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    nana8esah

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    nana8esah

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    2022阿ヒルクリスマス街を行き交う人々がふと足を止めて上を見た。薄暗い空から粉雪が落ちてきて、コートや手袋の上にふわりと着地する。東京では珍しいホワイトクリスマスにはしゃぐ人々の横を阿含は足早に通り過ぎた。約束の時刻にはまだ余裕があるが、相手のことを考えるとつい足を前に出すスピードが速くなってしまう。

    今夜18時に駅前の広場で待ち合わせよう。蛭魔からそんな提案をされたのは今朝のことだった。待ち合わせたところでどうせ同じ家に帰るのだが、せっかくのクリスマスイブだから久しぶりに外でデートでも、と言われれば阿含に反対する理由はない。特に最近はお互いに忙しく、なかなか二人で出かける機会もなかった。今朝も蛭魔は阿含が頷くのを確認するや否や、慌ただしく家を出て行ってしまった。
    蛭魔と恋人になった大学二年の冬から10年が経とうとしている。それから今日まで、普通のカップルが一生やらないような経験も、一般的な恋人らしいことも数えきれないほどしてきた。共に迎えるクリスマスも様々で、海外での潜入捜査とやらに付き合わされた挙句現地のヤクザと乱闘する羽目になった年もあれば、寝室のプロジェクターに映画を流して一日中ベッドの中で身を寄せ合って過ごした年もある。阿含は蛭魔の昔から変わらぬ奇抜な発想や行動を愛していたし、この10年のうちに時折見せるようになった穏やかな表情や仕草も好きだった。

    数時間前、仕事を終えた阿含が車でこの街にやってきた時にはまだ空は明るかった。18時になるまで待ち合わせの場所近くのカフェで時間を潰すつもりだったのだが、駐車場から駅へと続く大通りを歩いている途中で気が変わった。通り沿いのデパートのショーウインドウに映る自分の姿が目に入ったのだ。阿含は思わず立ち止まり、目の前にいる紺のジャケットに白いスタンドカラーシャツの男をまじまじと見る。さっきまでの仕事というのがスポーツ雑誌の取材だったため、落ち着いた大人っぽさを意識したコーディネートでどこもおかしくはないのだが。頭の中に今朝の蛭魔の顔が浮かんだ。せっかくの「デート」ならそれにふさわしく恰好をつけたい。我ながら浮かれているなと苦笑しながら、阿含はデパートの入り口に足を踏み入れた。

    買い物を終えて外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。粉雪が舞い始める中、阿含は再び駅への道を歩き始めた。買ったばかりの黒いレザー生地のバーシティジャケットに大きめのシルエットのパンツを合わせると、かしこまった大人から本来の自分に戻ったようで気分が良い。ポケットにはついでに購入した蛭魔へのプレゼントが突っ込んである。本命のプレゼントは既に用意して車のトランクの中に隠してあるから、先にこっちを渡しておいて後で驚かせるのも良い。

    交差点で信号が変わるのを待っていた時、目に入ってきた光景にハッとした。十数メートルほどの長い横断歩道を挟んだ先に待ち合わせ場所である駅前広場があり、その中心に大きなクリスマスツリーが輝いている。ツリーの前には二つのベンチが背中合わせに設置されていて、そして右側のベンチに蛭魔が一人で座っていた。この時期には珍しくもない、だが阿含にとっては大きな意味を持つ光景である。
    中学生の頃、この場所で阿含と蛭魔は決別した。丁度あの日も冬の夜で、クリスマスツリーが一際明るく見えたものだ。あの時は阿含から蛭魔を突き放した。それしか気持ちを発散する術を知らなかったのだ。一方的に子どもじみた嫌がらせを受けても蛭魔は泣きも怒りもせず、それがまた阿含の心の温度を下げた。どれだけ一緒にいても、心を通わせたと思った瞬間があっても、別れる時はあのベンチで背中越しに二、三言の会話を交わして、あとは目も合わせずにその場を去るだけだった。
    思えば最初から不自然だった。いつもなら集合場所を決めたりせずにスマホで連絡を取り合うのに、今日は駅前広場のツリーの前、と蛭魔から細かく指定されていた。その時点で不思議に思っても良かったのに、久々に一緒に過ごせることに浮足立って全く疑問に感じなかった。
    まさか今日、蛭魔から別れを切り出されるのではないか。嫌な予感が胸のうちに広がり始める。もしそれなら、15年前に自分が蛭魔を拒絶した場所で今度は自分が蛭魔から振られるのか。ドラマのワンシーンなら酷評されているような安っぽくて出来過ぎたストーリーだと阿含は自嘲した。

    いくら足取りが重いとは言っても目的地まではあと少しで、今更どこかに逃げることもできない。交差点の信号が赤から青になったところで、覚悟を決めて歩みを進める。ベンチに座っていた蛭魔は、阿含が近づいてきたのに気づくと驚いたように立ち上がった。

    「えらく早えじゃねえか、まだ15分前だぞ」
    「テメーこそ先に着いたんなら連絡くらいしろ。いつから待ってたんだよ」

    阿含の質問には答えずクスクスと笑う蛭魔の吐く息が白くなる。薄手の黒いコートはこの雪の中では少し寒そうに見える。悪魔と評される蛭魔だって体まで非人間的なわけではない。尖った耳の先は白いままで寒さなど感じていないかのように見えるが、あれは実は触るとひんやりと冷たいのだ。人前でなければ両手で包んで温めてやりたい。

    「寒いし、さっさと建物の中入んぞ。行く場所は決まってんのか?」
    「……」
    「ヒル魔?」
    「いや、まだ……ちょっとここで話さねえ?」
    「……分かった」

    蛭魔は頑なにその場を動こうとしない。その珍しく緊張した表情を見て心臓まで冷えるような感覚を覚えた。さっきまでの嫌な予感が次第に現実味を帯びてくる。蛭魔はゆっくりと後ろを振り返ってツリーを見た。

    「なあ糞ドレッド、このツリーっていつからあったか覚えてっか?」
    「細かいことは知らねえけど。15年前の冬からあったのは確実だな」
    「ケケケ、だよなあ。俺も覚えてんのはそんくらいからだ」

    蛭魔によると、15年も経つ間にツリーは何度も新しくなっていて、今年も大規模なリニューアルがあったらしい。目の前のツリーは確かに記憶にあるより巨大で、電飾も豪華に施されている。

    「こうやって色々変わっていくけど、それは別に悪いことじゃねえよな」

    蛭魔の話を静かに聞きながら、阿含は最悪の事態に備えて心の準備をしていた。
    いつかこんな日が来るんじゃないかという予感はあったのだ。この世界一特別な、派手で奇抜で普通ではない蛭魔がいつまでも普通の恋人関係を続けてくれるのだろうか、と。けど、この10年ずっと幸せ過ぎて、楽しくて、離れたくなくて。

    「だから、あー、そうだな……俺らももう10年こんな関係だろ?そろそろ変わってくのも良いかと思って」

    別れたいと言われたら受け入れる以外にない。一方的に蛭魔を縛っても意味がない。出会った時から自由で我儘でどうにも手に入らない蛭魔のことを愛しているから。

    「クリスマスだろ。プレゼントっつーことで聞いてくれるか?」

    ああ、でもやっぱり嫌だ。
    この場で年甲斐もなく泣いて駄々をこねて蛭魔を引き止めたい。プレゼントだろうが金だろうがいくらでもくれてやるのに。そんな内心とは裏腹に、口から言葉は一つも出てこない。もしかしたら15年前の蛭魔もこんな思いだったんだろうか。阿含は思わず手を伸ばして、蛭魔を抱きすくめた。

    「阿含?」

    蛭魔の言葉を無視して、目の前の男に縋るように腕に力を込める。だがどれだけきつく閉じ込めたところで蛭魔はいつだって自分の腕からすり抜けていってしまうのだ。
    阿含は蛭魔の頬を手の甲でそっと撫でる。弾力のある肌が指に馴染んで気持ちが良い。どさくさ紛れに触れた耳の先はやっぱり冷たかった。ブリーチしっぱなしの癖に柔らかい金色の髪、整髪料と阿含の香水が混じった香り、少し掠れたようでビリビリと響く声、たまに名前を呼んでくれるところ。自分の物になったとは思っていないけれど、今更全部取り上げるなんて酷い真似をする。恨み言を込めた目で見つめれば、蛭魔は目を丸く見開いて、それから少し笑いながら阿含の顔に手を伸ばしてきた。目元を柔らかく擦って離れていった蛭魔の人差し指が微かに濡れている。
    「感動すんのはまだ早えんだけどな……」

    感動、という言葉に違和感を持ったその時、目の前が一瞬で真っ白になった。精神状態の比喩表現ではなくて、本当に目の前の巨大なクリスマスツリーが突然白く光り始めたのである。

    「は?」

    茫然とする阿含の横で、ツリーは赤、青、緑と鮮やかに色を変え始める。周囲のスピーカーから流れる爆音のクリスマスソングに合わせて吊り下げられていたオーナメントボールが淡いピンクやオレンジの光を放ち、その光を反射してガラス製のベルや天使の人形が一層キラキラと輝く。ぬいぐるみのクマやウサギはコミカルに踊り、頂上の大きな星はミラーボールのように回転して周囲に眩しい光をまき散らした。極めつけにツリーの台座がパカリと開き、中から出現した大きなディスプレイにある文字が映し出される。
    Will you marry me と、確かにそう書かれていた。

    「今年のツリーはリニューアルでプロジェクションマッピングを導入したんだと」

    何も言わずに(言えずに)一連のライティングショーを見ていた阿含の隣で、蛭魔が満足そうな顔でまだ眩しく発光しているツリーを見上げる。

    「せっかくプロポーズすんならここが一番良いと思ってな」
    「……これ、テメーが一人でやってるわけじゃねえんだよな?」
    「たりめーだろ。つーかテメー、18時っつったのに15分も早く来やがって!俺にも裏方スタッフにも準備ってもんがあんだよ」

    阿含は今度こそ力が抜けて大きく息をついた。安心感と呆れ、それとまだ実感がないが足元から上がってくるような幸福感に感情がジェットコースターにでもなったように揺れ動いてどっと疲れが出る。阿含の様子などお構いなしに蛭魔は笑って顔を覗き込んでくる。

    「どうする?今決めちまえば俺が一生幸せにしてやれんだが?」
    「キャンペーンの勧誘じゃねえんだから」

    返事を催促されて、阿含は改めて周りを見渡した。クリスマスイブの夜の駅前広場は人通りが多いなんてものじゃない。更には今のゲリラライティングショーが周囲の注目を集中させ、少なくない数の野次馬が阿含たちを見守っていた。さっきのジェットコースターを覆いつくすレベルの照れと羞恥心が一気に押し寄せる。
    それでも阿含は15年前よりは随分と大人らしくなっていて、色々言いたいことの前に一旦は「よろしくお願いします」というために口を開いた。
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