Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    緋色/HIR

    @hir_31589
    主に顔アリ自己解釈先生を上げる時に使う予定

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 23

    緋色/HIR

    ☆quiet follow

    (それはまるで、花に誘われた哀れな獲物の命を鎌で刈り取るような)

    ※ユニ→ドク♀
    ※オリジナル更生対象がいます

    花盗人と祈りの蟲 「センセイ、あんたを手折りたい」
     その言葉を聞いて、わたしは口元に緩やかな弧を描きました。

     精神科医という仕事は、まず患者に信用されなければなりません。心を覗き見ることができなければ心の内にある病巣を見つけ出すことができないからです。マインドハックはその信用を得る段階を飛ばして無理矢理心をこじ開けて内側を見ることができますが、デバッグルームではない場所でそのようなことをするのは健康的ではありません。精神に直接干渉する以上、わたしと対象の脳には大きな負担がかけられることは避けられないので頻繁に行うわけにもいかないのです。ですから、更生した後の『花』に対しては決して疑念を抱かれぬよう、信用を損なわぬよう接しなくてはいけません。幸いなことにみんなはわたしを「ずっと抱えていたものから解き放ってくれた先生」と思い、慕ってくれているので然程難しいことではありませんが。他の精神科医ではこうも簡単にいかないでしょう。まあ、わたしは自他共に認める天才的なマインドハッカーなので仕方のないことですね。
     今日のわたしの仕事はデバッグした更生対象たちの集団カウンセリングです。カウンセリングといっても、わたしは集められた対象たちが雑談している中にぽつんと座っているだけですが。座って雑談に耳を傾けて楽しく話している対象の表情や声のトーンの様子から、バグ再発の兆候は無いか、友好的な関係を育めているか、何も心配事は無いかを読み取ります。勿論、対象がわたしに話しかけてくることもあります。話題がわたしのことばかりになった時は困りました。FORMATとはまた違った者の口からわたしを称賛する言葉を聞くというのはこそばゆいものです。ですが、わたしを罵倒した口からわたしを称賛する言葉が出るのを聞くと、FORMATに褒められるよりも自分の仕事の成果が素晴らしいものであると感じられました。
     「今日はセンセイがいるんだな」
     更生対象用の談話室に入ると、対象の一人がわたしに気付いて手を振りました。ユーニッドくん。少し前にわたしがデバッグした更生対象です。人懐っこい子犬のような目で駆け寄ってきた彼はわたしをぎゅうと抱き締めました。背の高い彼に抱き締められるとわたしの顔は彼の胸に埋まることになり、若干の息苦しさを感じます。しかし呼吸を取り戻そうと暴れるとユーニッドくんの心を傷つけてしまうかもしれません。それは良くないことなので、わたしは息苦しさを我慢して彼の体に腕を回して背中を撫でました。こうすると彼は満足してわたしを解放してくれるのです。一対一のカウンセリングの時や、このような場において、彼と交わすこの一連のやり取りは挨拶のようなものでした。
     [さあ、席に座って。みんな何の話をしていたのかな?]
     わたしはユーニッドくんを連れて、みんなが座ってるテーブルまで行きました。座っていた更生対象の一人が椅子を引いて座るよう促してくれたので、わたしはありがたくそこに座りました。
     最初はみんな口々にわたしへの歓迎の言葉を言いましたが、すぐにわたしが部屋に入る前にしていた話に戻りました。今日のメンバーにとってこの形式のカウンセリングは初めてのことではありません。わたしが求めているものは何なのか察してくれているのです。それに他の者がいる場所で口にする話題と私にしたい話は別のものであることが多いので、自然とわたしと話すよりも他の者と話す流れになるのでしょう。
     「あ、あのさ、せんせ」
     この場にいる全員で一つの話をしていたのがいくつかの小さなグループに分かれてきたところで、一人の更生対象がわたしに話しかけてきました。彼は確か武器の密造に携わっていた男です。初めて会った時は何事にも動じないような無表情でしたが、今は少し照れ臭そうな顔をしてもじもじしています。
     「手ぇ出してくれる?」
     言われるままわたしが彼に手を出すと、彼はわたしの手に何かを載せました。見事な折紙の百合です。聞くとわたしにプレゼントするために作業の合間に折ったと言いました。警備員に次はいつわたしに会えるのか尋ね、今日会えると聞いて持ってきたようです。手先が器用なところはデバッグする前と変わりありません。私がお礼を言うと、「せんせが喜んでくれてよかった」と彼ははにかみました。わたしと彼のやり取りに気付いた者が、わたしの手の中にあるものを覗き込んで口々に凄い凄いと言いました。みんなから褒められた彼は照れ笑いして幸せそうでした。わたしと彼の周りは和やかな空気に包まれましたが、ピリとした嫌な空気を同時に感じました。その空気の正体に気付いたのは暫く経った後、別の日に話す機会があった時に談話室にいた更生対象からこう訊かれた瞬間でした。「ユーニッドが怖い目で先生を見ていたけど大丈夫だった?」と。
     夕刻を告げるチャイムが鳴りました。更生対象は独房に戻って夕食を摂る時間です。楽しげに話していた更生対象たちは会話を中断すると、自分が使っていた椅子を元の場所に戻してわたしに挨拶をして談話室から出て行きました。わたしも自室に戻ろうと思いながら忘れ物はないか談話室を見回すと、一つ残された黒い影が目に留まりました。
     [独房に戻る時間だよ]
     チャイムが聞こえていなかったのでしょうか。椅子から立ち上がろうとしないユーニッドくんにわたしはそう言いました。他の対象たちはいなくなり、談話室はわたしと彼の二人きりです。彼はわたしの方を向かず、虚空をぼんやりと眺めながら口を開きました。
     「センセイが困った顔をしたからセンセイの前じゃ言わねェようにしてるけどさ、みんなセンセイの話ばかりしてるんだ」
     [それは嬉しいね]
     普段の様子や他の更生対象との関係性を見るという点におけるカウンセリングの目的が果たせないので困った顔になりますが、わたしの話をされることはやはり素直に嬉しいものです。悪口、陰口を言われてるというのを考えなくてもよいので素直にそう思えるのでしょう。
     「此処にいる奴らはみんなセンセイに助けられた。俺もその一人だし、俺だってセンセイが大好きだ」
     みんないい子です。みんな可愛らしく美しい花です。わたしがそうしたのですから自信を持って言えます。なんて都合の良い話なのでしょうか。悪人たちの人格を書き換え、みんな優しく、わたしが好きな世界を作り上げる。といっても、それは助けてくれた者、治療してくれた者に対する感謝の念によるものであり、それ以上のものではありません。わたしは天才なので感情を書き換えて本当にわたしを好きにさせることも可能です。それは更生施設の目的と反するので絶対にしませんが。
     [わたしもみんなのことが好きだよ]
     わたしを含め、大体の人は良い子が好きです。バグによって人格を歪められ、人々から嫌われてきた悲しい者たちはみんなに好かれる存在になったのです。しかし人格は変わっても起こった過去は変わりません。なので外にいる者たちがが受け入れるかはまた別の問題ですが、わたしが関与することではありません。わたしが干渉するのはあくまでこの施設の中だけのことです。外に出た後のことは知りませんし、興味もありません。
     「……そうか」
     ユーニッドくんは低い声でそう言いました。「好き」と言われたのに何故か嬉しそうではありません。おかしいな、とわたしは首を傾げました。思えば、この時から雲行きは怪しくなっていたのです。
     「センセイは、この施設の外には出れねェのか?」
     思いがけない問いかけに、わたしは目を瞬かせました。
     「俺が出所したら……出所できることがあったら、俺ぁもうセンセイに会えないんだろ? そんなの嫌なんだ」
     [きみが解放されるってことは、きみのバグが再発する心配が完全に消えて、きみにわたしは必要ないってことだよ]
     頭を振るユーニッドくんの肩に触れ、わたしは諭すようにそう言いました。わたしは精神科医だから。病気が治ったら病院に行く必要はありません。健康な者に病を治癒する医者は必要ないのです。
     「分かってる……センセイはみんなの救世主だ。俺以外にも助けなきゃいけない。分かってる。分かってるけど、センセイの目や言葉が、俺じゃねェ奴に向けられることを考えるとどうしようもなくムカムカした気持ちがゴカイみてェに腹ん中這いずり回って、我慢ならねえんだよ」
     ユーニッドくんは立ち上がり、わたしの腕を掴みました。ビックリした拍子に持っていた折紙の百合を落としてしまいました。拾い上げようと思っても、私の腕を掴む彼の手が屈むことを許しません。それはわたしに一歩近付いた彼の靴の下敷きとなり、音も立てずに潰れました。
     「俺にはセンセイがこの先もずっと必要だ。だからセンセイが施設から離れられないって言うんなら無理矢理でも連れ出したい」
     揺れる彼の目にわたしが映っています。白い睫毛に縁取られた目を何度も瞬かせている滑稽な女が見えました。この滑稽な女は、彼にはどう見えているのでしょうか。
     「センセイ、あんたを手折りたい」
     疑問の答えはすぐに返ってきました。花盗人の宣言。その言葉を聞いて、わたしは失笑しそうになりました。それを抑え込み、誤魔化すために微笑を浮かべたのです。凶悪な犯罪者の口からそんなロマンチシズムに満ちた言葉が出てきたのが可笑しかったのか。わたしの庭を埋める花畑の中の一輪でしかない花がわたしの心を奪えると宣う傲慢さが哀れだったのか。それとも、わたしを花と同一視する純粋さが愛おしかったのか。わたしは花を愛でることが好きですが、決して花ではありません。そこはちゃあんと自覚できています。花を愛でる花、なんて不気味ではありませんか。花は微笑みません。花は蔓を伸ばして相手を抱き締めません。花は柔らかい葉で撫でたりはしません。花は、わたしに対して何も思いを向けることはありません。真剣な眼差しでわたしを見る彼が、急に気持ち悪く思えました。花畑を踏み荒らされた気分です。何人にも踏み荒らされず、焼き払われず、柔らかな風に揺れる花々はわたしにとって平和の象徴でした。その花々の中の一輪が得体の知れない何かになり、わたしの花畑を荒らそうとしている。止めなければなりません。花を食らう何者かが羽化してしまうことを。それがわたしの仕事なのですから。
     私はユーニッドくんの目の前に掌を向けました。デバッグルームの外で、精神世界ではないところでコレをするのは久しぶりのことです。FORMATに知られたらきっと怒られてしまいます。幼い頃、何も知らずに周りの人たちの人格を書き換えていた私を叱りつけた大人のように。ですが緊急事態であったと言えば優しく正しいFORMATは分かってくれるでしょう。わたしは、花畑を守らなければいけないのですから。
     「センセイ?」
     わたしが掌を向けたことによってユーニッドくんの頭の中にデバッグ作業の光景がフラッシュバックしたのでしょうか。彼はわたしの腕から手を離して後ずさると、不安そうに震わせた声でわたしの呼び名を口にしました。人格を書き換えられることを命を奪われることと同一視する人がいることは分かっています。「殺さないでくれ」と命乞いをした更生対象もいました。この二つはこの世に『自己』というものが存在しなくなるという意味では同一のものと言えるでしょう。ですがわたしは実際に死にはしないのに何を大袈裟な、と冷ややかな気持ちで命乞いを聞いていました。
     [怖がらないで]
     本能的な恐怖は言葉だけで取り除けるものではありません。なのでこの言葉も無意味です。彼の恐怖を取り除くためにはその恐怖心を早く消さなくてはなりません。命は奪いませんが、心は奪うのです。人の心は取り上げられたパーツがあった場所を埋め、辻褄を合わせます。心にも自己修復機能がしっかりと備わっているのです。それが、感情を書き換えて人格を修正すること。要はバグの摘出手術です。怖いなら目を閉じればいいものの、恐怖に固まってしまったのか、それとも──わたし自身でこう表現するのは可笑しいけれど──美しいものから目を離せない心理か、ユーニッドくんはじっと揺れ動く私の手を見つめています。紋白蝶を追いかける猫のようだと思いました。
     〈ぱちん〉
     怯える彼の目の中に、白い手を合わせるわたしが見えました。以前、似たようなものが本の中にいた気がしました。

     こうしてわたしはユーニッドくんの心を奪い、そして捨てたのです。

     あの時、わたしは本当に『仕事だから』彼の心を捨てたのでしょうか。ただ個人的な不愉快でマインドハックを行ったことに対して正当に聞こえる理由を後付けしたんじゃないか。そう考えてしまうのです。ですがわたしのやったことは花畑を、世界を守ることに繋がったことは確かだと言えます。野に咲く花を手折る、なんて暴力的な表現を使うというのはバグ再発の兆候に違いありません。野に咲く花は野に咲く花のまま愛でればいいのです。屋内で愛でるために、あるいは束ねて贈り物にしたり飾り付けのパーツにするために栽培されている花とは違います。いえ、わたしはどちらかというと野に咲く花というよりは屋内で栽培されている花の方に親近感が湧きます。しかし、それでも花盗人に手折られることを良しとする理由にはなりません。奪いたい、自分だけのものにしたいという欲望そのものがバグの種となり得る。行動のきっかけは個人的な感情だとしても、行動の結果はバグの再発を未然に防いだという『仕事』です。ですから、FORMATも何も言わなかったのでしょう。わたしからの報告を受けたFORMATは『可哀想な私のドクター。さぞ恐ろしかったことでしょう』と言いました。確かに、機械の補助無しでのマインドハックは無事に成功させられるかどうか不安でした。幼い頃は何も考えず無意識でできていたのに。
     得体の知れない、気持ち悪いとは言いましたが、ユーニッドくんがわたしに向けた感情は恋慕だということには気付いていました。それは人と人との間に生まれる、多くの場合においては肯定的と言える感情です。幼い頃に受けた冷遇によって他者を愛することのできなくなった心がその機能を取り戻したのなら、それはきっと喜ばしく思わなくてはならないのでしょう。多くの場合には。恋愛というものは時に人を狂わせます。大きすぎる愛情によってバグを膨れ上がらせた更生対象がいました。誰かに恋する気持ちがバグの種となるのなら、わたしは躊躇いなく恋というものは罪悪であると言えるでしょう。否定されるべき感情ではありませんが、時と場合によっては否定することも必要なのです。
     精神科医は患者から信用されなくてはなりませんが、患者から愛されてはいけません。あれからユーニッドくんのカウンセリングをすることはありますが、決して特別な感情を持たれないように注意しています。彼の場合、他者から愛された記憶が薄いためちょっとした優しさも大きく受け止めてしまう傾向にあるようです。なのでまずは優しさや肯定的な感情に慣らす必要があります。FORMATからの報告によると彼のために新しく組まれたプログラムの経過は順調なようです。

     「拝み虫だ」
     隊長がそう言ったのを聞いてわたしは本を捲る手を止めました。傾き始めた陽の光が白い部屋を橙色に染めています。隊長の方に顔を向けると、彼女は植木鉢の縁を指さしました。本を閉じてそちらに近付くと、隊長の人差し指の先に一匹の蟷螂がいました。
     [蟷螂?]
     「ああ。拝み虫とも呼ぶんだ。獲物を前にした時にこうして両手の鎌を揃える姿が拝んでいる、祈っているように見えるだろう」
     自分の胸の前で両手を合わせた隊長の姿に、ユーニッドくんの大きな目に映った自分の姿が重なりました。花と見紛う容姿をした、祈るように両手を合わせる捕食者の姿。頭の中で白い電光が閃いたようでした。あの時思い出せなかった名前が、わたしの脳裏に瞬いたのです。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏👏👏👏🙏
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works