「燐音くん、キスをするときは目を閉じるんすよ」 顔を近づけた至近距離、見開かれたままの目が瞬く。僕の一挙一動を見逃したくないという意思の現れ、というのは自惚れかもしれない。
「…なんで?」
なんで? 燐音くんは僕と出会ってからずっとそれだ。世の中の全てには意味があると思っている。実際そうなのかもしれないけど「そうだからそうなっている」としか思ってこなかった僕には難しい問題だ。
物語でも、ドラマでも、みんな目を閉じているじゃないか。けど、みんなやっているからっていう答えは燐音くんはきっと嫌いだろう。
「…目を閉じろというのは親が子を、怖いか悪いものから守るための言葉だろう」
「ああ、確かにそうっすね」
確かに「あんなもの見ちゃいけません」世の親は悪いものにそう言うのだろう。じゃあ僕はあんなものだろうか。違うな。キスをするときに目を閉じるっていうのは、たぶん、みんな、恥ずかしいからだ。
じゃあ恥ずかしいからダメだよって燐音くんに言ったら今度は「ニキは恥ずかしいのか?」って返ってくると思う。僕は別に恥ずかしくない。でも見られたくないのだ。キスをするときの僕。だからみんなやっているように、目を閉じてほしい。やっぱり僕はあんなものだろうか。
「燐音くんが目を閉じて僕とキスをしている間だけ、燐音くんを怖くて悪いものから守ってあげる」
「…なんだそれ」
「そういう魔法っすよ」
自分で言っていてもなに言ってんだって感じだったが、このできの悪い脳みそではなにも思い浮かばない。それでも燐音くんは「なんだそれ」って思いながらも、僕の言ったことを信じて目を閉じた。
だから、燐音くんは僕とキスをするとき必ず目を閉じる。
ニキの言うことを聞いていたのはニキの言うことを納得したからではない。適当なことを言ってまで俺に隠したいであろうことを暴く気になれなかったからだ。
だけど、数年経った今、それは好奇心に代わった。
それに目を閉じながらだと自分からキスをするのに不便だ。だから次にニキがキスをしてきたら目を開けようと思う。そうすれば次から閉じなくていいだろうし、それにもうあいつも昔に言ったことなんて忘れているかもしれないし。
「燐音くん、目、閉じて」
ニキの顔が近づいてきて、ああ、キスされるんだな、と思った。
目を閉じてニキを待つ。ややあって、俺の唇にニキの唇が重なった。じん、と心臓に沁みるのが解る。無理に暴かなくていいんじゃないか。だってこんなに幸せだ。ニキがいいって言うまで言うことを聞いておくべきじゃないのか。あの日の俺が言う。
でも知りたい。ニキが俺から隠した、怖くて悪いものが知りたい。俺はもう、守られるだけじゃなくなりたい。
ゆっくりと、俺はついにまぶたを開く。次の瞬間に俺はそれを激しく後悔した。
ああ、しまった。最悪だ。
これは、こんなことは、やってはいけなかった。
「…あは」
唇が離れて至近距離でニキが笑う。
そこにあったのは、情欲に塗れた、獣みたいな青い目だ。ニキはこれを隠したがったのだ。
こんなものは見てはいけなかった。だってそうだろう、こんなもの、知ってしまったらもう後戻りできない。求めずにはいられない!
「魔法、解けちゃったね」
そう、魔法は解けて、綿菓子みたいな優しい羊は消えて、肉を食い散らかす狼へと。
俺は、この男に二度恋をした。