「まいったなあ」
浮竹は一軒の店の前で困り果てていた。
今日は2月14日。現世ではバレンタインデーである。最近では瀞霊廷内でも行われており、この時期は主に女性たちがチョコレートなどを買い求めたり菓子作りに勤しんでいる。
浮竹は毎年部下の女性たちから菓子を貰っているが、今日は誰かに呼び止められる前に現世へと赴いていた。
ホワイトデーのお返しには早すぎるどころではないこの日に現世の洋菓子店に来たのは、浮竹自身がバレンタインのプレゼントを贈ろうと考えたからである。
ちなみにその相手は言うまでもなく京楽春水である。
バレンタインに男性からプレゼントをしようとする習慣は瀞霊廷ではなかったが、それでも浮竹がこうして現世へと足を運んだのは、ひとえに女性たちが羨ましかったからだ。
両想いでも片想いでも、自分の気持ちを込めてプレゼントをする──その行為が浮竹には眩しかった。
浮竹の想いを京楽は知らない。浮竹自身も自分の感情を知られないままの方がずっと側にいられるだろうと思っている。しかし、頭ではわかっていても心はそうはいかなかった。積もりに積もったこの想いを抑えているのはもう限界に近づいていた。だからといって打ち明けられるはずもないのだが、それでも何か形にしたいという衝動を抑えることはできなかったのだ。
そして、今に至る。
現世に来て菓子店を見つけたはいいものの、バレンタインデーということもあり店内は女性で賑わっていた。それゆえに男一人で入るには非常に躊躇われていたのだ。
「あれ?浮竹さん?」
聞き覚えのある声がして振り向くと、一人の少女が立っていた。
「織姫ちゃんじゃないか。久しぶりだね」
「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」
「いや、現世の菓子を買いに来たんだが、どうもこういうところには慣れてなくてね」
「そうなんですか……あ!そうだ!」
何かを思いついたように手を叩く織姫。
「私もちょうどお菓子買いたかったんで、一緒に入りましょうよ」
「そうかい?助かるよ」
二人は連れ立って店の中へと入っていった。
「浮竹さんはどんなのが欲しいんですか?」
「そうだな……」
正直京楽に何を渡せばいいのかわからなかった。長い間一緒にいたせいもあるが、バレンタインという行事に何かを贈ろうなどと考えたことが一度もなかったため、こういう時にどうすればよいのか何もわからなかった。
(そもそも恋人同士というわけでもないのにな……)
自分自身の京楽への想いに気づいているとはいえ、それをはっきりと口に出したことはなかった。言ってしまえば今の心地よい関係が崩れてしまうのではないかと危惧していたからだ。
それなのに自分はこうして菓子を買い求めている。それが何とも言えない恥ずかしさがあった。
そんなことを考えながらショーケースの中の商品を見つめる浮竹を見て、織姫はふと疑問を口にした。
「そういえば、浮竹さんはどんな人にお菓子あげるつもりなんですか?」
「それは……」
京楽だとはさすがに言えなかった。
「あ、言えなければ無理して言わなくても大丈夫です!」
織姫は言いづらそうにしている浮竹を察したのか、慌てて首を振った。
「ただ、贈るお菓子に一応意味があるんです。もし選ぶのに迷ってるなら、相手がどんな人かわかればそれに合わせた意味のお菓子選べばいいのかなって」
「そうなのか」
京楽は自分にとって元々何なのだろうと考える。
同期、昔馴染み、親友──自分の中の京楽に当てはめるにはそれらの言葉はどれも足りない。
そもそも菓子は部下に配るものだと言えばいいのだが、織姫に対してあまり嘘をつくのは躊躇われた。そのため、浮竹は率直な想いを溢した。
「そうだな……俺にとってかげかえのない相手、かな」
何の捻りも飾り気もないが、結局そこに尽きるのだ。
「かけがえのない……」
その言葉を聞いて織姫は少しだけ頬を赤らめた。想い人などのような直接的な表現は避けたつもりだが、相手が単なる親友などではないことを察したのだろう。
「それなら、これがぴったりだと思います」
織姫の指差す先には小さくカラフルな菓子が並んでいた。今まで見たこともない菓子だ。
「これはなんだい?」
「マカロンって言うんです。甘すぎないので、相手の人が甘いもの得意じゃなくてもオススメですよ」
「へぇ」
現世の菓子は不思議なものが多いと思う。自分が知らないだけで昔からあるものもあるかもしれないが、それでも目新しいものばかりだ。
「ならそれにしようかな」
マカロンを購入して店を出ると、織姫も何かを買ったらしく手に菓子店の袋を提げていた。
「あ、あの、浮竹さん。お願いがあるんですけど」
「なんだい?」
「これ、朽木さんに渡してもらえますか?」
「朽木に?」
織姫が差し出してきた袋を受け取る。
「手作りじゃなくて申し訳ないんですけど、友チョコってことでお世話になってるお礼で渡して欲しいんです」
どうやら浮竹とたまたま会い、ルキアに渡せるチャンスだと思ってさきほど購入したらしい。
「わかった。しかし、今時は友チョコなんていうのもあるんだな」
「はい。友達同士で交換したりもするんですよ」
購入したはいいがどう渡そうか考えてた浮竹にとっては、友チョコという存在はとてもありがたかった。
(それなら俺が京楽に渡しても別に不自然でもないな)
そう思ってハッとする。織姫には嘘をつきたくないと思うくらいには前向きになれていたはずなのに、結局自分の感情に未だに後ろめたさを感じていることに気づかされる。
(本当に情けないな……)
「どうかしましたか?」
「ああ、何でもないよ。確かに預かったからね」
「ありがとうございます!」
織姫は嬉しそうに笑った。
「ああ、そういえば、マカロンの意味って何なんだい?」
浮竹の「かけがえのない相手」という返答に対してぴったりだと言っていたが、どういう意味なのかまでは聞いていないことを思い出した。
「マカロンの意味は『あなたは特別な人』です」
「特別……」
「はい!だからきっと喜んでくれると思いますよ!」
織姫はそう言って微笑むと、「では私はこれで失礼しますね」と言って去っていった。
「特別な人、か……確かにぴったりだな」
この気持ちを伝えることはできないけれど、せめて自分の想いを込めて贈ろう。そして、織姫の言った通り、喜んでくれたらいいなと思いながら、浮竹は帰路についた。
「京楽、入るぞ」
浮竹が部屋に入ると、京楽は書類を見ながら筆を走らせているところだった。
「ちょっと待ってて。あと少しで終わるから」
「いや、こっちでは見かけない菓子を現世で見つけてそれを渡しに来ただけだ。ここに置いておくぞ」
机の上に先ほどの菓子を置くと、京楽は不思議そうな顔をして浮竹を見た。
「浮竹、それってもしかしてバレンタインのプレゼントかい?」
「あ、ああ」
京楽の問いに思わず頷いてしまい、浮竹は「しまった」と思った。バレンタインにわざわざプレゼントを渡す意味など限られているのに。
「そういえば、現世で織姫ちゃんに会ってな。最近だと友チョコというものがあると教えてくれたんだ」
結局友チョコで誤魔化してしまおうと、苦し紛れに口にしてしまった自分に嫌気がさした。
「そっか。浮竹からのバレンタインの贈り物なんて嬉しいなぁ」
だが、そんな浮竹の心配を他所に京楽は素直に喜んでいた。その姿を見て、浮竹は胸を撫で下ろすと同時に罪悪感が湧き上がってきた。
「織姫ちゃん、元気だったかい?」
「ああ……じゃあ、俺はもう行くからな」
「うん。ありがとうね」
これ以上ここにいると余計なことまで言ってしまいそうだったため、早々に退散することにした。
「隊長。書類書くの終わりましたか?」
浮竹が退出してからしばらくして、七緒が隊首室に入ってきた。
「終わったよ」
「それはよかったです……って、あれ?どなたか来られたんですか?」
机の上に置いてあるマカロンを見て、七緒は首を傾げた。
「ああ、浮竹だよ。バレンタインのプレゼントだってさ」
「えっ、浮竹隊長がマカロンを!?」
予想外な答えだったのか、七緒は驚いた表情を見せた。
「なんだい、その反応は」
「いえ……恐らく私の考えすぎです」
「なんのことだい?」
「なんでもありません」
「何?気になるじゃない」
「本当に大丈夫なので気になさらないでください」
「ふーん……」
頑なな様子に、何かを隠しているのは明白だったが、それ以上詮索しても何も言わないだろうことは長年の付き合いの中でわかっていたため、諦めることにした。
「……ちなみに、浮竹隊長からマカロンを渡された時に何か言われましたか?」
「うーん……現世で珍しいお菓子見つけたからって持ってきてくれたよ。まあ結局バレンタインのプレゼントだったらしいけど。あと、織姫ちゃんに会ったんだって。友チョコっていうのがあるって聞いたって言ってたかなあ」
「なるほど」
七緒は何か納得したらしかったがやはり京楽には何も言わず、部屋から出ていってしまった。
一人残された京楽は目の前の箱からピンク色のマカロンを取り出し一口噛った。口の中に甘酸っぱさが広がるのを感じながら、浮竹と七緒の先ほどの言動を振り返ってみる。
何故浮竹は最初からバレンタインのプレゼントだと言わなかったのか。現世に友チョコという風習があること自体は本当だろうが、思い返せばその話も後から取って付けたような言い方だった。
(ボクに渡しても不自然ではないようにするために?)
しかし、どうしてそんなことを、という疑問は出てくる。
それに、七緒の態度も気になる。彼女は恐らく浮竹の意図に気づいたのだろう。しかし、京楽に対しては言うのを躊躇った。それはやはり浮竹が何かを隠したがっていたのを汲み取ったからではないか。
(一体何を隠そうとしたんだろう)
そう思ってはみたものの、浮竹の真意がわかるはずもなく、京楽はただ悶々とするばかりだった。
「現世では贈るお菓子にそれぞれ意味があるんだって」
そう言っていたのは乱菊だっただろうか。チョコやクッキーといったオーソドックスなお菓子の他に、マカロンについても話していた記憶がある。
(確かマカロンの意味は『あなたは特別な人』だったっけ)
確かに浮竹にとっての京楽はただの親友ではない。もう何百年も共に護挺十三隊の隊長として歩み続けているのだ。
しかし七緒は、浮竹の京楽に対する感情がそれだけではないということを感じていた。
浮竹の眼差しが、時折寂しそうに、そして苦しそうに京楽に向けられていたのをたまに見かけていた。
その視線は親友に向けるものというより、まるで恋い焦がれているかのようなものだった。
もちろん京楽はそんなことに気づいていなかったし、七緒自身も確信があったわけではない。だが、もし自分の勘が正しければ。そして浮竹がマカロンの意味を知っていて京楽に渡したのだとしたら。
(きっと浮竹隊長は)
だから京楽には何も言わなかった。浮竹が隠したいのであればその意思を尊重したかった。
詮索するのは止めようと思ったが、一度動き始めた思考は止められなかった。
(浮竹隊長は、きっと京楽隊長に何か特別なものをと思って現世に行かれて、その時にマカロンの話を聞いて……)
もしかすると浮竹は自分の想いが叶わないものだと思っているのかもしれない。だからこそ親友としての関係を崩すまいとしているのではなかろうか。しかし、想いは止められないために、あのような形で自分の想いをプレゼントとして託しているのではないか。
そう思うと胸が締め付けられるように痛むのを感じた。
(私は応援したいけど……でも……)
浮竹と京楽の関係は、七緒が口出しできるものではない。ましてや浮竹がそれを望んでいない以上、自分が何かを言うわけにはいかない。だから京楽には何も言わなかった。浮竹が隠したいのであればその意思を尊重したかった。
それでも、心の中で願わずにはいられなかった。どうか、この二人の関係が良い方向に向いてくれればと。