望のまま受け入れてしまえば、この唇を知れたのに。
それでも、唇だけではなくてその心まで向けてほしい。そう望んでしまった貪欲さでは、満足できそうにない。
――貴方の心まで。すべてを望む私を、どうか許してくださいね。
許されたいのは/マヨひい