「…何やってんのさ、先生。」
望舒旅館の窓には雨が打ち付けられている。こんな天気では空の色のように気持ちが沈むのも仕方の無い話で、
「一緒にいてくれるって、言ったのにさぁ…」
暗い部屋の中、一人椅子に座り冷めた料理の並ぶ卓上に突っ伏する。
思い出すのは二日前。
「ねぇ、先生の誕生日っていつ」
単なる好奇心だった。ここまで他人の人生が気になった事等無く、この男の過去なら何だって知りたいと思っているから。
「ふむ、あるのだろうが憶えてはいないな。」
当たり前のように言われた言葉に自分が驚いた顔をしたのだろう。何千年前の話だと思っている、と柔らかな笑みで返されてしまう。
少し考えて、我ながら良い考えだと思った。
「鍾離先生が死んだ日にしようよ。岩王帝君が死んで、先生が生まれた日…どう」
「ははは、それは良いな。」
だろと喜んだのもつかの間。
「公子殿はいつなんだ」
その当たり前ともとれる質問に肩を落とす。
正直、自分の話をするのは苦手だ。他人の人生を気にしたことがないのだから、自分の人生もさらけ出したこと等無い。
あー…と、少し気乗りのしない声を出した後、ぽつりぽつりと話し出す。
「普段は弟達が全力で祝ってくれるんだよねぇ。その日は飯も作ってくれるし手作りのプレゼントも用意してくれたりしてさ。不恰好だったりもするんだけど、それがまた嬉しくて…ってごめん。こんな話つまんないよな」
自分でもこんなに話してしまった事に驚きを隠せない。この人は話を聞くのが上手い。いつも、いつの間にか自分ばかりが話しているように感じて気が引ける。
「ん、お前の話を聞くのは好きだ。気にするな。それよりも、その日休暇をとるのはやはり難しいのか…」
「うーん、そうだなぁ…まぁ色々あるんだよね。でも、その代わり」
さらりと言われた言葉に耳が熱くなるのを感じて、慌てて誤魔化したくなる。
「先生、当日は一緒にいて欲しいな」
「任務なんじゃないのか」
「当日の夜なら空いてるんだ。流石に誕生日に独りってのは寂しくてねぇ」
ふむ、解った。と少し考えた先生は、その日別れてから姿を消した。
「オレなんか変なこと言ったっけ」
そうぼんやりと窓を眺めるとふっと黒い影が横切った。
慌てて扉を開けるとそこには、
「な、に…してるの、先生…」
頭の先から爪先まで濡れそぼる姿があった。
「ちょっ風邪引いちゃう、いや引かないかもしれないけどそれはダメでしょ取り敢えず拭かなきゃ」
何かを言わせる隙間も与えずわたわたとタオルを取り出しきょと、としている頭をわしわしと乱暴に拭き取る。
「なんだってこんな…」
「これを、」
未だタオルに包まれて見えない先生が、後ろ手で持っていたものを目の前に差し出す。
それは、黒い石が嵌め込まれた、少々無骨な耳飾り。
「すまない…その、何かを誰かに贈ることなど無かったものだから。時間がかかってしまった」
タオルを掴んでいた手の力が抜けたから、少し戸惑いも混じる表情が見えた。
「これ、探してくれてたの…」
受け取ると、耳に付けるには重量がある事が良くわかる。
でも、そんなことはどうでもよくって。
「ん、少しでも、気に入ってくれると良いのだが…っ」
そんな意地らしい姿を思い切り抱き締めていた。
「馬鹿じゃないのもう…気に入るに決まってるでしょ」
「ん、すまない」
きゅ、と背中の布を掴むその仕草が愛おしい。
「てか良くモラ持ち歩いてたね先生」
「あぁ、それは…」
改めてそれを見ようと腕をほどくと、ほんのり握っていた手の中が明るくなっている。
「夜泊石だ。公子殿に、合うかと思ったんだ。」
隠密にも向かないし、重いし、無骨過ぎるし、それでもこんなに、ほの青く、闇夜で光るそれが綺麗で。
「まさか手作りとはなぁ」
「その方が喜ぶかと、な」
そりゃあ、と言いかけて、
「でも遅れたからなんかもう一個、貰おうかな。」
今、一番欲しい温もりを。
「…鍾離先生から、キス、して…」
どんな悪いことを想像していたのか、目を丸くしているのが可笑しくて、
「いっつもオレからでしょたまには、てかこんな日くらいいいかなーって」
頭に乗っていたタオルを取って、当たり前のように部屋の電気を付けて、
「なんだ、そんな事でいいのか」
なんて言う背中が無性に可笑しくて。
「ふっ、ははは」
「何がおかしいんだ」
訝しげな表情を浮かべる先生が、好きだ。
「んーん、いや、何でもないよ」
だって、耳も頬も首もとまでも赤く染めているのに、さも簡単ですと言いたげな先生が愛おしすぎて。
「さて、楽しみだねぇ」
「…ひとまず冷めた料理を温めるぞ」
「ねぇ逃げてない」
「何がだ」
「あと三十分以内だからね」
「……善処する。」
家族と過ごす以外今までで、一番短くて、一番幸せな誕生日。