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    syo_chikubai_

    @syo_chikubai_

    サークル名:Qin 20歳以上 七のオンナで灰七の字書き

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    syo_chikubai_

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    ※灰原と七海の死亡に関する描写があります。
    ※サラリーマン時代の七海に関する描写があります。

    十月に開催された二代目灰七版ワンドロワンライの短編四本をまとめました。鬱々としたお話が半分、嬉々としたお話が半分です。

    ・二代目灰七版ワンドロワンライ(https://twitter.com/817_1hour

    神無月(二代目灰七版ワンドロワンライまとめ)[[rb:神無月 > プロローグ]]待ち合わせ読書紅葉おばけ[[rb:神無月 > エピローグ]] ――神は存在しない。高二の秋にそう思った。



     否、存在はするのだろう。現に、灰原を殺したのは強い産土神信仰だ。神は存在すると信じる人には存在して見える。それが高じて人をも殺す。

     私には見えない。

     ――神は存在しない。仮に存在するのならあんなことにはならない。

     一般的な隙や欲こそ持ち合わせていたが、善人の最高峰だったような灰原が人間を守るために十七やそこらで死ぬなんて、神が存在するのならありえない。まして、それで善人とは対極にある私が未だに生きているなど、なおさら信じられない。

     灰原がいないなら、神もいない。

     ――神は存在しない。すくなくとも、私の身近には。

     信じる人がいるかぎり、どこにでも神は存在するのだろう。たとえ出雲以外の十月であろうとも、その人の周りには神というものが存在して、その人の人生を見守ってくれるのだろう。それはありがたいことだ、良かったじゃないか。だが、私が信じていた存在は、私のたった一人のかけがえない人間を殺し、私が死にたいと思ったときには死なせてくれなかった。だから、神は存在しない。そう思った。

     ただ、私の二十八年の最期に、私を灰原に会わせてくれた。もし、それが神というもののしたことなら、それだけは心から感謝したいし、信じてもいい。

     ――神は存在しない。それでも私は生きた。そう思ってから十一年も、私は生きた。

     失ったものは再び得られはしないし、過ぎた時間は二度と戻らない。
     それでも私は生きた。

     十一年前の十月に、灰原が私に生を託したから。




    神無月プロローグ




    『待ち合わせ』

    ※灰原と七海の死亡に関する描写があります。
    いつも待ち合わせに早く来てしまう灰ちゃんと時間通りに来る七ちゃんのお話です。
    (二代目灰七版ワンドロワンライ十月九日開催分)


    『読書』

    読書がその人の人間性に少なからず影響を与えるということについて考え込んでしまう七ちゃんのお話です。
    (二代目灰七版ワンドロワンライ十月十六日開催分)


    『紅葉』

    ※五条と夏油が登場します。(二人の交際を匂わせる描写はありません。)
    紅葉狩りに行きふた悶着を起こす灰ちゃんと七ちゃんと五条と夏油のお話です。
    (二代目灰七版ワンドロワンライ十月二十三日開催分)


    『おばけ』

    ※灰原と七海の死亡に関する描写があります。
    ※サラリーマン時代の七海に関する描写があります。
    なにげない日常の中で七ちゃんとある約束をした灰ちゃんのお話です。
    (二代目灰七版ワンドロワンライ十月三十日開催分)




    待ち合わせ
    『もっとゆっくり来てもよかったのに』

     灰原は改札を出たところで待っていた。時計は待ち合わせに指定した時刻の二十分前を示している。

    『遅れてすみません』

     姿が見えてから急いで走ったせいか、呼吸の速度がはやい。灰原はふだん寝癖のある髪をなでつけ、俺の記憶の中にはない洒落た私服を着ていた。おそらく、下ろしたてだ。

    『七海はいつもあわてんぼうなんだから』

     言いながら灰原の表情がゆるむ。その灰原が俺より先に着いていたということは、少なくとも待ち合わせの二十分前より早くからここにいたはずである。おたがいにずいぶんと逸ったものだ。

    『あなたこそ』

     俺は苦笑いして灰原のもとに歩み寄った。





    「もっとゆっくり来てもよかったのに」

     灰原は改札を出たところで待っていた。時計はどこかに落としてきてしまったようで、手首が涼しい。あの腕時計は、たしか猪野くんが欲しがっていたので申し訳ない気もするが、今さら探しに戻るのは億劫だった。

     そもそも、上半身には服がない。皮膚も焼けただれている。走るだけの力も私にはもう残っていないようで、灰原のもとへ向かう足どりは重かった。

    「七海はいつもあわてんぼうなんだから」

     灰原は目にうっすらと涙を溜めていた。感情表現が直接的な彼は相変わらず考えていることの汲み取りやすい表情を浮かべて私を待っている。
     しかし、それはこちらの言い分だった。灰原は、十一年も早くここにいたはずである。
     本当に、おたがいにずいぶんと逸ったものだ。

    「あなたこそ……」

     私は苦笑いして灰原のもとに歩み寄った。――つもりだったが、脱力した容れものの身体が傾いた。
     それを灰原が受け止める。

    「七海?」

     力強い腕だった。高校生のころとなにも変わっていない。

    「……あなたはいつも先にいて俺を待っているんですから、とんだあわてんぼうの大馬鹿者ですよ」

     灰原は私の肩を抱きながらわずかに頷いた。

    「だって、七海が来てくれるところを間違えてほしくないから」
    「間違えませんよ、俺はそんなに信用できませんか」
    「七海」

     灰原の手が背中を撫でさすった。面積の大きい掌が皮膚の残る右半分を往復する。まるでちいさな子どもをあやすようなその触れかたが、私を等身大より幼くさせた。

    「……はいばら、どうしてあなたは先にいってしまったんですか」

     いやな温さが頬を濡らすのがわかった。きっと似合わないだとか言われ笑われてしまうだろう。みっともない表情を隠すように、学生服の肩口に顔を埋めた。

    「あなたのいない世界をいままでいきた私の気持ちがあなたにわかりますか」

     私をなだめていたやさしい灰原の手が止まる。

    「……待っていてくれなくていい、俺はじぶんでどこへでもあなたにあいにいけるから、もうひとりで先にいくのはやめてください、俺と同じように同じところに着いて、俺と……」
    「ななみ」

     灰原の腕が私の身体を強く抱きしめた。ズッと洟をすする音がする。私のものではないから、きっと灰原のものだ。うん、うんと何度も肯定が聞こえた。

    「約束してください」

     いや、案外と私のものかもしれない。溢れ出た感情とその証拠で制服の黒い生地はぐちゃぐちゃだ。

    「わかった、約束する」
    「……破らないでくださいよ」

     骨が軋むほど力が籠められる。灰原も、来ない私を十一年間ずっと待っていたのだ。

    「うん、」

     喉奥から絞り出したようなつっかえた声。



    「――早く来すぎちゃってごめんね、七海」

     温かい涙がむき出しの肩を濡らしては流れていく。追って嗚咽が右胸を打った。




    「……遅くなってすみません、灰原」




    読書
    「すきだよ」

     灰原はよくそう言う。どこにも嘘いつわりのない声音で、いろいろな表情をそこに乗せて灰原は言う。
     とても単純で、とても明快な語彙だ。

    「……あなたのそういうところ、嫌いじゃないですよ」

     ――俺は?
     回りくどくて、ひねくれた語彙。腹の底ではもっと簡単で説明のできる感情を持っているくせに、それを灰原のようにはそのまま言えない。
     そういうところが、俺は嫌いだ。

     自室を見渡すとブックカバーに包まれた厚く背の低い文庫本がざっと目に入った。背表紙が露わになっているものもあるが、その多くに黒く細い明朝体で漢字の多いタイトルが書かれている。俺の部屋にあるのは一見で「難しそう」がわかる本ばかりだ。
     対照的に、灰原の部屋には色とりどりでたくさんの人間の興味を引くような漫画本が並んでいる。魅力のあるキャラクター、収束するストーリー、溌剌としたセリフ。まるで灰原の人となりを表すような、そんな本が散らかっていない程度に部屋中にあった。

     読書は、その人の人間性に少なからず影響を与える。
     小難しい小説ばかり読んできたからこの性格になったのか、この性格だったから小難しい小説ばかり読んできたのか。定説を信じるならば前者なのかもしれないが、それは自分をあまりに甘やかしているような気がした。この、可愛げのない、素直に返事もできない性格が読書のせいで出来上がったなど、愛読書にもその作者にも失礼だ。

     ちら、と灰原の様子をうかがった。灰原は自室から持ち込んだ超能力を持った主人公がなんだかの漫画を手に俺のベッドに寝転がっている。ちょうど山場に入ったのか、その表情はすこし険しいが。

     灰原がくれる言葉は真っ直ぐで、ゆがみなく伝わる。――俺が投げる言葉はどうだろう。灰原が受け取るときにどんな形になっているのだろう。
     誤解を招きうる発言のせいで、いままで何度か場所を追いやられた経験がいまになって思考を締めだした。ああ、こんなにも自分のこの性格を憂う日がくるなんて。

     これまで他人に無頓着だったからかもしれない。とくに引き留めたい相手も引き留められたい人間も俺にはいなかった。どうせ離れていくのだから面倒くさい、だったら端から投げやりでいい。そう思ったこともあった。
     それがどうだろう、いまはこんなに長考するほど灰原を引き留めたくて灰原に引き留められたくて必死だ。いつか離れていくかもしれないからそうならないように気を揉んで言葉のひとつにさえ不安になっている。

     離れていかないでほしい。嫌いにならないでほしい。

     だが、腹の底にあるそんな簡単で説明のできる感情を俺は口に出せない。

    「どうしたの、俺の顔ばっかり見て。惚れなおしちゃった?」

     灰原が漫画から顔を上げて俺を見た。途端に言葉が出る。

    「そんなわけないだろう、自惚れないでくださいよ。だいたい俺の挙動のどこにそんな根拠が……」

     心にもないことが止まらない。
     ああ、こんなままだと本当に、いつか灰原に嫌われてしまうかもしれない。

     すると、灰原がつらつらと讒言を吐く俺を眺めながらニコニコ笑った。きっとニマニマのほうが近いだろうというとても満足した表情で。

    「……なんですか、そんな顔して」

     不審がる俺を灰原はそれでも笑顔で見ていた。



    「七海って、俺のこと本当に好きだなあって思って」

     バチン!

     不意を突かれて、そして思わず手が出た。灰原が頬を抑えてベッドの上を転がる。どうやら俺に対して文句を言っているようだが、それは聞かないことにした。

     灰原は、きっと俺のゆがんだ言葉を、真っ直ぐになおして受け取ることができる超能力でも持っているのだろう。

    『すきだよ』

     回りくどくて、ひねくれた語彙。最近は灰原に貸されて読んでいる明るい展開の漫画本なんかも本棚に並んでいる。灰原のようには嘘いつわりなくなれないだろう、しかし、俺の無頓着が灰原に出会って変えられたように、きっと、この天邪鬼も変わっていくのだろう。

     黙り込んだ俺を、今度は灰原がニヤニヤになってじっと見ている。俺は二発目を企んでいた手を引っ込めてムッとしながら口を開いた。



    「ええ、好きですよ」




    紅葉
    「紅葉狩りしようぜ」

     景勝地からやや外れた村落に赴いた帰途だった。先輩二人の力もあって予定より大幅に早く任務が終わり、迎えが来るまでの時間を持て余していた俺たちは 、「先輩二人」のうちの一人である五条さんの一言で登山が決定したのである。麓まで歩くだけでもかなりの体力を使うのではないかと主張したが、言い出しっぺの五条さんと乗り気になった灰原にそれはもみ消されてしまった。

    「それにしても、紅葉って食べられたんだ?俺、知らなかったよ」

     灰原が自販機のボタンを押すと、ガシャンとコーラのペットボトルが転がり出てきた。

    「……葡萄狩りと同じようなものだと思っているでしょう。どちらかというと花見の親戚ですよ」

     ピッ。水のペットボトルを取り出して俺は顔を上げた。灰原は期待を隠さない表情を崩さず、飲み物をバックパックに仕舞う。

    「そうだよな、もし食べられたら観光どころじゃないし」
    「食べられないことはないですよ、天ぷらにすると美味しいんだとか」
    「紅葉の天ぷら!なんだかお腹がすいてきちゃったな」

     それも甘いお菓子らしいですよ、と言って俺は立ち上がった。
     五条さんと夏油さんはすでに登山口に着いてなにか言い合っている。これはろくな道中にならないなと俺は早々に悟った。

    「楽しみだね、七海」

     灰原の声が意識に割り込む。そうだ、案外と有意義かもしれない。いくら給料をもらう生活であれ学生の身分ではなかなか遠出は難しい。

    「そうですね」

     それに、灰原と連れ立ってなんて。
     嬉しそうに登山口へと向かう灰原に手を差し出され、俺は文句を飲み込んでおとなしく従った。

     が、その灰原はかなり序盤に五条さんと失踪した。

    「どうしてあんな体力の使い方をするんだろうね……」
    「小学生のときから成長していないんじゃないですか」

     行き先はわかっているので、正しくは急行だ。夏油さんが困ったように笑う。

    「悟も後輩を煽るなんて幼稚だよ。申し訳なかったね、七海」

     迷惑を被ったのは俺ではなく灰原では?そう思っていることが顔に出ていたのか、夏油さんはニコニコと補足してくれた。俺は穴があったら入りたくなった。

    「だって、君たち付き合い始めたんだろ。それも、最近になってからみたいだし」

     逃げたい。ここが山の中でなければ走って姿を消していた。しかし、そこで俺はふと考える。どこから漏れたんだ?俺は誰にも話していないから、夏油さんがそんなことを知っている原因は一人しかいない。

    「……灰原ですか」
    「間接的にはそうだね。灰原から聞いた悟が喋ったんだよ。とても感慨深そうだったな」

     五条さんが感慨深かろうがどうでもいい。灰原め、よくも、よりによって五条さんに余計なことをベラベラと話したな。ただで済むと思うなよ。これで今後、邪魔なんか入ってきたらあなたのせいですからね。この先輩二人に知れたらどういうことになるかわかって言ったんだろうな。責任はあなたがとってくださいよ。

     俺はペットボトルを取り出して一気に水を流し込んだ。どうにかして頭を冷やしたい。

    「とりあえず山頂に着いたら捕まえて殴ります」
    「手加減してあげてね、たぶん悟が無理やり聞き出したに違いないから。……ところで、最終的には七海から告白したんだってね」
    「灰原はどこまで喋ったんですか!」

     それから長い道のりを歩く間、俺はずっと夏油さんに笑顔で責められ続け、ろくに景色も見ないままぐったりと体力を消耗したのだった。



    「灰原!あなたよくも……」

     山頂に着いて開口一番、俺は灰原に詰め寄った。灰原は俺の背後の夏油さんを視認して察したのか、言い訳をしようと慌てている。

    「な、七海、ちがう、いや、違わないけど、その……」
    「おかげで大変な目に遭いましたよ、あなたが先に行ってしまうから俺ばかりがからかわれるし……」
    「ごめん、ごめんって、七海、怒らないで」

     甘いコーヒーの缶を片手に持った五条さんがベンチに腰掛け、その隣に座った夏油さんに「で、どうだった?」と尋ねた。ほら見ろ、やっぱり共犯だったじゃないか。

    「本当みたいだね。すごく狼狽えていたから途中でかわいそうになったよ」
    「俺が嘘なんかつくわけないだろ」
    「で、悟、そもそもどうやって灰原から聞き出したの?灰原が自分から話し出したとは思えなかったんだけどな」
    「あ、イヤ、それは」

     灰原はせわしなく俺をなだめにかかる。人とのことを勝手に話したやつのことなどかまうものか、俺がどんな気持ちになったかも知らないくせに。

    「やっぱり脅したんじゃないか、後輩相手になんて事するんだ」
    「そう言うオマエこそ、楽しそうに聞いてただろ」
    「それは君が話すからだろ。いいよ、話し合いで結論が出ないならこっちにも考えがある」
    「いいぜ、乗ってやるよ」

     別に怒ってはいないし、灰原のことを微塵も嫌いになどなってはいない。
     ただ、照れくさかったのだ。自分が灰原の好意を受け入れて、自分も同じだけのそれをもって灰原と友人関係を超えたことを知られたのがなんとなく恥ずかしかったのだ。
     そんなこともわからないような灰原など、もう、ちっとも――

    「七海、ねえ、七海ってば。反省してるから、ねえ」

     灰原がもはや泣きそうな顔で俺の身体を腕に収めてすがりついてきた。こうなったら、俺のほうが悪いことをしたような気になって架空の罪の意識にかられる。

    「いいですよ、もう。すこし二人だけの秘密を漏らされたような、そんな気分になっただけです」

     俺は譲歩したつもりだった。しかし、それを聞いた灰原は本当に泣き出した。

    「ごめん、ごめんね、七海、おれ、ななみがそんなこと思ってくれてるなんてしらなくて」
    「灰原、ちょっと、はいばら」

     グズグズと洟をすする灰原に大げんかをしていた先輩二人も矛を収めて戻ってくる。そこで「なんだ、痴話ゲンカか?」と余分な一言を発した五条さんが背後から夏油さんに蹴り倒された。

    「オマエ、なんだ、まだやる気か?」
    「いまのは君が悪いだろ」
    「七海、ななみ、ごめんねえ」
    「わかったから、わかりましたから」

     灰原が俺をなだめていたはずが、いつのまにか俺が灰原をあやしている。結局、ほとんど紅葉なんて見なかったな、と思いながら、せめてもの記念にと俺は灰原の肩越しに赤々と燃える山の色を忘れないよう克明に記憶に焼き付けた。




    おばけ
     よく晴れた秋の日、天井を見上げていた。家具はもうないから床に直座りだ。
     この部屋の主がいなくなって一ヶ月。騒がしいとすら思ったことのある数畳の空間が冷えた外気の中で静まりかえっていて、俺は膝を抱いて唇を噛んだ。

     灰原の体温は世界にもう無い。たしかに在ったはずなのにそれを証明する術はいまやどこにもない。それがただただ悔しい。

    『七海、俺はここにいるから』

     灰原の幽霊がそう言って笑った。通り雨が乾いた頬を濡らした。



     まだ肌寒い三月、膨らんだ蕾を眺めていた。寮の荷物はぜんぶ引き払っていた。
     入学式の日、ここで俺は灰原と出会った。桜の花びらを浴びるその姿が今も頭の底に焼き付いて消えない。期待どおりには色褪せない記憶が苦しくて、ずっと楽になりたかった。

     灰原が木の下に立っている。まだ一分も花の咲いていない桜の枝を見上げて寂しそうに手を伸ばしている。

    『この場所ともお別れだね、七海』

     今日は卒業式だ。この時をもって、俺はあらゆる形見から逃げる。



     噎せ返るような夏の夜、煌々と光る画面を睨んでいた。三徹はさすがに目にも脳にも堪える。
     大学に編入し、久方ぶりに世間の同世代を知って、思い浮かんだのは結局灰原だった。どんな同級生を見ても、仕草が似ているだとか、灰原だったらこうするだろうとか、そんなとりとめもないことが頭をよぎる。

     灰原は消えない。とっくの昔に世界からは消えているのに。

    『笑ってよ七海、もう自由なんだろ』

     灰原の気配が残る場所からは離れた。俺の身体は解放された。だが、ちっとも自由になれなかった。



     喧噪が遠い初春、鏡に映った自分を見ていた。買ったばかりのスーツがまだ身体に馴染まない。
     呪いも祓いも関係ないところでの新生活が明日から始まる。自分の頭脳と手腕だけが問われる会社という場所はとてもわかりやすかった。ついに俺は呪術からも逃げた。

     そんなことで楽になろうとした。つたない卑怯をとがめるように灰原が俺の名前を呼ぶ。

    『七海』

     灰原、私は。



     空の澄んだ春の日、せめぎ合うビル群を見納めていた。手には通話を切ったばかりの携帯電話がある。
     呪術師としてもう一度生きると告げた。迷いがなかったわけではない。ただ、そうしたほうがきっと今より自分を誇って生きていけそうな気がした。

     灰原、私は。やはりこの場所に戻ってきてしまった。

    『そのほうが七海らしいよ』

     腰を下ろしたベンチは陽光で温もっていた。四年ごしに土を踏む母校を回顧し、すこしだけ、ほんのすこしだけ私は笑えた。





     談話室のテレビには、故人が枕元に立つことを主題にしたドラマが映っていた。風呂から上がってきた俺と灰原は幸運にも無人だったそこに陣取り、髪を拭きながら怠惰にそれを眺めていた。

    『貴方のことが心配で私、こうやって出てきてしまうの』

     長い黒髪に白いワンピースを着た女優がそんな台詞を声に出す。死者になってまでよく生前の恋人を気にかけられるものだと思っていると、灰原が俺の肩をつついて言った。

    『俺も死んだら、おばけ?幽霊になって七海に会いに行ってあげるよ』

     灰原はにんまり笑っている。得意げなその表情に胸が締めつけられて、俺は精一杯呆れた顔で濡れた前髪に隠れた灰原の額をはたいた。

    『やめてください、縁起でもない』

     ただの冗談かもしれない。そもそも、幽霊なんてただの幻覚にすぎないことを、この世界に身を置いている俺も灰原もよくわかっている。そう、よくわかっているのだ。

     だが、俺は灰原がそんな約束を口にしたことが堪らなくて、否定しながらそれを信じた。もう無くなったはずの温度に苦しむ自分を助けてほしくて言質に縋った。

     幽霊なんてただの幻覚にすぎない。消えたものは再び蘇らない。
     灰原は二度と戻ってこない。

     それでも、俺は幻覚を恃んだ。





     よく晴れた秋の日、天井を見上げていた。構内を埋める呪霊を一体残らず祓い尽くすとその向こうに光が見えた。
     灰原がいなくなって十一年。私はもうずいぶん長く生きた。

    「おつかれさま、七海」

     灰原の幽霊がそう言って笑った。天気雨が乾いた頬を濡らした。





     ――神は存在しない。高二の秋にそう思った。



     否、存在はしたのだろう。私が信じられなかっただけで、神というものは灰原を殺したし、灰原が慕っていた先輩をも攫ったし、教え子やその友人の命を奪ったりした。それらに天命という名前を乱暴に与え、そして傲慢に存在していたのだろう。

     ――神は存在しない。

     しかし、私のようにそう思って生きなければならない人間を増やすわけにはいかなかった。だから、呪術の世界に出戻って苛立ちながら呪霊を祓い、魘されながら後続を育てた。こんなふうに世界を恨まずにすむように、未練に苦しまずにすむように。

     それが役に立ったのか、私にはわからない。ただ、私はやれるだけのことをやった。今はそう思う。



     ――神は存在しない。それでも私は二十八年生き、そして死んだ。

     十月三十一日深夜、未だ神無月の頃だった。




    神無月エピローグ
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    syo_chikubai_

    DONE※灰原と七海の死亡に関する描写があります。
    ※サラリーマン時代の七海に関する描写があります。

    十月に開催された二代目灰七版ワンドロワンライの短編四本をまとめました。鬱々としたお話が半分、嬉々としたお話が半分です。

    ・二代目灰七版ワンドロワンライ(https://twitter.com/817_1hour)
    神無月(二代目灰七版ワンドロワンライまとめ) ――神は存在しない。高二の秋にそう思った。



     否、存在はするのだろう。現に、灰原を殺したのは強い産土神信仰だ。神は存在すると信じる人には存在して見える。それが高じて人をも殺す。

     私には見えない。

     ――神は存在しない。仮に存在するのならあんなことにはならない。

     一般的な隙や欲こそ持ち合わせていたが、善人の最高峰だったような灰原が人間を守るために十七やそこらで死ぬなんて、神が存在するのならありえない。まして、それで善人とは対極にある私が未だに生きているなど、なおさら信じられない。

     灰原がいないなら、神もいない。

     ――神は存在しない。すくなくとも、私の身近には。

     信じる人がいるかぎり、どこにでも神は存在するのだろう。たとえ出雲以外の十月であろうとも、その人の周りには神というものが存在して、その人の人生を見守ってくれるのだろう。それはありがたいことだ、良かったじゃないか。だが、私が信じていた存在は、私のたった一人のかけがえない人間を殺し、私が死にたいと思ったときには死なせてくれなかった。だから、神は存在しない。そう思った。
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