本丸で始まる恋「俺だけ直ってもさ……」
「何言ってるんですか、一番の重傷は貴方ですよ」
不動がこぼした言葉に、傍にいた物吉がクスクスと笑う。物吉やほかの面々も多少汚れはあるものの軽傷で、血には塗れているが敵の血だ。いたってニコニコと楽しげにしている。
独り言を拾われて返す言葉に詰まる不動を見る物吉の視線は、出陣前よりも心なし暖かい。それが分かってしまうから、気まずさから不動は無意識に手を握る。手の腹と指の間に他人の肩が収まった。
長谷部の衣服をつかんでしまっていた。
「——」
しまった。重傷を負ったからと背負われているだけでも気まずいのに。長谷部から物言いがあるのではと、不動は知らず息を詰めた。
過去に同じ主人に所有されたもの同士といっても、かの人へ向ける情の種類には大きな差異がある。不動が色濃い後悔を刻んだあの日あの場所へ、ともに赴いたときに聞いた長谷部の言葉から、不動はそれを十分承知していた。不動自身のことも、おそらくは快くは思っていないだろう。そもそも人の身を得てからというもの、甘酒に溺れるばかりで、不動はおよそ他人に気に入られるようなそぶりは一切取っていなかった。
だからこそ、戦闘後の自分を運ぶ役を買って出る者がいたことにまず驚いた。次いで、しかもそれが長谷部だという事に目を剥いた。
不動には、長谷部の思考はよく分からなかった。だから、体を支えるため回された腕のしっかりした逞しさも、不動の体重を背中に預かる意味も読めず、居心地が悪いのだった。
思わず肩にかけてしまった手を外そうかとしたところで、長谷部が声を出した。
「そのままでいい。しっかり掴まっていろ。落ちられると面倒だ」
「……そー、かよ」
平坦とした声で、いたって当然のように言うから、不動もそう返すほかない。ほんの少しの仕返しに、せいぜいしっかり掴まり直すと、前方の長谷部が薄い笑いを漏らした。
回復までに時間のかかる傷の手入れも、手伝い札とやらを用いるとあっという間に元どおり。綺麗な肉体に戻る。
傷の消えた身体を眺めていると、障子に影が差し、かけ声ののちに開かれる。影形を見た時点で、不動は誰なのかに察しはついていた。
「よ、不動。重傷になったらしいな」
入ってきたのは、やはり見知った短刀だった。
「薬研」
「いい脱ぎっぷりだったって聞いたぞ。俺っちも拝みたかったな、面子に入れてもらえなかったのが残念だ」
白衣を纏うその男の顔には見慣れない眼鏡がかかっている。
再会した時から変わらぬ気安さのこもった態度と暖かげな視線を、不動はうまく処理しきれない。
逃げるようにそっぽを向いた。
「……それで、ダメ刀のボコボコになった姿でも見ようってぇ〜? もう直っちまったよ。残念だったな」
「ああ、すっかりいつもの調子だな。見たところも綺麗なもんだし……」
ジロジロと身体中を眺める視線が居心地悪く、ちらりと視線を戻すと、薬研と目があう。その口端がにいっと持ち上がっていく。
不審さに距離をとる間もなく、黒手袋を填めた手が不動の肩をがしりと掴んだ。
「あ?」
「手合わせしよう」
「ああん?」
「俺っちと不動で手合せだ。心配いらない、道場の空きは確認済みだ。それとこの後の予定もな。大将に聞いてある。今日はお前もう出陣しないから、安心して俺っちとやれるぜ」
「聞いてない。俺は別に、手合わせしたいだなんて——」
「まあまあまあ」
不動の口答えを物ともせず、薬研は腕を掴んでそのままに早々に不動を廊下に引き出す。すたすたと迷いのない薬研の足取りに導かれて、不動は道場へ向かう道を続いた。視界を占めていた薬研のまっすぐに伸びた背中が、不意に振り返る。
「……最近、なかなか大将が出陣させてくれなくってな。溜まってんだ。付き合ってくれや、新進気鋭の一番隊長さん?」
「……イヤミかよ」
にやりと笑った薬研に返せたのはそれだけだった。
薬研は気づいていないようだが、その鬱憤が生まれる過程において、少なからず不動が要因になっている。それを承知しているから、不動は返せる言葉など持ち合わせていなかった。
——薬研が出陣に選ばれないことには、理由がある。
他でもない不動の行動による結果で、わがままで、薬研本人には何の落ち度もない。
審神者が受け入れたことではあるが、大元の理由は不動にある。それは薬研には伝わっていない。けれども彼にとって、少なからず理不尽であり、不可解であり、不満だろう。
不動は後ろめたさがある。
(でも、手合わせするにしても、俺以外にだっていくらでも相手はいるだろうに)
ただでさえ薬研は本丸で最も多い粟田口派の一員だ。兄弟たちに頼めば不動よりもよほど快く話を受けてくれるだろう。兄弟のうちに限らずとも、気のいい薬研に頼まれれば他の刀だって悪い顔はしないはずだ。
それなのに、薬研はわざわざ不動の元へ足を運び、手を引き、ともに歩くことを選んだ。
繋がれた腕に視線を向けても、その後ろ頭の中で何を考えているか、読めない。
(——長谷部といい、薬研といい……)
彼らは、不動にはとうてい分からない。
不動は目の前を進む背中をぼんやり見つめながら、無意識に左手を動かす。常ならば瓶を捕まえているその手にはなんの感触も返ってこず、甘酒を持ち運んでいないことに気づく。何も掴まぬ空振りの左手を、きゅっと握りしめた。
薬研との手合わせ。
そのこと自体は、厳しくも楽しい。
返す刀やその手足の動かし方、戦い方が、いやでも薬研との実力の差を教えてくれる。
薬研はこの本丸での古株にあたる。
本丸が作られて早々現れた刀剣男士の一人だったという。新入りの不動に比べるまでもなく、過ごした月日や出陣した数だけ薬研は戦場に身を置き、腕を磨いていたのだ。
不動も近頃ひっきりなしに出陣を重ねている。
向き合って、攻撃を軽くいなされるだけで、薬研との力量の差が測れた。伸びしろの頂点近くにある薬研と、そこまでの中盤にやっと差し掛かろうかという立ち位置の不動とでは、まだあまりにも差があった。歯噛みする。不動ではまだ、届かない。
薬研が事前に零していた「溜まってる」とは真実の言だったようだ。
みっちりと扱かれ、不動は息も絶え絶えに道場の床に転がった。ひんやりと冷えた板目が火照る不動の頬を冷ました。自称ダメ刀を相手に散々仕掛けてきた薬研は、満足したのか既に道場から姿を消している。
てっきり何かしら詰問に続くかと思っていたが、その予想は外れたようだ。薬研の姿がないことに少しの落胆と、後ろ暗い安堵を覚えて、フーと深く押し出すように息を吐いた。目を瞑って、床に広がる自身の黒髪の上に横たわる。胸が大きく上下し、口から漏れる吐息は熱く頬を湿らせ、首の後ろやこめかみからしとどに汗が流れてくる。手の甲で拭うと、じわりと濡れた感触が染み渡ってきた。
そこでぎゅう、と不快感に顔をしかめた不動の耳に涼しい声が入り込んだ。
「おい、そのままじゃ風邪引くぞ。汗は拭くもんだ」
「……」
目を開けると、すっかり白衣姿に戻った薬研が不動の顔を覗き込んでいた。黒手袋をはめた手は、白いタオルをぞんざいに放った。不動は反応しきれず顔で受ける。
手拭いを手に、不動は体を起こす。肌に滲む汗を拭いていると、こちらを眺める目がやさしく細まっているのに気づいて、視線を逸らした。用途を終えたタオルを膝に載せる。薬研は、先と変わらぬ様子でその場にいた。薬研はすぐ帰るというそぶりはなく、しばらくこの場に留まるつもりのようだった。
「薬研、戻ったんじゃないのかよ」
「ん? 一度戻りはしたが、その手拭いを取りに行ってただけだぜ。しばらくお前と話せてなかったからなあ。話したかったんだ」
そう口にする薬研はいたって素で、不動ばかりが瞬きをする。
「大将はよっぽど不動のことを育てたがってるようだな」
「……」
そういうわけではない。
否定の言葉は、しかし声にできず。
「仕方のないことなんだがな、俺っちは最近なかなか出して貰えなくてな。顔合わせる時間がないだろう」
「……まあ、な。……そんで、その話ってのは? わざわざボコボコにしないと言えないようなことなのかよ」
饒舌な薬研に、嫌な予感を覚えながら話題を差し向けると、不動の顔をじっと見て、ことも無げに微笑んだ薬研が言った。
「ん~……。俺っちの用は、半分終わったからな」
「ああ、出陣できない鬱憤をダメ刀で晴らそうっていう……」
「半分の半分はそうだな」
「変な言い方だな。ほかに理由があるのか?」
鬱憤晴らしが目的でないとなると、不動にはもう予想がつかない。
薬研は少し困ったように後ろ髪をかき混ぜて、
「不動と話したかっただけだ」
「——は……」
「いや、お前が周りと打ち解けていくのは喜ばしいことなんだが、全部俺っちのいないとこで繋がっていくのが何と言おうか、ちと寂しくてな」
「……なんだよ。それ」
「……俺にも、よくわからん」
お前は俺の親でもなければ、俺もお前の子供じゃないんだぞ。