シャツを借りた話師走の慌ただしさが過ぎ去って、オフィスの灯が昨日ようやく消えた。世間様よりいくばくか早い冬休みが到来し、ヴェルゴが真っ先にしたのは家中の掃除である。とはいえ物が少ないので、大掃除というにはスムーズに終えてしまったのだが。
コーヒーでも淹れて一息つくかと立ち上がったとき、インターホンが鳴った。モニター越しに窺うと、すぐに玄関へ向かう。それが30分ほど前のこと。
「ぃくちッ!」
「すまん相棒、まさか軒先の雪が直撃するとは……フフ、ちょくげき……」
「…まあ、怪我がなくてよかったよ」
旧友の手には有名店のチュロスの箱があった。そちらは無事だったのだが、隣の猫がなぜか頭からびしょ濡れであったので、ヴェルゴは来訪者にすぐ風呂を貸したのだ。
(…当然の如く一緒に風呂に入ったな…)
すっかり暖まり頭からほかほかと湯気をたてている猫は、びしょ濡れの服からTシャツに着替えさせられた。この家に女物の服などないので、先程畳んだばかりのヴェルゴのTシャツである。
そしてそのぶかぶかのシャツを嬉々として着せたのは、特に濡れてもいなかったのに猫と一緒にバスルームへ消えていったドフラミンゴである。ピンポイントで雪が直撃した猫の不運さが笑いのツボに入ったのか、ずっと肩を震わせていた。猫の髪をタオルドライしてやる手つきも些か粗い。
「フフフフッ!しかしこれじゃあシャツに着られてるな」
さっきからドフラミンゴの機嫌がいいのはコレだ。無意識なのか知らないが「カワイイなァ」と声に出ている。それも何回も。
ぶかぶかの袖や裾から伸びているなまっちろい手足。冬だというのにしもやけもあかぎれもないそれは、柔らかくてつややかだ。身体のシルエットが隠されているにも関わらず、風呂上がりも相まって妙にソソられるものがあるのだろう。無論、ヴェルゴにその気は全くないが。
「このシャツ、ヴェルゴさんのにおいがする」
「ンー?……ああ、たしかに」
襟を指で引っ張って胸元をクンと嗅ぐ猫に、ドフラミンゴは笑みを深くして、胸元を覗き込むように鼻先を近づけた。
(…下着は付けているのだろうか)
さっき旧友が乾燥機に何もかもブチ込んでいたので、おそらく付けていないだろう。無粋なことは口にしない主義だが、相変わらず距離感がおかしい二人に、ヴェルゴはサングラスの奥で目を細める。
「今度俺のも着せてみるか」
旧友が何やら気づきを得たらしいので、それ以上は言及しないが。しかしドフラミンゴはタオルドライもそこそこに立ち上がった。
「ヴェルゴ、ドライヤーあるか?コイツの髪を乾かしてやっててくれ。俺はホットチョコレートでも作ってくる」
「チュロスもたべる!」
自分でやれ、というツッコミになり得た溜め息は、食欲旺盛発言により掻き消された。ちなみにドライヤーはある。さっき発掘したからだ。
勝手知ったる旧友がキッチンへ早々に引っ込んでしまったので、脱衣所へドライヤーを取りに行ったヴェルゴは客人を手招いた。ラグの上に座らせて、自分はソファへ…と思ったが、猫の座高が低すぎて手が届かない。
仕方がないので脇の下に手を入れて持ち上げると、ソファに座る自分の膝の間へ落とす。猫はされるがまま、大人しく前を向いていた。俺はおまえの主人でもなんでもないのだが、とヴェルゴが思っていても構いやしない。
滅多にドライヤーなど使わぬうえ、女の髪を乾かしたことなどないので、指先にどの程度の力を込めてよいかわからない。
「…おまえは俺を何だと思ってるんだ」
「ンー?」
ごうごうと煩い風音へ、当て所のない言葉を隠す。指の間をさらさら逃げる髪がこそばゆい。ドフィと同じように襟首から素肌を覗き込んでも、裾から腹へ指を滑らせても、どうせ知らぬ素振りをしているのだろう。
「俺に愛想を振り撒いても得はないし、」
「んー…」
うなじから髪をかきあげられるのが気持ちがいいのか、顎を上げてこちらを見上げてくる。猫目がにへら、と蕩けて笑った。
「ロクな目に遭わないぞ」
「んー」
「そのうえおまえは隙だらけだ」
「んー」
手櫛でもつるりと纏まるミディアムヘア。静かになったドライヤーを脇に置いたヴェルゴは、つややかな髪を無骨な手で整えた。
ふやふやの身体が胸へ無遠慮にもたれてくるので、さっきまでの苦言が予想通りサッパリ聴こえていなかったことを知る。わかってはいたが。
「ヴェルゴさんの手、好き」
「おい」
Tシャツの下の身体は抜き身である。柔らかくて甘い匂いのするそれが、手へ、腕へ、首元へ戯れついてくるので、ヴェルゴはサングラスの奥で眉を寄せた。
「…少しは警戒したらどうだ」
ついに首元へ抱きつかれた男は、怒ることも呆れることもできずに低い声を絞り出した。それでも猫は、なんで?と茶色い瞳をまんまるにしている。ふやふやとやわっこい感触がなんなのか、深く考えたら負けだと思う。
「フッフッフ…仲が良くて何よりだ」
芳しいチョコレートの香りとともに旧友が現れて、ヴェルゴはようやく肩の力を抜いた。
「勘弁してくれ、ドフィ」
「いい匂い!おなかすいた」
いつのまにか向かい合って座っていた相棒と愛猫に、ドフラミンゴは笑みを深くする。テーブルへマグカップとチュロスを置いても、猫は硬い太腿から降りない。なるほど、すっかり懐いていやがる。
「なあ相棒、おまえ、少なくともロシーとローと同じ枠だぜ?コイツにとっては」
「申し訳ないが辞退したい」
「フフフフッ!諦めろ、気に入られちまったおまえが悪い」
相棒の胸へ身体を預けたままの猫へ、湯気のたつマグカップを手渡してやったドフラミンゴは、真面目な顔で溜め息を吐く男を見つめて満足げに笑うのだった。