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    furoku_26

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    関西現パロのマツヤナ

    ##マツヤナ

     マツバが歴史学の講師を務める大学で、外部講師の講演があった。登壇したのは同じ京都市内の芸術大学の教授、兼、氷の彫刻家であるヤナギだった。講演の主題は美術史から見るその土地の歴史と銘打たれ、日本美術史、とりわけ仏像彫刻の視点から京都の歴史を紐解いていく内容であり、それがまた面白くも新鮮で、マツバは講師という立場も忘れて夢中になって聞いていた。
     講演が終わった後に研究室でお茶を出し、直接会話をしてみると、さらに興味の深みは増して行く。
    「若いのに知識も気概もたいしたものだ」とヤナギも満更でもない様子で、意気投合するのに時間はかからなかった。
     ヤナギの勤める大学は京都市内だが、アトリエを兼ねた自宅は隣の県の甲賀市とのことだった。毎日電車とバスを乗り継いで通っているらしい。その後の授業がなかったマツバは、バスで帰ろうとするヤナギに向かって、原付きでよければ京都駅まで送りますと申し出る。

     駅に付くと、甲賀方面への電車が止まっていた。さして強くもない雨風の影響ですぐに止まるその路線は、台風が近付いているせいか再開の見通しも立たないようだ。まだ雨も降り始めてはいなかったが、ガラス張りの駅の天井は灰色で、遅れ気味に大阪方面から滑り込んでくる車両はぐっしょりと雨に濡れていた。
    「近くのホテルにでも泊まるよ」とヤナギは言った。
     マツバは咄嗟に「それならぼくの家に泊まっていきません?」と答えていた。「ひとり暮らしですし、部屋もあるにはあるので」とそのまま付け加えたのは、咄嗟に出た言葉が本心からのものだったからである。
    「知り合ったその日に家に泊めてもらうなど、さすがに申し訳ない」とヤナギは一度断った。
     しかしこの時のマツバにはまだ彼に対する純粋な優しさがあり、好奇心があり、若者特有の気を遣わせないノリがあった。
    「もっとヤナギさんと話がしたい、美術方面はからっきしなので色々教えてほしいんです」とマツバはさらに念を押した。
     ヤナギは考える仕草を見せたが、自分の大学の人でもなし、学生でもなし、きみのような気の合う同性なら、と甘えてみることにしたようだ。

     マツバは祇園の外れにある一軒家にひとりで住んでおり、ほとんどの部屋は古書や遺物の資料で溢れていた。
     その日の晩はふたりでひたすら語り明かした。内容も然ることながら話し方や間の雰囲気も不思議と合うものがあり、一晩を費やしても話題は尽きることがなく、その後もしばらくメールでのやり取りが続いた。

     ある日マツバが午後の授業を終えると、退席して行く学生たちの会話がふと耳に飛び込んできた。
    「あかんわ電車止まった」とひとりの学生が嘆いていた。
    「滋賀から通てるんやっけ?」
    「そー、やし家泊めてくれへん? カラオケオールとかでもええけど」
    「ほんならうちでタコパしよ、タコパ」
     そんな会話を続けながら、学生たちは教室を後にした。
     当然のように、ヤナギのことが頭に浮かんだ。メールを送ってみればすぐに返信が返ってきて、そのうち動くだろうから様子を見るとのことだった。
    「もし動くまで暇なら飲みに行きませんか」とマツバは思い切って誘ってみた。居酒屋で学生に会いたくはないので、家の近くの小料理屋を提案すると、快諾のメールが返ってくる。
     やはりヤナギの話しは深みがあって面白く、また沈黙が苦にならない雰囲気も心地よく、運転再開の情報もないままに気が付けば終電の時間が過ぎていた。一度泊まった実績があり、さらに幾分かの酔いも手伝って、この日もマツバの家に泊まる流れになるのは実に自然なことだった。
     マツバが翌朝目を覚ますと、ヤナギは朝食を作ってくれていた。近くのコンビニで買ったものを調理しただけで悪いが、と出されたのはパンとスクランブルエッグとサラダだった。ヤナギは宿代としてと言っていたが、調査と研究に没頭するあまり、食生活が疎かになっていることを心配されてもいるようだった。
     それからというもの、電車が止まる度にヤナギを家に泊め、ご飯を作ってもらうことが恒例のようになっていく。時々ヤナギの大学まで迎えに行くと、彼は学生たちに羨ましいとからかわれたりしていた。

     マツバはある時、ご家族は? と尋ねてみたことがあった。ヤナギはいないよとだけ笑って答え、逆に、マツバに彼女や良い人はいないのかと尋ね返してきた。マツバは彼女はいないと答えたが、良い人や好きな人については触れなかった。

     台風の時期が過ぎると電車が止まる頻度が減った。なんとなくお互い距離ができ、ふと思い立った時に連絡を入れるも返信はなかなか返ってこず、もやもやとしているうちに冬になる。
     冬は卒論の評価と入試が重なり忙しい。特に卒論は今ひとつ要領を得ないものやどこかで見知った文言が多く、評価に窮することが多かった。仕事の合間の唯一の癒やしは、古書店で取り寄せてもらったヤナギの個展の図録だった。
     今にも動き出しそうなほど精巧に作られた氷の彫刻。しかしそのモチーフはおそらく、この世には存在しないファンタジー上の生物だ。本人のテキストと学芸員の解説もマツバは何度も見返した。
     そうして気付けば年が明け、マツバは街の広告でヤナギの大学の卒業制作展が開催されていることを知る。
     最終日の日曜日、美術館まで足を運んでみると、ちょうど合評をしているところだった。教授として学生の作品に相対しているヤナギは、マツバが今まで見てきた彼とはまるで別人かのようで、学生への意見はかなり厳しく、氷のような冷たさと鋭さが傍からでも垣間見ることができるほどだった。
     声をかけないまま帰ろうとすると、休憩に入ったらしいヤナギに出入口で声をかけられた。一言二言挨拶を交わして、また飲みにでも行きましょうと望み薄ながらに誘ってみるとヤナギは苦笑し、「行けたら行く、そのうちな」と曖昧な約束をしてくれた。
     約束は曖昧なまま叶うことはなく、やがて長い長い春休みを迎える。

     マツバは卒業式で学生たちを送り出し、新年度の準備に奔走しながら、話題になっていた論文や新しい情報を漁った。自分よりも若い子が打ち出した新説には目を見張るものがあったが、マツバにはいまひとつなにか、感動のようなものに欠ける気がした。

     そして寒さが緩んだ3月の末。久々にヤナギからメールがきた。
    「見せたいものがあるから、暇な時で良いから甲賀市まで来てほしい」とのことだった。
     いても立ってもいられずに、マツバはすぐその日のうちに甲賀市へと向かった。乗り継ぎを入れても電車で1時間半ほどの距離である。ヤナギが毎日行き来する風景を見たのは初めてのことだった。瀬田川を渡る際に壮大な琵琶湖が視界いっぱいに広がり、その後は田舎の町並みと、深い山々の景色が続いた。
     琵琶湖線のふたりがけのシートに埋もれ、マツバはヤナギと過ごした月日を指折り数えてみた。だが、彼に出会ったのはたったの数ヶ月前のことで、泊まりに来ていた日々も疎遠になってしまった時期もその中に凝縮されている。その濃密な数ヶ月は随分と長い時間に思えた。しかし目の前の車窓の風景を、そして彼のことを、マツバはまるで知らなかった。

     甲賀駅で合流したヤナギは以前と変わりない様子で、自宅を兼ねたアトリエへとマツバを案内してくれた。ただ道中の会話が少しぎこちなかったのは、飲みに行く約束を反故にしていた後ろめたさなのか、見せたいものに原因があるのかはわからなかった。

     ────が、案内されたアトリエで、マツバは道中で抱え込んだ懸念の靄がすべて、どうでもいいものだったのだと思うことになる。
     ずっと追い求めていたものを、目の当たりにしたのだ。

    「きみが執筆した本を読ませてもらった」とヤナギは言った。
     神仏の偶像の変遷を主題とし、そこから時代時代の思想を解説した自著をヤナギは読んだらしい。その著作の中でマツバは、発掘されず解明も進んでいない幻の崇拝対象についても言及していた。中国の鳳凰に類似するらしきそれは、古の京都で密やかに崇拝されてきたものだ。
     それが、氷の彫刻となってたしかに目の前に存在していた。
     マツバが今までこの世で見てきたどんなものよりも美しかった。
     言葉を失うマツバにヤナギは「人のために作品を作ったのは初めてかもしれない」と、ひと仕事を終えた様子で笑った。
     しばらく作品を見つめ、それからヤナギを見つめた。「あなたが好きです」と、無意識に言葉が零れていた。
     ヤナギは一度苦笑してから、何も言わずに微笑んでくれた。少しばかり照れくさくなって、どちらからともなく笑い合う。
     各々の厳しい冬を超えた先、周りの深い山々が、桜の薄紅色に染まり始めた頃のことだった。
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