犬を拾う冬西犬を保護する冬西
……
冬芽は車が好きだ。それはもう、うんざりするほど。
先月、天上ウテナとアンシーとの4人でドライブした。もちろん、冬芽がピカピカに手入れした、真っ赤なスポーツカーで。
冬芽は人を乗せて運転するのが好きだ。「いい車ですね」「かっこいいですね」とかなんとか褒められて「いやぁ、ははは」といきたいのだ。
しかし冬芽の愛車に乗るには条件がある。
ドアは強く開閉しない。新品の靴または前日に洗った靴で乗ること。手をアルコールで消毒すること。飲食厳禁。くしゃみするな。窓を触るなetc…
大きなルールはこのくらいで、あとは細かいルールが冬芽の中の「常識」としてある。
単に高級車に乗りたい人間なら緊張するかげんなりするかで全く楽しめないだろう。アンシーはともかく、ガサツな天上ウテナに守れるはずがない。
恋人の僕は多少の自由が許されているが、それでも半年に一回はいちゃもんをつけられ喧嘩するのだから。
「桐生、水くらい持っていってもいいだろ?」
「喉渇いちゃいますしねぇ」
「アンシー、すまんが冬芽は例外は認めな…」
「水くらいなら構わないよ」
さらりと微笑む冬芽。冬芽、お前…湿気は雑菌の温床になるから水もこぼしたら大罪だって去年は僕に熱弁してたのに。痩せ我慢でも虚栄でもいい。冬芽の成長が心から嬉しかった。
「結局アンシーがドライブスルーでソフトクリーム買ってきたせいでお前は怒り狂っていたけどな」
「よせよ、あれに関して俺は全く悪くない。邪悪な姫宮アンシーのせいさ」
今日はまったり湖でも見に行こう、と、真っ赤なスポーツカーにふたりきりで田舎道を走っていた。
冬芽の車に乗るのは正直疲れることもある。でも僕は水を飲んでもいいし、リクライニングを倒して寝てもいいし、窓を開けてもいい。恋人だから特別、と冬芽が限りなく渋々了承したのだ。
シートを少し倒して、サングラス越しに運転中の冬芽を見つめる。車を運転する冬芽は機嫌がいい。この特別感は嫌いじゃない。
冬芽は車に関しては神経質で頑固で面倒臭いが、運転している時は正直かっこいい。
冬芽はなかなか気が付かないが、僕が特に強くこいつに惹かれる「かっこよさ」は見てくれのことじゃない。それは滅多に姿を表さないがこの男の中でチラチラと光を放ち、僕を惹きつける。
運転する彼は幸せそうで、微かに僕の好きな輝き方をする。
「ん?」
2人同時に道路隅のガードレールに視線がうつった。すると、レンガのような、土嚢のような質量のある塊が、にょこっと動いた。
「犬じゃないか?」
「なんであんなところに」
犬の顔を確認する間も無く、2人はその場を通り過ぎ、湖へ向かう道路を走り続ける。観光客向けの飲食店が目立ってきた。もうすぐ目的地だ。しかし、
「西園寺、一旦戻ってみないか」
「……好きにしろ」
僕らの頭にはあの悲しげな丸まりが強烈に残り続け、なんやかんや行って弱った生き物を放っておけない冬芽が根を上げた。
「おーい、おチビちゃん!」
「チビって体格じゃなかったぞ、ああ、あそこだ」
適当なところに車を止めてガードレール側を歩き続けると、こちらの気配に戸惑う犬の姿が見えてきた。
短毛で大柄だが、多分雑種…パタパタと控えめにふる尻尾は、喜びより緊張のためだろう。
ペットボトルで水をやる。薄汚く、あばらが浮いているが、怪我もは無いしまだ気力もあるようだ。
「ガードレールに紐で縛るなんて」
冬芽は犬が怯えないよう体を撫で続けながら、静かにつぶやいた。そうだな、お前はそういうことに怒るやつだ、本来は。
「病院に連れて行く」
「そうしたいが、こいつを、その、お前の車に乗せるのか」
「ああ」
一切の躊躇いなくこちらを見た冬芽の目、その輝きに引き込まれ言葉を失っていると、冬芽は上質なコートが汚れるのも構わず犬を包み込み、優しく抱き上げた。
「さあ、もう大丈夫だよ」
田舎道を行き交う車の音が、世界に吸収されるみたいに遠のく。今この場にあるのは、怯える弱った犬と、それを抱きしめ微笑みかける冬芽、面倒で見栄っ張りで、気高い恋人。
今日のことを他の連中に話したら、きっと驚くだろう。優しいことも出来るんだね、と笑われるかもしれない。冬芽はすました顔をするが、照れ隠ししてることは僕にはわかるだろう。その輪の中にこの犬もいる。今から楽しみだ。