その男と初めて会ったのは、両親の葬式のことであった。
自動車同士の衝突事故で、後部座席に座っていた日番谷だけが奇跡的に助かったのだが、両親は帰らぬ人となった。
日番谷はまだ小学4年生で本来なら両親がいなくなって泣きわめいてもおかしくない。しかし、悲しいはずなのに何故だか涙が出なかった。大人たちは「事故のショックが大きくて、感情が追いついていないのだろう」と解釈したが、そうではない。
日番谷には、誰にも言っていない秘密があった。それは、前世の記憶があるということだ。しかもそれはただの人間の記憶ではない。死神として護廷十三隊という組織に所属し、尸魂界という場所や現世で虚という化物と戦ったりする、というものだった。そこでは仲間の死を多く見てきた。そのため、死についてだいぶ冷静に見てしまっている自覚はあった。
しかし、どんな理由であれ、ここまで育てて慈しんでくれた両親の死を悲しめない自分が嫌になりそうなのもまた事実だ。
そんなことを考えながら、親戚の大人たちが日番谷をどうするかで話し合っているのをぼんやりと眺めていた。大体は自分の家庭があるし、独り身の者も自分の生活で精一杯という者たちばかりだ。皆はっきりとは口にしないが、日番谷を引き取りたくはないのだろう。
(引き取りたくはないが、体裁を気にして施設に入れるとも言い出せないってとこか)
親戚たちの気持ちもわかるため、責める気にもならない。
「冬獅郎くん。少しいいかな?」
どうしたものかと思案している最中、突然かけられたその声に日番谷は固まった。
「浮竹……?」
思わず声が漏れる。
「俺のこと、知ってたのかい?お母さんに聞いたのかな?」
自己紹介前に名前を呼ばれ、相手は面食らったようだ。
「いや、その……」
自分に前世の記憶があるからと言って相手もそうだとは限らない。それなのに、咄嗟のことで頭が回らなかった。
「一応名乗っておくと、俺は浮竹十四郎。君のお母さんの親戚なんだ」
前世では護廷十三隊の十三番隊隊長だった男は、今世では日番谷の遠い親戚らしい。
「何の用……スか」
「君さえ良ければなんだけど、うちに来ないかい?」
日番谷に声をかけてきた時とは違い、周りに聞こえるようなはっきりとした声で、そう尋ねてきた。
恐らく他の親戚たちの雰囲気を察しての行動だろう。浮竹の言葉に、明らかに周りの大人たちがホッとするのがわかる。
「けど……迷惑になるし……」
「君と暮らせるだけの蓄えはあるし、仕事もそんなにハードなものではないから、心配はいらないさ」
日番谷を安心させるように、浮竹はにっこり微笑んだ。
浮竹は養護教諭をしているらしい。
(こいつらしいな)
前世でも回道を得意としていたため、医療に携わっていても何も違和感はない。しかし、前世のように肺病を患っていないとはいえ体はあまり丈夫ではないらしく、医者は向いていないと思ったらしい。
「まあそのおかげで、冬獅郎くんを引き取ることができたんだけどね」
日番谷がある程度の年齢になっているとはいえ、多忙な医者ならまず無理だっただろう。
「……何で俺のこと引き取ろうと思ったんスか」
「子どもが困っているのを助けるのに、理由がいるのかい?」
何と答えるのかと思えば、実に浮竹らしい答えが返ってきた。前世でも打算とは無縁な男だと思ったが、今もそれは変わらないらしい。
「敢えて理由を言うなら……そうだな……君と俺は名前も目と髪の色も似てるだろ?少し親近感があってね」
「……それだけっスか?」
「ああ」
(やっぱり、よくわからねえ)
浮竹の真意がつかめず、日番谷は首を傾げた。
しかし、ここでそれを追及したところで、納得のいく答えなど出ないことは直感的にわかっていた。
だからそれ以上は何も言わずにいた。
「冬獅郎くん。言いたいことがあったら遠慮なく言っていいからな。もちろん、無理はしなくてもいいけども」
その言葉にドキッとする。自分の心を見透かされたのかと思ったが、どうやら真意は違うらしい。
「全く泣けないっていうのならそれでもいい。けど、泣きたいなら我慢もしなくていいぞ」
日番谷は両親の葬儀で泣くことができなかった。だが、その表情はまるで感情を押し殺しているようで、それが痛々しく映ったのだと浮竹は言った。
「別に、そういうわけじゃ……」
もしかしたら本当に悲しみを感じなかったわけではなく、自分でも気づかないうちに蓋をしていただけかもしれない。それに気づいた途端に、視界がぼやけた気がした。
「……っ」
必死で堪えようとするが、一度堰を切った涙はなかなか止まってくれない。そんな日番谷を見て、浮竹は優しく頭を撫でた。
「泣きたいだけ泣いていいからな」
その手つきは温かく、自然と気持ちが落ち着いてくる。
前世の隊長格の中でも浮竹は穏やかな性格で、いつも日番谷のことを気にかけてくれていた。
彼の変わらないその優しさが、自分が今は死神ではなく人間なのだということを思い出させてくれて、少し救われた気分になった。
自宅で浮竹の帰りを待っていると、スマホが着信を告げる。
ディスプレイを見ると浮竹の名前が映し出されていた。
「何かあったのか?」
『ああ、急用が入って少し帰りが遅くなりそうなんだ。悪いけど、晩ご飯待っててもらえるかな?』
「わかった」
『あと、俺の友人が今夜来ることになっていて、もし俺が帰ってくるより前に来たら家に上げておいてもらえるかい?』
「友人?」
『ああ。京楽春水と言ってな。冬獅郎くんのことは彼にも伝えてあるから』
「……わかった」
通話を切ると日番谷は軽く息を吐いた。
「京楽もいるのか……」
彼は自分と同じく前世の記憶があるのだろうか。それとも浮竹のように無いのだろうか。
(まぁ、どっちでもいいか)
どうせもうすぐわかることだ。
夜になり、チャイムの音にモニターを確認すると、そこには癖のある長髪を束ねた男が立っていた。
間違いない。日番谷の記憶と違わない京楽の姿だった。
ドアを開けると「久しぶりだね」と笑いかけてくる。
「……あんたも前世の記憶あるのか?」
久しぶり、と言われて思わず呟くと、京楽は「そうだよ」と頷いた。
「浮竹から『俺のこと知らないはずなのに、名前を呼ばれた』って聞かされてたからね。まさかとは思ったけど」
「立ち話も何だし、上がってくれ……と言っても、俺の家ってわけじゃねえけど」
「何言ってるんだい。浮竹の家でもあるけど、もうキミの家でもあるだろ?きっと浮竹ならそう言うよ」
確かにこの家に来てまず「今日からここが冬獅郎くんの家だからな。だから、遠慮しないで存分に使ってくれ」と言われた。
そんな浮竹の言葉を思い出しながら、日番谷は京楽を部屋に招き入れた。
京楽の家は老舗の酒蔵で、京楽自身もそこで蔵人として働いているらしい。
少し意外だった。前世でも酒好きだったが、総隊長になる前の勤務態度からは真面目に働く姿が想像できなかった。資産家で気ままに暮らしている方がよっぽどイメージに合っている。
「らしくないって思ってるだろう?」
「まあ、少し……」
正直に言うと苦笑された。
「いや、ボクも最初は家業をする気なんて無かったんだけどさ……まあ、いろいろあってね」
その「いろいろ」にはきっと浮竹が関わっているのだろうと直感的に思った。しかし、本人が語らない以上は指摘するのも無粋だろう。
「しかし、何か悪いな」
「何がだい?」
「いや、何というか……俺がいるのは邪魔だろ?」
かなり遠回しな言い方になったが、京楽はそれだけで察したらしい。
「まさか。そもそもボクと浮竹はそんな仲じゃないって」
「そうなのか?」
少なくとも京楽が浮竹に対して友人以上の感情を抱いていたことは、前世でも何となく察していた。逆に浮竹が彼のことをどう思っていたのかは全くわからなかったが。
(結局、前世でも何で俺のことを構いたがっていたのかがわからなかったし)
名前が似てるからとは言っていたが、それだけなのだろうか。今世では親子に間違われるぐらいに髪色や瞳の色が近かったのも親近感がわいたのだろうか。しかし、それだけの理由で――
(そうだ。アイツは前から本心が全く見えないんだ)
他人のために尽くしたいのだという気持ちは伝わってくるが、それ以外がよくわからない。しかし、考えても結論は出ないと思い直し、話題に意識を戻す。
「……告白とかしなかったのか?」
今は平和で命の危険と隣り合わせというわけでもない。浮竹も少し体が弱いというだけで日常生活に支障はない。だから何かしらのアクションを起こしているものだと思った。
もしかしたらそういった懸念点ではなく、単に断られたら気まずくなるかもしれないと思っているのだろうか。そう考えていると、京楽からは意外な答えが返ってきた。
「だって、フェアじゃないでしょ」
「フェア?」
「ボクは前世の彼のことも知ってるけど、彼はボクの今世のことしか知らないんだからさ」
もし前世の浮竹と今世の浮竹の好みや思考が変わらないのであれば、それを加味したアプローチをすることが可能だ。
「なるほど。テスト前に問題を見てからテストをする、みたいな感じか」
「そういうこと」
その説明を受けて日番谷は納得したが、同時に少しだけ疑問を感じた。
(それはつまり、京楽は自分の想いを一生伝えるつもりがないってことだよな?)
この先、浮竹が前世の記憶を取り戻す可能性は限りなく低いだろう。それは京楽もわかっているはずだ。それでもなお、伝えないという選択をしたということは、彼なりの考えがあってのことだろう。
「それでいいのか?もし、浮竹が他の誰かと結婚したとしたら――」
そこまで言いかけて言葉を止める。京楽の顔つきが変わったからだ。
「……それが浮竹の幸せなら、祝福するのが友としての務めだろう?たとえ相手がボクじゃなくても、ね」
京楽の言葉からは強い決意のようなものを感じられた。それを聞いて、自分の発言に後悔する。
(所詮俺は、まだガキってわけか)
京楽は覚悟を決めているのだ。例え自分が報われなくとも、相手の幸せを願って身を引く。前世であの山本の後を継いで総隊長を務めていた男が選んだ道なのだ。自分なんかよりもずっと大人で思慮深い。
「京楽――」
「遅くなってすまないな!」
スーパーから帰ってきた浮竹がリビングに入ってくる。
「どうかしたのか?」
何とも言えない空気になっていた日番谷と京楽を見て、浮竹は首を傾げる。
「何でもないよ。それより、夕飯は何にするの?」
京楽はすぐに普段通りの表情に戻り、買い物袋の中を覗き込む。
「今日は鍋にしようと思ってな。最近寒くなってきたし、ちょうど良いだろう」
そう言って浮竹は台所に向かい、買ってきたものを冷蔵庫に入れていく。その様子を見て京楽は微笑む。
「まあ、こんな感じでね。今のボクにはこれくらいの距離感で十分ってこと」
「……そっか。悪かったな、変なこと聞いて」
「別に謝ることじゃないよ。むしろ、キミがボク達のことを気にしてくれて嬉しかったよ」
日番谷が謝罪すると、京楽は優しい口調で言った。
「さて。浮竹、何か手伝おうか?」
「そうだな……そこの野菜類を切ってくれるか?」
「了解」
「俺も何か手伝う」
日番谷も立ち上がると、浮竹がこちらを見た。
「それなら食器とかテーブルの準備をしておいてくれるかな?」
「わかった」
三人はそれぞれの役割を全うすべく、作業に取り掛かる。
その日の夜は、とても賑やかな食事となった。