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    Betypowder_

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    参謀×将校アンソロジー「3時のおやつにショートブレッド」に寄稿した小説です。

    偏愛「お前、疲れてるのか?」
    いつも通り食事を用意しに来た参謀に将校が声をかける。
    「何を急に?」
    「質問に質問で返すな。」
    「これは驚きましたね、捕まっている貴方が私に指図するなど……」
    「くだらない。いいから応えろ。」

    将校を後ろ手に縛っていた縄が解かれ、胸の前で手錠がかかる。ポケットの中の小銭を動かしたように鳴く鎖が、参謀の手の内まで伸びている。
    将校の座る椅子の前、やけに仕立ての良いテーブルクロスのひかれたその上に、スープにパンと、焼いた肉の、筋のないところが並べられた。
    紅茶のカップを音もなく置いた参謀がお言葉ですが、と口を開く。

    「黒い油を取り逃した事を散々咎められ、果ては私に怪我を負わせた貴方の始末が決まるまで世話をさせられていて、疲れていないとでも?」
    「ふん。そんなはぐらかし方で今まで大臣の犬が務まったとは、この国も高が知れているな。」
    「貴方に心配されずともこの国の未来は明るいですよ。」

    聞いているのかいないのか、将校はスプーンを手に取って具材のまったく少ないそれを口に運ぶ。唇に当たった金属とたいして温度差もなく、可もなく、不可もなく。

    「……いつまでそこにいる?」
    「しっかりお召し上がりになっているのか確認しているだけですが。」
    「いつもはさっさと置いてすぐいなくなるくせにな。いるのはいいが、その貼り付けた笑い方をしながらこっちを見るのは辞めてくれないか。食べにくくて仕方がないからな。」

    肉を口に運んだ将校を横目に小窓の前に移動し、白く変わった街並みにため息をひとつ吐く。

    「窓でも開ける気か。」
    「獲物が逃げると分かって檻を開けるような愚か者だと?」
    「たった一秒前まではそう思っていたんだがな」
    「それなら今日は貴殿が一歩成長したと、なんと喜ばしいことでしょう。」
    「私にとってお前が「愚か者」から「思考のある愚か者」に変わっただけだ。」
    「それは何よりです。」

    フン、と鼻を鳴らしてパンの最後の一切れを噛む。食べ終わったことを見届けた参謀がまた縄を掛けなおし、皿を重ねて部屋を出ようとドアノブを回したところで、「おい」と引き止められた。

    「少しは休憩になったか。」
    「なんのことでしょう?」
    「さすがの私でもお前の様子がおかしい事くらい分かる。ろくに寝ていないんだろう、クマも酷いし、初めに会った時より少し痩せたか?」
    「……失礼します。」

    いつもより重たいドアは、施錠までの時間が少しだけ遅かった。

    *
    廊下を歩く足は鉛のようで。
    またため息をつけば、昨日のやり取りを思い返す。

    『いつまで決めあぐねている?』
    『大変申し訳ございません、処遇はすぐにでも・・・・・』
    『あの将校をこの屋敷に“お招き”してからもう一週間だ。分かるか。』

    宮廷の右端、大臣の執務室。
    いっとう綺麗な革の椅子に腰掛けるは我が主。
    インクの匂いが立ち込める机に、書類が散らばっている。

    『私は「将校を飼え」「処遇を決めろ」と命じたか?違うな。「始末しろ」と言ったのだ。その内容はお前に一任するとも言った。何を考えている?』
    『しかし、彼は有能です。こちらの手中に収めればさらに貴方の王の座も近くなるかと。』
    『そんなことは聞いていない。』

    インク溜まりが苛立ちと共に広がり、鼻につく匂いが一層濃くなっていく。

    『早く殺せと言っているんだ。』

    心臓が大きく跳ねた。
    なるべく平静を装って目を合わせるが、それにすら目眩がするほど緊張していく。

    『何を躊躇っているのか知らないが、処分の方法を決めるまでお前には食事を与えない。もしくは私がお前諸共処罰しても良いぞ、私は困りなどしないからな。』

    痛い程響くのは、主に言われたあの言葉。
    上手く頭も回らないし、身体も思うように動かないが、それでも彼を殺す訳にはいかない。

    ここから逃がす?いや、街の民と森の民を結んだ名誉ある将校だ。逃がしたとて身を隠す場所など無いし、彼はきっと「なぜ私が隠れる必要がある?」などと宣うはず。

    身代わりを立てる?逃がすことと変わりない。

    でも彼を生かす選択肢は、ここから去ってもらうことだけ。

    もう、そうなれば……

    自分の中に渦巻く感情の理由がわからない。
    何故、こうも彼を生かそうとする?我が主の邪魔をし、あまつさえ自分に攻撃を仕掛けてきた男だ。殺せばいい。今はそれを許されている。
    大臣の絶対的な権力の下、隠蔽は完璧に行われるだろう。

    執着か。偏愛か。

    ただ今は、君を​───

    殺したくないんだ。

    *
    あの日、将校の栄誉を讃える会食には大臣も出席していた。
    作戦はこうだ。参謀は大臣のグラスにワインを足した後、大臣の勧めで将校のグラスにもワインを注ぐ。そのワインには睡眠薬が入っているが、大臣は予め解毒剤を飲んでいるので問題はない。
    将校の性格上、眠気が襲えばその会食の席を後にするはずだ。そのあとをつけて、眠った所を誘拐する。

    「この度の将校殿の活躍には驚かされましたよ。うちの部下がとんだご無礼を。」
    「いえ、私も怪我をさせてしまったことを本当に申し訳なく思っています。」
    「いやいや良いんだ。どれ、うちに直送で来ているワインがあるんだが、一緒に乾杯でもして『仲直り』と行こうじゃないか。」
    「それは光栄です!」

    作戦通り、二人のグラスにワインを注ぐことに成功した。
    案の定、会食の終盤で将校が席を立つ。

    「せっかくお招きいただいたのですが、生憎次の予定があるので本日はここでお暇させていただきます。またお話出来る事を心より祈っております。」
    「おや、もう行ってしまうのかね?最後までゆっくりしていけば良いのに……将校殿の話は面白くて、まだまだ聞いていたい。」

    立派な髭を拵えた王は、使用人からナプキンを受け取って口周りを丁寧に拭きながらそう言った。

    「身に余るお言葉ありがとうございます。しかし、次は森の民に呼ばれてしまっていて……」
    「おお、今や我が街の民と森の民を繋ぐ大切な架け橋。また進展がある事を祈っていますよ!」

    重役達の称賛を浴びながら会食場を後にする将校の後ろを、そっと着いていく。耐えられなかったのか、将校は宮廷を出てすぐ近くの路地裏で倒れこんだ。

    「おやおや、お風邪を召されますよ。」

    ぐったりとして眠っているその身体を横抱きにし、参謀は迷いなく屋敷へと向かった。

    日が傾き、夜も深くなってきた頃、将校は目を覚ましたのだった。

    「……こ、こは」
    「お目覚めですか?」
    「お前……最初からこのつもりで!」
    「ええ、もちろん。貴方の処遇は私に一任されています。煮るのも焼くのも、私次第ということですね。」

    将校が縄を解こうとする音が、きしんだ床板のように鳴り止まない。

    「あまり暴れると怪我をなさいますよ。まあ、貴方が私に負わせたものよりは随分軽いでしょうが。」
    「……その恨みか?」
    「いえ、私はあくまで大臣の指示に従っただけです。」
    「は、忠犬だな。」
    「部下として最高の褒め言葉ですね。」
    「人間として最悪の皮肉だと思うが。」

    ここでの参謀の仕事は一つ。将校を始末するまでの間、食事を用意することだ。
    そんな仕事も三日もあれば終わるはずだった。それなのに。

    「仕事で何かあったか?」
    「え?」
    「ここ数日お前しか見ていないんだ。変化くらい嫌でも分かる。」
    「さあ、杞憂では?」
    「まあお前のことなどどうでもいいが、あまり無理はするなよ。気分が悪そうな人間を見ていると、こちらまで気が滅入るからな。」

    今まで、労われたことなどなかった。
    貧しかった実家は家賃も払えず、家を追われて、家族は宮の前にまだ幼い類を置いていった。

    これがこの国の現状だ。
    税金は、貧しい人達の為に使われない。

    その風刺として、類は取り残された。
    しかしその伝達は王の元に届く前に終わる。寒空の下、真夜中にその子供を見付けたのはただの政治家だった頃の今の大臣であった。

    『私の言う通りにすれば、暖かい家とご飯をあげよう。私はいずれ王となる男だからな。私に協力しなさい。』

    その言葉に頷く事だけが、生きる道だった。
    それから教養を叩き込まれ、青年となってから今までは言われた仕事をし、出来なかったら罰を受ける。その繰り返しだった。
    そんな参謀に将校がかける言葉。最初は耳を塞いでいたはずのそれに、少しずつ押し込んだ心が確かに絆されていた。

    「別に諦めた訳では無いが、いつかは殺される身なんだろう。口封じも必要ないし、何かあれば言ったらいい。」

    初めて触れた優しさに戸惑い、恐れ、始末せねばと思えば思うほどその手は動かなくなっていった。

    *
    「なんのつもりだ」

    小さな部屋に反響したのは、シルバーを落とした音ではない。
    もっと鈍く、重く、人の命をその手に収められるようなもの。

    「さあ、私の荷物から何か落ちてしまったのでしょうか。」
    「笑わせるな、お前の荷物なんか大臣からの無理強いくらいだろ。」
    「嘘呼、それはとんだ“お荷物”だ。」

    相変わらず後ろ手に縛られたままの将校が、これみよがしに鼻を鳴らす。

    「私は今からこの夕食の食器を下げに部屋を出ますが、どうやらここ最近ろくに寝る事もままならなかったせいで先程開けた窓の鍵を失くしてしまったようなのです。くれぐれも、いたずらはしないでくださいね。」
    「最近は物騒だな。手ぶらの奴が私の前にナイフをちょうど滑り落としたり、扉の鍵と一緒にあるはずの窓の鍵を失くしたり。」
    「全くその通りです。将校殿も、どうぞ御用心を。」

    参謀が重ねた陶器を手に取り、ドアノブを捻ってからぽつりと呟く。

    「どうか、貴方が救ったこの国の未来を輝かせてください。」
    「……おい、死ぬのか?」
    「その場合は、遺言として墓にでも刻んでもらえますか?」

    静かに部屋を後にする。静寂に包まれたのも束の間、しめった砂を踏んだような音と共に縄が切られ、窓から風が吹き込んだ。

    とっくに人のいなくなった厨房に食器を片付け、シェフナイフを手に取る。月明かりを纏って怪しく光るそれは、不思議な程に手に馴染む。
    屋敷にいるのは寝静まった使用人と大臣、それから自分。大臣の寝室に近付くほど、心臓は早鐘のように鳴る。

    この手で命を奪えば、国の重役を殺した事による酷い拷問と死刑が待っている。
    その場で自分も死ねば、逃げた跡から捜査が進み将校を犯人とされてしまうかもしれない。

    (いずれにせよ、僕に待っているのは『死』のみだ)

    それでも、彼と彼の大切な民が幸せに暮らすことが僕にとって何よりの幸せだった。
    これは愚かな僕が、恩人よりも一時の気の迷いを受け入れてしまう瞬間だ。
    そっとドアを開ければ、足音は大きないびきに掻き消される。

    (主が間違っている事を分かっていても尚、加担し続けた報いなんだ。)

    ベッドの傍に立ち、深呼吸をしてからナイフを振り上げる。

    「この国が彼の手で正しい道へと進めますように。」

    心臓に向かって一気におろした刃物は、布団の直前で止まってしまった。
    勢いを止めたのは、手首を強く握っている男の手。

    「何してる?」

    聞いた事もないような低い声。
    ああ、見つかってしまったのだ。
    失敗に終わった。何もかも。

    「……なぜ、貴方が」
    「良いから来い。ここを出るぞ。」

    手を引かれ、大臣の寝室を後にする。
    暫く廊下を進んで人影はふと立ち止まった。

    「それで、あいつを殺そうとしたのか?」
    「ぼ、僕……いや、私は……」
    「私を逃がすために?」

    真っ直ぐこちらを見据えるトパーズの瞳。
    月の光でぼんやりと輝く夕暮れ色の髪。
    他でもない、その人だった。

    「……何故帰って来たのですか?」
    「私を逃がしたんだ、お前に罰があるのは間違いない。何かアリバイ工作でもするのかと思って様子を見ていたら……想定以上だったな。全く、その極端な考え方はどうにかならないのか?」

    そのナイフ、どこから持ってきたんだ?と問われて厨房を指せば、将校は小さな声で文句を言いながら刃物を奪い取って、厨房へと歩いていく。
    慌てて追い掛けると、今度は少し声色が穏やかになる。

    「お前が私を逃がし、大臣をなんとかしようと考えていることは薄々勘づいていた。しかし、それなら他にいくらでも案はあるだろう?」
    「他に?」
    「悩みすぎて頭が回っていないのか?」

    ナイフを戻してから厨房を出て、将校は鍵が壊された扉を開く。ロープの切れ端と机と椅子とがある、見知った小さな部屋だった。

    「ここから逃げるぞ。」
    「え?」
    「そして……類。お前は私の部下になるんだ。」
    「貴方に寝返る、と?」
    「そういう事だ。そして大臣の悪行を全て王に明かす。空いた大臣の座に君臨するのは、この私だ!」

    突拍子ないことを言うものだ。ただの将校が、大臣に?少し功績を上げただけで?
    ちゃんちゃらおかしな話だろう。

    「今度の主は、冒険の尽きない面白い方ですね。」
    「おい、馬鹿にしてるのか?」
    「いえ、そんなつもりは。ですが……」

    窓を開けると、冷たい風がカーテンを揺らした。

    「初めての仕事が脱出だなんて、先が思いやられますよ。」
    「何だ、堅実さに欠けるとでも言いたいのか。」
    「枠にはまらないやり方は時に、上からの圧力で潰されますよ。出る杭は打たれる、とか。」
    「上からの圧力?お前はこんなちんけな屋敷で番犬してばかりだから、そんな小さく収まってしまうんだろう。全く以てナンセンスだな。」
    「おや、まさか大臣よりも上を目指すおつもりで?」

    当たり前だろう、と言いながら窓枠に足をかけた将校が、参謀に向かってにっこりと笑う。

    「オレはいずれ、王となる男だからな!」
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