コン夏 ラチェわた.
意識し始めたのはいつからだろう。
膨らみかけた胸、話し方、生理痛に青ざめた顔の白けさ…。
おじと姪という立場上許されないとは分かっていても、惹かれてしまう自分を止められなかった。
ままごとに似た恋愛感情の延長を制してやるのが大人の役割だとしても、その立場に甘んじて彼女を愛してしまう自分を止める事はできなかった。
*
「ラチェットおじさん?」
なかなか診察室から出てこない私に、わたしちゃんが声をかける。
せっかくのお盆休みなのに、診察室の整理という色気のない作業を文句も言わずに手伝ってくれるわたしちゃん。
わたしちゃんは受付と待合室の掃除を、ラチェットは診察室の整理をしていた。
昼過ぎから始めた作業は、おやつ休憩を挟んで黙々とこなしても終わる頃には夕方を回っていた。
盆を過ぎたというのに夏の日は長く、診察室には光が届いている。
「こっちのお掃除終わったよ。他に手伝う事ある?」
ひょこりと顔を出すわたしちゃんは、大人びているといえどまだ××歳。
あどけない笑顔は大人の庇護欲を掻き立てる。
彼女は昔からよく私の手伝いをしたがり、時間があれば診療所に遊びに来た。
夏休みになれば自由研究を手伝って欲しいの!と言って本家に泊まり、勉強を見る合間に診療所の雑務などを手伝ってくれていた。
目に入れても痛く無いほどに可愛い、血の繋がった大切な姪。
「ありがとう。私の方ももう少しで終わるから、これが終わったら二人でご飯でも食べに行こうか」
「本当!?やったあ!ラチェットおじさん大好き!」
駆け寄ったわたしちゃんはラチェットに抱きつき腰に手を回す。腹のあたりに埋めた顔をあげ、にっこりと微笑む。
空調は効いているが、服越しに湿気を帯びた体温を感じる。
幼い頃から変わらない愛らしい仕草。
結局、何度言い聞かせても治る事は無かった、わたしちゃんの悪いくせ。
他のおじ達は何とも思っていないのだろうか。
胸に秘めた邪な思いを悟られないよう、わたしちゃんの頭を撫でながら、
「すぐに終わらせるから、いい子で待っていて」
そう微笑むと優しく引き離して診察ベッドに座らせた。
残るは資料の束のみ。なるべく背後の彼女に気を取られないように、丁寧にまとめていく。
わたしちゃんはそんなラチェットの背中を、手持ち無沙汰に足をぶらぶらさせながら見つめている。
その間にもゆっくりと日は傾き、だんだんオレンジ色の光が診察室に届きはじめた。
それに気づいたラチェットが窓に視線を移した横顔に、わたしちゃんは問いかける。
「……おじさん、恋人いるの?」
突拍子もない問いかけに返事が詰まる。
「…え?なんて…?」
はっきり聞こえてはいたが脳が処理出来ず、脊髄反射で聞き返していた。
「あの…彼女とか…恋人はいるのかなって思って」
同じ事をもう一度言うのは気まずいのか、視線を泳がせる。
「あ、ああ!ははは…居ないよ。今はそれどころじゃ無いし、ここではそんな出会いも無いしね」
無理矢理笑顔を作って答えるが、ぎこちない笑顔を見られたく無くて振り向けない。
半分本当、半分は嘘。
出会いなんてものは、いくらでもお節介な周りが作ってくれる。
望まない事を除けば、出会いなんていくらでもあるのだ。
でも、今はそれどころじゃない。自分の中の劣情に折り合いをつけて上手くやっていくので手一杯だ。
「こんな田舎だと…困ってしまうね」
なるべく笑顔で形式的に付け加えて振り向くと、わたしちゃんは窓の外に視線を向けている。
すっかり濃くなったオレンジ色に目を細め
「じゃあ、わたし……ラチェットおじさんの彼女になれるかな…」
「………」
薄く笑みを浮かべたわたしちゃんの目線はゆっくりとラチェットを捉え、二人は見つめ合う。
少女らしからぬ表情に動けずにいるラチェットをよそに、ゆっくりと瞬きしたわたしちゃんは立ち上がる。
「わたし、小さい頃におじさんとした約束…まだ覚えてるよ」
「わたしちゃん……」
床をゆっくりとなぞる様に歩く足音がやけに大きく聞こえる。
切ない声とは裏腹に、初めて見る姪の大人びた表情にかける言葉が見つからない。
「おじさんは?わたしの約束なんて忘れちゃった?」
目の前まで来たわたしちゃんはラチェットの顔を覗き込む。
*
小さい姪との可愛らしい約束は、思い出の中の記憶に大切に保管されている。
昔から一番ラチェットに懐いていたわたしちゃん。
小児科志望ということもあり元々子供は大好きで、歳の離れた親戚のお世話もしていたので、わたしちゃんが遊びに来た時はよく世話を頼まれた。
一緒にお風呂に入ったり、寝入りに子守唄も歌った。
寝つきが悪ければ散歩もしたし、星空が見たいと言えば一緒に星座早見盤を持って本家を抜け出して丘に登ったりもした。
そんな姪は物心ついた頃から
「ラチェットおじさんと結婚する!」
と言うようになった。
幼子の気紛れだとしても、そう言われる度に必要とされるのが嬉しくて堪らなかった。
「私と結婚してくれるの?嬉しいな、楽しみに待っているよ」
「約束ね?」
「あぁ、約束」
ままごとの約束に、指切りをするのがお決まりだった。
*
そんな姪に特別な感情を抱いていると感じ始めたのは、医者として働き始めてしばらくした頃だろうか。
本家に泊まりに来ていたわたしちゃんの世話を、親戚の養子の子がせっせと焼いていた。
綺麗な顔立ちの少年はわたしちゃんを可愛がり、抱きしめ、手を繋ぎながら笑い合っていた。
幼いながらも愛おしい者を見つめる視線の柔らかさに、取り囲む親戚は「可愛らしいわぁ」「お似合いねぇ」と口々に言い合っていた。
そんな、側から見たら微笑ましい、些細な出来事を、面白く思えない自分がいた。
嫉妬…とも違う、わたしちゃんを取られてしまうような焦燥感で胸がざわついた。
突然の事に笑顔を作るのが精一杯で、挨拶もそこそこに自室に帰り、眠れない夜を過ごした。
明け方にうつらうつらとしながら、嫉妬と欲望のまま幼いわたしちゃんを汚し倒し、呆気なく吐精する夢を見て飛び起きた。
自室に一人だということを再確認すると安堵のため息をついた。
落ち着きを取り戻すと自分の汚さと惨めさに苛立ち落ち込んだ。
だが、それ以降溢れる感情は抑えられず、また幼い彼女を傷付けない様に、独りで耽る事が増えてしまった。
それ以来、いつかこの感情が彼女を傷付けてしまうのではないかと距離を置く様になった。
診療所兼自宅を設けた後、わたしちゃんが遊びに来ている本家に行くのは夕食を一緒に食べる時のみにし、宿題を教えてほしいと言われれば他のおじが居る時間帯を指定した。
それでもラチェットに懐いているわたしちゃんは挨拶代わりに腕にしがみついたり、腰に抱きついて来たりしていた。
その都度
「女の子はたとえ親戚のおじさんだとしても、むやみに男性に抱きついてはいけないよ」
自分の為にも、わたしちゃんの為にも根気強く言い聞かせ続けた。
「おじさんと結婚するからいいんだもん!」
だが努力の甲斐も虚しく、涙目で反論するわたしちゃんは意地でもやめようとせず、今に至る。
*
「……ラチェットおじさん?」
わたしちゃんの声にラチェットは我に返る。
「あ、あぁ…ちょっと昔のことを思い出して…」
「わたしとの約束も思い出してくれた?」
そう言って一歩近づいたわたしちゃんは、首を傾げてラチェットを見上げる。
思わず緩んでしまった口元に手を当て、冷静さを取り繕う。
思い出すも何も、そもそも忘れた事など一度もない。
年齢も離れているおじと姪という関係の中で、その思い出だけは美しいままで仕舞っておきたかった。
「…忘れた事はないよ」
「じゃあ……!」
「でもね、私たちは歳が離れ過ぎている…。おじと姪という続柄もある」
「そんなの関係ないよ…っ」
「うん、わたしちゃんはそうかもしれない。
でもね、わたしちゃんのご両親や本家の皆はそうは思わないんだ」
目を見てはっきりと伝える。
言葉にしてしまえば美しい思い出は泡のように消え、重い現実が姿を現す。
「……」
わたしちゃんは涙を堪え、唇をふるわせて俯く。
「…わたしちゃんの気持ちは嬉しいよ。でも」
「ラチェットおじさんは…?ラチェットおじさんはわたしの事…嫌いになっちゃった?」
顔を上げたわたしちゃんに腕を掴まれ、思わず後退りする。
ガン!と後ろのテーブルに足が当たり逃げ道を失う。
「ずっと好きだったの…ラチェットおじさん…
わたしはまだ大人じゃない?もう待てないの…!」
言いながらなおも顔を近付けて来るわたしちゃんから距離を取ろうとしたラチェットは、腰ほどの高さのテーブルの縁に背中を預け、押し倒されるギリギリで耐えていた。
「わたしちゃん、ま、待って…」
「…もう待てないの。おじさんから返事をもらうまで、やめないから…!!」
「…あっ!」
胸に飛び込んだわたしちゃんを受け止めて、バランスを崩したラチェットは、テーブルの縁を滑るようにして床に転がった。
「…痛た…わたしちゃん、大丈夫?」
咄嗟に取った受け身と、運良く崩れた書類の山がクッションになり、背中を少し打ち付けただけで済んだ。
「…っう、ひっく…ごめんなさい…っ…う…」
「……わたしちゃん……」
胸に顔を押し付けたまましゃくりあげるわたしちゃんの頭を撫で、背中をさすって落ち着かせる。
「大丈夫…、私はどこも痛くないよ。書類がクッションになってくれたからね。
それより、わたしちゃんはどこかぶつけなかったかい?…痛いところは無い?」
こくこくと頷きながらも、泣き止む気配はない。
すでに日沈み、街灯が窓の外でぼんやりと光っている。
天井を眺めながら、泣きじゃくるわたしちゃんの体温を感じる。
そして、大切にしたいと思っている彼女をこんなに泣かせてまで守りたいものとはなんだろう…と考える。
わたしちゃんの健やかな成長と人生を守るためにしている事が、彼女を追い詰め、こんな行動に出させ、挙げ句の果てに泣かせている。
私の行動は大人として正しい。
しかし、そのせいで泣いている彼女を見るのは胸が痛かった。
私は本当に正しいのだろうか。
「わたしちゃん……私もね、ずっと前から君が好きだよ」
背中を撫でる手に力を込め、抱き締める。
好きという言葉にわたしちゃんは腕の中で息を呑む。
「…怖かったんだ…
私達が我を通しても、幸せになる人は居ない。
それどころか、君まで変な目で見られてしまうんじゃないかって…
そう思って今日まで君と、適切にお互いが幸せになれる関係を探していた…」
抱きしめられたわたしちゃんは時折鼻を啜りながらラチェットの話を聞いている。
「でも、大切な人をこんなに追い込んでまで守りたいものってなんだろう…って…
私は、わたしちゃんに笑顔で居て欲しいだけなんだ…」
自分の気持ちを確認するようにゆっくりと話す。
「…わたしは…ラチェットおじさんとじゃ無いと…嫌…。おじさんと一緒じゃないと笑えない…」
ラチェットの服を掴み、わたしちゃんが顔を上げる。
その顔にかかった髪をかきあげてやり、涙で濡れた頬を包む。
「…ラチェットおじさんが好きなの……」
しゃくりあげながらも懸命に言葉にするわたしちゃんの瞳からは溜まった涙が溢れた。
締め付けられる心のままにわたしちゃんを強く抱きしめ、息を吐く。
頭を手で支えながらゆっくりと体を反転させると、わたしちゃんに覆い被さる体勢をとる。
「これで顔が良く見える…」
わたしちゃんの涙を親指で拭うと、頬に手を滑らせる。
「私も、わたしちゃんが好きだよ…。
周りがどう言おうと、もう関係ない。
私が守るから、君が飽きるまで一緒に居させてほしい」
近くで見るラチェットおじさんはこんなにカッコ良かったっけ…
いつもの優しい笑顔なのになんか違う…いつもよりカッコよくて、途端に顔が熱くなる。
「あ、飽きないよ…」
大切な場面だというのに目を逸らしてしまった。
だって、ずっと見ていたら恥ずかしくて顔が爆発しそうで…。
「本当?」
さっきまであんなに真剣に泣いていたのに、恥ずかしがって目を逸らしたわたしちゃんは本当に素直で愛らしい。
通じ合った思いと体温を、もっと近くで感じたくて、ゆっくり唇を重ねた。
びくりと一瞬強張った身体は頭を撫でてやると力を抜き、目を閉じた。
「わたしちゃん、愛してるよ」
唇を離して告白する。
わたしちゃんも何か言おうとして開きかけた唇に、もう一度唇を重ねた。
*
「…コンボイさんには、私から説明するよ」
夕食を食べに車を走らせている道中、ラチェットが口を開いた。
きっと、コンボイは私達について、否定的なことは言わないだろう。
ラチェットも甘い気持ちでわたしちゃんの想いを受け止めたわけではない。
しかし、本家や色々な人を巻き込むと思うと…
誰かの言葉にわたしちゃんが傷付いてしまわないか、それだけが唯一の心配事だった。
「…ダメって言われるかな………」
助手席のわたしちゃんは自分の膝を見ながら呟く。
「反対されたら、どこか遠くへいこう」
そう答えるラチェットはフロントガラスから目を逸らさない。
「誰も私達を知らない所で、静かに暮らそう。
……君が飽きるまで」
「飽きないって言ってるのに!もう!」
それを聞いたわたしちゃんの強い返事に
「頼もしいねぇ」
とラチェットは嬉しそうに微笑んだ。
「……説得してみせるよ。どれだけ時間がかかっても。
殴られるのと、勘当される覚悟は出来てるから」
「おじさん…」
「知らない土地でわたしちゃんを独り占め出来るのも良いんだけどね。
君にはこれからも、みんなに愛されて、笑顔でいて欲しいんだ」
だからどれだけ時間が掛かっても、理解してもらおう。
わたしちゃんと自分に言い聞かせるように呟く。
「わたしも…おじさんやお母さん達に分かってもらえるように頑張るね!」
わたしちゃんはやる気いっぱいとばかりに、隣で息を巻く。
すっかり笑顔のわたしちゃんを見ると幸せで胸がいっぱいになった。
「ははは。とりあえず、今日本家に帰ったら何があったのかを説明しないと…だね」
本家に帰る頃には確実に二十二時を過ぎるだろう。
わたしちゃんはそれを聞いてバツの悪そうな顔をする。
コンボイの事だから、何かしら勘付いてはいると思うが…。
大切な姪であるわたしちゃんを、不本意ではあるとしても、夜中に連れ回していたとなれば穏やかに帰れはしないだろう。
殴られる事態が思ったよりも早く来てしまった事に苦笑する。
「大丈夫、わたしちゃんは私が守るよ」
お目当ての場所に車を停車させ、わたしちゃんの手を握る。
「わたしも…ラチェットおじさんを守るよ」
真剣な表情で言うわたしちゃんは凛々しく、こんなかっこいい表情も出来るんだな…と見惚れていたら、キスをされた。
「…なっ…!」
驚いて変な声を出したラチェットを置いて車を降りたわたしちゃんは、笑い過ぎてお腹を抱えている。
「ね、早くご飯食べよう!もうお腹ぺこぺこ!」
そう言うと店のドアの前まで走り出し、手を振っている。
もう、この子の行動力には、本当に毎回驚かされる。
しかしそれが可愛くて、たまらなく惹かれるんだ。
やれやれと車を降りると、ガラスに映った不安そうな顔をしている自分と目が合った。「しっかりしろ」と言い聞かせる。
彼女の全てが愛おしい。遠回りをし、傷付いて、やっと通じ合えた気持ちに翳りを落としたくない。
あの子が笑顔で居られるなら私は何でもしよう。
改めて、そう自分に誓うと、
「今行くよ」
足早に彼女の後を追った。