コチコチという時計の音と、時折カチャと陶器が少しぶつかる音
前かがみで頬杖をついて、ぼーっと眺める。
それが許されるようになって、改めてこの人はとてもキレイだと認識している。
「…顔に何かついているだろうか?」
視線はこちらを見ずに。
「…んぇ、あ、いや…悪ぃ」
手を伸ばせば届く距離のその横顔を、余りにも見つめすぎていて変な声が出た
そしてそんな俺の姿を見ていたずらに微笑むその顔がまた。
つい数ヶ月前までは、来て、報告して、帰る。それだけでもう充分だと思っていた。
それがその後に茶会をするようになって。
始めは正面に座っていたのに。
『そこでは君に触れられない』と言われて。隣に座るようになって。
…そう、ずっと手を繋いでいて。お互い手袋外して。手汗とか、なんか、色々気にはなるんだが、離し難い。
「んっ」
掌を合わせたつなぎ方を、するりと指を絡められて。
急に距離を詰められる。
「…心臓に悪いんだが」
「…わざとやっている」
「っ…恥ずかしくないのかよ、あんた…」
そして軽く唇を重ねられて、それすらもまだ慣れなくて、赤面してしまう。
「君に触れたいと思うのは正常な反応だと認識している」
「…左様ですか」
まさか、ここまでとは。
『姿を見かけるだけでも充分だった存在』が、こんなにも俺に触れたいといい、行動に移してきている。…十二分に伝わってはいるんだが。認めきれていない自分もいて。
こんな事をされて、侵食されて、いつか離れてしまったら。
俺は生きていけるのだろうか。
…なんて、ガラにもなく考えてしまう。
「…勘違い、だとか思わないのか?」
「何がだろうか」
その、感情、とか。
行動、とか。
だってあんたは、
「何百年も生きてきて、俺にだけ初めてって、おかしくないか?他にも、もっと潔白で、あんたに相応しっ…ん、んぅ、は…」
言い終わる前に、喰われた。それは怒りを含む荒さで。
「…私は、リオセスリ殿を手放す気などさらさら無い。君が何を考えていようとも私は君を愛しているし、触れたいと思っている。」
「ち、近い…んだよ…」
嬉しい。それと疑ってしまうのはまた別の問題で。この乖離はいつになれば無くなるのだろうか。
「悪ぃ…もう癖なんだよ。もし本気で幸せだと感じてしまえば俺は…『いつか』が怖くなる。それならその『いつか』に備えて…ってな」
ヌヴィレットさんの肩に手を置いて、顔を見ないようにうつむく。こんなにまっすぐに気持ちを伝えられるのは慣れていない。
「…その、『いつか』は私の方だろうな」
俯いたまま、目を開く。
あぁそうか。そうだよな。先に死ぬのは俺なんだよな。
「だからこそ、私はその『いつか』まで君を愛そうと思っている」
…そうか。
「…おう。俺も考え方、変えられるようにするわ」
「よろしく頼む」
そう言うってことは、『永遠』の隣は貰えないんだろうな。
『眷属』
それになれば、永遠を共に過ごせる。でも今この人は『いつか』までと言った。
「…はっ」
ぎゅう、と肩に置いた手に力が籠もる。
おかしいだろ。俺だってなってくれと言われてハイそうですかと受け入れられるもんではない。なのに、こんなにも、淋しく思うのは何なんだ。
「…あんたの、隣に、いたいよ。」
「そう思ってくれて感謝する」
『ずっと』『永遠に』そんなの天気みたいに気持ちは移りゆくものだろ?なぁヌヴィレットさん。
あと70年もしたら俺だって衰える。あんたは今のまんまだ。それでもその時に同じセリフを言ってもらえる自信は全く、無い。
『眷属にしてくれ』なんて、俺からは言えないんだよ。
こてん、と肩に頭を乗せて目を閉じる。
「リオセスリ殿」
早死にすれば叶うのかなぁ、なんて
「心で会話は出来ない。言葉にしてくれないだろうか」
「ん、あー…はは。なんも考えてねぇよ。」
そう、乾いた笑顔で返す。重荷になるわけには行かない。これからこの国を背負う立場に。俺なんかが邪魔をしてはいけない。
「はは、悪ぃな。なんか重く考えさせちまったみたいだ。…ん、俺に触りたいんだろ?好きに触れてくれ」
ドサリとソファに倒れ込み両手を広げて迎え入れる。誤魔化しと言われればそれまでだが、安心を手に入れる為にも、今はヌヴィレットさんの体温が、欲しい。
しかしそれは叶わず。見下すように。見透かすように。その透き通るような瞳で見つめられる。
「リオセスリ殿、ずっと気になっていたことがある」
「ん?なんだい?」
心臓が跳ねる。
「歯を、見せて頂きたい」
「は?」
全く、予想外の事を言われた。今の流れは何だったのか。
それを体現した発言だったはずなのだが、生憎そうは受け取られなかったようで。
「ふ、…くく…っ」
顔を背け、口を隠して
「いや違うからな?今のは違う」
「まさか君がそのような冗談を言うとは…っ」
「止めろ違う…ったく」
全く、この人は何を考えているのかわからない。
まぁあの雰囲気のままは過ごしにくかったから有り難くはあるが、いかんせん俺に勝手にダメージが加わっているのが気に食わない。
「んで?何で急にそんなことが気になるんだ?」
背もたれに腕をかけて上半身を起こし頭をかく。
「時折見える、君の八重歯が好きなのだ。…最近笑顔を見せてくれるようになっただろう」
…何を言うのかと思えば。俺はそんなに笑っているのか?
歯磨きした、よな?昨日何食ったっけ?いやさっきキスしてんだからそこは大丈夫か。…いや、なんだこの羞恥心。
「ど、どうすりゃいいんだ?」
「口を開けてくれれば良い」
ふわりと口元が笑っていて。尚更真意がわからず。
かと言って見せない理由もなくて、雛鳥のようにぱかと己の口を開く。
キスをして、舌で口内を犯される感覚とはまた違う。まじまじと、顎をあげられて、覗かれて、触られるこの感覚はなんとも言葉にしがたい。とりあえずもう勘弁してくれ。
そうは思ってもこの人の興味が削がれるまでは付き合わなければならない。
前歯、犬歯、と一本一本手前から奥へ。
「ぁ…っ」
ゆっくりと奥歯を撫でられて、感じたことのない感覚に声が漏れる。我慢しようもない。喉元をあげられて気道を広げられて、我慢できるわけがない。
「は、ぁ…」
飲み込むことを許されない唾液を指で絡め取られ、残ったものは端からこぼれ落ちる。
息を、鼻からすれば良いのか口ですれば良いのかわからず既に軽い酸欠状態になっている事もあって思考がまとまらない。
くちゅり、と音を鳴らして、上、左、奥と二本の指は自由に動く。
「は…はぁ…っ」
空気を取り込みたくて、無意識に舌を突き出す。
それに指を絡め、親指と人差指で挟まれる。
「は…ぁ?あぐっ」
唐突な痛み。舌を押しつぶそうというのかというほどの。
「…印は、ここに付ける」
当たり前のように、それは唐突で。
一瞬の間の後
ガチンという音とともに、思い切りその胸元を押していた。
まずまず本気の力で押したにも関わらず微動だにしない。今しがた噛みちぎった皮膚から流れる血。
逆光。
何があった?己の防衛反応でやったことなのに頭が追いついていない。
「君が、壮大な思い違いをしているように見えたのでな」
指を流れる赤いそれを、ゆっくりと舐め取りながら、こちらを見る眼は余りにも鋭い。
「な、何…」
いわゆる恐怖、を感じたことに今気付いた。
「『いつか』、とは何を指す?私は君がこれからの年月で経験を積み、更に知識を重ねて聡明となりゆくさまを見届けられる。君が、その『どの段階で』受け入れるのか。それまでは待とう。という意味だ。」
先程の眷属の話。そうだ、この人にとってはこちらの許可など無くとも出来ること。それを、俺が受け入れられるのを待つ。ということか。
「は…手放すつもりは無ぇってか」
「毛頭無い」
ゾクリと身体が震える。それは恐怖か。
「まだ…待ってくれ。でも、そうだな」
いや、
「体力があるうちの方が良いな。あんたはしつこそうだ」
それは『悦び』
「何を言う。…今更逃すつもりはないぞ」
「受け入れるって言ってんだよ」
あぁ、あんたは本気で俺を欲しがってくれるのか。
たまらない。
その独占欲にこの身を捧げるのもアリだ。
「もう俺は、とっくにあんたのもんだぜ」
首元を、ぐいと引き寄せて口付けをする。
「そのまま返そう」
ソファに押し倒されながら、ヌヴィレットさんには見えないように、ひっそりと笑った。
「…いつにするか、楽しみにしててくれよ」
『それ』を、コントロール出来るのは俺だけだ。