「…さて、今回はこのくらいか。特に問題がなければ俺は戻るがどうだ?」
眼前広がる大きな窓に打ち付ける大粒の雨。
「…一つ、」
「おっと待った。それは『コレ』に関係のあることかい?」
口を開こうとするヌヴィレットさんを遮り、卓上の今しがた説明した書類の上に指を立てる。
「…違う」
「はは、それじゃ応えるかどうかは俺次第ってことになるな」
「誤魔化そうとするな」
俺の手に重ねられる薄っすらと冷たい掌。
それをさらりとすり抜けてポケットへ。
…耐えられない。
不満そうな顔。隠そうともしない。受け取れないというのに。
「…これは、事実、だろうか」
事務所類を差し出すような仕草でこの部屋、この人には似つかわしく無い…俗に言うゴシップを扱うような雑誌のあるページを差し出される。
目を通さずとも解っている。
俺が掲載を許可したんだから。
「…これがどうかしたか?」
「君は、その…この女性と、懇意、なのか?」
貼り付けたような笑顔を崩さずに。俺なら出来る。
「ん、まぁ…そうだな。はは、水の下の世界だからって気を抜いてたんだよ。隠すことでもないかと思ってな」
写る女性の腰に手を回している俺、の写真。見出しはよくあるような低俗な物。
…事実、単に躓いた所を庇っただけなのにこんな風にありもしない事実を面白おかしく並べ立てて金を稼ごうという魂胆が見え見えの記事。
それが、世間には餌になることも知っていて。
この人が喰い付く事もわかっていて。
すべてを分かって許可した。
…全ては、この時のために。
「…そうか。」
「んー?それだけか?はは、一言くらい祝いの言葉でも貰えるかと思ったんだがな」
そんな顔をするな。アンタはこの線を越えてはいけない。それは『勘違い』だから。早く忘れて、今で通り、俺を見てくれ。
「…すまない。正直な所、なんと声をかければよいのかわからない。」
俺の神の目を初めて見たときみたいに。嬉しそうに、送り出してくれ。仮初の事実だったとしても。それで俺は。
「私は、君が幸せになれるならばそれで良い。と…思っていた」
すー、と。目を閉じて、大きく息を吸った。
あぁ、ダメだ。早く立ち去ろう。コレでもダメなのか。どうすればいい。
「…と、悪ぃ。この後下で立ち会いしなきゃいけねぇ事があってな。この辺で失礼するぜ…っ」
素早く踵を返したはずなのに感じる痛覚は腕。
「この、私の中にある感情は何なのか。君ならわかるのだろう…?」
…振り返れない。目を瞑る。
「手を、離してくれるかい?流石に…アンタの本来の力は控えて欲しい」
「君が、逃げないのであれば。」
言葉の圧が、振動になって伝わってくるかのようだ。
言葉にするしか、ないのか。…俺から?変だろ。
はぁ、とため息を付いてガシガシと頭を掻く。
「…俺の、感想から言わせてもらえば。…アンタは、勘違いしてる。」
「何をだろうか」
真っ直ぐに見据えられるその瞳、瞳孔は鋭く熱い。
…勘違い、する。
「アンタが、俺に感じているソレは、間違ってる。俺に向けていいものじゃない。ヌヴィレットさん。」
その熱さに、目を合わせることが出来ない。
告白、されてもいないのに
心にもなく、フらないといけない
…自分自身につく嘘は苦手だ。
「私が、リオセスリ殿を愛しているということがか」
「っ…!?」
まさか、まさかこんなにストレートに、何より思っていた以上の言葉に、意図せず心臓が跳ねた。
「は…何言って…」
「この際だ、もう隠さずとも良いだろう。率直に述べさせてもらう。私は君が他人の物になるのが嫌だと思っている」
机に肘を付き、顔の前で腕を組むその姿、威圧から出て来るような言葉ではない。
「また冗談を。はは…だってアンタはこの国のトップだろ?それがこんな元囚人で、下の世界のやつに…愛?いやいや、駄目だろ」
言いたいことと、思っていたことがぐちゃぐちゃになって勝手に口から出ていく。
「ふむ、そのように思っていたのか」
「アンタは、公平で、公正で、平等でいなければならない。他人とも出来るだけ関わりを持たずに、そうやって来ただろ?なのに、なんで…」
「その中に入ってきたのは君だけだ。リオセスリ殿の言うように振る舞ってきた。それでも、君は、私の心に触れるだけのことをしてきた。」
「そんなの…知らない…」
「意図せず出来るものではない。だからこそ君を好いたのだ」
ヤバい。
顔に熱が集まるのを感じる。
ダメだ。
俺が、ヌヴィレットさんに気があるなんて知れたら。それこそダメなんだ。
「好きになるのに、立場はそこまで考えなければならないのだろうか」
「そりゃそうだろう!!」
パタパタと、打ち付ける雨の音。それが大きく感じるほどに場が静まった。
自分でも驚く程の声が出てしまった。
「アンタは、もはやトップなんだ。こんな、こんな底辺にいるようなやつじゃなくて、もっと、見合うような人と…」
「君の」
肩が跳ねた。気付かなかった。目の前に立っている。いつの間にか。
「君の、気持ちが知りたいだけだ。他のことなど、どうでもいい」
「なに、を…」
「ここまですると言うことは、君は私の気持ちを少なからず知っていたのだろう?そしてそのように言うということは私を遠ざけようと考えたのだろう。…逆に考えれば、それだけの事をしなければならなかったのだろう。…それは何故だ?」
呼吸が、息が、うまく吸えない。
「応え合わせをしたい。こちらを向いて欲しい」
優しく顎を支えられ、軽く持ち上げられる。されるがまま、眼を見てしまった。
なんて顔を、してるんだ。
なんでアンタが、そんな悲しそうな顔をする必要があるんだよ。
「そんなに、口にしたくないのだろうか…」
同時に拭われた唇。手袋についた鮮血で、己が唇を噛み千切るほどに力を入れていたことに気づく。
「…リオセスリ殿が、傷付く姿は、もう見たくはない。私は…」
あ、ダメだ
「やめっ…!!」
慌ててヌヴィレットさんの口元を覆う自分の両手
「私を、突き放したい訳ではないのだろう…?傷付けてしまうならば離れよう。そうでないならば、許して欲しい。」
優しく剥がされる手。心臓が顔にあるようだ。悟られた。もう無理だ。
「俺は…っ自分が、許せない…っアンタを…アンタに、迷惑かけたくない…っ」
「何も迷惑なことなど、無い」
「嘘だ…そんな訳無いっこれから困らせることに、なる…っ」
信じられないことに、柔らかな微笑みの声が聞こえた。
「やっと、言ってくれたな。未来があるのだな」
あ、と
滑った。
掬われる頬。
「そんなに思い詰めないで欲しい。私は、こんなにも君が好きなのに。」
溢れる涙は、止まらない。
「…好きに…なっちまったんだ…アンタ、ヌヴィレットさんを…っ」
まるで子供のように
「諦めようとしたんだ…忘れようと…だってアンタは、雲の上の人で…俺は…」
「私の隣にいてくれないだろうか」
「…っ」
憧れが、恋心に変わってしまった自分を憎んだ。
そんな自分に注がれる愛情が、暖かくて。
…暖かすぎて。この人まで、汚れてしまうのではないかと。不安で不安で。
「いたい…居たいっ…けど」
ヌヴィレットさんといると、不安、疑問、心配、そんな思いしか出て来ない。
そんな言葉を、禁ずるかのように。
「…んぅ、」
冷たい、暖かなキス
「…私の愛する人を、これ以上卑下しないで欲しい。」
コツンと、つけられる額。
そんな子供じみた行動もするのかと、どこかで思った。
「…しばらくは、無理そうだ…」
「…ゆっくり、慣れていけばいい。」
両手を繋いで、額を付けて、
大の大人が、子供のように泣いて、
「いつか、君が、自分のことを好きになってもらえるように、努力する」
子供をあやすような、優しい声で。
頭をなでて、また唇を重ねる。
あぁ、勝てない。この人には。
好きでいて、いいんだと。
顔を上げると、きれいな陽の光が差し込んでいた。
綺麗な、この人を、俺なりにゆっくり、愛せるようになっていこう。
信頼性の高いスチームバードに記事にされるのは、数年後の話。