趣味とタチが悪い恋人時々、こいつのことを神そのもののように表現する奴がいる。持って生まれた美しい肉体と才能を惜しげもなく見せつけ、凡人を圧倒的な力でねじ伏せていく。その姿は破壊神か何かを想像させ、対峙する者から抵抗の意識を奪い畏怖の念さえ抱かせる、のだそうだ。
俺に言わせれば確かに阿含は類い稀な才能の持ち主だが、こいつ自身に神々しさなんて感じたこともない。我儘で俗っぽくてその割に本能と理性のバランスを計算して狡賢く立ち回り、他人を見下す癖に他人と関わりたがって、分かりにくくナーバスになる心も持っている。逆にここまで人間らしい人間がいるだろうか。
「テメーは俺がアメフトできなくなったらどうする?」
「……は?」
今だって阿含からの突拍子もない上に面倒くさそうな質問に、俺は目を瞬かせている。
時刻は午前十一時、久々に目覚ましをかけずにゆっくり起きてから遅めの朝食を済ませ、俺達は二人がけのソファに並んで座ってニュース番組を眺めていた。朝から思い詰めた顔で不気味なくらい大人しい阿含に違和感を持ち、どうしたのかと尋ねてみればこれだ。意味が分からず唖然としている俺の前で、阿含はCMに入ったテレビ画面から視線を外さず、何故か緊張した面持ちで俺の答えを待っている。
「怪我でもしたのか?」
「そういうわけじゃねえけど」
「何だ、たられば話かよ。さあな、テメーなら器用だから何でもできんじゃねえか、他の競技でも仕事でも、何なら絵とか音楽でも」
「んなことは分かってる。テメーはそれで良いのかって話で……」
「うん?」
俺が次の言葉に迷っている間にも何を勘違いしたのか阿含の顔はどんどん暗くなっていく。五月末の空は雲一つなくカラリと晴れ渡っているというのに、このソファの一画だけが先に梅雨入りしたのかと思うほど湿っぽくて敵わない。
仕方ねえ、こうなりゃとことん付き合ってやるか。座っていた位置から腰を浮かせて阿含の方へ近づき、手と手が触れそうな距離で顔を覗き込む。
手始めに頭の中でいくつかの仮説を描き、それらしい物から挙げていくことにした。
「どうした、昨日の練習で負けたのまだ引き摺ってんのか? 別にテメーだけの責任じゃねえだろ」
「ッ……ちげーよ」
「それか年取ったのがそんな嫌だったのか?二十歳っつったらもう誤魔化しは効かねえもんなあ」
その単語にピクリと反応する阿含を見て俺は確信した。
「分かった、先週の講義だろ。ケケケ、テメーでもあんなこと気にすんだな」
十で神童十五で才子、二十過ぎれば只の人。その講義で教授が口にしていた言葉だ。それは自分は中学に入るまで村で神童と呼ばれていて、というエピソードから始まる自虐めいた笑い話だったのだが、教室にいた二十歳前後の学生、とりわけ数日後に誕生日を控えた阿含には強烈に印象付いていたらしい。加えて昨日の試合の不調で拍車がかかったというところか。だとしてもここまで真に受けるとは意外だったが。
「……別にまるっきり信じたわけじゃねえからな」
俺のニタリと笑う顔を見て、阿含は観念したように目を瞑った。
「けど急に気がついたんだよ。昨日みたいな調子が続いたらレギュラーにはなれねえし、本当にいつかは年取ってアメフト引退すんだろ? そん時に、テメーはそれでも俺と……」
「何だよ」
「ああもうだから、アメフトがなくなったらテメーが俺から離れていくんじゃねえかと思ったんだよ」
こいつ、面倒くせーな。喉元まで込み上げていた言葉をすんでのところで飲み込む。これが恋人の言うことで、尚且つ今日が付き合って初めての誕生日でなければどうでも良いと一蹴しているところだ。
だが幸いにもこれは恋人の言うことで尚且つ今日は付き合って初めての誕生日だったので、俺は極力優しげに微笑んで阿含の目を見つめ、その膝に乗り上げて軽く首に腕を回した。
「糞ドレッド、俺がテメーのどこが好きで付き合ってるか分かるか?」
すぐさま口を開いて、しかし言葉に詰まって俺を見つめ返してくる阿含の頬をするりと撫でる。
「言っとくけどアメフトが上手いからじゃねえからな」
「嘘つけ、アメフトしか興味ねえ癖に」
「信用ねえなあ。それならテメーレベルの選手は全員俺が手出してるはずだろ」
「……」
そもそも俺はアメフトが上手いだけの男と付き合うくらいならアメフトと結婚する。
双子とはいえ末っ子だからか、それとも年上の女と付き合い慣れているからか、阿含は自分が甘やかされるであろう状況を本能的に察知するらしい。早速俺を見る目が湯煎されたチョコレートのようにぬるく溶けたダークブラウンに変わる。俺の腰に回ってきた腕を抵抗せずに受け入れて、長い髪に指を絡ませる。
「んん、じゃ、セックスが上手い」
「違う。比較対象ねえから分かんねえ」
「はあ?テメーいつもすげえ良いって……いや、なら喧嘩が強いとか」
「それも違え。ボディーガード雇うんじゃねえんだから」
「性格が良い?」
「おいふざけてんのか? 真面目に考えろ」
しかし俺はそれ以上答える間を与えずに、グイと阿含の左耳を掴んで言った。
「テメーと付き合ってる理由なんざ、ちょおおっと見た目が良いからに決まってんだろうが」
昔から柄の悪いものが好きだった。ドクロとかコウモリとかドラゴンとか、何かそういう悪そうで派手なもん全般がカッコよくて憧れで、そう認識したまま今日まで成長してしまった。早い話、こいつの外見は好みドンピシャなのだ。
「スペックやら中身やらに惚れられてるとでも思ったか? 自惚れんのも大概にしやがれこの顔だけ野郎が」
言いながら首筋に顔を埋めて音が鳴るくらいキスしてやる。そりゃアメフトやってる姿もこの面倒な性格も嫌いじゃないが、その辺は完全にあばたもえくぼってヤツだ。
「……テメーなあ、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって」
ああほら、その不機嫌そうに見せかけて満更でもないのを隠せてない複雑な顔も悔しいほど様になる。
「な、安心しただろ。下手に爽やか好青年ヅラに整形でもしねえ限りはずっと好きでいてやるよ」
「はあ、もういい。地味に深刻に悩んでたのがアホらしくなってきた……」
「そりゃ良かった。ほら、せっかくの誕生日なんだから何か欲しいもんとか行きてえとことかねえのか? 俺が特別に叶えてやっても良いぞ」
希望ねえなら俺のチョイスになるけど、テメー東京タワーにI♡AGONってメッセージ出すとかテレビ局の電波ジャックして馴れ初めビデオ全国に流すとかってどう思う? ちなみに俺は結構好き。
内心色々と計画し始めていたらいつのまにかソファに押し倒されていた。女といる時の涼しい目じゃなく、熱くて冷たい余裕のない視線が俺を貫く。
「……笑うなよ」
「おー……」
「テメーが欲しい」
口調の強引さとは裏腹におずおずと背中に手が伸ばされて柔く抱き込まれた。甘すぎない香水の香りが鼻腔をいっぱいにして、好きな相手に縋られることの快感が全身を満たしていく。
やっぱみんなの神サマにしとくには勿体ねえよな。これは俺が見つけたんだから誰にも渡さねえ。
クッションに体重を預け、俺は阿含にも見られないように会心の笑みをもらした。