ある男をふれっくちゃんが迎えに行く妄想姉から魂を迎えに行くように言われた。
なんでフレックちゃんが、と思ったが私達姉妹を纏める長女の命には逆らえず渋々了承した。
最近は昔に比べて戦場は減り迎えに行く事も少なくなった。
けれど平和になったとはとても言えない。今でも争いは続いているし、複雑になっただけだ。豊かさと知識、技術は発展した分、たちが悪くなってきている気がする。
あいも変わらず人間は愚かなのだ。
人と神が近かった神話の時代も遠ざかり、神への信仰と恐れは薄れつつある。私達の仕事は減り、今では長女が必要だと思った人間だけをぽつぽつと迎えに行くだけになっている。
長女のお眼鏡に叶うなんてどんな英雄か。どのような勇者か。
長女に迎えに行く者がどんな人物か聞いたが教えてはくれなかった。
ただ苦々しく顔を歪めただけだった。
少し興味をそそられる。
教えられた場所が近づき目を丸くする。
なんの変哲もないただのぼろアパートだ。
“二階の右から三つ目の窓の部屋”
長女に教えられたとおりの窓枠に降りた。実体を消しているので音を鳴らす事などないのだが、それでも歪み腐りかけている窓枠は軋みをあげる気がしてそっと中を覗きこんだ。
古いベッドの上に年老いた男が寝ている。
枯れた枝の様なやせ細った指だ。とても英雄や勇者には見えない。
賢者の類なのかしら?と浅い呼吸を繰り返す男を見つめる。
部屋の中に入り窓枠に腰掛けて終わりを待つ。
少し早く来すぎてしまったようだ。
欠伸をかみ殺す。いけない、選ばれし魂を送り届ける使命があるのだ。
厳かに敬意をもって行わなければ。
眠気を誤魔化すように部屋を見渡した。
ボロボロのシーツに枕元に古びた本。背表紙は摺りきれ読めない。
しばらく掃除をしていないのだろう、埃を被っている部屋にうんざりと溜息が漏れる。
『誰も世話をしてくれる人はいないの?選ばれし魂なのに?』
後世に名を残すタイプなのだろうか。
この家に男以外に気配はない。力なく咳き込む声だけが部屋に響く。
必要最低限の調度品。
ポールハンガーには質素な部屋に似合わない派手な赤い帽子。大事な物なのか手入れをきちんとしているようでくたびれた様子はない。
なんだかちぐはぐだ。
男の生涯を知れるような物がなにもない。
生活は裕福に見えないが紅茶の良い匂い。良い茶葉なのだろう。紅茶が好きなのだろうか。
そして男に染み付いた微かな血の匂い。戦乙女が迎えに来た者だ、やはり血生臭い地獄を見てきたのか。こんな男が?なんだか信じられない。
世界から隔離されたような、寒々しく静かな部屋だ。
もっと壮絶な場を想像していたので拍子抜けだ。英雄でも勇者でも賢者でもないただの貧しい人間の終わりだ。
迎えに行く者は大抵は血溜まりの中にいた。
惜しまれつつ逝く者、病に倒れる者、悪意に討たれる者、失意の中で逝く者希望を託し逝く者。
そういう者がほとんどだった。
こういう最期は珍しい。血溜まりの中に迎えに行くよりはよっぽどいいけれど。
穏やかに終わりを待っている。そこに失意も希望も見えない。
ふと、男がこちらを見たので驚いた。
「ああ、窓の外を見たのね、びっくりさせないでよ」
聞こえるはずがないのについ文句が出た。
焦点の合わない瞳が眩しそうに細められ光を反射してる。色違いの珍しい色だ。
「あんたの目、綺麗ね」
見えないのをいい事に近づき男の顔を覗きこむ。
苦しいのだろう。ひゅーひゅーと浅い呼吸に血の気が失せた顔、微かに寄せられた眉。
何を見ているのだろう。ただ迷子の子供のような目をしている。
「大丈夫よ、もうすぐ終わるから」
なんてことのない最期を迎える男がなぜこんなにも哀れに思えるのか不思議だ。
枯れ枝のような手に自分の手を重ねる。触れられないし、聞こえてないので気休めにもならないけれど、そうしてあげたいと思ってしまったのだから仕方がない。
埃の積もる床に膝を付き、大丈夫だと語りかける。
人の死など見慣れているのに。もっと凄惨で悲痛な最期も見てきたのに。
らしくもない事をしている。けれどあんな目をされたら仕方がない。
綺麗な色違いの瞳がゆっくりと閉じられて最期の空気を吐いた。
「お疲れ様、あっちに着いたらフレックちゃんがお酌でもしてあげるわ、それとも紅茶の方がいい?」
ふわりと体から抜け出た魂をそっと両手で捕まえた。
天界に戻ると長女が迎えてくれた。
「ご苦労様でしたフレック、魂をこちらに」
両の手に包んでいた魂をそっと長女に渡す。
「ずっと抱えて来たのですか?疲れたでしょう」
甘いものでも届けさせます、そう言って長女は背中を向けた。
「ブリュ姉、そいつ、いつ頃動けるようになるの?フレックちゃんが面倒みてあげてもいいわよ?」
「その必要はありません、時がくるまで牢に入れておきます」
「…はあフレックちゃんがわざわざ迎えにいってあげた魂なんですけど、なんでそんな事するわけ」
ワルキューレがわざわざ迎えに行った魂だ、歓迎されるべき魂だ。尊い生を終え、召し上げられた選ばれた魂だ。
納得がいかなくて長女に詰め寄った。
「…何を勘違いしているのか分かりませんが、これを英雄、勇者といった覚えはありません」
「…は?」
「あなたも聞いた事位はあるでしょう?随分話題になってましたから」
長女の口から告げられた名前に呼吸が止まった。
事もなく言ってのけた長女が信じられない。
「ふざけないでよ…!なんでそんなやつを…」
怒りで体が震える。
「言えばあなたは迎えに行かなかったでしょう」
あたりまえだ。気高き戦乙女が何故殺人鬼を迎えに行かなくてはいけないのか。
「必要だったのであなたに頼みました、来るべき日が来れば貴方の神器練成の相手にするつもりです」
心を重ねる相手の事を少しは知っておいた方がよいでしょう
そう言って背を向けた長女の背中を呆然と見送る。
さっきまで魂を包んでいた両手を見つめる。
抜け出た魂を捕まえた時あまりの冷たさにゾッとした。
なぜこんなに冷たく痛いのか分からなくて、天界に戻るまで暖めるように両の手で包んで来てしまった。
「最低…っ」
あの冷たさは人の道を外れた証だったのだ。
あの痛みは穢れた痛みだったのだ。
あんな目をしていたのも見間違いだったのだ。
気高き戦乙女の手を汚された苛立ちと、男を哀れに思った自分が腹立たしい。
あの寂しい最期は当たり前のものだ。
むしろ殺人鬼の最期にしては恵まれ過ぎだった。
あの冷たさと心を重ねるなんて到底無理だ。
嫌悪感とあの冷たさを消したくて両手を擦り合わせたが冷え切った手は温まらなかった。
終わり