宝物 ホント悪いんだけど、とスーツのジャケットに腕を通しながらリーチェンが言う。
「俺の部屋にゴミを纏めてるんだけど、捨てておいてくれないかな」
慌ただしく靴を履くリーチェンに鞄を渡しながら、ああ、分かった、とムーレンが短く答える。
今日は祝日。通常は仕事は休みなのだが、リーチェンの課のプロジェクトが佳境と言うことで、リーチェンの課の人間は休日出勤を余儀なくされている。
「行ってくるよ、ハニー」
そう言って眉尻を下げるリーチェンだが、どこか残念そうだ。ムーレンと過ごす時間が惜しい、と言うのが本音だろう。ムーレンは優しく微笑むと、リーチェンの頬にゆっくりと指を這わせた。
「早く帰っておいで、夕飯作って待ってるから」
「あああああああ! トントン! 俺の天使……! 仕事なんて行きたくないよ……ずっとトントンにくっ付いてたいよぉ……」
駄々っ子のように地団駄を踏み、がば、とムーレンを抱きしめる。いつもこうだ。リーチェンは愛情をストレートに表現する。照れから、自分自身まだ上手く愛情表現出来ていないと感じているムーレンにとって、彼のストレートな表現は羨ましい限りだ。そして、単純に嬉しい。
ムーレンは彼の背に手を回し、そっと頬を寄せる。
「夜は好きなだけくっ付いていいから」
「……分かった、朝まで離さないから覚悟しろよ」
心底狡い、とムーレンは思う。普段は大型犬のようにじゃれついて、ちょっとは落ち着けよ、と思う事が多いのに、ふとした瞬間心が溶けるような大人の色気を出してくる。耳元で囁かれた心地よい音がそのまま胸の奥に響いて、ムーレンは一瞬ぶるりと震えた。
離れたくないのは俺も同じだっての
離れがたい衝動を抑え、いつまでもムーレンを離そうとしないリーチェンの肩をぐっと押し返すと、遅刻するぞ、と時計の方に視線をやる。確かに、もう家を出ないと遅刻する時間だ。リーチェンはようやくムーレンを離すと、玄関の扉を開け、己が指を銃に見立ててバキュン、とウインクをすると、そのまま玄関の外へと姿を消した。
……何か嵐が去った感じだな、とムーレンは漠然と思った。付き合いだしてからと言うもの、友人だった頃以上に一緒にいる為、リーチェンと離れて行動することがめっきり減った。だからだろうか、騒がしい彼のいない家は、嵐が去った後の静けさのように感じる。はぁ、とムーレンは小さくため息をついた。リーチェンが帰って来るまでまだ十数時間ある。たった今離れたばかりだ言うのにもう、寂しい、と思い始めているのか。
「なんだかんだ言って、俺も結構惚れちゃってるんだもんなあ……」
言葉に出すと、急に恥ずかしくなってくる。ムーレンは照れ隠しのように手のひらでゴシゴシと顔を擦った。……今日は久々に部屋の掃除をして一日を過ごそう。ああ、そういえばリーチェンのやつ、部屋のゴミ捨ててくれって言ってたな。
朝食を食べ終えたムーレンは、ゴミ収集車が来る前にリーチェンの部屋のゴミを片付けようと彼の部屋に入る。彼が捨てて欲しいゴミは、きちんと袋に入っており、分かり易い場所に置いてあった。ゴミらしいものはこの袋しか見当たらない。ムーレンは袋の端を持ち上げようと腰をかがめた。すると、そのゴミの横に小さな段ボール箱があるのに気がついた。段ボール箱の蓋は少し開いていて、未開封、ではなさそうだ。もしかしてこれもゴミかも知れない、と念の為中身を確認してみる。
ムーレンが手に取った箱の中身は、とても奇妙なものだった。取っ手の取れたマグカップ、空っぽのブリキの缶、映画のチケットの半券……どれもこれもガラクタ、ゴミと言っても良いようなものばかりだった。ゴミが入った袋の横に置いてあったし、きっと袋に入り切らなかったゴミだろう。ムーレンはそう結論づけると、ゴミの袋と小さな段ボールを抱え、そのままリーチェンの部屋を後にした。
ただいまぁ、と疲れ切った声でリーチェンが帰宅したのは、深夜にも近い時間だった。リーチェンはジャケットを脱ぐなり、ソファに寝そべって本を読んでいたムーレンに抱き付くように倒れ込んだ。そしてムーレンの首元に顔を埋め、すりすりと顔を擦り付ける。
「お前は犬か」
そう言って呆れたように笑うムーレンに、だって寂しかったんだもんーと、より一層顔を擦り付ける。リーチェンと同じように寂しさを募らせていたムーレンは、口ではなんと言おうとも、リーチェンの行動を止めない。むしろ、そっと彼の背に腕を回すと、ゆっくりと髪を撫ぜてやる。すると、リーチェンが、すん、と鼻を鳴らした。そして柔らかなものがムーレンの首筋に当たり、湿り気を帯びたものが這うのがわかった。ぞくり、と鳥肌が立つような感覚とともに、腹の底の方にむず痒い熱が宿る。仄かな熱を吐き出すように小さく、はぁ、と息を吐くと、リーチェンの頬に軽く口付ける。
「……お前、まだ何も食べてないだろ?」
それに汗臭い、と今度は逆にムーレンが鼻を鳴らした。このままリーチェンに流されてしまったら、自分もリーチェンも、明日の朝まで何も口に入れないだろう。こんな時間まで働いていたリーチェンだ。きっと今日はろくに食事を取っていないに違いない。ましてや明日も仕事だ。色々な意味で、過労で倒れられては困る。
仄かに熱を瞳に宿したリーチェンが恨めしそうにムーレンを見るが、観念したかのように目尻を下げて、にへら、と笑うと、のそのそとムーレンの上から退き、風呂場に向かった。
さてと、とムーレンがソファから腰を上げた瞬間、リーチェンの短い悲鳴と、どたどたという足音が響いた。
「トントン! 俺の部屋にあった、小っちゃい段ボール箱、もしかして捨てちゃった?」
そう問われたムーレンは、きっとあのガラクタが入った箱だろうと思い、うん、中身を見てみたけど、明らかにゴミだったから捨てたよ、と何気なく答えた。その答えを聞いた瞬間、リーチェンは頭を抱えたかと思うとふらふらと壁に手をついた。
「……トントンにはゴミに見えたかもだけど……あれは俺の宝物達だったんだ……!」
悲嘆に暮れているリーチェンの様子に、ムーレンは理解に苦しむ。あの箱に入っていたものは明らかに壊れていたり中身の入っていないただの缶やらだったはずだ。それが彼の宝物とは……全く理解できない。きっと物凄く不思議そうな顔をしているであろうムーレンの肩をむんずと掴み、リーチェンは必死の形相だ。
「あれは全部トントンの思い出の品なんだよぉ……」
思わず、は? と聞き返してしまう。
「取っ手の取れたマグはだいぶ前にトントンが落として割ったやつだろ? お菓子の缶は、俺が先方と揉めて落ち込んでる時にお前が差し入れしてくれたやつだし、紙のコースターはお前が可愛いって言って冗談でキスしたやつだし、後」
「あーあー、もういい分かった分かった」
ムーレンはリーチェンの言葉を遮るように言った。なんだか恥ずかしくなって、もう聞いていられない。元々リーチェンは記念日や記念品などを大切にするタイプだ。それは理解していたが、ムーレンに関わるあんなゴミ同然の物も保管しているなんて、ちょっと度が過ぎている気がする。
「……お前、マジで若干キモい」
「キモくない!! 何で分かんないかな……俺の愛するトントンに関係あるものは全部持っときたいし、保管しときたいだろ? それを見る度、この時のトントンはこんなだったなーとか思い出せるじゃん」
愛だろ、愛ー! と口を尖らせて正当性を語るリーチェンに、ムーレンは小さくため息をつくと、ゆっくりと抱き寄せた。
ゴミを記念品だと言って保管しているリーチェンの行動はやっぱり理解し難いものだが、それ程ムーレンを愛してくれていると言うのは分かる。ただ、ちょっと愛が重い気もするが。
「勝手に捨てたのは悪かったけどさ、そんな思い出に浸らなくても、ずっと俺本人が一緒にいるんだから」
新しい思い出作っていけばいいだろ? とリーチェンに口付ける。
「じゃあさ、今から思い出作っていい?」
ムーレンの肌に触れているリーチェンの唇が動く度に、甘い痺れが走る。
ああ、自分はリーチェンに本当に甘い、とぼんやりとし始めた頭で考える。明日も仕事だし、食事もさせないといけないのに、すっかりリーチェンに流されてしまっている。
「だったら、もうゴミを集めるの止めろよ」
「ゴミじゃな……」
リーチェンの言葉を遮る様にして口付ける。
ああ、もうどうにでもなれ
ムーレンは観念したようにゆっくりと瞼を閉じた。