まるで、さも困った様子でもなく、あっけらかんと言うものだから匋平は開いた口が塞がらかなった。
困った、とまず言ったのは直明だ。だからそれはさぞかし困ったことなのだろうと思い、とりあえず匋平はどうした、と聞き返した。しかし、いやいやこっちのことだよ。と勿体ぶって微笑みながら首を振るものだから、こっちもそっちもどっちだよと匋平は腕組みをした。そもそも「こっち」と言われるのは釈然としない。昼間の仕事のことならば当然それは「そっち」のことだろう、だがわざわざここで口にしたのだ。そして、それでもいいかとは思うが匋平の「どうした」が受け取られずに宙に浮いている、それを「こっち」だと突き放されてはやはり人間、釈然としないものだろう。
しかもその「困った」を直明が匋平に向けて言ったことに気がつかないわけがない。
「言えよ」
匋平の仁王の顔がカウンター越しに、もう一度の慈悲のように言う。
「うん?いいのかい?」
悠々とカウンター構える直明の菩薩のような顔が答えた。何故だか、どこか嬉しそうに。
「お前のな、そういうトコロが」
「実はこれを見ていたんだ」
聞いちゃいないと思う。苦虫を噛み潰したような顔の匋平に軽く振られたのは直明の手の中のスマートフォン。
「それが?」
「実は週末から出張が入っているんだけどね、そこのホテルが」
ん、と匋平は首を捻る。なんだ、やっぱり「そっち」の話じゃないか。
「それの何が困ったってんだ」
「いやね私としたことが、『いつもの』癖で喫煙ルームを取ってしまってたんだ」
開いた口が塞がらないとは、こう言うことかと匋平はぽっかりと口を開けて直明を見た。それはそれは、喫煙の習慣がない直明には困ったことだろう。困った、困った。そうだな、お前吸わないもんな、わざわざ旅先で、しかもホテルで葉巻が吸いたくて喫煙可能なんて取らないよな、そのために他人の煙草臭い部屋に滞在するわけもないよな、お前がな。いや、だがしかし。
「えーー?なんでなんでなんで?なんでボス『いつもの』なの?え?!なんで?」
スッと、固まった匋平の顎を押し閉じさせ、抱きついたリュウが騒ぐ。それを慌てて四季が引き剥がす。
「リュウ、リュウくんっ!ダメだよ!ダメ!それはダメ!聞いてないフリしてっ」
なんで、ここで言った。
「なーんで、なんでなんでますたぁは固まってるのーー?なんでな、……墓穴ってご存じっ……いったい!リュウくんのお尻なくなっちゃうっ」
「黙れ、リュウ」
匋平のボレーキックが入った尻を押さえピョンピョンとリュウが跳ね回る。暴力はんたーーいと叫ぶリュウがげらげら笑って開店前のフロアを駆け回り、それを匋平が追い回す。
「ははは、今日も仲良しだ」
その光景をにこやかに眺める直明と匋平の顔を見比べ四季は、愛されるって案外大変なんだなぁとか、こうやって大人になって行くんだなぁなどと思ったりした。
おわり