広い家 2 仗助の仕事はスタンドに絡んだものだが、ほとんどの仕事は発見されたスタンド能力の調査である。職務内容にはスタンド使いとの戦闘も含まれるが、そもそもスタンド能力を持つものはごく少数である。その力で戦闘行為に及ぶものは更に少ない為、ほとんど経験はなかった。就職してから実際に戦いに及んだのは片手で収まる程度である。その中にはスタンド使いと「思われる」相手もいたため、実際に未知のスタンドを相手に戦ったのはさらに少なかった。それでも、吉良吉影の父親である吉良吉廣と、億泰の兄虹村形兆の影響でM県内には他の市町村よりもずっとスタンドの絡む事案は多い。そのために支部がこの地に作られたほどである。
数か月前から調査が進んでいた事件について、どうやらスタンドが絡んでいるようだと連絡が入った。仗助はサポートする別の部署の職員と共に現場へ向かう。
「当初は子どもの噂話だと思われていたんですが」
廃屋となった住居に、生き物の気配がする。そういう情報だった。どこからか勝手に住み着いた人間がいるのではないか、野良犬や野良猫の類ではないか、近所ではそう噂されていた。スタンドはどこにでもいるようなものではない。わざわざ財団が動くような精度の話でもなかったのだが、とある職員が妙な引っかかりを覚え、念のためにと一人そこへ調査に向かった。そこで、何もないところで足を取られたという。
「何度も足を掴まれて、引っ張られたんだそうです。彼はスタンド使いではないので見えないが、確実に何かはそこに存在していたと」
「なるほど」
「東方さんには、まず本当にそこにスタンドが居るのかを確認していただきたい」
「了解っス」
「あと、私が先に行くのでもし怪我をしたらお願いします。くれぐれもご自身がお怪我なさらないよう」
「わかってますって」
仗助の能力は組織の中でよく知られている。それだけ「直す」力には需要があるのだ。実際に、大怪我をした職員を治療したこともあった。特に危険が伴う調査ではしんがりを務めることが多い。
「うわあ!」
「え、おい!」
前を歩く職員が勢いよく転んだ。仗助が慌てて近寄ると、まるで廃屋の方へ引っ張られているように見える。
「ひ、東方さんっ! 私の足元を見てください!」
「ああっと、そうだった」
職員の足首は何かが掴んでいるようにわずかにへこんでいる。しかし、スタンドの姿は見えなかった。
「クレイジー・ダイヤモンド!」
念のため、仗助はスタンドを発現させて何もない辺りを殴ってみるが手ごたえはない。だが、職員は足を引っ張られて転んでいる。
「とりあえず、こっち来て」
仗助は屈むと職員の体を両手でつかんだ。そのまま引っ張ると、やはり何かが反対方向へ引いている。
「くっそ!」
思いきり力を込めて引っ張る。じりじりと数センチずつ自分の方へ職員を引き寄せていると、突然引っ張られる力が消えてなくなった。
「うわっ!」
背後に体重をかけていた仗助は一気にバランスを崩した。それでも咄嗟に体勢をひねり、職員と自分の体重を受け止めて踏ん張る。すぐに職員も自分の足で立ち上がり、仗助はほっと息をついた。
「なんだったんスかね、あれ」
「スタンド……は見えなかったんですよね」
「ですね。手ごたえもなかったス」
「なんだろう……まあ、スタンドではなかったのなら東方さんとの調査はここまでですね。危険もありそうですし、戻りましょう」
「はい」
職員の言葉に頷き、一歩踏み出したところで仗助は違和感に気が付いた。先ほど踏ん張った足に、力が入らない。じんわりと足首の辺りから痛みも出てきた。
「あ、やべーかも」
「どうしました……?」
「足、おかしくしちまったみたいス」
「ええっ! あの、ちょっと待っててください」
職員は体に異常がないようで、そのまま早歩きで止めてある車まで小走りで移動していった。そしてすぐに、運転役としてついてきていたもう一人を連れて戻ってくる。そして、仗助は二人に肩を借りる形で車まで移動した。
「戻って診てもらいましょう」
診断の結果、足首の辺りの筋肉が損傷していたため、仗助はそのまま車で自宅に送り届けられた。
一緒に調査にいった職員に部屋の前まで付き添われ、仗助はいつもよりかなり早い時間に帰宅した。玄関に入ると、少し驚いた顔の露伴がやってくる。
「どうしたんだよ、それ」
「あー仕事中にちょっと怪我しちゃって」
戻った頃には、患部はかなり腫れていた。そこを包帯でしっかりと固定してある。松葉杖も持っているので、驚いたのだろう。
「折ったのか?」
「いや、筋を痛めちゃったみたいで」
「ふーん」
露伴はそのまま廊下に立っている。どうしたのだろうと思っていると、あちらから話しかけられた。
「上がらないのかよ。手を貸してやろうとしてるんだが」
「え! あ、マジで」
「お前、ぼくをなんだと思ってるんだ」
露伴の手を借り、靴を脱いで玄関を上がる。仗助が壁に手をついて体を支えている間に、露伴が部屋の扉を開いてくれた。
「ありがとうございます」
「ベッドに寝るのか?」
「はい」
そのまま露伴に体を支えられ、仗助はベッドへ腰掛けた。部屋を出た露伴は玄関に置きっぱなしになっていた松葉杖を持ってきてくれる。それをそばに置いてから、腕を組んだ。
「で、とりあえずは問題ないか」
「あー……えっとカバンの中に薬が入ってるんで、カバン持ってきてもらえると嬉しいっス」
「ん」
露伴はすぐに仗助のカバンを持って戻ってくると、すぐにまた部屋の外へ出ていった。そして、ペットボトルのミネラルウォーターを一本持ってきた。露伴が愛飲しているものである。
「薬飲むならあったほうがいいだろ」
「どーも……」
「じゃあ、ぼくは行くから。何かあったらメールでもしろ」
「ありがとうございます」
「その状態で転んだりしたら余計に面倒だからな」
偉そうにそう言って、今度はドアをしっかりと閉めて露伴が出ていった。その様子を見送った仗助は、胸の奥が少しだけ暖かくなった。あの露伴が自分の体調を気にしてくれたのだ。これは仗助にとってはとんでもない出来事である。正直、野垂れ死んでも構わないくらい思われているのではと考えていたからだ。
「マジか」
ゆっくりと足を上げて、ベッドの上に座る。そのまま体を倒して、仰向けに寝転んだ。天井を見つめていると、先ほどの露伴の言葉を思い出す。何かあれば言え、と露伴は口にした。手探りでズボンのポケットから携帯電話を取り出してみる。露伴とはほとんど連絡を取り合っていない。別に帰る時間を連絡し合う仲でもないからだ。
「なんかあったら、お願いすっか」
寝転んだところで、仗助は寝間着に着替えればよかったと気が付いた。幸い、部屋着のTシャツとスウェットはベッドの上に脱ぎ捨てたままである。ゆっくりと上半身を起こして、端に丸まっている服を手探りで引き寄せた。どうにかそれらに着替えたところで、体がどうにもだるくなる。
「熱あっかもなー」
診てくれた財団の医師も、時間が経過すると体が熱を持つかもしれないと言っていた。それに、足もだんだんと痛くなってきている。痛み止めが切れたのかもしれないと、カバンから取り出した薬を水で流しこんだ。
「はあ」
ゆっくりと布団の中に潜り込み、目を閉じる。熱の影響もあってか、あっというまに仗助は眠りに落ちていった。
目を開くと、室内は暗くなっている。どうやら眠っている間に日が暮れたようだ。携帯電話を手繰り寄せると、21時を過ぎた頃である。日が落ちる前だったので、四~五時間は眠っていたようだ。ぼんやりと天井を眺めていると、控え目にドアをノックされた。
「はい」
「入るよ」
廊下の明かりが室内に差し込み、露伴の姿を照らす。眩しさに目を細めている間に露伴が近づいてきた。
「具合は?」
「寝る前よりは痛くない……気がします」
「そりゃ結構」
露伴の手が伸びて、自然な仕草で仗助の額に触れる。じっと見つめられ、仗助は少し緊張した。
「熱、下がったみたいだな。さっき来た時うなされててさ」
「そうだったんスか」
「怪我すると熱が出たりするからな」
「さすが、よく怪我してる人は違いますね」
「つまんない冗談言えるくらいは元気になったみたいだな。もうちょっと寝てなよ」
思わず離れていく手を仗助は握ってしまった。目を見張った露伴の表情を見て、自分がおかしなことをしたと気が付く。
「なんだよ」
「え、あー……なんか無意識に」
「もしかして、子守唄でも欲しかったか」
「子守唄はいらないんスけど、もーちょっと一緒にいて欲しいっつーか」
「へえ。君にもそういう人間っぽいとこあったんだな」
どういうことだと仗助が言い返す前に、露伴はベッドへ腰掛けた。そしてもう片方の手を伸ばして仗助の頭を撫でる。
「一人じゃ寝られない仗助くんのために、しばらく付き合ってやるよ」
「……どうもありがとうございます」
「早く寝ろよ」
言われて仗助は目を閉じた。さすがに手は離したが、気恥ずかしさはある。なぜ手なんて握ってしまったのか。具合が悪いせいで人恋しくなったのかもしれない。そして、露伴は、そういう当たり前の感情を受け入れてくれる人間だったようだ。そこに、密かに仗助は感動した。
「露伴先生、なんでこんな優しくしてくれるんスか」
「お前がいなくなったら、また住むところに困るじゃないか」
「そっか」
目を閉じているせいで、露伴の表情はわからない。ただ、どこか照れているように感じられた。それは、自分の行動を子どもっぽいと思っている仗助の願望なのかもしれない。らしくないことをする露伴も同じような気持ちなのだと。ただ今までの経験上、岸辺露伴という人間と同じ感情を共有できた試しはない。そこまで考えて、仗助は思わず笑みを浮かべた。そして、そのまま眠っていたのである。
驚異的な回復力を見せ、翌日には仗助の怪我はかなり良くなった。念のために休暇にしてあったため、今日は休みである。この一日を休めば治りそうなくらいには回復していた。
「そういやお前、死にかけてたのに一か月も入院してなかったな」
「なーんかガキの頃から怪我が治るの早いんスよ。家系っスね多分」
「ジョースター家の力ってことか……」
昨晩の発熱も、体が治癒に力を使っていた証拠なのかもしれない。今日は露伴の手を借りずとも、リビングまで自力で移動出来ている。
「調子が良くなってきたならさ、ちょっとぼくに協力しろよ」
「なんスか?」
「まあ、漫画の題材についての一つの参考意見が聞きたい」
露伴が仗助にこんなことを言いだすのは初めてである。やはり、昨晩感じたように露伴も自分に対して友情を抱きつつあるのではないか。仗助は密かにそう期待した。
「実は連載で怨恨をテーマにした回を描く予定でさ。そこに醜い嫉妬心を描きたいんだ」
「はい」
「で、お前って女に浮気されて別れたんだろ? それが発覚した時の気持ちを事細かく教えてくれよ。まずは、最初に思った感情から」
「はあ?」
「教えろよ。ぼくがお前の経験なんかに興味を持つなんてこの先ないかもしれないんだぞ」
「人の古傷ひっかきまわすんじゃねえよ! ぜってえ体に悪いじゃねーか!」
「そんなデカい声で喋れる奴なら平気だろ。ほら、言えよ」
「ぜってえ言わねえ!」
昨日感じた優しさはなんだったのか。勝手に覚えたシンパシーは幻想だったのか。相変わらず自分のことしか考えていないのだ、岸辺露伴という男は。それを痛感し、仗助は改めつつあった露伴への感情を再びリセットしたのである。