寒い日の話 昼休憩が終わりを告げ、暖房の効いた店から出ると灰色の空とひやりとした空気が出迎えて思わずアオキは体を震わせた。
そういえば今日は雪が降るとニュースで言っていたなと朝の記憶を手繰り寄せ、スケジュール確認と直帰の算段つける。扱うポケモン同様、寒さに滅法弱い恋人が寒い寒いと悲鳴をあげながら帰ってくる家へ早めに帰り暖めてやろうと口の端が上がった。
「か、帰りましたです……へっくしゅん!」
「おかえりなさい。今、風呂の用意してるんで沸くまでリビングで待っててください」
「ありがとうございますです。うー…寒いですよ……」
予想通り寒さに打ちひしがれながら帰ってきた恋人のハッサクを迎え入れたアオキはキッチンに引っ込む。
マグカップに電気ポットのお湯を注いで市販の即席スープを作るとブランケットに包まりソファでぶるぶる震えているであろうハッサクの元へ向かう。
クルマユというよりコモルー状態のハッサクに湯気を立てるマグカップを渡すとちびちびとスープを飲み始め、冷えた白い顔に血色が戻ってくる。
腹に温かいスープが入ったことで少しはマシになったのだろう。震えは治まりつつある。
それでもまだ青白い顔をしているので物置部屋にあるポケモンウォッシュに使っている小さめのタライを引っ張り出してきて、そこに電気ポットのお湯を全部入れた。
このタライはアップリューやフカマル先輩、ネッコアラくらいの小型ポケモンたちのプール代わりに使っているので足を縮こまらせなくてもいいのだ。
掃除用のバケツもあったのだがタライの方がマシだろう、緊急だしハッサクも怒らないだろうとアオキは高を括る。
しかし、程よい温度になるように冷ましたいが水を足すと溢れそうであった。
横着して電気ポットをひっくり返しなみなみと入れてしまったことに後悔を覚えるアオキがどうしたものかと考えていると背後に冷気を感じた。
「ああ、あなたは寒いの大丈夫でしたね」
いつの間にかボールから出てきていたセグレイブがギュワンと鳴いて不思議そうにアオキを覗き込む。
セグレイブはこおりタイプ複合のドラゴンポケモンだ。生息地も雪山なので他のドラゴンタイプや今現在ソファで震えているトレーナーよりかは耐性があるのだった。
「ハッサクさんが凍えているので足湯を用意しようとしたのですが、ちょうど良かった。セグレイブ、あなたの力を貸してください」
頼られて嬉しいのかグオオンと鳴いて尻尾を揺らすセグレイブに頼みましたよとアオキは微笑んだ。
リビングに戻ると相変わらず大きな布の塊がソファで丸まっている。戻ってきたアオキに気がついたのかブランケットの隙間からハッサクが顔を出す。
温度を高めに設定した暖房とブランケットで暖を取ったおかげか先ほどの白い顔色から血色が戻ってきたようだ。
「ハッサクさん、足湯用意したんで」
「助かります」
「すみません、丁度いい大きさのがそれしかなくて」
「構いませんよ。あなたのことだからそうだろうと思っていましたし、セグレイブにお願いして様子を見てもらったのは正解でしたか?」
「……バレてましたか」
「アオキのことはだいぶ分かってきたと小生は自負していますからね!」
ブランケットの中でもぞもぞと動きながら靴下を脱いで足湯に素足を浸からせると暖かさにハッサクの顔のこわばりが取れたようにみえた。
ただ傍から見るとシーツおばけから足が生えて足湯に浸かってソファでくつろいでいるという絵面なのでアオキはここで笑ってはいけないと自らの腿をつねってこらえていた。
それでも付き合いが長くなったからかバレるもので「別に面白くないでしょう」と言われてしまったからには、アオキは面白いか面白くないかのジャッジをするためにロトムに写真を撮ってもらい本人に見せる。
「これは………ぶっくくく……」
「ちょっと、自分で見て笑うのズルいですよ。こっちは我慢してたのに」
「だってこんなの面白いに決まってるじゃないですか!あなただって今笑ってますし」
「え、うそ」
「ホントホント、耐えようとして口引きつってますよ」
「……ふふ。あ、まって、ぶり返してきて…んふふ」
「笑いすぎです。そんな子は今夜、小生の湯たんぽの刑にしますですよ!」
「いいですけど」
「え?」
まさか了承されるとは思わなかったのか間の抜けた顔で固まるハッサクにもう一度、別に構わないとアオキは伝える。
それでも硬直は解けずハッサクの返事がないまま風呂が沸いたと給湯器から知らせがリビングに鳴り響いた。
硬直したハッサクは脱衣場に押し込まれ、よく暖まってくださいねと言われ扉が閉められた。そうだ風呂に入らなければと衣服を脱ぎ浴室へ足を踏み入れる。
暖かな湯気が立ち込める中、自身が冗談のつもりで言ったことにいいですよと言ったアオキのことを反芻してぼんやりといつもより長めの入浴をしたのだった。
あまりにも風呂が長く、ついにはアオキが様子を見にくる始末だった。心配をかけた当のハッサクはもう凍えてはおらず、白い肌が上気して薄紅に染まっているくらいだ。
「……よかった。顔色良くなりましたね」
そう言って血色の良くなった頬を指の背でそっと撫で、安堵して微笑む黒い瞳にハッサクの心は乱されてしまう。
そんなことなどつゆ知らずさっさとキッチンとダイニングテーブルの往復に戻っていくアオキの後を着いていく。
「今日は何です?」
「おにぎりと生姜スープです。おにぎりは色んな種類作ったので好きなの食べてください」
「ほう!それは楽しみです!」
「あ、スープもうできるんで器出してもらっても?」
「これでいいですか?」
「はい、大丈夫です」
鍋から立ち上る湯気と食欲をそそられる匂い。アオキの好みで宝食堂のような味付けがされているのだろうと鼻腔くすぐる生姜と鳥がベースのスープの香りに察しがつく。
テーブルにはすでに完成していたおにぎりの山が鎮座しており、出来たので席に付いてくださいと急かすアオキにハッサクは顔をほころばせた。
「まさか、おにぎりと生ハムが合うとは思いませんでした」
「自分も教えてもらうまでは不安でしたが、意外な組み合わせの相性よかったですね。気に入ったのならまた作りますよ」
「本当ですか!それならあのスープもまた作ってくださいね」
「ええ、もちろん」
ここまではいつもの時間のはずだった。とハッサクは頭を悩ませていた。
数時間前の迂闊な自分の発言で自分の首を絞めるような展開になっているのだから。
いつの間にか寝る支度を済ませていたアオキはベッドに潜り込み、枕を軽く叩いて早く来いとハッサクを呼ぶ。
煮えきらずベッドのそばで立ち尽くすハッサクに痺れを切らし手を引いて引きずり込もうとする。
「ほら、早く。せっかく暖まったのに冷えますよ」
「え、あ、はい。失礼しますです」
アオキはどうやら本気のようだ、と大人しく隣に収まるが不服そうな顔が目の前にあった。
「もっとくっついてください」
「でも、狭くないですか?」
「あなたが湯たんぽにするって言ったじゃないですか」
「……言いましたね」
「そのことに自分は了承したので問題はありません。さ、どうぞ」
そういって密着し、ハッサクを抱き寄せると冷えてつらいと言っているのを覚えているのか脚先まで絡めてきたのだった。
アオキの胸元に顔を寄せて抱きすくめられる状況に改めて照れくさくなってしまう。まともに顔など見れず体同士が触れているところ全てが暖かさを通り越して熱く感じてしまうのだ。
普段は無頓着のくせにこういう時ばかり……と悪態を着くハッサクは自分ばかりがこうなのかとアオキの様子を伺ってみるとうっすらと首筋が赤く染まっているのが見えてしまった。
ぶわりと急上昇した体温にベッドの中で熱がこもって暑いような気までしてきて、風呂の時のようにまたのぼせてしまいそうな錯覚に落ちそうだった。
抱きすくめるアオキの胸元に頭を寄せると忙しない鼓動が耳に届いた。ドクドクと鳴る気恥しさに自分と同じなのだと安心を覚えてくふくふと声を抑えた笑いが漏れ出てしまう。
「アオキ、ありがとうございますです」
「なんですか急に」
「あなたが小生のことを愛しているのだとよくわかったので」
「……それはそうですが。早く寝てください。明日も早いんですから」
「そうですね。おやすみなさいアオキ」
「おやすみなさいハッサクさん」
ハッサクが眠りに落ちたあと、アオキがカーテンの隙間から窓を覗くと外の雪はいつの間にか止み、そっと月が雲の間から顔を出していた。
明日は晴れて暖かくなるが少し雪は残ってしまうから朝は冷え込んで寒い寒いとまた震えているだろうと腕の中にいる頬にかかる長い金の髪を指で梳いてやると専属の湯たんぽ役に戻ったのだった。