熱 リーチェンの奴、また新しい子にお熱らしいな、と少し困った様に微笑みながらシンスーがコーヒーを一口飲んだ。シンスーの言葉を聞いて、ムーレンはまたか……とうんざりする。シンスーに話をしたと言う事は、もう暫くしたら自分にも話が来るだろう。リーチェンにとって、ムーレンとシンスーは唯一無二の親友で、だからこそ自分の全てを知って貰いたいし、相談にも乗って欲しい、と言うのがリーチェンの言い分だ。リーチェンの言い分は分かるし、こちらも親友だと思っているので、話を聞いたり、相談に乗る事自体に問題はない。ただ、リーチェンの場合回数が多いのだ。特に恋愛系の相談が多すぎる。リーチェンは良くも悪くも超ポジティブなので、恋愛にも積極的だ。狙っていた相手と上手く行かなくても、すぐに次の相手を見つける。悪く言えば、気が多いのだろう。今年に入ってもう既に今回で五人目である。ある意味羨ましい、とムーレンは遠い目をした。
おやおや、お二人さんお揃いで、とリーチェンがニヤニヤしながらリビングに入ってきた。そしてコーヒーを自分のマグに注ぐと、二人の前に座る。
「今回こそはさ、運命だと思うんだよなー!」
聞きたい? とわざとらしく尋ねてくるリーチェンに、断ったって言ってくるんだろ、と視線を外すが、ぐい、と両手で頬を挟まれて無理やり視線を合わせられる。流石のムーレンも観念せざるを得ない。シンスーはと言うと、とっくの昔に観念している様だ。二人とも聞いてくれる体制になった事に、満足そうに頷くと早速携帯を取り出した。
超美人じゃね? と見せられた画面には切長の瞳のすらりとした美人が映っていた。
「出会いからして、運命的だったんだよ! 行きつけのカフェで、偶然ぶつかってコーヒー掛けられて、クリーニング代断ったら、お詫びに食事行きませんか? とか、何のドラマだよって思うじゃん?」
そう一気に捲し立てるリーチェンは、既に瞳がハートの形になっているかの様だ。自分自身を両腕で抱き、これが運命じゃなきゃなんなのー! と身悶えている。お前は一体何度運命を感じれば気が済むんだと言ってやりたいが、言った所で全く聞いちゃいないだろう。取り敢えず一通り聞いてやって、興奮が収まるのを待つしかない。これもいつものパターンだ。ムーレンの耳は次第にリーチェンの言葉を拒否し始め、今日の晩御飯の事などを考え始める。夕飯の買い物リストを何となく思い描いていると、シンスーの、あ、と言う声で意識が引き戻された。
「この子、何となくムーレンに似てない?」
リーチェンの携帯をまじまじと見ながら、シンスーが言った。ムーレンも気になって携帯を覗き込む。確かにシンスーの言う様に、何となく似ている気がする。特に目元や、微笑んだ雰囲気が似ているようだ。リーチェンも写真とムーレンを交互に見、おお、と感嘆の声を上げる。
「ほんとよく見たら似てるなー! 俺、実はトントンの顔好みなのか……」
「僕の方が美人だと思うけど?」
リーチェンの言葉を遮る様にして言ったムーレンに、二人の視線が集まる。二人とも驚いた顔をしてムーレンを凝視している様子に、何か間違った事を言っただろうか? と内心首を傾げる。ムーレンは見たままの感想を言っただけだ。とは言え、男女の違いがあろうとも、自分は美人だと自負しているからこそ、自分に似ていて、しかも美人だと言われている人物に負けたくないと言う対抗意識が芽生えてしまったのも事実だ。
「う、うん、トントンは美人だよ、知ってる!」
と沈黙を破ったのはリーチェンだ。ムーレンの言葉にどう答えるのが正解か分からずに、しどろもどろになっている。
「似たような顔ならさ、より美人な僕の方がいいし、もう何年も親友やってるんだ、その子より何百倍もお前のことを知ってる」
だろ? と腕組みをして言うムーレンに、リーチェンは引き攣ったような笑顔を見せ、そうだよなーと言いながら自室に戻ってしまった。残ったムーレンとシンスーは再びコーヒーを飲み始める。暫くしてマグを机に置く音が聞こえ、ねぇ、とシンスーが言った。
「ムーレン、さっきの言葉、どう言うつもりで言ったの?」
何故か心配そうに言うシンスーに、微妙に違和感を感じながらも、そりゃあ、と唇を尖らせる。
「どうもこうも、僕に似てるって言う人間にリーチェンが取られるってのが癪なだけだよ」
単純な独占欲なのだ。ムーレンはその性格故、友人が少ない。親友と言える人間もほとんどいないし、その中でもとりわけ仲が良いのがシンスーやリーチェンだ。だからだろうか、彼ら二人に関してはちょっとした独占欲のようなものがあるのを感じている。特に、リーチェンは恋多き男である。彼に恋人ができるのは喜ばしい事ではあるが、一抹の寂しさがいつも付き纏っているのは否めない。いつもならただ、寂しい、と思うだけなのだが、今回はちょっと事情が違う。何故か、自分に似ている女なら自分でいいじゃないか、と言う思いが湧いて来たのだ。しかし、恋愛どうこうと言う話ではない。大好きな友達が知らない子に取られる、と言うような幼稚な感情だ。
「絶対、僕の方がいいって言わせてみせる」
決意表明のように言うムーレンに、シンスーは何かを言おうと口を開きかけたが、困ったように笑うと、再びマグに口を付けた。
翌朝、リーチェンが起きてくる前に起きたムーレンは、リーチェンの寝室の前に立っている。リーチェンを奪還する為には、いかに自分の方が綺麗で外見以外でも魅力的であるかをリーチェンに知らしめねばならない。取り敢えず、甘やかしまくってやろうと思い付いたのがモーニングコールである。ムーレンは髪を整えると、静かにリーチェンの部屋に入った。リーチェンはと言うと、ムーレンに気づく事もなく、ベッドから足を放り出した格好で熟睡中だ。何故かその姿が可愛く思えてきたムーレンは、そっと彼の頬を撫でてやる。そして頬に手を置いたまま耳元に唇を近づけ、朝だよ、起きて、と優しく囁いた。ムーレンの声に反応したリーチェンは薄く瞼を開き、綺麗に微笑んでいるムーレンを確認すると、そのまま彼の腕を引きベッドに引き摺り込んだ。きっと、彼女と勘違いしているに違いない。ムーレンは少しイラッとしつつも、彼の髪を梳いてやりながら、遅刻するよ、とまた囁く。現実に人がいる気配を感じ取ったリーチェンは、重そうな瞼を上げ、まさに吐息が届く位置にいる人物を確認するように数回瞬きをする。
「ふふ、僕だよ」
語尾にハートが付きそうな勢いで甘く囁くムーレンに驚いたリーチェンは、大きな音を立ててベッドから転がり落ちた。強かに腰を打ちつけたのだろう、腰を押さえて呻いている。
「ト、トントンなんで俺のベッドの中にいんの……」
痛みを堪えてそう問うリーチェンに、誰かさんと間違えてお前が引っ張り込んだんだよ、と片眉を釣り上げる。
「僕は優しいからさ、お前が遅刻しないように起こしに来てあげたんだ」
そう言って床に転がっているリーチェンに手を伸ばして立たせてやる。まだ腰を押さえているリーチェンを尻目に、朝食冷めるから早く来いよ、とキッチンに向かう。いつも朝食は各自で摂るのだが、相手の胃袋を掴むのも魅力を感じる一つだろうと考えたムーレンは、今朝は全員分の朝食を用意していた。ただ、惜しむらくはムーレンの料理の腕である。ムーレンは仕事はできるのだが、料理だけはからっきしであった。今朝頑張って作った料理も、何か朝食らしきもの……に変わっている。自信満々に朝食を勧めるムーレンに、シンスーもリーチェンも断る術はなく、渋々と口を付けた。その様子を満足そうに見ると、自らも食事を始める。うん、我ながら美味しくできたじゃん!
沈黙の中での朝食が終わり、みんな揃っての出社である。玄関で靴を履いているリーチェンに、小さな手提げ袋を渡すとにっこりとまた微笑んでやる。
「お前の為に、お弁当作ったから」
昼は一緒に食べよう、と言うムーレンに、リーチェンは苦笑いをする他は無かった。
暫く、モーニングコールと食事の世話、と言う作戦を取っていたムーレンだが、まだ出来る事がある筈……と考えを巡らせていた。そして、ぼんやりと温泉のCMを見ていた時、瞬時に閃いてしまった。これは流石に女性ではなかなか難しいだろう……と思ったムーレンは、内心ほくそ笑む。この戦いの軍配は自分に上がった、と確信にも似た思いが込み上げ、自然と頬が緩む。思い立ったが吉日、早速実行に移そうと周りを見回す。そういえば、リーチェンは先程リビングを出ていったきり戻って来ていない。もしかして、と浴室に行ってみると、リーチェンの洋服が脱衣所に散乱していた。その光景を見て、ムーレンは一度拳を握ると、自分も洋服を脱ぎ始める。
ムーレンの思い付いた次の作戦と言うのが、リーチェンの背中を流してやり、風呂場で悩み事などを聞いてやる事だ。所謂裸の付き合いと言うヤツである。これは流石に同性である自分の方が有利だろう。自宅の浴槽は二人が入れるほど大きくはないが、なんとかなるだろう。ムーレンはタオルを腰に巻くと、勢いよく浴室のドアを開けた。浴室のドアが開く音に、ムーレンに背を向けてシャワーを浴びていたリーチェンが振り向く。
「リーチェン、背中流してやるよ!!」
はぁ!? と言う声がこだまする。突然現れたほぼ全裸のムーレンに、リーチェンは驚きのあまり言葉が出ない。ずっとムーレンを凝視したまま固まっている。そんなリーチェンに近づくと、そっと背中に触れた。刹那、リーチェンの顔が真っ赤になったかと思うと、股間を押さえうずくまってしまった。
「ト……ントン!! 何やってんの!! ははは早く出てって!!」
なんで? 別に男同士だし問題ないじゃん、と言ってさらに近寄ろうとするムーレンに、鈍感かよ!とうずくまったままリーチェンが言う。
「し……正直に言うぞ? 今俺のジュニアは猛烈に熱を持ってる……どう言う状態かは分かるな? 厄介なのは、お前に重ねた彼女に反応してるのか、お前に反応してるのかが自分でも分からない所だ……最近お前は何故か俺を口説いてる風に接してくるし」
顔を真っ赤にしたリーチェンが、恨めしそうにムーレンを睨んだ。
「俺は彼女を重ねたお前に襲い掛かりたくないし、それでなくても間違っても親友を襲いたくない……だから俺の理性が残ってるうちに」
出てってくれ! と叫ぶように言うリーチェンに、ムーレンは浴室を出て行かざるを得ない。パタン、と閉めた浴室の中から、そう言うことは好きな人だけにしなさい!! と声が聞こえた。
ムーレンは暫しリーチェンの言葉を反芻していたが、突如顔を真っ赤にしてへたり込んでしまった。リーチェンが言うように、自分の行動は口説いていると勘違いされても仕方がない。ただ、親友が他の人間に取られるのが嫌だったからだとしても、やり過ぎと言うものだ。
「……うわ……超恥ずかしい」
ムーレンは真っ赤に火照った頬を両手で覆いながら呟いた。
その後、ムーレンはリーチェンを口説く? ことを止めた。自分似の彼女に対抗心を持つことが馬鹿馬鹿しくなったのだ。ただ、その中には自分自身の行動への羞恥心も含まれる。ムーレン似の彼女と上手く行くならそれで良いじゃないか。リーチェンに恋人が出来たとしても、親友である自分の立ち位置は変わらないのだから。
リーチェンが虚な目をして帰宅したのは、数日経ってからのことだった。先に帰宅していたムーレンを見つけると、どうしてくれるんだよぉ……と抱きついてきた。
「トントンのせいで、彼女とそう言う雰囲気になってもお前の顔がチラついて……結局彼女とダメになっちゃったじゃんかよー!!」
ムーレンを抱きしめながら、ぐすりと鼻を啜る。ムーレンはリーチェンに抱き締められながら、猛烈な自責の念に駆られた。かと言って、僕が代わりになってあげるなんて事も言えず、ぽんぽん、背中を叩いてやる。
「……責任取って俺と付き合って」
「嫌だ」
ムーレンの即答具合にリーチェンがまたぐすりと泣き始めた。リーチェンには悪い事をしたとは思うが、リーチェンと付き合うなんて考えられない。いつも一緒にいて欲しいとも思うが、そんな関係になりたい訳ではないのだ。この感情は決して恋なんてものではない。
ムーレンは、肩口でぐすぐす泣くリーチェンに明日美味しいものを奢ってやろう、と固く誓った。