『指先に魔法、瞳には火花』.
「このデブ……」
後ろから腰に抱き着かれた格好でそんなことを憎々しげに言われては、多少傷つく純情もあろうというものだ。
「人様の鍛えた肉体捕まえて随分な言いざまだなオイ」
「うるさい膨れゴリラ。……長尺の余り方じゃないぞこれ……」
ボソボソと文句をこぼした薫は最後にフンっ! と気合の入った声を上げ、虎次郎の腰に回した帯を思い切り締め上げた。下腹が絞られ、不意のことに虎次郎はグラりと後ろへたたらを踏む。目の整った畳の上で足裏が僅かに滑る。
「おわっ」
「鍛えてるならちゃんと踏ん張るんだな見掛け倒しめ」
「痛った!」
スパァン! 小気味よい音で尻を叩かれる。踏んだり蹴ったりだ。まだ足は出されてないが。
尻を叩いたのを最後に、薫は虎次郎から少しばかり距離を取りくるりと周りを一周する。観察する目。市場で鮮魚でも眺めるみたいな。
「……おわり?」
「そうだな」
正面で立ち止まったのに尋ねると肯定が返ってくる。改めて己の姿を見下ろす。
ほとんど黒と言って差し支えないほど濃い色の着物に、今しがた引き絞られた帯。締めた後のほんの少しの会話の間にうまいこと縛っていたらしい。器用なものだ。背中側で何が行われていたのかは分からないが、ちょっとやそっとじゃ解けないのだろう。多分。
羽織った着物と紐一本に帯一本。言ってしまえばバスローブと大差ない構成要素にも関わらず、布地は不思議なほど身体に吸い付くように纏わっている。納まるべきところに納まっているような。旅館なんかで着るゆかたとは全く異なる着心地だった。
未だ真正面から視線を突き刺してくるのを見返す。じぃ、っと注がれるのは、食材の品定めと言うには少々熱っぽいまなざし。ぱちぱちと、目ん玉の奥で火花が弾けている。
「似合う?」
「馬子にも衣装だな」
「『子』ってほどちいちゃくねぇんだけど」
「馬子は別に子供の意味じゃない」
「えっ」
「小学生からやり直してこい」
会話の中でも、薫の目線は上へ下へ虎次郎の身体を這っている。あつい指先でなぞられているよう。どうせなら直接触ればいいのに。思って、短い距離を歩幅の一歩で詰める。
虎次郎が腰を抱いて迫れば薫はほんの一瞬目を見開く。そうしてすぐ挑みかかるように顎を上げて、唇を重ねてくる。重ねて、ちょっと離して、ぶつけては押し当てまた離す。マナーかな、とこっちは目を瞑ってた。のに。薄目を開けて様子を窺ったら薫の方はガン見だった。きっと始めから。なんだよそれズルいじゃん。
だから虎次郎も瞼を開く。当然のように目が合う。薫の仕掛けてくるキスはより一層深いものになって、まなざしは変わらず虎次郎ばかりを見ている。色のうすい目ん玉はその奥が欲情に燃えるのがよく分かる。
すけべなヤツ。そういうあからさまなのすげー好き。
言ったが最後、照れ隠しに蹴り倒されてど突き回されるに違いない。
虎次郎は賢明にも吐息の合間にそれを言葉にすることはなく、代わりにすけべな身体を思い切りまさぐった。腰から尻へ手を這わせ、太腿を撫でまわす。外見以上にしっかりとした筋肉を纏う身体が熱持つのを、衣服越しに感じる。上等なのだろう生地はすべすべとしてそれも指先を楽しませた。もう一方の手では薫の小さな頭を捉え、傾きを変えさせるフリで耳周りや首筋の、薄い皮膚をひっかく。その愛撫でちょこちょこ震えるのに気を良くして、鎖骨までをも辿っていく。
――ぴんぽん。
マヌケなくらい軽やかに、インターホンが鳴った。すこし遅れて「ごめんくださーい」の声。
「はぁい」
ぴんぽん、の段階で離れていたのを更に一歩。さがって、薫は返事をした。
えっ。
離れてわかる。襟ぐりは大きく開いているし、胸元はザックリどころでなく肌蹴てあらわ。いつもピシリと揃っている裾もガタついている。そんな状態で返事しちゃって。えっ。どうすんの。
戸惑う合間に薫は着物を捲って中の襦袢の裾をささっと直してしまう。背中に片手をまわして、軽く反らせたかと思えば前側の布をピッと引く。開いた胸元がすっかり隠れる。今度は少し身を屈めて裾を引いた。筒の形に脚まわりがまとまる。裾丈のラインがピシリと地面と平行する。帯を手で押さえ、それとは反対の指先を帯の中に突っ込むとスススと横に滑らす。くたくた色んなところに寄っていたシワが消えた。両手を広げ、指先で袖の端を手のひらに押さえるように摘んで引っ張る。
それを仕上げに、薫はさっさと玄関へ向かってしまった。部屋を出る姿に先ほどのガバガバの着崩れの余韻はどこにもない。
指先ひとつ。まるで魔法だ。
扉と廊下を隔てた向こう、いくらか会話する気配があって、数分で薫は戻ってきた。立ち去った時と同じ位置で立ち尽くす虎次郎を見て鼻を鳴らす。
「いい恰好だな」
言われて見下ろす己の姿。しっかりと着付けられていたはずの着物の襟はヨレ、腹筋が見えるくらいには肌蹴て着乱れている。似たり寄ったりに乱れていたはずのをキッチリ直した薫とは対照的だ。いっそこちらがトロくさく思えるくらいに。
「……脱がすのは俺の方が巧いんじゃねーの」
苦し紛れ、照れ隠しの悪態に、薫はちょっとだけ考える素振りをした。じぃ、とこちらを見つめるまなざし。
うすい色の奥、ぱちぱちと、火花。
「巧く脱がされてやってるんだよ、どあほう」
にやりとする。あーもーホントすけべ。だいすき。
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