深海に沈む 腕を羽根のように広げ、背中から落ちる。荒れた海面はコンクリートのように硬く、背中が痛んだ。天から降り注ぐ大粒の雨が顔面を打ちつける。
しかしそんなことよりも、彼女の絶望の表情が何より心を締め付けた。そんな資格ももう無いだろうに。広げた腕で、指先で、縋ってしまわなくてよかった。
暗く冷たい水に沈むと、鼻から、口から、塩辛い液体が流れ込む。ゴボ、と泡を噴いて思わず喉元を掻きむしると、つけた傷に塩水が染み余計な苦痛を増やしただけだった。
優しさとは何だろうか。徹はよく『優しい人』と評された。
曰く、困っているときに声を掛けてくれた人。
曰く、欠かさずに挨拶をしてくれる人。
曰く、自分を見てくれる人。
そんなのは勘違いなのだと無性に声を荒らげたくなる事もあった。自分は自分であっただけなのだ。それを優しさだなんて持ち上げないで欲しかった。特別な人間だなんて言わないで欲しかった。そうあれと願われるものだから、脅迫観念に縛られたものだから、そうあっただけなんて、誰も信じてくれないかもしれないけど。失望されてしまうかもしれないけれど。
ぐわん、と波に流される。後頭部を強く岩に打ちつけたのを、何処かで理解した。脳味噌をぶち撒けて、血を撒き散らして、醜く身体を砕きながら朽ち果てていく。
これが報いだと思い知った。
世界を裏切った。
家族を裏切った。
友人を裏切った。
婚約者を裏切ったその報い。
ずっとずっと、騙していてごめん。
僕は、優しい人にはなれなかった。