『…まって!!まってよ…ぼくを、ひとりにしないで…』
『やめてくれ…もう、ぼくは…』
『ごめんなさい…ぼくさえいなければ』
鳥のさえずり、ため息と共にまた夢から覚める。
濡れた瞼を開ける。無意識の涙ほど虚しいものはない。
狂おしいほど思い残す、遠い日の、小さい頃の無力さを呪う。
身を焼かれるような絶望も、いつか何かの糧にはなるのだろうか。
その時の憧れに、焦がれるまま仕舞い込んでいる。
「アベンチュリン総監!?どうしたのですか!?まだ休養中では…」
「やぁ、お疲れ様。んー…そうなんだけどね。君たちが必死に働いてくれてるのに僕だけ家で寝てるってのも飽きちゃって」
ヘラヘラとした笑顔。得意な笑顔。
まだ腹部の傷は痛むけれど、独りでいるよりマシなんだ。
わらわらと囲まれてしまい少し困る。特に何というわけでもなく、ただ、何かに集中できればいいかと雑務をしたいだけなんだ。
…いや、何もない訳じゃないな。
背後から、特大のため息。とても、とても聞き慣れていて、聞きたかったその声。
「…君は休暇中だろう。何故ここにいる。即刻帰れ」
目覚めた時、僕は独りだった。まぁモニターは付いていたからすぐに看護師は来てくれたし、トパーズだって珍しくメッセージをくれたけど。本当は、本当は一番に見たかった。その顔を。
「ヤだなぁ教授。久しぶりの挨拶が帰れだなんて連れないじゃないか」
振り返るとそこには。
全く君のせいなんだ。カラカラ渇いた僕の心に勝手に入り込んで乱暴な方法で『癒し』を施して。精神的に掴まれてしまったのはあの処方箋からか。…きっとそう。
あの時、真っ暗闇の中、全ての孤独から救う眩しい光。
…僕には全く不要なモノ。致命的な欠落をくれたね。
「腹を庇って何を言っている」
「あいたた…抉らないでくれるかなぁ?もう…」
ふん、と鼻を鳴らして。まるでどこかのハヌのようで、つい心が緩む。
「で?教授。いつになったらその顔見せてくれるの?蒸れない?」
その石膏の下に隠れた君の顔が見たい。曇りないその声を聞かせて。
きっと、その中で。まるでアキシナイトのようなキラキラした瞳。それを濁らせているのは僕のせい。
「帰れ。…それか、僕の執務室に来い」
「え、何で?」
「顔が見たいんだろう。今僕は誰かのせいでたまらなく不機嫌なんだ。早く決めろ」
あぁ、面白いなぁ。
こんな感情を持ってしまった僕は、君に近付いてはいけないのかもしれないけれど。…それでも、僕を見てほしい。なんて、わがままなのにね。
そう、思ってしまうんだ。
「ふふっ…わかったよレイシオ。行くよ。…行くから手を離してくれないかな」
「ふんっ…足を引きずって転ばれては困る」
「あははっ」
すきだ。好きだよレイシオ。君がどうして僕にこんなに良くしてくれるのかはわからないけれど。
君がいれば、過去の痛みを武器にしても、全てを捧げても、全然構わない。…君が少しでも幸せでいてくれれば僕はいいんだ。そこに、僕がいなくても。
こんな致命的な愛は今でも知らない。これからも君だけ。僕が破滅しても、君を守りたい。
「…なんだ?」
「ん?…いや、」
君のその瞳のように、僕を苦境から抜け出させてくれた。その君に少しでも報いたい。何をしてでも。そう、
なんていうんだっけ。あぁ…ファム・ファタール。
「…気にしないで。」
まさにそれだよ。僕を幸せの破滅に向かわせて。
◆
「…そこに座れ」
「なぁーんか言葉、乱暴だなぁ…」
膨れている。煩い。誰のせいだと思っている。
「はぁ…僕がまず座るから、君は隣に座りたまえ」
「…何で?」
そうはいいつつも素直に隣に腰を下ろすこの男。…全く。こんなはずではなかったのだが。
「これ、取ってもいい?」
コンコンと、固い頬を叩く音。
「はぁ…いいよ」
「わぁい」
そうして、君の両手で取り払われた石膏の塊。やっと見れたその瞳。
コードネームは砂金石の癖に、まるでアレキサンドライトのようなキラキラと色の変わる、まるで催眠にかけられるのかと思うほどの、美しさ。
しかし、その瞳を見ると、その名の通り憂鬱やイライラがどうでも良くなってしまうほど。…それほどに僕は。
「…レイシオ?」
「…ん、あぁ…何でもない」
「えー何それ。気になるじゃないか」
はぁ、長い溜息が勝手に出ていく。君は何もわかってない。
その、少し気を抜いた喋り方。その、無防備な仕草。
君はそれを武器に、あらゆる人物の視界を支配してきたのだろう。 その輝きはまるで自分勝手で我儘で。僕の胸の奥底に仕舞った感情さえ簡単に引っ張り出してしまう。
「君の…傷は、少しは良くなったのか」
「なんだい?少しは本当に心配してくれてるのかい?ははっ嬉しいねぇ。ありがと」
「答えになっていない」
「…痛いよ。まだ塞がってない傷も…何個だっけ?はは、全くあのまま死んでればみんなの迷惑にもならずに済んだのになぁ…戻ってきちゃった。…誰かさんのせいで」
…こいつは。
「…見たのか」
「ん、見た。…見ちゃったんだよなぁ…ふふ。君、あんな感情論みたいな事言うんだね。あぁ書く、か」
どうしてそんなにも、無邪気に笑えるんだ。
君の命だぞ。
「…ふざけるなよアホが」
「ぇ、おこってる?どうしたの?」
君の、計画を把握した時。止めなかった自分を、何度悔やんだだろう。何度呪っただろう。その直前、直後まで。
あんなもので、君の命を引き留められるのかと。不安で、不安で。狂いそうだった。
「君の…君が…横たわっているのを、見ることしかできなくて。僕は…僕は、」
電子的な生命の音。それでしか君の命を感じられなかったあのベッドサイド。
何度呼んでも、返事もなく。
あぁ、僕は、この男の本名すらも知らなくて。
それなのに、それなのにこんなにももう深いところまで僕を支配していて。
この『人生』という舞台で足掻くことをやめない君の、ただ一つの存在に近づきたいと。
『幸運』と『不幸』が絡み合う君の、固く定まったその宿命。あの星の光からこぼれた闇。
「…君、来て、くれてたの…?」
「当たり前だろう!!」
ビクリと反応するその体。どうしたら伝わる。どうすれば君の『自分』を君は認められる。
「君が…っ好きなのに!!心配しないアホがどこにいる!!」
もう、君のことになると思考が崩れる。まともに働かないこんなにもポンコツな自分の脳。
認めてしまえば簡単で。
「っ…おい、何か言え…!?なっ…」
その宝石からこぼれ落ちる一粒の欠片でさえも美しいと思うのに。
「泣くな。泣かせたいわけじゃない。…あぁもうどうすればいい…知らないんだ。この僕が…」
「ぅ…ぐす…ごめ、ごめん…」
同仕様もなく胸に抱いたその暖かな体は小刻みに震えていて。
「だって…僕は、みんなの幸福を、奪ってしまうから…だから、君の幸せは、奪いたくないんだ…」
「…あぁ。」
「君には、幸せに、なって欲しいのに…なのに、僕は…っレイシオ…僕は…っ」
どれほどの幸福を注いだとしても、君の満たされることのない器。
何度夢見ただろう。何度願っただろう。僕の胸で膿み続けている傷を撫でる手を
「…れ、しお…?」
その温かな手を、胸に当てて。
形振りもなにも、プライドさえも、今の君の前では滑稽に思えるから。
「『アベンチュリン』。君の、名前を…教えてはくれないか。」
◆
「僕はもう、君がいない人生など考えられない。なのに君の名すらもまだ知らない。…もう、何もかも捧げてしまってもいい。君の、心に欠けたものは、僕の何で埋めたらいい?」
そんな、眼で、見ないでよ。
君がいないともう生きていけない。君の眩しさでこの身を照らして欲しい。君の愛が欲しい。僕はそれを夢の中でもらうしかないのに。…なかったのに。
「僕を、みてくれる、の…?」
「…あぁ、ずっと。ずっと離しはしない。君が、この『世界』にいてくれるのなら、それだけでいい。」
あぁ、すき。すきだよレイシオ。
「…カカワーシャ。僕の名前。『本当』の、名前」
「…神に祝福された、か。君にぴったりだ。カカワーシャ」
「ちょ、いきなり呼ばないで。やめてよ恥ずかしいから」
ぽぽぽ、と一気に顔に熱が集まる。
「いや、やめない。僕は運命だとすら思っている」
「何言ってるの!?」
「君を僕の元に留めるには今止めを刺さねばならんだろう」
「もうなってるから!!大丈夫だから!!」
こんなに、こんな風に、する人だとは思ってなくて、ちょっと頭が間に合わないよ。
「キスを、する」
「言わないで!!…んっ」
溶ける。溶ける。
夢とは違う熱が熱い。
奴隷のときとは違う、でも簡単に拘束されて、逃れられない。君から、もう。
「君に、ピッタリの言葉がある」
「…ん、なぁに?」
そのアキシナイトの瞳。あぁ、安心する。
君は、きっと、側にいてくれる。
この呪いのような『幸福』にまみれていても。きっと。
「ファム・ファタール。君を、愛している。」
運命的な、愛の相手。