0113「ファウスト、いる?」
もう少しで日付が変わるという時間、ノックと共に聞こえてきた声に部屋の主であるファウストは少しだけ迷い、ドアを開けた。
「なんだ」
「わっ、びっくりした」
ドアを開けると驚いた顔のフィガロがいた。
「今日は開けてくれるんだね」
笑顔になったフィガロとは反対に、ファウストはむっとした。
「どうせ無理矢理にでも入ってくるだろ」
「やだなあ〜、そんなことしないよ」
「お前…今日自分がしたことを忘れたのか…」
呆れた顔ではあ、とため息をつく。
「それで、要件は何だ」
聞くと、後ろ手に何かを隠していたフィガロがずい、とそれをファウストの目の前に出した。
「飲まない?」
手に持っていたのはワインだった。
「改めて祝わせてくれよ、君の誕生日」
だめかな?とフィガロが付け足せば数秒の沈黙のあと、招き入れるようにドアを大きく開いたファウストがいいよ、とだけ呟いた。
小さいテーブルに並べられたグラス。
ワインを注ごうとしたファウストだったが今日は俺に注がせて、と制止された。
そうか…とどこか申し訳無さそうに自分のグラスに注がれるワインを見つめているファウストにフィガロは小さく笑った。
「…何」
「いや?」
なんでもないよ、と笑えば眉間に皺が寄った。
「それじゃあ、誕生日おめでとう、ファウスト」
「……どうも」
カチンと軽く乾杯すれば、外からの薄い光がグラスの中で揺れた。
「今日はどう過ごしたの?」
「お前達が来たあの後…東の皆とお茶をして…歩いてれば色んな奴らに祝われて。賢者も来てくれたよ。あと一時間ほど前までネロと少しだけ飲んでいた」
「ああ、それでちょっと顔が赤いのか」
ほんとに飲んだのは少しだけ?とふいに伸びてきたフィガロの手が頬を撫でる。
少し身じろいだファウストだったが、手を払う事も悪態をつく事もしなかった。
「…お前が来るかと思って、少ししか飲んでない」
「…え?」
「…オズが」
「オズ?」
予想外の名前が出た事にフィガロがぱちくりと瞬きした。
「オズが何?」
もう一度尋ねたが、ファウストは何かを迷うように口を噤んでいる。
促すように手を握ればゆっくり口を開いた。
「オズが…お前が楽しそうに…していたって…」
だから、フィガロ来るかもしれないと思い、友人との晩酌もほどほどにして、待っていたと。
意味を理解したフィガロは頬が緩み、ふにゃりと笑った。
「…気持ち悪い顔をするな」
悪態も今は照れ隠しに聞こえる。
フィガロより一層機嫌良さそうにニコニコと笑顔を浮かべた。
「かわいいなあ、ファウスト」
「は?」
「ふふっ、嬉しいなあ」
何が、問おうとしたファウストだったが、伏せられた瞳がどこか寂しそうに見え、口を噤んだ。
「…もう会えないって思っていた君にまた会えて、皆に祝われてる君を眺めて、おめでとうって言えて」
視線を落としたフィガロは空になったグラスにワインを注ぐ。
それをゆっくり口に流し、一息置いてから言葉を続けた。
「…会えないまま、俺は石になると思っていたから」
「……」
「俺は今幸せだよ、君と過ごせて。それに、今日の君を見ていたら安心したよ。君は皆に愛されている。俺がいなくなっても…」
視線を上げたフィガロが、俯いて黙っているファウストに気づいた。
その肩が、微かに震えているように見えた。
「…泣いてるの?」
「泣いてない」
「ふふ…泣かないで、ファウスト。顔上げて」
両頬に手を添え、優しく上を向かせる。
紫の瞳はほんの少しだけ、潤んでるように見えた。
親指で目尻を拭ってやると、少し濡れた指先にフィガロは眉を下げた。
「ほら、笑って。君の笑顔が好きなんだ」
「…僕は笑わないよ」
「嘘。いつも綺麗に笑ってる」
そんなわけないだろと眉を下げ、困ったように小さく笑ってみせた。
「ん、かわいい」
「うるさい」
ファウストが残っていたワインを一気に口に流すと、フィガロの目の前にグラスを差し出した。
はいはい、とワインを注いでいるとフィガロ、と声をかけられた。
「…来年も、美味しい酒を持ってこい」
目を丸くしたフィガロがははっ…と笑った。
「善処するよ」